ネクストバッターズサークルから出てくる7番打者。投手と同じ顔をした彼は、すれ違い様に安達と言葉をかわしていた。
「すまん……打ったと思ったんだが」
「謀られたな。連続凡打は流石にダサいぞ」
「わりィ……オレのぶんまで頼む」
捕手兼主将という立場を差し引けば、政斗はクリーンナップに入っても差し支えないような打者だ。少なくとも自分よりは上位で良いと、安達は思っている。しかし6番打者を託された以上は、不甲斐ない結果を残すわけにはいかないという意思も確かにあった。
『7番キャッチャー、北条政斗くん』
(取り乱したフリして安達を手玉にとるとは、かわいいナリして案外肝が据わってんじゃないの)
それとも、公式戦で投手を務めるにあたって覚悟を決めてきているのか。正捕手が出場していないことと、あるいは何か関係があるのかも?
(何を裏事情まで
とにかく、投手のメンタルが正捕手の不在という異常事態にかえって下支えされているのだということはわかった。とどめを刺すには、とにかく被安打を浴びせ続けるしかあるまい。
一方のつなぎ捕手もまた、それが最悪のパターンであることは理解していた。
(ワンナウトだ。こいつは
自分なら空振り三振をとりたい相手だが、大河は自分ではない。まだ球速も球威もないし、コントロールの良さと急ごしらえの変化球でなんとかここまで頑張っている。それを活かすには、とにかく打たせながらも打線を繋げさせないこと。
結果──政斗は左中間へ鋭い当たりを飛ばしたものの、すかさず駆けつけた草野が素早く打球処理にかかった。俊足の一方で彼には肩が弱いという弱点があるのだが、
「丸山!」
「まかせて!」
その逆と言ってもいい能力の持ち主である丸山が一塁めがけてバズーカ送球を敢行する。上背のある寺門が大きく身を乗り出してそれを捕た。
「せ……セーフ!」
「っ!」
流石にアウトはとれなかった。しかし無茶とは言えない、ベースを踏み越えるとほぼ同時の捕球だったのだ。
(が、外野ゴロ狙いかよ……!ルーキー校は何してくるかわからねえ怖さがあるな……)
試合前の分析だけでは予測できないプレー、鎌実ナインのもっとも恐れるものだ。それでも実力差が隔絶している相手なら押し切れるが、トラブルを抱えているはずの夢島ナインはまだまだ油断ならない。
(いや……大丈夫だ。義希なら、完璧に抑えきれる)
塁上から、改めてホームを見遣る。表情の変わらない鏡写しの顔と、視線が交錯したような気がした。
*
その後今度こそ義希が送りバントを成功させるものの、ツーアウト二塁でバントを封じられた9番足立が凡打に抑えられ、それ以上の得点は挙げさせずにチェンジとなった。
『8番キャッチャー、本田くん。背番号、1』
待ってましたとばかりにひときわ大声で一礼しつつ、ようやく回ってきた打席に立つ──本来のエース。
(やっと回ってきたぜ……。ったく、向こうはもう二巡してるっつーのに)
無論、トップバッター以下7人を不甲斐ないなどとは思わない。上位打線の犠打攻勢で1点はとった。相手投手の実力が、それ以上のものだったというだけだ。
(俺が打って、流れを一気に引き戻す!)
意気込む吾郎を、鎌実主将も警戒していた。
(遂に来たか、本来のエース……。下位なのはリードに専念するため……油断はできねえ)
ここがターニングポイントになりうる。しかし耐えぬけば、引き続き優位を保ったまま試合を進められる。(頼むぞ、)と、政斗は弟にサインとともに視線を送った。
表情を変えぬまま、義希の初球。甘い球がくれば初球だろうと手を出すつもりでいた吾郎だったが、
「ボール!」
「っ、」
外側に逃げていくボール。スイングを慌てて止めなければ、ひとつストライクを奪われるところだった。
(あ、ぶねー……。ほかのやつらの打席見てても思ったけど、手元にくるまで球種が読めねえ……)
威圧の意も込めて鋭くマウンドを睨む吾郎だったが、義希はどこ吹く風だ。こちらの顔を見てすらいない。柳のようなやつだ、と思った。
その幹をしっかり支える兄が、(いける、)と瞬間的に確信していた。
(今のを見たのは流石だな。ちょっと揺さぶってやるか)
考えると同時に、政斗は立ち上がった。「な!?」と、思わず声をあげる吾郎。夢島ベンチもまた、反応は同じだった。
「な、なんや敬遠するんか?」
「初球は座ってたのに……」
「……まだ、わかんねーよ」
勢いに乗っている鎌実ナインが、吾郎を素直に敬遠などするだろうか。ノーアウトで彼を出してしまえば、次の大河を抑えたとしても草野からバント攻勢を行えば、最低でもほぼ間違いなく1点はとれるのだ。
ミットめがけて、無表情のまま次の球を投じる義希。敬遠らしくのんびりしたボール。半信半疑ながらもそれを見送る吾郎だったが、
──ひゅう、と音をたてて、ボールが地面に吸い込まれるようにして湾曲したのだ。
「!?」
すかさず座り直した政斗が、みごとにそれを捕球する。主審も呆気にとられていたが、
「ス……ストライク!」
ストライクゾーンに入った。まぐれではない。狙ってそこに落ちるよう、義希は兄のリードに応えてみせたのだ。
(何だ今の……。スローボール?でもフォークみてぇな軌道──!)
(そうか……!スローフォーク!!でもあんなクラゲみてーに力みゼロで、あの高さから落とせるのか!?)
吾郎のような剛腕とは、対極にいる投手だ。あんな球を顔色ひとつ変えぬまま、さも敬遠するかのように放れるのだから。
(くそっ……でも二度目はねえ!)
気合を入れ直す吾郎。その思考を、政斗は当然のように読んでいた。
(そうだな、二度目はないよ。こっちには18年分の手があるんだ)
生まれたときからバッテリーを組んでいるのだ──如何な強打者相手でも、義希を最大限に活かすことができるという自負が、政斗にはあった。
そしてそんな彼らの手練手管に、吾郎は徹底的に翻弄された。ファールで粘りに粘ってどうにかツースリーまで持ち込むものの、
(次は何でくる?カーブ、チェンジアップ……は、大河の得意球種か。やべぇ、頭こんがらがってきちまった……)
国分の言っていた、打撃への悪影響とはこのことか。気は乗らないが、せめて四球ででも出塁しなければ。次の大河にも影響が出かねない。
そんなことに思考を巡らせていたらば、ふたたび政斗が立ち上がった。
「!!」
「またか……!」
来た、と誰しもが思った。敬遠のふりをした特殊な超スローフォーク。
(大丈夫、手はわかってるんだ。本田なら打てる……!)
そして義希が、ふわりと球を投じる。先ほどの軌道を瞬間的に思い起こす吾郎。政斗が座るそぶりを見せる。間違い、ない。
「ぉおおおおお────ッ!!」
雄叫びの刹那、力強く振るわれたバットは──
──空を、切った。
「な……!?」
高く掲げられた政斗の左手、ミットの中には、義希の投じた白球が納められていた。
「す……ストライク!」
「っ、………」
嵌められた。宣告と同時に、吾郎はようやくそのことに思い至った。確かに、二度目はなかったのだ。
──その光景は、中継映像を通して寿也にも見せつけられていた。
(吾郎くんが、三振……)
捕手の役割が負担になっているのもあるかもしれない。しかし吾郎が三振にとられるのを見たのは、生まれて初めてのことだった。
敗ける、このままでは。不意にそんな思いがよぎったとき、寿也は居ても立っても居られなくなった。
「……おじいちゃん。僕、いかないと」
「寿也?──!」
起き上がった寿也は、そのまま病室を飛び出した。
(吾郎くん、皆……!)
行かなければ。あの球場に、一刻も早く駆けつけなければ。そこに理屈など何もない、ただそれだけで一杯になっていた。
エントランスを飛び出したところで、不意に「佐藤くん!」と女性の声が響く。看護師が追いかけてきたのかと一瞬身を硬くした寿也だったが、それは駐車場のほうから齎されたもので。
「!──川瀬コーチ……!」
「乗って!」
何故ここに、という疑問を抱くより早く、寿也は彼女の車に乗り込んでいた。
「あらかじめ言っておくけど、十中八九試合には出られないわよ」
「……わかってます」
病院を出発して早々の涼子の言葉に、寿也は鼻白むでもなく頷いた。高校野球規則──試合到着に遅れた選手は、やむをえない事情があると大会本部に認定されない限り出場することができない。
「でも……テレビ越しに見ているわけにはいかない。僕だって、夢島の一員なんだから」
「……そうね。──美穂ちゃんの、ことだけど」
「!」
切り出された言葉に、ごくりと唾を呑む。他人の口からその名を聞くのは、まだ少し怖かった。
「美穂ちゃん、マネージャーとしてはやっぱり欠席だけど……スタンドには来ているわ」
「えっ……」
「見かけたのよ偶然。夢島側ベンチ、まだまだ人が少ないから」
ただ涼子は、あえて彼女に声をかけなかった。それをしたら、美穂はいよいよ逃げ出して二度と戻ってこないかもしれない。彼女自身のためにも、野球部のためにも、それは避けなければと思った。
「あなたのファミリーのことに口出しするつもりはない。ただ……チームのために、今は彼女の力が必要よ」
「………」
わかってます、とは、思っていてもまだ言えそうになかった。