【完結】夢島ナイン   作:たあたん

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兄として

 

 泉が同好会活動を途中早退した、その翌日。

 

「結局きょうは休みかいな、泉のやつ」

 

 泉の席に視線を向けつつ、三宅が呟く。寺門もまたそれに首肯した。

 

「弟の具合、よくないのかもしれないな」

「甲斐甲斐しいでホンマ、ウチの兄貴やったら知るかボケのひと言で終わりや」

「………」

 

 ふたりのやりとりに耳をそばだてつつ、吾郎はじっと主のいない座席を見つめている。──そんな彼に、幼なじみの少年が歩み寄った。

 

「吾郎くん、泉くんの事情は聞いたんだろ?……うちのチームで甲子園優勝をめざすって、それでも言い続けるつもりなの?」

「!………」

「泉くん、口には出さないけど……相当悩んでると思うよ」

 

 言外に「きみがあんなことを言い出すから」と、責めるように言い募る。吾郎は反論の余地もなく黙り込むしかない。リトル、シニアと続けてきた"本格的な野球"を、いよいよここ一番という高校で断念してしまったのだ。それ相応の理由が泉にもあることは、少し考えればわかることだった。

 ややあって、

 

「……それでもあいつは野球が好きだから、ドーコーカイに入ったんだろ」

「!」

「だったら、俺にも考えがある」

 

 吾郎の真剣な瞳に、寿也はそれ以上二の句が継げなかった。

 

 

 *

 

 

 

 学校を休んだ泉はというと、だらける暇もなく弟の看病に徹していた。ただ今は蒲団に横たわる弟の傍に侍り、体温計とにらめっこをしている真っ最中であった。

 

「……うん、だいぶ下がったな。お粥も食べられたし」

「うん、おれもう平気だよ!」

 

 努めて明るい声を出す弟の頭を、泉は苦笑しつつくしゃりと撫でた。

 

「でもぶり返すといけないから、一応あしたはお休みしような」

「えー……」

「えーじゃない。返事は?」

「……はーい」

 

 唇を尖らせながらもうなずく弟が愛おしくて、もう一度頭を撫でる。このぶんなら夕食はきちんとしたものを食べさせないとと思い、立ち上がる。台所に入ろうとしたところで、突然インターホンが鳴った。誰だろうと思いドアホンを見ると、玄関前に立っていたのは予想だにしない人物で。

 

『よぅ、泉!』

「え、本田……?」

 

 呆気にとられながらも、チームメイトを追い返す選択肢は泉にはなかった。

 

 

「おっじゃましまーす!いろいろ買ってきたぜ、スポーツドリンクとかお菓子とか……十年ぶりにジャパンのおやつ見たらいろいろ変わっててびっくりだよ」

 

 パンパンに膨らんだレジ袋を引っ提げて、なぜか得意げに言う吾郎。それはいったいなんなのか泉が訊くと、差し入れだという返事が返ってきた。

 

「……それはわざわざどうも。領収書ある?お金持ってくるから」

「は?何言ってんだよ、そんなんいらねーって。チームメイトなんだからこれくらい当然だろ?」

「………」

 

 足を止め、深々とため息をつく。

 

「……同情のつもり?」

「は?同情?」

「うちに来たってことは、うちの事情も聞いたんだろ?」

 

 その点については図星だった。──今は母と弟と三人、身を寄せ合って暮らしている。とくに弟はまだ幼くて何かと手がかかるのだけど、子供ふたりを養うために忙しく働いている母だけでは到底手が回らない。だから泉も、一般的な男子高校生の比でない程度には家のことに協力しているのだ。体調を崩した弟の面倒をみるために学校を休むのだって、これが初めてではなかった。

 

「──中2のとき、親父がどっかの女と駆け落ちしてさ。それから一気に生活が苦しくなって、野球どころじゃなくなった。普通の部活動ならまだしも、シニアって結構かかるからね、お金」

「……そうらしいな。俺もかーさんから結構小言言われたよ、稼いできてくれる父さんに感謝しろってな」

「本田はいいお父さんがいるんだろ。……別に僻むつもりはないけど、そういう家族のことでなにも悩む必要がないやつに憐れまれるのがいちばん腹立つんだよ。そんなやつと一緒に、野球なんてやりたくない」

 

 せっせと壁を築き上げつつ、泉は自嘲していた。そんなの、言い訳だ。

 きょう吾郎が来なくとも、泉は迷惑にならないうちに野球同好会を退会するつもりでいた。全国区で勝利をめざすことの大変さはチームでいちばんよくわかっているつもりだ。

 寿也の言ったように、泉は内心ずっと悩んでいた。結論が出ないうちは誰にも悟られないようにしていたけれど……今回のことで、肚は決まった。

 

 暫く黙っていた吾郎が、ふいに口を開いた。

 

「……確かに俺の立場じゃ、おまえの大変さはわかんねえ。おと……父さんが良い父親なのは、客観的に見ても間違いねえしな」

「………」

 

 恥ずかしげもなくそう言い切る吾郎に思わず絶句する。自分たちの年頃なら、親に特段の問題がなくとも反発するものではなかろうか。それすらも越えるほど立派な父親なのか、それともアメリカ育ちであることが影響しているのか。

 虚を突かれた形の泉だったが、この暫定ファザコン男の言葉には続きがあった。

 

「でも、ひとつだけわかることがあるぜ」

「え……?」

 

 首を傾げる泉に対し、

 

弟妹(きょうだい)ってさ、なんだかんだチョーかわいいよな」

 

 そう言って、へらりと笑う吾郎。呆気にとられた泉はいよいよ何も言えなくなった。

 

「俺も年の離れた弟と妹がいてさ……たまにくそ生意気なこと言われて腹立つときもあるけど、結局かわいいし、守ってやりたいと思うよ。そこだけは一緒じゃねーのかな、俺ら」

「……そう、かも」

 

 そうかも、しれないけれど──

 

「だけど……ごめんな、泉」

「え──」

 

 またしても思いもよらぬ言葉。理由もそうだが、謝罪など彼の性格からはいちばん程遠い概念だと思っていたのに。

 

「おまえも野球が本当に好きで、どんなに家のことで忙しくても完全に離れたくなかったんだろ?国分から聞いたよ、最初に……あいつの次にドーコーカイに入ってくれたのがおまえだったって」

 

 泉は泉なりに、できうる範囲で野球を頑張ろうとした。弟のこと、家族のことが何より大切であることは確かだけれども、一度は己の人生を賭けてもいいと思えるものだったのだ。それを簡単に捨てられるはずがない。

 

「でも……俺がもしチームを変えちまったら、おまえが野球楽しめる場所を奪っちまうかもしれねえんだよな」

「!、それは……」

「……そんなの、考えたこともなかった。もちろん野球が好きだからって、みんながみんな勝つために何もかも野球に費やせるわけじゃないことくらい、わかってたつもりだったけど」

 

 想像力が足りなかった。それは事実だった。何かと自分本位、野球本位で物事を考えがちなのがおまえの悪癖だと、両親からも常々指摘されてきた。

 でもそんな吾郎にだって、それだけはと思うことがある。──自分の夢のために、他人の夢や希望を犠牲にしていいわけがない。

 

「もしチームをやめようとか考えてんなら、その必要はねえよ。泉」

「なんで……?」

「おまえを犠牲にしてまで、甲子園だなんだって言い続けるつもりはねえからさ。──今日はそれだけ言いに来たんだ。邪魔して悪かったな」

 

 そう言って立ち上がり、踵を返す吾郎。呆気にとられた泉は暫し立ち尽くしていたが、彼が靴に足をかけたところではっとして声をあげた。

 

「ほ、本田!だったらどうするつもりなんだよ、おまえ……。また別の高校に転入するのか?」

「……そうだなぁ、」少し考えたあと、「正直ちょっと迷ってる。……甲子園に行けなくてもドーコーカイのまま、お前らと楽しく野球やるのもいいかもしれない、ってな」

「な……!?」

 

 冗談だろ、と言いかけた泉の言葉は、自ずと遮られた。吾郎の目は、自分たちに対する好意に溢れていたから。

 

「どうしてそんなふうに思えるんだよ……。まだ、たかだか半月しか一緒にいないのに」

「だってこのチーム、いいやつらばっかだもん。半月だってそのくらいはわかるぜ。……それじゃ、駄目か?」

「………」

「ま、そういうことだから。明日からまたよろしくな、じゃ!」

 

 ガチャリと音をたて、部屋を出ていく吾郎。古びた廊下のコンクリート。そこに差し込む夕陽。……らしくもなく、感傷的になってしまう。

 

()()()には、俺らしくねえって言われちまうかな)

 

 アメリカで苦楽をともにした、親友兼ライバルの顔が浮かぶ。自分の野球人生を思い起こすたび、いつだって人に恵まれてきたのだと実感できる。今だって同じだ。たったニ週間足らずで、既に居心地の良さを感じはじめている自分がいる──

 

「──本田っ!!」

 

 背後からの呼び声に、思わず足を止める。振り返ればそこには、部屋から飛び出してきたのだろう泉が立っていて。

 

「……泉?」

「本田、俺は……っ」

 

 うまく言葉にならない。それでも──それでも伝えなければ。自分の、本当の想いを。

 

「俺は……おまえの球を目の前で見たとき、なんかよくわかんないけど、すげぇ感動したんだ……!こんな、プロとかメジャーリーグでしかお目にかかれないような球を投げられるやつが、同い年でいたんだって……っ」

 

 こいつなら……この男なら、初心者の集まりでしかない同好会チームを、本当に甲子園へ連れていってしまうかもしれない。心の底からそう思ったし、血が騒いだ。そんなことを口にしたら、常々泉のことを「ドライやのぉ」と揶揄している三宅あたりには腰を抜かさんばかりに驚かれるだろうけれど。

 

「おれ……オレは、お前らに甲子園に行ってほしいんだ!自分がそこにいられなくても構わないっ、だから!……だから、オレのことは気にしないで、いいから……目指せよ、甲子園……」

「泉……」

 

 そのときだった。泉の背後──彼の部屋の扉が、ギィ、と音をたてて開いたのは。

 

「!」

 

 扉の隙間から覗く、まだ幼い顔立ち。やや吊り上がった大きな瞳などは、泉によく似通っている。

 

「陸兎……!駄目だろ、まだ寝てなきゃ──」

「──にいちゃん!」

 

 やや掠れてはいるが、泉のそれを遮る程度にはしっかりした声だった。

 

「おれ、にいちゃんに野球つづけてほしい……!」

「え──」

「!」

 

 思いもよらぬ言葉に目をみひらく兄と兄のクラスメイトの前で、陸兎は必死に想いを紡ぎ出す。

 

「前ににいちゃんの試合見に行ったとき、にいちゃんすごくかっこよかった……。おれもにいちゃんみたいにかっこいい野球がしたいって思ったんだ……!」

「陸兎……」

「おれ、もうひとりでるすばんできるよ!ごはんもがんばって作るようにするから……!だから、にいちゃんに野球やってほしい゛……っ」

 

 最後はほとんど涙声になっていた。大きな瞳が潤んで歪み、やがてはらはらと透明な雫がこぼれ落ちる。兄はたまらず、自分よりずっと小さな弟の身体を抱きしめた。

 

「わかった……。わかったから……っ」

「………」

 

 兄弟の間にはぐくまれた絆に、他人が立ち入るすべはない。吾郎は黙って、その場を立ち去った。

 

 

 *

 

 

 

 翌朝、吾郎は校舎の屋上にて、昨夕の顛末を国分たちに報告していた。

 

「そう……。泉がそんなことを」

「……おぅ。あいつは貴重な経験者だし、甲子園行くには必要不可欠だと思ってる。でもあいつに無理させてまで、そんな目標掲げ続けるわけにはいかないだろ?……どうしたもんかって思ってさ」

 

 そこに関しては、国分としても同意見である。今はまだ以前と変わらない練習量だが、このまま順調に部昇格、そして練習場所を確保できれば、より本格的に活動することになる。泉や兼部をしている草野については、本人のやる気以前の問題が待ち構えている。草野については「なるようにしかならない、するつもりもない」と公言しているからかえって心配はないのだが、泉のことは──

 

「──ま、それこそなるようにしかならないんちゃうか?」

 

 傍らで話を聞いていた三宅の楽観的な言葉に、ふたりは揃って眉を顰めた。

 

「……冷てーなァ関西人。おまえ泉と仲いいんだろ?」

「そうだよ……!泉が大変な思いしてるから、僕らだって考えなきゃって話してるのに!」

「三宅やゆーとるやろ転入生。仲いいからわかるんや。あいつはなんや言うても前向きやし、こう!と決めたらそこに向かって全力で突き進むだけや。他人があいつのいないとこであーだこーだ話し合っても意味ないで」

 

「ま、本人に聞いてみようや」──そう言って三宅は、ひと足先に屋上を出ていった。

 

 

 *

 

 

 

 後れて吾郎が教室に戻ると、既に泉が登校していた。彼はこちらの姿を認めると、軽く片手を挙げて歩み寄ってくる。

 

「おはよう、本田」

「お、おう泉。……弟、もういいのか?」

「うん、おかげさまで」

 

 用意してきたようにそう返す泉。昨日あらわにした激情家の一面が、まるで幻であったかのように思える。

 

「昨夜さ、家族で話し合ったんだ。っつっても、母さんと陸兎しかいないけど」

「!」

 

 話し合った──というのは当然、野球のことだろう。その結論はふたつにひとつしかない。そして三宅の言う通り、泉がそうと決めたなら他人に覆すすべはないのだろう。

 

「……やっぱり部に昇格して練習場所を確保できたとしても、毎日は参加できないと思う。一昨日みたいに陸兎が体調崩したりしたら、途中で抜けなきゃならないこともあると思うし」

「……ッ、」

 

 やはり、駄目なのか。唇を引き結ぶ吾郎だったが、

 

「──だから早朝とか……夜とか、そのぶん埋め合わせで練習しようと思う」

「へっ?」

「本田にも、付き合ってもらえると助かるんだけど……」

 

 吾郎の目をしっかりと見つめたまま、はにかむように笑う泉。その表情にもう迷いはない。──泉の背中越しに、三宅が不敵な笑みを浮かべていた。

 

「………」

 

 一方で──吾郎の幼なじみである寿也は、彼らの様子を見守りながらも複雑な表情を浮かべていたのだった。

 

 

 

 

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