高校球児の春はあっという間に過ぎ、いよいよ夏が訪れようとしている。
それは何も実際の季節上だけではなく──明確なイベントをもって、彼らにそれを思い知らせるのだ。
「あ〜……どうなった、どうなったんだ……」
右往左往する同好会時代のエース・児玉憲太郎。ただでさえあまり広くない部室内で、体格
「オノレ仮にも元エースやろ、本田見習ってドンと構えとかんかい!」
「〜〜っ、わーってるけどよ……つーか仮にもは余計だ!」
「い、一回戦って肝心だもんね……」同調する丸山。「……やっぱり、ラインで訊いちゃダメかな?」
「約束したろ、国分たちの帰りを待つと」
「そうだけど……」
──ただいま主将の国分以下・代表5名は南雲の引率のもと、神奈川県夏大会・事前抽選会に臨んでいる。そこで夏大会のトーナメント表が確定するのだ。
既にチーム全体として強豪クラスの実力を身につけている……という自負はあるのだけれど、やはりこの組み合わせは重大な関心事である。ここに残っている全員、公式戦は一切経験したことがないのだから。
「抽選会はもうとっくに終わっとる頃や。ぼちぼち帰ってくるやろ」
「………」
三宅の言葉を最後に、四人だけの部室──草野は陸上部のほうに行っている──もはや会話もなく、約15分後。
ノックもなしに、部室の扉が勢いよく開かれた。
「たっだいまー!!留守番組諸君、我々は帰ってきたー!!」
「ちょっ、うるさいよ本田……!」
「ドアは静かに開けんかい、ぶっ壊したら自費修理だからな」
主将と顧問に連撃で叱られ、しゅんと勢いをなくす吾郎。呆れて見ている泉と大河の目つきは案の定そっくりである。
「ど、どうだった?一回戦の相手は!?」
「そのあと……あと、帝仁とか厚木とか、どのへんにおるんや!?」
もはや我慢がきかず、詰め寄る児玉と三宅。前者はともかく後者も、本心では逸って逸って仕方がなかったのだ。一応クリーンナップのひとりで内野手という中心に近い扱いなのだし、これも経験と後輩の大河が同行するなら……という気持ちもあるのだ、口にはしないが。
「落ち着けよ、そう悪くない結果だと思うから」
「悪くない……?」
「うん、まず一回戦の相手だけど……」
言いながら、机の上に一枚のペーパーを置く国分。──トーナメント表なのはわかる、が、字が細かすぎて老眼にはまだ無縁の若人たちにも到底識別できるものではない。頭のてっぺんをくっつけ合うようにして紙を覗き込む留守番組。それでも196校の中から"夢島"の名を見つけ出すのは困難を極めた。
「どこだよ夢島……」
「あ、あったよ……厚木」
「厚木かい!まずワイら見つけようや」
「帝仁もあったぞ」
「だぁから夢島!」
「その反対のブロックだよ」と寿也が口を挟む。おかげで二分の一にはなったが、それでも見つけ出すには数十秒を要した。
「おっ、あったあった……んで対戦相手は──」
"夢島"のすぐ上に書かれている名前──"江良"。
「……江良?江良って、確か──」
「そ。去年俺らがホッソクして最初に練習試合した相手だぜ!」
「なんで先輩が胸張ってんすか」
「完璧に忘れてたじゃん、本田」
「……だってその試合登板してねーし……」
自分がマウンドに立っていない試合は黒歴史扱い同然なのか。チームメイトらは揃って呆れた。
「江良には去年の時点で大勝だったよな」
「ああ。向こうの陣容がどうなってるかわからないから油断はできないけど……自分たちのプレーをしっかりやれれば、苦戦する相手じゃないはずだ」
考えようによっては、初戦で強豪とあたっておいたほうが後が楽かもしれない。ただメンバーの多くが公式戦というものを知らない以上、浮足立って実力を発揮しきれないということも十分にありうるのだ。まずは皆に経験を積ませてやりたいというのが、経験者組の総意であった。
「厚木と帝仁、当たるとしたら決勝か……」
つまり、勝ち上がってきたどちらかとしか対戦する機会はないということ。当然、自分たちが決勝にまで上がれなければ論外である。神奈川の強豪は、厚木と帝仁だけではないのだ。
「僕らの目標は全国制覇……甲子園優勝だ」改めてそう声をあげたのは、フィールドの指揮官たる寿也だった。「そのために、県大会で躓くわけにはいかない。躓かないように、ひとつひとつ上っていこう!」
「おっ、いいコト言うじゃんトシく〜ん。主将交代か?」
「……おまえ、」
国分にじろりと睨みつけられ、「ジョーダンだよジョーダン!」と慌てて弁解した。まぁ、空気の読めていない発言なのはいつものこと。ただ寿也の指揮官としてのリーダーシップと、国分の皆のまとめ役としてのリーダーシップ──そのふたつが吾郎の牽引力と合わさることで、チームをここまで育て上げた。そのどれが欠けても、一致結束して全国制覇をめざすようなチームにはならなかっただろう、と。
「じゃーキャプテン、ひと言どうぞ」
「今ですか先生!?……まあ佐藤に言うべきことは言われちゃったんで、ひと言だけ」
「ご、ごめん」
「いいよ、間違ったことは言ってないし。──すぅ、はぁ、」
ひとつ深呼吸をして──国分は、声を張り上げた。
「──勝とう!!」
もうそれだけしか言いようがなかったし──彼らにとっては、それだけで十分とも言える。
いずれにせよこの瞬間、彼らの夏は始まったの
だ。
*
それからの約三週間は、あっという間に過ぎた。途中、開会式を挟み、一戦、二戦──次々と一回戦の勝敗が決まっていく。トーナメントの棒線を進み出ることができたチーム、惜しくも敗れ去ったチーム……それぞれにドラマがあり、汗と涙がグラウンドを濡らしていく。
そしてひときわよく晴れた真夏日──彼ら夢島ナインにとっての初陣が、ついに訪れた。
「──1番ショート、清水!」
「っ……はい!」
流石に緊張の面持ちで点呼に応じる大河。希望していたポジションである遊撃手に加え、リードオフマンへの抜擢。初戦がある程度余裕をもって戦える相手だからこその措置だが、打診された当初は喜びより驚きのほうが勝った。何よりそれが、正遊撃手の証──背番号6を背負う泉の発案だったとなれば。
「2番セカンド国分、──3番サード三宅!」
「はいはーい!」
「はいは一回!」
「……はい」
相変わらず緊張感がいまいち感じられない関西人……は、この際むしろ有り難い部分もあるが。
問題は、次だ。
「4番、ライト──本田!」
「……へーい」
露骨に不服そうな声音。──気持ちはわかるが、もう決まったことだ。
無論、知らされた当初から吾郎は大いにごねた。練習試合は我慢してきたが、なぜ公式戦でまで外されなければならないのか。対する、それを言い出した南雲の答は。
「今どきひとりの投手に毎試合完投させてたらな、学校にも高野連にも怒られちまうんだよ」
と、いうもので。
なるほど全国随一の激戦区である神奈川県大会では、決勝まで計7試合を戦い抜かねばならない。甲子園も含めれば二桁に及ぶのだ。いくら体力お化けの吾郎といえど、真夏の炎天下でその間投げ続ければどこかで潰れてしまうかもしれない。
途中で躓くわけにはいかない──そういう意味では主将である国分も、女房役である寿也もそれに賛成だった。そして以前、厚木の女監督から「吾郎を潰さないように」と忠告を受けた涼子も。
そうなると他の部員たちだって吾郎に積極的に味方してくれる者はいない。孤立無援となった彼は、せめて4番打者の地位だけは守る代わりに、一回戦においては右翼手に甘んじることになったのだった。
「なんかジャパンに戻ってから、ライトやってるほうが多い気がするぜ……」
「ぼやくなよ……。──5番、キャッチャー佐藤!」
「はい!」
流石に寿也は良い返事である。6番センター草野、7番ファースト寺門、8番レフト丸山、9番ピッチャー児玉──この辺りの打順は、旧ヴァルカンズ戦と変わらない。
「泉は……今日は控えだけど、ベースコーチとサイン、伝令、やってもらうことはたくさんある。よろしく頼むよ」
「ショートやってるより大忙しだ……なんてね、りょーかい」
実戦で見てみる価値はあると自ら大河を推挙した立場であるため、泉の反応は飄々としたものだった。
全員を呼び終えると、主将は改めて皆を見渡した。
「よし……円陣!」
予想はついていたので、その場でぐるっと輪を作り、両隣と肩を組む。地面を睨むようにして、国分は叫んだ。
「──僕らは!」
「夢島高校!!」
「勝つのは!?」
「オレたち!」
「頂点に立つのも!」
「オレたちだ!!」
「夢の舞台へ!」
「駆け上がれっ!!」
「おー!!」と声を揃えて、グラウンドへ突き進んでいく。内心(これ毎回やんのかな…)と冷めた感想を抱く者も約一名いないではなかったが。
ともあれ、試合開始はもう間もなく。夢島ナインが高校野球の世界に旋風を巻き起こす