江良チームに後れて、夢島の面々も学校へ戻った。スタンドで試合を見守っていた涼子の出迎え──労いの言葉や休息もそこそこに、反省会の開始の合図でもあって。
「皆、お疲れさま。初めての公式戦、どうだったかしら?」
「………」
どうと言われても……と、顔を見合わせる一同。傍から見れば13vs3、5回コールドの圧勝だが、その内実はひと言で表せないものがある。
「ハイハーイ、楽しかったでーす!」
「……あなたはいったん黙ってて」
「Oh,no……」
堂々と挙手して発言した吾郎を冷たくあしらうと、涼子は続けた。
「とにかく、練習試合とは話が違うってことは理解できたでしょう。相手だって勝ちたいと思って本気で来る。思わぬジャイアントキリングが起こるのはそのためよ」
「……確かに、あのまま試合がずるずる長引いてたら接戦になったかも……」
もちろん、吾郎が登板しなかったらの話にはなるが。
「相手が必死に喰らいついてくれば、それだけ上手くいかないことも増えてくる。反省材料はたくさんあるはずよ」
「こら発表会の流れやんなー……」
「……まあ、薄々想像はしてたけど」
と、ここで南雲が割って入った。
「ま、"戦に勝つということは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とする"ってね。長い目で見るなら今日の試合も捨てたもんじゃない。──ってわけで、だ」
彼が取り出したのは、どこにでも売っている大きいサイズのポストイットだった。青を1枚と緑を10枚ずつ、吾郎たちに配布していく。
「緑多っ」
「あの、先生これは……?」
「誰だ緑多っ、とか言ったの」一応そこは突っ込みつつ、「青に自分のプレーの反省点、緑に他の連中のよかった点を書くこと。書き終わったら緑だけいったん提出な。こっちでまとめて本人に渡す」
「あ、私も……ですか?」
「おー、小野寺も部員は部員だからな」
「青のポストイットはどうするんですか?」
「自分の胸にしまっとけ」
フ、と気取った鼻息を吐き出す南雲。それを尻目に、大河は青いポストイットを睨みながらじっと考える。
(反省点、か)
そんなの……考えれば、幾らでも湧き出てくる。もっと打ちたかったし、守備でも……上手くいったときもあるけれど、まごついて先輩達にフォローしてもらう局面のほうが多かった。
中学で短期間サッカーをやっていたときはそもそも試合に出してもらえる機会なんてなかったし、もっと上手くなりたいと思ったこともなかった。ちょっと齧っていただけでそれなりにこなせる自分に満足していたのだ、あの頃は。
「大河、悩んでる?」
「あ、……っす、まぁ」
「こういうの難しいよね、わかるよ」
柔和に微笑む寿也は、とてもあのエースピッチャーと対等に渡りあっているようには見えない。彼が五年もまともに野球をやっていない期間があるというのも、同じくらい信じがたいけれど。
「考えたことをそのまま書けばいいんだよ。人に発表するってなるとそうもいかないかもしれないけど、自分に見せるためのものならそれで十分だ」
「……そう、っすね」
「それに、大河はよく頑張ってた。皆、ちゃんとわかってるよ」
うわべだけでは決してないその言葉が、純粋に嬉しかった。
*
「──色々あったけど、とにかく一回戦突破だ。次もこの調子で頑張ろう!」
練習終わりの別れ際、我らが主将による締めの言葉が一団の間に響く。立場だけは同じだった中学三年次には、想像もできなかった勝利なのだ。如何に反省すべき点が多いと言っても、どこか浮ついてしまうのも無理はない。
そして、皆が同じ目標に向かって一丸となっている──そう理解しているからこそ、彼の立場も許容できた。
「さっきも言ったけど……すまない、二回戦に出られなくて」
「しょうがないよ、記録会って言うんじゃ」
それでも申し訳なさげな表情を崩さない草野。ここまで陸上部との二足の草鞋を──皆の理解と協力もあって──上手くこなしてきたが、恐れていたことが遂に起こってしまったというところだった。まあ、二回戦なのが救いか。
「じゃ、大河は次センターだな」
「それか本田がセンター入って、大河がピッチやるって手もあるよな」
「なっっっ!!?」
「まぁ……ボクは別にどっちでもいいっすけど」
「大河くぅーーーん??」
「次の相手は弱小じゃねーんだぞ!」と、吾郎。むろん皆、そんなことはわかっている。──二回戦の相手はシードの、明煌大附属。昨年はベスト8まで残っている強豪校だ。大河も変化球を習得するなど投手としてもそれなりにサマになってきているけれど、流石に相手が悪い。
「ま、その辺は次のミーティングまでに考えるってことで。──じゃ、俺急ぐから。バイバイ」
「おー、かわいー弟クンによろしゅうな泉〜」
「おまえとはよろしくさせたくないかな」
「なんやとコラァ!?ンなこと言うなら今日は家までついてったる!」
「ストーカーかよ」
凹凸コンビがよろしくやり出したところで、なんやかんやと解散になった。
*
「ただいまー……」
いつも通り気だるげな声で帰宅を告げた大河を、慌てた様子で走り出てきた母が迎える。
「おかえり大河!試合、どうだったの?」
「あー……まぁ、勝ったよ」
「そうなの!頑張った甲斐あったわねぇ、試合出たんでしょう?」
我がことのように……というか、当の本人以上に喜ぶ母に、大河は小さくため息をついた。それなりの進学校に入学できたとはいえとことん覇気のなかった息子が高校球児として頑張っているというのは、親としては嬉しいものなのだろう。理屈としてはわかるが、思春期の息子としては正直面倒くさい。尤も母などは序の口で、真に厄介なのは姉だ。今日はまだ帰宅していないのが不幸中の幸いか。
「疲れてるから、夕飯までほっといて」
「ハイハイ。あ、おやつにケーキあるわよ、あとジュースも」
「ほっといてっつーの。……ケーキは食後に食う」
しつこい母を振り切って、さっさと自室へ上がる。そのままベッドに寝転がるも……少し考えて、スポーツバッグのジッパーに手を掛けた。開いた口に手を突っ込み、貰ったばかりの緑のポストイットを取り出す。
「………」
寝転がったまま、そこに書かれた先輩達の文字を眺める。"ちゃんとゲッツーとってくれた"、"よく見たしよく打った。いい1番打者だった"など──無記名式なので誰が何を書いたかは半分くらいしかわからないけれど、それでも自ずと頬が緩んだ。自分が何を頑張り、どう成果を出したか──彼らはきちんと、見てくれている。
そして、彼女も。
──カッコよかったよ、大河くん!
他からは良い意味で浮いた、可愛らしい丸文字。それを目にした瞬間、大河の胸はとくんと高鳴った。
*
二回戦は、それから一週間も経たないうちにやってきた。
「あれが明煌大附属か……」
相手校のシートノックの様子を見ながら、唸るように呟く泉。県ベスト8なだけあって、江良とは比較にならないほどサマになっている。
「……確かに、強豪だな……」
「こら手こずりそうやな〜」
「なーに弱気なこと言ってんだ、お前ら」反駁するのはやはり我らがエースである。「ベスト8ったって、厚木や帝仁より弱ぇんだろ。──もちろん、ヴァルカンズよりもな」
「弱気になりそうなら円陣組んどけば?そうすりゃ大体なんとかなるだろ」
もっちゃもっちゃと間食しながら、南雲。相変わらず気のないにも程がある態度に閉口する一同だが、一応は善意からくるアドバイスである。国分が「よ、よし、そうしよう!」と頷いたことで、やはり一応は顧問の指示が尊重される運びとなった。
「──今日は草野がいないし、皆くれぐれもケガには気をつけて!」
「まずそこかいな」
「ま、ひとりでも欠けたらゲームオーバーだしね」
「安心しろよ、俺がパーフェクトゲームに抑えてやる」
「じゃあ、投手頼みと思われないくらい僕らも打たないとね」
「なら、目指すは?」
勝利……それではまだ、生ぬるい。
顔を見合わせたナインは、互いの意思を確かめるように笑い合って声を揃えた──「コールドゲーム!」と。
そして、試合が始まる。先攻は明煌大附属──つまり最初にマウンドに立つのは、本田吾郎。
「プレイ!」
「………」
審判の声を契機に、静まり返るグラウンド。観客も含めこの場にいる多くが、先の試合での吾郎のピッチングを知らない。無名の夢島など眼中になく、Bブロックの決勝進出候補である明煌大附属に注目している者が殆どだろう。
だからこそ、燃える。吾郎、そして夢島の実力を、遍く知らしめる好機だと。
(まずはド真ん中でいい。きみの全力を叩き込んでこい、吾郎くん!)
寿也のサインに満足げに頷き、逞しい両腕を振り上げる吾郎。その右手から放たれる白球は、
──ビュン!スパァン!!
「!!?」
「………」
呆然とする1番打者、夢島チームを除く球場。真っ先に我に返った主審によるストライク宣告を契機に、にわかに騒然としだす。
本田吾郎──ある意味この瞬間が、日本野球界における彼のビギンズだった。