【完結】夢島ナイン   作:たあたん

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限界突破

 

「え……!?」

「あ──」

「!!?」

 

 吾郎の投げ返したボールが、大河の顔面を直撃した。

 文面だけを客観的にみれば、滑稽とさえ思われる出来事。しかし夢島ナインの面々にとってはまったく笑い事でない、常軌を逸した光景にほかならなかった。

 

「た、タイム!」

 

 タイムを要求し、慌ててマウンドに駆け寄っていく。内野手らもまた、当然のようにそれに続いた。

 

「ばっ、大河……!何やってんだおまえ!?」

「大丈夫!?」

「………」

 

 おもむろに顔から手を外す大河。果たして皆はさらなる驚愕と焦燥とに襲われた。

 

 滴っていたのだ──鼻血が。

 

「た、大河それ……」

「っ、審判に言ってくる」

 

 寺門が主審のもとへ走っていく。──ワンナウト満塁、カウントワンワンという絶好の状態で、試合は一時中断となった。

 

 

 *

 

 

 

 怪我による中断──程度にもよるが、それは夢島ナインの棄権にも繋がりかねないような事態にほかならない。

 それゆえベンチ内の空気も、これ以上はないほどに張り詰めたものになる。

 

「これは?」

「っ、……大丈夫っす」

「じゃ、これは?」

「平気……っす」

 

 大河の鼻を押したり揉んだりしながら、うーんと唸る南雲。「どうなんだよティーチャー」と、吾郎が逸った声で訊く。

 

「まー素人だから断言はできねーけど、折れちゃいないとは思うぞ。腫れてもいないしな」

「じゃ、じゃあ鼻血が出たのは?」

「むしろそこが問題でなぁ。──逆上せたんだよ、顔ヤケドしそうなくらいあっちーぞ」

「……ムリもないよ。もうとっくに100球以上投げてんだ」

 

 泉の呟きは言外に、大河がもう限界を迎えていることを示していた。

 いや──吾郎からの返球を受け取れなかった時点で、それは誰の目にも明らかだったのだ。それを具体的な数字として表したというだけのこと。

 

「いちおう顧問として言うけどさ、もうピッチャー代えたほうがいいんじゃねーか」

「………」

 

 沈黙が走る。吾郎に投げさせるわけにはいかないにしても、児玉や寺門が控えとして機能はしている。疲弊しきった大河とまだ体力に余裕のある彼らなら、後者のほうがよほど安定している。普通なら、交代させるのが当然だろう。

 

「……はは……」

 

 不意に、即席の氷嚢で身体を冷やしていた大河がかすれた笑い声を洩らした。皆の視線が、彼に集中する。

 

「大河……?」

「ダサいっすよね、オレ……。自分で最後まで投げるっつっといて、この体たらくで……挙げ句返球もまともに捕れなくなって、マウンドで鼻血出したりして……」

 

 もう、自分が意地を張ることに何ひとつメリットはない。児玉や寺門に任せたほうが、よほどチームのためになるというものだ。

 

(何やってんだろ、オレ……)

 

 こんな情けない姿を、衆目どころかテレビカメラに晒して。これでチームが敗けでもしたら、明日からどんな顔をして学校へ行けばいいのか。いっそ引きこもって好きな書籍を読みふけって暮らすかなんて、突拍子もないことまで考えてしまう。熱に浮かされた頭のせいだろうか。

 

「何処がダサいんだよ」

「!」

 

 静かな、それでいて一言一句明確に響く言葉を発したのは他でもない、我らが背番号1(エース)だった。

 

「おまえは俺の……まぁトシに比べりゃ下手くそなリードに応えて、精一杯投げた。そりゃ打たれもするさ。でも勝ち目がなくなるほどじゃねえ。3回戦まで勝ち上がってきた相手に、おまえはそこまで喰らいついたんだ」

「それは……先輩たちが」

「俺らだけじゃ無理だよ」即応する泉。

「ああ、泉の言う通りだ。俺たちが処理できる打球にしたのは、間違いなくおまえのピッチングだ」

 

 外野を駆けずり回った草野が続ける。寺門も、三宅も、児玉も丸山も──誰もが皆、大河のピッチングを疑ってなどいなかった。

 

「大河、」

 

 無論、我らが主将も。

 

「選んでいいよ。マウンドを降りるか……続けるか」

「国分、先輩……」

「おまえがどっちを選んでも、その結果どうなっても……僕らはおまえを責めたりはしない。勝ち負けは、僕ら全員で背負うものなんだから」

 

 彼が、皆が、温かな言葉を、眼差しを注いでくれている。目頭が熱くなって、つんと滲みるのを大河は自覚した。鼻血の次はこれかと思うと、いっそ笑えてすらくるというものだ。

 

「オレ、は」

 

 ならばチームの為に選ぶべき答をと、大河が口を開こうとしたときだった。

 

「あ、悪ィ電話。……お、涼子ちゃん」

「!!」

 

 それに水を差すような気の抜けた声を発したのは、やはり南雲で。しかしその口から飛び出したのは、

 

「もしもし涼子ちゃん?あぁ……──えっ、佐藤を!?」

「!!」

 

 涼子以上に、皆が反応する名前。──彼らは今、スタジアムの外にいた。

 

「Sure、連れてきました。途中、彼の実家に寄って、ユニフォームも」

『……Really?』

「Really、今代わります」

 

 自らのスマートフォンを隣の青年──寿也に差し出す涼子。逸る気持ちを抑え、彼はそれを受け取った。

 

「──佐藤です、」

『おぉ、さと『トシっ、大丈夫なのか!?』ちょっ、うるせーな静かにしろぃ!』

(吾郎くん、)

 

 彼がマウンドと向かい合う位置に座ってがんばっている姿は、画面越しに見てきた寿也である。嫌々どころか楽しんでいる様子だったのが唯一の救いだが、やはりマウンドに立ちたいだろうと寿也は思う。そのためには彼の球を受け止められる捕手の存在が必要で──

 

「僕は大丈夫だって、皆には伝えてください。……それと、」

『──"試合に出たい"か?』

「!……出たい、ですっ」

 

 声が震えているのが自分でもわかる。十中八九出られないと釘を刺した涼子も、何も言わない。自分がそう言い出すことは予見していたのだろう。

 

「……高野連の規則は知ってます。試合開始に間に合わなかった選手は原則出られない、って。でも……この試合に勝つために、僕も皆の力になりたいんです……!」

『……はぁー』長いため息のあと、『ま、そりゃそうか。わかった。なんとかしてやるから、とりあえず涼子ちゃんと一緒に待っとけ』

「!お願い、します……!」

 

 寿也の文字通りの懇願に頷きながら、南雲は通話を打ち切った。そして改めて、部員たちを見渡す。

 

「つーわけで佐藤が出られるようにしてくるから、それまでなんとか粘れ」

「!てぃ、ティーチャー、あんた……」

 

 吾郎は思わず、南雲の手をがしっと掴んだ。

 

「成長したなぁ……!ゴロちゃん感動した!」

「ハァ!?仮にも教師に向かってなーにを言うとるか!」

「細けーこと言うなっての!──それはそうと、悪いな大河」

「えっ……」

「最後まで投げさせてやるっての、ナシだ。──トシが座るなら、マウンドに立つのは俺だからな」

 

 目を丸くする大河だったが……程なくその言葉の意味を理解して、思わず噴き出しそうになった。本田吾郎という男、存外に誠実だ。

 

「わーってますよ。……それまで、全力で抑えます」

「よく言った!」

「くーっ、カッコええやんけ!ダメならワイが投げたろか思てたんに」

「なんでおまえがしゃしゃり出てくるんだよ」

 

 例によって泉の毒のある突っ込みを受け、わざとらしく天を仰ぐ三宅。すっかり空気のほぐれた夢島ベンチだったけれど、程なくそこに審判が駆け寄ってきた。

 

「夢島高校さん、体調に問題ないなら試合再開しますよ」

「あー、はい、大丈夫です。──で、あの、折り入ってお願いがあるんですけども……」

「?」

 

 ひとまずその"お願い"は認められつつ、試合は再開された。

 

 

 *

 

 

 

 夢島ナインが守備位置に就き、ふたたび安達がバッターボックスに戻る。──彼の目が怪訝ないろを帯びているのも、無理からぬことで。

 

(なんなんだ?鼻血出して交代かと思ったらまだマウンドに立ってるし、向こうの監督だか顧問だかは本部に連れていかれるし……なーんか妙な気配だな……)

 

 鎌実にとって、何かよからぬことが起きそうな気がする。勘の鋭さにおいてはこの青年、鎌実ナインの中でも随一であった。

 

(水入りにはなっちまったが……今度こそ、ケリつけてやる!)

 

「………」

 

 間もなくプレイが宣告され、投球動作に入る大河。緊張の走る一瞬。

──そして再開後、初球が投じられた。

 

「──!」

 

 かぁん、と音をたててボールが飛ぶ。が、軌道は大きく外れて二度目のファール。安達はさっそく、"異変"に気がついた。

 

(なんだ、スピードが戻って……いや、速くなってる?)

 

 疲弊している大河の球は、球速も衰え、コントロールも甘くなっていたはずだ。それが後者はともかく、前者については跳ねるように勢いを取り戻している。あのつかの間の休息で体力を回復したとは考えにくい。とするとありうるのは、ラストスパート。

 

(交代の算段をつけた?でも、だったらなんでこのタイミングで交代しなかった?わけわかんねー……気持ちわりィ)

 

 こんなことで悩ませてくれるのはマナー違反ではないかと一瞬頭をよぎったものの、安達は首を振って余計な思考を振り払った。

 

(スピードが出てるったって、平々凡々な1年生の球だ。そんなもんとっとと打って、今度こそ鼻へし折ってやる!)

 

 無論、比喩的な意味で、である。流石に口には出せない。

 そこからは持久戦となった。全力で投げ続ける大河。対する安達はとにかく粘り続ける。中途半端な打球ではゲッツーをとられる可能性がある。ここはスタンドに叩き込む、一択。

 そんな様子が透けて見える安達を、政斗はウェイティングサークルの中で心配していた。

 

(でかいの狙ってんな、安達。ゲッツーもあるし、間違っちゃいないけど……)

 

 間違ってはいないが、本当に大丈夫かという不安もある。リスクはあってもスクイズのほうが安達には向いている局面なのではないか、と。

 そこまで考えて、政斗は自嘲した。それでは安達に打たせる判断をした監督、何より安達自身を信用していないと言っているようなものではないか。

 

(最後の夏なんだぞ。三年一緒にやってきた仲間のこと、主将のオレが信じられなくてどうする)

 

 信じよう、たとえ結果がどうなろうとも。

 そう決心した矢先──ついに政斗が、鋭い当たりを飛ばした。

 

「!!」

 

 今度は、切れない。本塁打になるかどうかは微妙だ。勢いはいいが、向かい風に押されている。

 

「児玉捕れるぞ、捕れ──っ!!」

「──っ!!」

 

 走る児玉。このぶんだと風を押し切ってフェンス外の本塁打となるか、壁際に落ちるか、ふたつにひとつ。──よじ登ってでも捕る、今度こそ、アウトにする!

 

「うぉおおおおお────ッ!!」

 

 雄叫びとともに跳び上がる児玉。グラブの先が、ボールを掠め──

 

「ああっ……」

 

 駄目か。そう思われた矢先、児玉は己の握力ひとつで強引に白球を手中に収めてみせた。

 

「アウトっ!」

「バックホーム!!」

 

 主審と吾郎の声が重なる。安達の敗北を無駄にしないためにもと、三浦が全速力のタッチアップを仕掛けようとしている。それを防ぐ手立てをもつのは吾郎と、ボールを手にした児玉のふたりしかいない。

 

(届くぜ……!オレの肩なら!!)

 

 仮にも投手を務めていた自分ならと、中継なしでホームに向かって投げる。間にいる国分と寺門も自分を信じてくれているのか、身構えはしたまま動かない。届く、届く──

 

──届いた!

 

「ッ!!」

 

 同時にヘッドスライディングで滑り込んでこようとする三浦。力づくで押し通ろうとは、気取った色男らしからぬなりふり構わぬ行動である。

 吾郎はそれを、己の体幹ひとつで押し返した。

 

「!?」

「────、」

 

「──アウト、アウトォ!!」

 

 主審もついエキサイトしてしまったようだが、誰がどう見てもアウトだった。唖然としたまま顔だけ上げて横たわる三浦を、颯爽と立ち上がった吾郎が見下ろす。

 

「どしたィ、色男。かっこいい顔が台無しだぜ?」

「……っ、」

 

 これが、アメリカで経験を積んできたエースの真価。投手としてでなくとも、その力は遺憾なく発揮される。

 

──夢島ナインは、最大のピンチを最大の成果で切り抜けた。

 

 

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