【完結】夢島ナイン   作:たあたん

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キャッチャー本田

 

「本田先輩が、キャッチャー……?」

 

 その申し出は、いつもながら聞く者を驚かせるに十分なものだった。

 

「本田、キャッチャーの経験もあるの?」

「いや?ねえよ、流石に」

 

 あっけらかんと告げる吾郎。思わず涼子に視線を送る国分だが、彼女は小さくため息をつくばかり。その反応で、捕手未経験なのは事実だと確定した。

 

「だ、だったら僕がやるよ!本田はセカンドに入ってくれたほうが、安全に──」

「いや、やめといたほうがいい」即座に断言する。「フツーの守備交代ならともかくキンキューだし、みんな動揺するだろ。ポジション動かすのはサイショーゲンにしたほうがいい」

「でも……」

「──ゴロー、確かにあなたの言うことも一理あるわ」

「コーチ!」

 

 国分が抗議の声をあげるが、涼子の言葉には続きがあった。

 

「でもあなた……自分がキャッチャーやってみたいだけじゃなくて?」

「えっ」

「!」

 

 目を丸くした吾郎は──次いで、「でへへへ」と巫山戯た笑みを浮かべてみせた。

 

「涼子ちゃんにはかなわんなぁ〜……ま、どうせ投げらんねえならサイダイゲン楽しませてもらおうと思ってね。こういうのなんつーんだっけ、さ、サイ……?」

「……塞翁が馬、っすか?」

「おー、それそれ。さっすが読書家!」

 

 最近全然読めてないけどと、大河は心の中で愚痴を零した。尤も今自分が置かれている環境は、本の中の主人公たちより余程物語にあふれているともいえるが。

 

「本田、おまえは本当……ハァ、」

 

 チームを何だと思ってるんだ、と出かかった言葉は、ため息へと変わった。吾郎なりにチームのことを考えてくれていることは、一年弱もの間一緒にやってきたのだからわかっている。ここは大河と吾郎の変則バッテリーに、フィールドの中心を委ねてみるのも面白いかもしれない。

 

「どうよ、涼子ちゃん?」

「どうよも何も……私はアドバイスはするけど、何も強制はしないわ」

 

 もとより公式戦ではベンチ入りもできない、善意のコーチャーでしかないのだから。

 

「じゃあ本田、キャッチャーを頼む」

「おう、任せとけ!」

「その代わり、打順は下げるからね」

「えぇーっ、Why!?」

 

 国分はふたたびため息をついた。

 

「おまえさ……キャッチ舐めるなよ!打者ごとに一番いいコースと球種を常に考えて、ピッチャーにサイン出さなきゃいけないんだぞ。打って捕ってなんて、未経験者ができることじゃない!大河も、明日は9番にするからね」

「うぐぐ……」

 

 歯を食いしばる吾郎。いちいち忙しいおっさんだな、と内心毒づきつつ、大河は頷いた。公式戦で投げるとなれば、攻撃では休ませてもらえたほうが自分はありがたい。

 

「だ、だったらクリーンナップは誰がやるんだよ!?特に4番!!」

「………」

 

 一瞬、その仔犬のような顔立ちに逡巡を浮かべる国分。普通なら、到底できない決断を彼はしようとしていた。もとより吾郎が先にそれをしたのだ、ならば僕もとばかりに、彼は口を開いた。

 

 

「──僕がやる!」

 

 

 *

 

 

 

 翌朝、横浜は港南にある某野球場にて、大勢の野球関係者や観客が集っていた。

 

『鎌倉実業高校、シートノックを始めてください』

 

 アナウンスに従い、試合前最後の練習を開始する鎌実ナイン。その光景をベンチから眺める夢島ナインだったが、彼らの視線はシートノックそのものよりバッテリーの北条兄弟に注がれていた。

 

「はぇ〜、ホンマに同じ顔や……」

「さんざん前の試合の映像で見ただろ。寝てたのかよ」

「ナマと映像じゃ全然ちゃうやろ!たとえばこう……迫力とか!」

「それはまぁ……そうかもしれないけど」

 

 珍しく尻すぼみに返すと、泉はちら、と南雲を見た。──昨夜の顛末は、みな既に知らされている。

 

「先生、」

「ん〜?」

「先生は知ってたんですよね?小野寺が佐藤の妹だって」

「!」

「えっ……」

 

 皆の間に、少なからず衝撃が走る。とはいえ薄々察していた者も、中にいないではなかったが。

 

「泉、どうして……?」

「顧問なら、入部手続きとかでちゃんとした書類に目ぇ通す機会もあるでしょ」

「……た、確かに」

 

 考えもしなかった、昨夜は。みな少なからず気が動転していたのだ。

 

「……まぁな。流石に最初はどうかと思ったが……事情、聞いちまうとさ」

「僕らも責めるつもりはないですよ。ただ知ってれば、何かできたんじゃないか……って」

 

 傲慢な考えなのは重々承知である。大河も善意で動いて、寿也が倒れるという結果を招いたのだから。

 でも寿也も……美穂だって、大事なチームメイトだ。力になりたかったと思う心を、収めることなどできはしない。

 

「……今さら言っても、何も始まんねえよ」

「っ、本田……」

「今俺らにできるのは、今日の試合に勝つことだけさ。──な?」

「……わかってますよ」拳を握る大河。「絶対、抑えます」

 

 想いとは裏腹に──重苦しい鈍色の曇り空が、彼らの頭上にのしかかっている。

 

 

 *

 

 

 

「──よろしくお願いしまあぁす!!」

 

 ずらっと横並びになった両チームが挨拶をかわし、それぞれ攻守の備えに走る。当然だが、9人ぎりぎりの夢島ナインに対して鎌倉実業は控えも十分な人数がいる。それでも前者はダークホースとして大いに期待、あるいは警戒されていたのだが。

 

「正捕手、やっぱりいないな」

 

 ベンチに下がる途上、耳打ちするように三浦が呟く。要注意人物のひとりとして挙げられていただけに皆、正直言って肩透かしを食った気分だった。──それだけならまだしも、先の投球練習の様子を見ていれば。

 

「まさか本田吾郎がキャッチやるとはな。きょうの投手は一年だろ?」

「……皆、油断は禁物だぞ。義希も、わかってるな?」

「別に……俺はただ投げるだ──っ」

 

 次の瞬間、何もないところで盛大につんのめる北条弟。そのまま顔面から地面にダイブしかかる彼だったが、すかさず彼の兄が襟首を掴んで防いだ。

 

「おー、さっすが一卵性双生児」

「絶対やると思った……義希、試合中は気をつけてくれよ?」

「ありがと……わかってる」

 

 まあ試合中にこの調子でエラーするような投手なら、双子の弟といえど起用には反対していただろうが。

 

(とはいえ攻守の要が潰れてるんじゃな……。素人の一年生投手がどこまで粘ってくれるか、見物だね)

 

 

 *

 

 

 

 試合開始を告げるサイレンが鳴り響く。続いて1回表、鎌倉実業高校の攻撃を告げるアナウンス。

 

『──1番サード、梶原くん。背番号、5』

 

 「しゃス、」と一礼して左打席に入るリードオフマン。長身痩躯は草野と共通しているが、鋭い狐目は対照的だ──なんて、まず容姿の論評から入ってしまう吾郎である。いけないいけないと、首を振って思考をリセットする。

 

(左打者か……。内野安打は避けてぇな)

 

 一塁方向へ転がさせて、足の速さを見つつアウトをとる。幸い、吾郎よりは捕手経験のある二塁手(国分)も同じ考えのようで、一・二塁間のカバーに動くそぶりを見せてくれている。心強いと思いつつ、吾郎は初めて自らの手でサインを出した。

 頷き、投球動作に入る大河。太さはないがしなやかなその右腕から、初球が放たれる。

 

──スパァン!

 

「ストライーク!」

 

 初球はきっぱりと見送った梶原。ボールを追っていた切れ長の瞳が、ふたたびマウンドへと向けられる。

 

(スピードはあんまり。一塁方向に詰まらせようって意図だとすると、コントロールはそれなりってところか。あとは変化球の引き出しがどんなもんかだな)

 

 見極める、ついでに疲弊させられれば御の字といったところか。それで本田吾郎が出てきたら藪蛇もいいところだが、その可能性は低いと彼らはみていた。正捕手がいなくたって、彼自身は健在なのだ。別の誰かに捕手を務めさせればいいとなる、普通なら。しかし現実には一年生に投手をさせてまで、ポジションを入れ替えている──それにしたって投手が捕手をやるのはなかなかにレアケースだが──。

 

 己の役割を心得た梶原は、粘り打ちに徹することにした。とにかくファールラインの外側に向かって叩きつけていく。その様を見つつ、吾郎は内心舌打ちした。

 

(ちっ、そうくるとは思ってたけどよ……。真ん前でやられると、マウンドより腹立つぜ)

 

 真向かいにいるだけでこうも打者、ひいてはフィールドそのものが違って見えるものなのか。物心ついたときから切れ間なく野球を続けていてもなお、経験したことのない状況が目の前に現れる。──それでこそ、捕手に志願した甲斐もあるというものだ。

 

(とはいえ、大河をラクにしてやんねーとな……)

 

 野球歴三ヶ月の一年生投手。センスはあっても心はついていかないし、身体もできてはいない。それは早々に悟られるだろうことはやむをえないとして、できるだけ最小限の球数で済ませてやりたい。吾郎はサインを変えた。大河が目を見開くのがわかる。

 

──サイン通り、大河は投げた。やや高く浮いた真ん中、ストレート。

 

(絶好球!)

 

 これは打たねば損だと、梶原は咄嗟に安打狙いに切り替えた。相手の望み通り一塁方向に打ってやる、だがそれは"打ちやすい方向"でもあるのだ。そのまま外野へ抜けてしまえば。

 

「っ!」

 

 だが、そこへ飛び込んでくる小柄な影があった。──二塁手たる我らが主将・国分篤だ。落着する寸前のボールを、突き出されたグラブが力強く捕らえる。

 

「アウトっ!」

「!ナイスセカン!!」

 

 すかさず声をかける吾郎。仲間たちもそれに続く。その価値があるだけのプレーだったことは、確かだ。

 

(へぇ……やっぱ守備も上々ってか)

 

 いい当たりだったのだが、仕方ない。堅守はもとより覚悟している。ネクストバッターにあとを託し、梶原はベンチに下がった。

 

「残念だったな、カジ」

「バックが強いっすね」

「おー。でも、あのバッテリーなら付け入る隙がないわけじゃない」

 

 キャッチャーズボックスでは本来のエースが「ワンナウト!」と声を張り上げている。彼がチームの支柱であることは、ポジションがどこだろうと揺るがない。

 ならば、投手はどうか。そこが彼らの陥穽になりうると、鎌実ナインは読んでいた。

 

 

 

 

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