吾郎と寿也を除く夢島の面々は、南雲の運転するマイクロバスでひと足先に帰校の途に就いていた。
「しっかし佐藤もエラいもんやで。本田のワガママに付き合ってやんねんから」
「あんなくそ遠い球場に残ってな。あいつら、どうやって帰ってくるつもりなんだ?あそこ、駅も遠いだろ?」
「タクシー呼ぶって、本田が言ってたよ」
国分が振り返って応じると、児玉が「げ」と舌を出した。
「あんニャロ、ブルジョワ気取りやがって……」
「実際ブルジョワやろ、親父さんプロ野球選手なんやから」
「けっ、だったら"月刊美魔女倶楽部"くらい自費で買えってんだ。きっちり
「あーっ、そういや今月号、アイツもう半月くらい持っとるやんけ!!」
「だろぉ!?アイツ本当によ──」
ふたりの話し声がいよいよ車中に響き渡り出したときだった。「おい」と、前方から声がかかったのは。
「お前らさぁ……女子いるんだから考えろよ」
「あっ……」
泉の冷たい叱責を受けて、はっとする。──前方の席で、美穂が顔を赤らめて俯いていた。
流石にこれはと反省した三宅と児玉だったが、事は
「その話、詳しく聞かせてもらえるかしら?」
「!!!」
首だけこてんと傾けて振り向いた涼子の表情は、天使のような微笑に染まっている。元々の美貌も相俟って、思わず見惚れてしまうような美しさがあった。
──顔全体を覆う濃い影から
涼子とて既に成年を迎えた立派な大人である、男子がそういったものに興味津々なのはわかりきっているし、いちいち目くじらを立てるつもりもない。ただ、
バカふたりが震え上がるのを尻目に、呆れ顔の草野に寺門が耳打ちした。
「……どうでもいいことかもしれんが、児玉、"四分の一"って言わなかったか?」
「ああ、言ったな。本当にどうでもいいけど」
つまり彼ら三馬鹿に加え、もうひとり輪に加わっている者がいることになる。
「おまえじゃないよな?」
口にしてすぐ、後悔した。草野のつぶらな瞳がすうっと狭められ、たちまち蔑むような表情に変わったのだ。
「……その言葉、そっくりそのまま返すぞ」
「す、すまん。しかし、不届き者がいたもんだな」
無論、それが
「丸山どうした、酔ったんじゃないだろーな?」
「い、いえ……」
車酔い対策に最前列の席をあてがわれていたために、幸いにして丸山が挙動不審なことに気づく者はいなかった。
*
コーチャー兼ガールフレンドとの遠くない未来における修羅場が確定したとはつゆ知らず、本田吾郎は敵校の若き女監督と──男女の情愛とはまったく無関係な──修羅場を迎えていた。
「こんなところで出待ちなんて、随分な余裕ね……大エースくん?」
──早乙女静香。事実上の日本の高校野球における頂点、厚木学園高校野球部を指導する若き女監督は、美貌に凍てつくような笑みを張り付けて相手校のエースを睨めつけていた。
「それとも、うちの大切な部員を篭絡して試合を有利にしようって腹なのかしら?プレイスタイルの割に、随分と低俗なことをするのね」
「……ロウラク?ってのがどういう意味かわかんねーけど、挑発されてるってのはわかるぜ」吾郎もまた敵対的な笑みを浮かべる。「俺は友だちに挨拶しに来ただけだ。
「!」
静香の表情から一瞬笑みが消えた。流石にオバサン呼ばわりは想定外だったのだろう。
噴き出しそうになっている渡嘉敷はじめ幾人かの部員たちをひと睨みすると、彼女は改めて吾郎に向き直った。
「練習試合のときから薄々感じてはいたけど、やはり礼儀もなっていないようね。息子がこれじゃ、
「!てめえ、おとさんは関係ねーだろ!!」
如何に迂遠な言い回しをしようとも、父を愚弄されるのは我慢ならない吾郎。しかしここで激発して良いことなど何ひとつないと、寿也は慌てて彼を押し留めた。
「吾郎くん!!……こちらにも失礼があったことは謝罪します。でも……今の発言は監督として、いえ、ひとりの大人として不適切だと思います。撤回してください」
礼節を保ちながらも毅然とした寿也の態度に、(へぇ、)と静香は感心した。この少年、心身ともに半年前とは見違えるようだった。捕手としても打者としても、既にチームの中心を占めるプレイヤーになりつつある。都合5年ものブランクがなければ、十分に厚木の中心をも担える人材になっていたのではないだろうか。加えてそのルックスも。
惜しいことは惜しいが、過去は変えられない。静香は相変わらずの余所行きの笑顔を張り付けて、小さく頭を下げた。
「そうね、確かに言い過ぎたわ。ごめんなさい」
「………」
「ごめんなさいついでに、改めてお願いするわ。今後は自分たちの分をよく弁えて、出過ぎた行動は控えてください。よろしくネ♪」
「なっ……!」
戯けながらの挑発はより腹が立つ。しかし静香としてはそれでこの不毛な時間を打ち切るつもりだったらしく、さっさとバスに乗り込んでいってしまった。部員たちも当然、それに続く──小森だけは流石に申し訳なさそうな顔をしていたが。
「──本田吾郎、」
「!」
最後にバスに乗り込もうとしていた眉村が、目玉だけをこちらに向けていた。
「楽しみにしているぞ。おまえを完膚なきまでに叩き潰すのをな」
「っ!!」
吾郎がかあっと頬を紅潮させたときにはもう、扉は無慈悲に閉め切られていて。
「〜〜ッ!」
「──なんっ、なんだよ!!あの女ぁ!!」
吾郎の試合で鍛えられた発声は、特別に音を反射するわけでもない屋外であってなお広く激しく響き渡る。行き交う人々が何事かとこちらを見るのを目の当たりにして、寿也は慌てて彼の口を塞いだ。
「もごごっ、もがっ」
「声でかいよ、吾郎くん……!僕らもう、それなりに有名人なんだから──」
寿也の注意をきちんと受け止めているのかいないのか、吾郎はんーんー唸りながら手をバシバシと叩いてくる。吾郎には負けるが大事な手には違いないので、肌に痕がつく前に寿也は彼を解放した。
「っ、にすんだよトシ!チッソクしちまうかと思っただろ!!」
「そうさせたのはきみだろ……。僕だって正直不愉快だったけど、ここで言ってても仕方ないじゃないか」
「わかってっけどよ……。ったく、タクシーも捕まんねーし……」
ぼやく吾郎。近隣のタクシー会社はあいにくタクシーがみな出払っているとかで、すぐには来られないというのだ。これもあの女監督の手回しによるものかと邪推したくなってしまう。無論、そんなわけはないのだが。
それより寿也が気にかかるのは、早乙女静香があのような態度をとる背景だった。如何に礼儀を知らない敵校のエースが相手だと言っても、大の大人があれほど露骨な敵意を示すだろうか。しかも常識的にはタブーともいえる、親のことまで引き合いに出して。
「あーもう、しょうがねえ。駅まで歩こうぜ」
「!……ああ、そうだね」
思考の海から引き戻された寿也は、これ幸いにとうなずいた。タクシーを使うのは内心気が引けていたのだ。それが吾郎の奢りだというなら尚更。
しかし彼らが駅に向かって歩き出そうとした途端、向かいから来た自動車がすぐ傍に横付けした。
「あらアナタたち、ひょっとしなくても本田吾郎くんに佐藤寿也くんじゃない」
「うぉっ、なんだ!?」
吾郎が思わず寿也の背に隠れてしまったのは言うまでもなく、ただ声をかけられたためではなかった。
後ろ髪の跳ねた長い茶髪に、濃い口紅。それだけを挙げれば車の運転手は女性かと思われるだろう。しかし──アスリートとして鍛えられた吾郎よりさらにひと回り大きな体躯に、角張ったごつい顔、と続けばどうだろうか。
「何よ、アメリカ帰りのクセして……。今どきそんな態度、各方面から糾弾されちゃうわよん?」
「か、カクホーメン?」
「吾郎くん、いいから……。それより、何かご用ですか?」
慇懃に応対しつつ、その実は身構えながら寿也は尋ねた。有名になったということは、善意の応援を受けることと完全なイコールではない。中には敵意、あるいは害意を抱いて接近してくる者だっているかもしれない。──その可能性を考えたとき、吾郎が自分の背に隠れてくれたのは僥倖だと言えるかもしれない。
寿也の意図を察してか否か、女?はフフ、と嫋やかに──"当社比"である──笑った。
「お礼が言いたかったの」
「お礼、ですか?」
「アナタたちが、裸の王様ならぬ女王様になってしまったわが妹をやり込めてくれたから♪」
話が見えない──妹?
しかしやり込めたかどうかはともかく、自分たちがきょう言い争った女性はひとりしかいない。
「自己紹介が遅れたわね。私、こういうものです」
運転席から身を乗り出し、彼女?は名刺を差し出してきた。そこに記された名と肩書きを見て、バッテリーは揃って目を見開く。
──厚木学園高校 野球部マネージャー兼コンディショントレーナー 早乙女泰造
「よろしくネ♪」
そう言って微笑むすがたは、確かに静香とよく似ていた。