【ポケモン二次創作】ポケットモンスター Soul Divide 作:伊崎つりざお
ーーーその男は敗北を知らなかった。
それを知るには、あまりに才が有り余りすぎていた。
それを知るには、あまりに意志が強大すぎた。
男の名はエンビ。
生まれてここまで、彼は何事においても失敗をしたことがない。
裕福な家に生まれた彼はあらゆる教育を受けてきたが、そのどれもをほぼ完璧に近い習熟度でマスターした。
故に、挫折など経験したことがなかったのだ。
否、それこそが最大の挫折にして失敗だったのかもしれない。
一つの傷もなく成功を積み上げてきた彼は、見上げた景色の高さに怯える事になる。
いつか落ちるのではないか、と未知の脅威に恐怖することになる。
だが、人の「恐怖」という感情のは不思議なものだ。
恐ろしいと感じれば感じるほど、遠ざけたいと願えば願うほど、その恐怖の根源に近づきたいと願ってしまうものだ。
一見捻くれておりそれでいて合理的なこの普遍的な感情は、このエンビという男の中にも残念ながら備わっていた。
彼は一刻も早く開放されたかった。
この高すぎる場所から降り立ちたかった。
……誰かに負けたかった。
だがそれは自身の投了や諦観に依るものではダメだ。
彼の脚は、残念ながら飛び降りることを知らない。
自ら積み上げてきたものを崩すことは、既に不可能の域に在ったのだ。
故に、全力を持って挑んだ相手に叩きのめされる必要があった。
しかし、そんな都合のいいトレーナーはこの世に中々現れなかった。
エンビは幾日も幾日も、地方中のあちらこちらを回って勝負を仕掛けた。
が、その結果はすべて退屈なほど圧倒的な勝利であった。
彼は強者と見える度に期待し、そして失望を繰り返してきた。
既に、自分を敗北の恐怖心から解放してくれる者は居ないのだと諦めかけていた。
そんな時……
彼は1つの噂を耳にした。
イジョウナ地方にて、デビュー以来無敗を貫き続けるトレーナーがいる……という噂だ。
そのトレーナーの名は「ジャック」。
「無敗のジャック」と言われて恐れられてきた人物だ。
しかしそのような胡散臭い二つ名であれば、エンビは飽きるほど聞いてきた。
それに、いつもそんな人物に限って彼の退屈を満たすには足りなかったのである。
それでも彼は、藁にも縋る思いで彼の元を訪ねることにした。
その場所はイジョウナ地方・ポケモンリーグ。
無敗のジャックが3連覇を賭けて挑む、世間の注目を集めた大会であった。
そこへ、観客の1人としてエンビは訪れた。
期待半分、諦め半分を懐きつつ、スタジアムを注視する。
……そこに見えたものは、彼の諦観を一瞬にして払拭した。
黒いベレー帽に紫のストレートヘアの少年……目の前に飛び込んできたジャックという人物の顔は、確かに無敗の王者と言われても納得できる威信があった。
が、それだけではない。
かの人物の中にも、己と同様の恐怖心をそこはかとなく感じ取れたのだ。
具体的な根拠はない……が、そこには天才同士でしか感じ得ない何かがあったのだろう。
兎も角、相手を圧倒的なほどの戦略で蹴散らしていくジャックを見届けながら、エンビは確信した。
そうだ、自分を負かすのは間違いなくこの男だ……と。
大衆の前で、自らに敗北の恥辱感を味あわせてくれるのはこの男しかいない……と。
リーグが終わった後日、エンビはジャックの元を訪れた。
次のイジョウナリーグで相見えよう、という旨を伝えるために彼に面会したのだ。
ジャックはどことなく面倒そうな様子ではあったが、それでもトレーナーたるもの相手の挑戦を無下にするわけには行かない。
彼らは次のリーグでの勝負を約束し、そして1年後にフィールドで相まみえることになる。
奇しくもそれは決勝戦。
最も人々の注目を集める舞台であった。
此処にきっと、ジャックは現れる。
ここで最後の決戦が始まるのだ。
ようやくだ、ようやく自分は敗北の恐怖心から解放される。
エンビはそう思って、決勝戦のフィールドへと歩みだす。
しかし目の前に現れたのは、昨年見たジャックではなかった。
何故か紫だった髪は銀色に染まり、どこかやつれた様子すら見える。
だが、それでも漂う強者の気配までもが変わったわけではない。
エンビの本能は理解していたのだ。
眼の前のジャックという男は、隔日に昨年よりも強くなっている……と。
それはもう、暴力的なほどにだ。
だからこそ高揚していた。
期待していた。
そうだ、自分ここで敗北するに違いない、と。
あの、見るも悍ましいジャックという圧倒的な存在は、惨めに自らを叩き潰してくれるのだと。
……しかし残念。
そんな期待は最後の最後に打ち砕かれた。
結果的に、エンビは勝ってしまったのだ。
正確に言えば『負けさせてもらえなかった』のだ。
原因は、ジャックの右腕として数々の戦果を上げてきたポケモン・サンドだ。
……サンドとしてはあまりにも異様な外見をしているが、それが彼の相棒のサンドであることは誰の目から見ても明らかであった。
サンドは戦闘中、突如としてトレーナーの指示を無視した暴走を始めたのである。
その恐ろしさは、目の当たりにしたエンビ自身が感じ取っていた。
このポケモンを駆り立てているのは『攻撃性』や『野性』なんて生易しいものではない。
『殺意』だ。
このサンドは目の前にいるあらゆる者を殺戮せんと暴れまわっていた。
自身を含めたあらゆる存在を嫌悪し、この在世から排除しようとしていたのだ。
そんなサンドを、ジャックは己の身を呈して抑え込む。
人の力で敵うことは無い、と知りながらも彼にはそうすることしか出来なかったのだ。
全身に致命的な傷を負いながらも、ジャックは必死にサンドを呼び戻そうと奮闘した。
……だが、それは叶わなかった。
パタリと動かなくなったサンドを抱え、ジャックは棄権を宣言するとそのまま場外へと駆け出していったしまったのだった。
その様子を見ていたエンビは、恐ろしく失望した。
結局、自分はこの男にすら負けさせてもらえなかったのだ……と。
今までに抱いてきた期待は何だったのだろう、と何かが折れる感触があった。
が、それでも彼の脳裏には、ジャックの姿が焼き付いて離れなかった。
未だに彼への敗北を切望していた。
ーーーーーーー故に彼は期待する。
同じ帽子をかぶった眼の前の少女・トレンチに期待する。
ジャック以上の才覚を秘めた彼女であれば、自身に敗北を与えるのかもしれない……と。
「……どうしたトレンチ。お前の実力はこんなものじゃない……だろう?」
「えぇ!こっからでも勝ってやるわよ!」
「まーーねねっ!」