夏もいよいよ深まり、日ごとにじりじりと暑さを増していく7月下旬。長い夏季休暇に突入した夢島学園高校だったが、野球部の面々は"休み"とも"暇"ともまったく無縁の日々を過ごしていた。
尤もそれは、彼らにとって望むところでもある。部として発足してから一年足らず、公式戦初出場にして、彼らは激戦を勝ち進んだ。4回戦、5回戦では太平洋を渡ってきた豪腕・本田吾郎の好投によりいずれも相手チーム無得点で快勝を遂げている。
──彼を中心とする選手10人の夢島ナインは、神奈川野球界の風雲児として一躍注目を集めていた。
「つーわけで皆の衆、本日はハマスポーツの記者さんが取材に来てくださった。挨拶!」
「ちわっす!」と一応声が揃うくらいには、息もぴったりになってきている夢島ナインである。尤も心の底から浮ついている者もいれば、内心(取材なんてなぁ、)という気分の者もいて。監督不在の中、本来部を統制すべき責任教師の南雲が前者の急先鋒なのが困りものだが。
「こんにちは、ハマスポーツの春名です。こっちはカメラマンの北田」
「北田ですー、よろしくー」
ふたりとも三十路にはならないか、南雲に比べれば若い男女のコンビである。記者の春名女史は特に問題ないとして、カメラマンだという北田青年のやや間延びした口調が妙に耳に残る。
「午前中だけですけど、今日は皆さんの練習を見せていただきます。合間に少しお話も聞けたらと思ってますので、協力していただけると嬉しいわ」
「どうぞどうぞ、いくらでも聞いてやってください」
「………」
(センセー、完全に調子乗ってません?)
(俺たちのプライバシーまでぺらぺら喋られたらたまったもんじゃないな……)
(プライバシーもそうだけど、プレーの癖とかも)
(……僕がそれとなく見張っておくよ……)
こういうとき、皺寄せがくるのはいつも主将である。同好会時代、気軽に引き受けたときにはよもやこんなことになるとは思ってもみなかった──別に後悔しているわけではないけれど。
さて、取材が来ても繰り広げられるのはいつも通りの練習風景である。アップと柔軟から始まり、大河も含めた野手組はノック、吾郎と寿也のバッテリーは投球練習。流石にセーブして投げているが、それでも吾郎の球は速いし勢いがある。おぉ、と、北田が思わず感嘆の声を上げた。
「すげー、やっぱ速ぇ……」
「152キロ……あれでもまだセーブしてますよね、本田くん?」
スピードガンを眺めながら、春名。尋ねられた南雲は、「そうすねぇ〜」と訳知り顔で応じた。
「試合じゃ初っ端から160出してますからね。ウチじゃ佐藤しかあの球捕れないんすけど……あいつらがたまたま幼なじみだってのがこう、運命というかなんというか……」
「えっ、そうなんですか!?」
これは記者としては聞き逃せない情報である。
「でも本田くん、10年アメリカで生活されてたんですよね?お父さん……本田茂治選手がメジャーリーグにいる間。その前ってことですか?」
「ええ。なんでも家で勉強してた佐藤をたまたま本田が見かけて、半ば強引にキャッチボールに付き合わせたのが始まりだとか……それが10年越しに再会してバッテリー組んでるなんて、ドラマチックですよねぇ。フフフフ」
──………ふたりは幼なじみだそうですね。
「えっあぁ、まぁ……。さっそくしゃべってんな、ティーチャー……」
「ま、まあいいじゃない吾郎くん、それくらい。──そうですね、吾郎くんと出逢って、僕も野球を始めました。いろいろ事情があって、中学の間は離れていたんですけど……」
──それで捕手としても打者としても大活躍なんて、才能ですね。本田くんはもちろんですけど、佐藤くんもプロから注目されてますよ。
「ブランクを埋めるので必死です。でも誰であれ、注目していただけるのは嬉しいです。期待に応えられるよう、これからも頑張ります」
──応援してます。では本田くんにお聞きしますが、アメリカでは名門シニアで全米トップになったこともあるとか。にもかかわらず当時野球同好会しかなかった夢島高校に転入したのはどうしてですか?
「どうしてって……強ぇやつらとはたっぷり一緒にやったし。自分の実力でイチからやってみたかったんだよ。つーかこれ色んなやつに聞かれんだけど……」
「……本田、敬語使えって」これは主将の横槍。
──す、すごい自信ね……。でも実際、それでベスト4まで進出してるんですものね。じゃあ質問を変えますけど、ずばり、優勝候補である厚木高校には勝てそうですか?
「──勝……ちますよ。全国制覇するって、俺ら決めてるんで!」
戻って、守備練習。
「次、6−4−3!」
二遊間めがけてボールを打ち込む涼子。すかさず走った泉がそれを捕球し、二塁カバーに入る国分へ渡す。走者役として全力で走った草野を討ち取り、さらにそこから一塁の寺門へ。
「6−6−3!」「5−4−3!」──次々とダブルプレーの指示を出しつつ打球を打ち込んでいく涼子。言うまでもないことだが、捕りそこねればその時点でゲッツーは成立しない。土壇場で指定されながら連続でボールが飛んでくれば、10回やって10回成功というわけにはなかなかいかない──泉以外は。
「泉、ナイスプレー!」
「どーも」
「相変わらずやるのぉ、チビのくせに」
「おまえはいちいちカッコつけるのやめろ、関西人」
「つーかカッコいいと思ってんすか、あれ?」
「ぐッッッ!!これがホンマのダブルプレー……」
絡んでくる三宅を冷たくあしらう泉と、援護射撃を仕掛ける大河。すっかり息の合う遊撃手コンビである。流石にバッテリーコンビほどの華はないものの、ルックスも含め十分注目に値するふたりで。
──泉くんはまさしく内野のリーダーって感じですね。
「ありがとうございます。まあ、中学でも硬式でやってたのは、本田を除けば僕だけなので」
──そうでした。確か横須賀シニアでショートをやってたんでしたね。野球部のない高校に入学したのは、本田くんと同じような理由だったり?
「はは、まさか。僕はそんな野球バカじゃないですよ。──でも、今はホンキでいけると思ってますけどね、甲子園」
クールな受け答えの中にたしかな野心を覗かせる泉。守備はもちろんのこと、攻撃においても2番打者として手堅い打撃を披露してきている。吾郎のようなビッグスターの影に隠れることを厭わず、チームのために最適なプレーをする──それをさらっとやれてしまう高校球児は、なかなかいまい。
そこへいくと、泉と背格好の似た──顔立ちはもう少し正統派だが──唯一の1年生はどうか。
──清水くんは、3回戦では先発投手として7回まで粘りのピッチングを見せましたね。初心者とは思えない素晴らしいプレーでしたけど、本職はショートでいいのかしら?
「本職っつーか……まぁ、希望っす。今はスーパー補欠ってことで、色々やらされてるだけなんで」
──確かに、ひとりだけの1年生ですものね。でもショートよりピッチャーのほうが、女の子にはモテたりして?
「……別にそこはどーでもいいっすよ。どっちにしろモテるんで、僕」
なかなかに自信過剰な発言である。加えて先輩相手にも容赦なく毒を吐く生意気ぶり。しかし練習にはまじめに取り組んでいるし、先輩たちにも時折いじられたりしながらも可愛がられているようだ。特に泉とはうまが合うのか彼の声かけには素直に応じている。遊撃手志望というのも、彼の影響かもしれない。
「──バッティング練習、始めるわよ。トップバッター、草野くん!」
「はい!」
実戦においても既に不動の1番打者となりつつある草野。長身痩躯の外見は球児という以上に、陸上選手のようだ──そう思ったが、そもそも比喩でもなんでもない。彼の本職は短距離走者で、それゆえに抜群の走力を誇る。セーフティバントからの盗塁は、読んでいても防げない黄金の様式美だった。
とはいえ春名たちの注目は、やはりバッティングピッチャーを務める女コーチャーだった。
「ふ──っ!」
球速130キロのノビのあるストレートに、男子顔負けのキレのある変化球。とりわけスライダーはプロでも通用するのではないかと思わせる変化量だ。加えて弱冠19歳という若さに、モデルのような美貌。自らも現役の大学生選手である──と、とかく話題性の塊のような存在であった。
──野球部のコーチを引き受けられた経緯は?
「実は私も、ゴローの幼なじみなんです。アメリカで出会って、野球友だちとして仲良くしていて」
──そうなんですか!帰国されたのはいつ頃?
「ゴローのすぐあとです。どうせジャパンでムチャするんだろうなと思って、せっかくだから私も近くで一緒にやろうかなって。それまでは私、男の子に混ざってプレーしてたんですけど……この歳になると身体能力の差とか、どうしてもいろいろありますから」
──それで日本の大学で女子野球に転向されたってことなんですね……お気持ちはわかります。でも先ほどの球だけ見たら、女性の投げている球とは思えませんでした。
「ふふ……Thank you,very much!これでもリトルでは、ゴローとどっちがエースになるか競争してたんですよ。子どもだったし、あの頃は私のほうが身体も大きかったから……結局負けちゃったときは、悔しくて一晩中泣きました」
──心意気も男の子顔負けなんですね、今どきの日本男児にもぜひ見習ってほしいです。……あの、話は変わるんですが。
「なんでしょう?」
──ずばり聞いちゃいます。本田くんとは、本当にただの野球友だちですか?
「Oh……ふふ、ご想像におまかせします」
*
「ふぅ〜、まあまあ良い絵が撮れましたねー。この調子でもう一個のほうもいくといいんすけど」
「そうねぇ……。てっきりピッチャーのワンマンチームかと思ったら、野手の子たちも意欲たっぷりって感じだったし。コーチの
「顧問はなんかにわかっぽかったけど」と容赦ない春名。至って正しい推察だから救いようがない。結局彼からは、申し訳程度に頁の最後に載せるコメントを貰って終りだった。
「でもひとつだけ惜しかったわねぇ。キャッチャーとマネージャーの甘酸っぱい距離感!ピッチャーとコーチは完全に出来上がってる感じだったし、ふたりはまさかの……!みたいなのも撮れると思ったんだけど」
容姿、才気ともにすぐれた正捕手・佐藤寿也とひかえめで可愛らしい、小野寺なる1年生マネージャー。どこかぎこちないふたりのやりとりは、裏事情を知らない春名には思春期男女のそれと映った。せっかくだから一枚、とゴシップ記者めいたことを考えていたらば、さりげなく他の部員に阻まれてしまい、タイムアップとなった。流石に実は兄妹なんです、などという事実は披瀝されなかったが。
「ま、あまりプライベートなこと書き立てると炎上しちゃいますしいいんじゃないすかー?」
「まあそうなんだけど。……あと、何か大事なこと忘れてるような?」
「え、まだなんかありましたっけー?」
思い出せないし、思い出したとて次の予定が詰まっている。もやもやしたものを抱えながらも、ふたりは車に乗り込んだ。
*
一方、昼食休みに入った野球部の空気は、もやもやどころの騒ぎではなかった。
「………」
ずうぅん、と効果音の聞こえてきそうなほど沈む少年。彼が普段は明るく爽やかな熱血漢だとは、この場面だけを見た者は到底信じられないだろう。
「お、おーい……キャプテン?」
「……なんだよ」
「そ、そう落ち込むなって……。ほら、向こうも時間のセイヤク?とかあったんだろうしさ……」
「……そうだとして、キャプテンの優先順位は1年生の大河以下な事実は変わんないよ……」
「Oh……」
肩をすくめる吾郎。彼が如何にフォローしたところで、主将である国分に直接のインタビューがなかったのは紛れもない事実で。
ともあれ彼がこんな調子だと、部全体の士気にかかわる。それは単に主将の地位に因るものではないのだ。皆で必死にその事実を説き、夕方にはいつも通りの彼に戻ったのだった。