『6番レフト、丸山くん。背番号、7』
続く丸山。彼はもとより己の役割を心得ていて、手堅く送りバントを決めた。足は寺門ほどでないにせよ遅いので上位打線には置けないが、バントの巧さでいえば草野や経験者ふたりに追随しつつある。
「丸山、ナイバンナイバン!」
「問題は次やな……」
三宅の容赦ない呟き。──7番ライト、児玉。相手が悪い場合も多々あるとはいえ、打率でいえばチームドベの元エースである。ツーアウト二塁のこの局面、彼も自らの立場については重々承知していた。
(ここで三振なんかしたら、だせぇどころの騒ぎじゃねえ……)
既に1・2番タイプとしてバッティングでも実力を付けてきている後輩が背後にいる。今日は投手として登板しているけれども、彼は外野手もそつなくこなしているのだ。──選手としてどちらが上か、という話に、夏の間になりかねない。
無論、敗けたらそれどころでない、問答無用で引退だ。しかし勝つにしても、今までのように足を引っ張ってはいられないのだ。これからも試合に出続けるためには。
とはいえ、
「っ!」
「ストライィク!!」
初球、思いきり空振り。意外に体幹がしっかりしている児玉でなければ、そのまま尻餅をついてしまいかねないようなフォームの崩れようである。これにはベンチからも苦言が飛んだ。
「ボールよく見ろ児玉!」
「三振じゃカッコつかへんで!」
(わかってるっつーの……!)
見てはいる。いるのだが、この投手の球はまっすぐくるのか、それとも変化するのか、するとしてどう曲がるのかがまったく予測がつかないのだ。
結局もういっぺん空振り、ツーストライク。あっという間に追い込まれてしまった。
「かぁ〜っ……あかんわ、全然当たる気せぇへん」
「っ、児玉、あきらめるな!!」
国分が甲高い声を懸命に張り上げて叫ぶ。4番としては空回った彼だが、主将としての責務は常に果たしてきた。
一球外して、四球目。児玉はふいに、空気のそよぐ音を聞いた。
「っ!」
反射的にバットを振る児玉。いよいよ三振かと思われたが、かろうじて触れたのだろう、弾かれたボールが背後のフェンスに押し返された。
「ファール!」
(当たった……?まぐれか?)
これが上位打線、あるいは次に控える8番(本来の4番)であれば、政斗も最大限に警戒したことだろう。しかしよもや児玉に、何かを捉えられたとはこの一発からは察しようもなかった。
(こいつに球数使うのは勿体ない。次はフォークで決めるぞ)
サインを受け、義希は表情こそそのままに、グラブの中で握りを変えた。そして投球動作に移ろうとしたところで、児玉が瞼を閉じるのが目に入った。
(……何してるんだろ、あの人?)
疑問には思ったが、今さら止められない。義希はそのまま一球を投じた。児玉は未だ、目を閉じている。
──彼は、音を捉えようとしていた。
(この音は……これだっ!)
瞠目し、間近に迫ったボールめがけて勢いよくバットを振る。ぐわん、と下降線を描いたボールを、児玉は芯で捉えてみせた。
「!!」
思わず振り向く義希に、マスクを外して立ち上がる政斗。フェンスを越えるような当たりだったが、ラインを大きく切れてしまった。
「ファール!」
(っ、くっそー……)
今のは文字通り核心を突いたと思ったのだが。
その後なんとか粘りに粘るも、最終的には左中間に飛球を打ち上げて終わりとなった。
「………」
「ドンマイ児玉!あれだけ粘るなんて、やるじゃん」
「粘れたってことはまぐれじゃないんだろう、何か掴んだのか?」
ベースコーチを務めていた上位打線ふたりが労いついでに問いかけてくる。児玉としては胸を張るべきなのか、落ち込むところなのか判断に困るところで。
「……音だよ」
「音?」
「ストレートだったらシュバッ、カーブだったらビュン、フォークだったらファ〜ッて感じの音がすんの」
顔を見合わせる1・2番。
「……わかるか?」
「いや……うーん、なんとなく?」
ボールのとる軌道によって空気抵抗も異なるから、それによって発生する音も変わるというのは当然あるだろう。しかし打者の手元にくるまで殆ど動きのないあの投手の球で、児玉はそれを聞き分けたというのか。
「オレ……ひょっとして大発見しちゃった感じ?」
「大発見というか……とりあえず、皆には黙っとけ」
「ハァ!?なんでだよ!」
「意識しすぎると手元がおろそかになるんだよ、ただでさえ気負ってる奴がいるのに。まあ、本田にくらいは教えてもいいけど」
そう言われると、反論の余地がない児玉である。ただ裏を返せば、それだけ特別なことができたということでもある。次こそはヒットを打ってやると心して、バットをグラブに持ち替えた。
*
ふたたび下位打線から始まる、鎌実ナインの攻撃。とはいえトップバッターの鎌実主将・北条政斗の打力が侮れないのは既に二度も見せつけられたところである。ただ今回は、その二度を学習した二遊間のファインプレーによって凡打に抑えることができた。続く8番、瓜二つの弟は問題ないとして、続く9番。
「っ!」
大河のストレートにジャストミートさせたルーキー足立だが、パワーが足りずスタンドまで運ぶには至らない。結局、変わらぬ俊足で駆けつけた草野が地面に落とすことなく処理してアウト。
「っし、ノーヒットノーヒット!」
皆を鼓舞する吾郎だったが、内心は大河の様子が気にかかっていた。7番に打ち上げられた直後から、肩で息をし始めている。
(流石に大河もヘトヘトか……。ここまでよく頑張ったって褒めてやりてぇとこだけど……)
そういう言葉なら、主将を筆頭に他の面子が次々にかけている。それはそれで間違いではないが、背中を支えてやるだけでは立ち止まって、動けなくなってしまうこともある。その兆候が見えたとき、強引にでも前に引っ張ってやる存在も必要だ。
「大河、まだ中盤だ。疲れるには早ぇぞ」
「!」
「投げてくれるんだろ、9イニング」
表向きつっけんどんながらも、頼られているという実感は湧いたのだろう。流れる汗を拭いながら、大河ははっきりと頷いた。
*
ふたたび攻守交代し、マウンドの主は大河から北条弟へと入れ替わった。
「わかってると思うけど、初っ端あのエースからだ。気ィ引き締めてかかれよ、義希」
「……オレは、おまえの言う通りに投げるだけだから」
正念場を迎えてもなお態度の微塵も変わらない双子の弟の頭を、兄はため息混じりにミットで軽く叩いた。
「だとしても、打ち取るのも打たれるのもおまえなんだ。……向こうは段々合わせてきてる、敗けんなよ」
「うん」
頷く義希。それを見て満足そうに笑うと、政斗は踵を返してキャッチャーズボックスへ走った。──その間に、彼の笑みは自嘲へと変わっていたのだけれど。
(何が敗けんなよ、だ……。打ち取るのも打たれるのも、本当はオレの責任なんだ)
きっと義希は、自分の真意だって本当は理解しているのだろう──生まれてからずっと一緒にいたのだから。
自分もまた、同じだ。常に茫洋として欲などないように見える義希が、本当はどれほどマウンドに執着しているか。弟を活かすのは、兄だけ。兄を活かすのもまた──弟だけだ。
『8番キャッチャー、本田くん。背番号、1』
「っしゃあ!」と挨拶というよりは喚声に近い声をあげながら、打席に立つ本田吾郎。彼の脳裏には、ベンチを出るときに国分に掛けられた言葉が過ぎっていた。
──本田……打ってくれ。こんな言い方ダサいと思うけど、おまえが打ってくれれば、僕も打てる気がするんだ。
確かにそれは、主将としては情けない言葉だったかもしれない。しかし間違いなく、吾郎の闘志に火をつけるものでもあって。
(わかってるさ、キャプテン。おまえに4番として、最っ高の仕事をさせてやる……!)
そのための突破口を切り開く。8番打者であろうと、出番が回ってきた以上はやるべきことは変わらない。目指すは、本塁打。
初球──クサいところに入って、判定はボール。
(やっぱ初球は微妙なとこに入れてきたか。ストライクでもボールでも関係ねえけどな)
もとより見逃しで出塁する気は毛頭ないのだ。次は、打つ。
そんな闘志漲る吾郎、二球目には手を出した。球筋は彼の目をもってしても読めないから、捕手の思考を読んで当たりをつけるしかない。もしも自分が、
捕手としては一日、もとい数時間の経験しかない吾郎だったが、大河の力を引き出そうと努力した経験は決して無駄ではなかった。一発、また一発とバットを振るうたび、球が少しずつ重くなっていく感覚。
「ファール!」
(芯で捉えられてる……!あと、少し!)
腕が痺れるのを感じながらも、わずかに口角を上げる吾郎。政斗の目は、それを確かに捉えていた。
(こいつ……やっぱホームラン一本狙いか!今のだって、当てようと思えばそれなりのヒットを飛ばせただろうに)
吾郎はそうしなかった。確信をもっているのだ。今度こそ、自分にはそれが為せると。
(気に入らねえ……。帰国子女だか何だか知らねえけど、オレ達の三年間……いや人生は、お前らなんかに敗けちゃいねえ!)
(見せてやれ、義希!!)
頷く義希。表情は、やはり変わらない。だがその心のうちに闘志が漲っているのを、政斗は確かに感じていた。
ワインドアップ──そして、"投げる"ためだけに鍛え上げた腕を振り上げる義希。
そして放たれた白球を、
「うぉおおおおおお────ッ!!!」
吾郎は、全身全霊で振り抜いた。
皆が、ボールのゆくえを目で追う。外野手たちが走る。フィールドの中にいる誰もが、いずれかの勝利のために命すらも懸けていた。
「入れえぇぇぇぇ────っ!!」
「捕れえぇぇぇぇ────っ!!」
いずれの叫びも、神は聞き届けることなく。ただ賽の目のままに、颶風を巻き起こした──