よくある、スカウト失敗したトレーナーの話   作:ヒメノリ

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ジュニア期ーよくある、スカウトに失敗したトレーナーと
夢、叶わず


世の中、絶対はない。

明日絶対に晴れになることも、隣にいる家族が永遠に居ることも、何事においても絶対は存在しない。

 

そして、レースにおいても絶対は無く、昨日の十番人気は、今日の一着かもしれないのだ。

しかし、絶対はある。

 

絶対とは、シンボリルドルフである。

 

さて、国民的人気を誇るトウィンクルシリーズを語るには、その歴史が深く関わる。

 

レース自体の人気は古くから繋がる。何時からウマ娘レースが発達したのか、今も定かでは無い。しかし、レース発展の一助となった一家がある。

 

シンボリ一家。

古くから歴史あるシンボリ家は、数々の優秀なウマ娘を輩出して来た有名で優秀な一族だ。

 

その伝統は、今にも伝わり、現在のトウィンクルシリーズでも、シンボリと名のつくものは優駿とされている。

 

そして、歴史ある一家には、歴史深い横の繋がりもある。

 

その一家の一つが俺の一族だ。

向窓一家は歴史的にレースとシンボリ家と関わりの深い一家だ。

 

シンボリ家が優秀なウマ娘を輩出する一家であれば、向窓家は、優秀なトレーナーを代表する一家だ。

特に、シンボリ家とは、縁が深く。シンボリのウマ娘に、向窓という組み合わせは、よく見るものであった。

 

つまり、今年中央トレセン学園に配属される俺は、シンボリのウマ娘を担当する確率が高いという事だ。

 

それが、世間一般の考えであり、一族の考えであり、俺の考えでもある。

 

自画自賛と言われるかもしれないが、俺は優秀だ。学生時代からトレーナーライセンス取得のため、努力は惜しまず。人より、誰よりも優秀な成績を収めてきた。

 

そして、その努力の源はシンボリのウマ娘のトレーナーもとい、ただ一人のウマ娘の担当トレーナーとなる為であった。

 

幼い頃、俺は一人のウマ娘に、恋をした。俗物的な恋などではなく、それは信仰に近かった。

 

この想いは、遺伝によるものなのかもしれない。けれども、それでも構わないほど、その走りに、その姿に一目惚れしてしまった。

 

俺は彼女の為に生きようと思った。彼女と共に歩む人生こそが俺の人生なのだと確信した。だから、今までの努力は、全て彼女のためにある。

俺の夢は、彼女の夢でもあった。

 

そして、今日はその夢の一歩目を踏み出す日になるはずだったのだ。

 

「すまない、私は、君と共に歩むことは出来ない。」

 

だと言うのに、この現実はなんだ?

 

「どういうことだよ……ルドルフ。」

 

彼女は、背中を見せたまま語る。

 

今日は、快晴の下中央トレセン学園の入学式が開かれた。盛大に祝われ、無事終了した式の後、俺は真っ先に今年度の一年、新入生であるルドルフの元へと向かった。

 

シンボリルドルフ。その才能はトレセン学園に入学する前から注目されており、次世代の有望株として期待されているウマ娘の一人だ。

 

そして、俺が心から惚れ込んだ少女でもある。

彼女と出会えたことが、俺にとって幸運だったのか不幸だったか分からないが、今となってはどちらでもいいことだ。

 

彼女が幼い頃から、俺は向窓家の人間として育てられると共に、彼女の傍を生きてきた。

 

ルドルフ、昔も今も優秀なことに違いは無いが、昔は気性が荒かった。自身の才能にに絶対の信頼を置き、来るもの全てを掌握せんとばかりに威圧をしていた。

 

そして、そんな彼女の在り方とその走り方に俺は大きな感動を覚えた。

 

以来、俺はルドルフと共に過ごして来た。彼女は何度も否定をして来たし、少し痛い目を見た事もあったが、それでもこの病は治まらなかった。

 

そんな彼女が、いよいよデビューである。正直、当然の事だと考えていた。彼女のトレーナーとして傍に居るのは、俺であると。

しかしながら蓋を開けてみれば話は違っていた。

俺は彼女に拒絶され、その場に取り残されていた。

ーーーー

「どうしたんだって聞いてんだよ!」

 

「君は、…いや、私が君と共にいることを、認めることができないんだ。これは、私の問題だ。君の関与することでは無い。」

 

何を言っているんだ……? 確かに、ルドルフの言う通り、俺のルドルフに対する理解は足りないかもしれない。だけど、それはこれから埋めていくものだと思っていた。しかし、ルドルフはそうでは無かったらしい。

 

俺の事を信頼してくれていなかったのだろうか……。

ルドルフは、相変わらず背を向けたまま、それ以上語ろうとはしなかった。

 

「俺の事が…いや、違うか…。」

 

あぁ、頭がクラクラとしてきた。こんな経験今まであっただろうか。いや、1度だけあったな。

確か、ルドルフに初めてあった時も、同じ衝撃を受けたのだった。

 

けれども、その当の本人は、顔すら合わせず、未だ背を向けたまま、拒絶の意を示していた。なんでこうなったんだろうな。

 

俺には、分からなかった。

 

「…もういいだろうか。これから、私はデビューだ。時間が惜しいのだよ。トレーナーく…いや、向窓トレーナー。」

 

本当に昔の事だ。彼女に将来の夢を聞かれ、ルドルフのトレーナーになる事と答えたことがあった。

その時から、彼女は俺の事をトレーナー君と呼んでくれていた。

 

しかし、これから訪れることは無いのだろう。

俺は力なく、その場を立ち去ることとした。幸いな事に付近でこの現場を目撃した人物は居なかったようだ。

 

涙を流す性格ではないため、ただやつれた表情のまま、その場を立ち去った。

 

ーーーー

俺は今、理事長室の前に立っている。

よれたスーツを着て。そして、この扉の向こうに居る人物こそ中央トレセン学園の理事長である秋川だ。

 

中央トレセン学園の理事の中でも最年少であり、同時に中央トレセン学園において絶大な権力を有している。

 

そんな人物になぜ俺が会う必要があるか。

答えは、俺の手元に握られる辞職届にあった。

 

あれから数日、死人のように過ごした。

学園から赴任に伴い与えられたトレーナー寮の自室で、こもりきりであった。

 

ルドルフの担当でないトレーナー生活。

どうにも何も得られる気がせず、無為に日々を過ごしていた。そして、ふと気づいた。俺は、何のためにトレーナーになったのだと。

 

シンボリルドルフというウマ娘に出会い、共に歩みたいと思ったからだ。

ならば、このトレーナーという役職に意味はあるのか?

ルドルフの居ないトレセン学園に意味があるのか?

彼女を支えられない俺に意味があるのか?

答えは否。否、否、否! 俺は、彼女の隣に立つために努力をし、そして努力し続けて来たのだ。

そんなトレーナーと言う役職に意味などない。

 

俺は、赴任してから数週間、この職を辞すことを決めた。

そして、辞める前に最後にすべきことをするべく、この場に立っていた。

 

「失礼します。」 

 

生気のない声で、入室を合図する。

 

「うむ、入りたまえ。」

 

「はい。」

 

「して、何か用だ!向窓トレーナー!」

 

俺は入室すると、目の前には小学生位の背丈の秋川理事長が居た。

 

なにやら事情があるようだが、俺には関係ない。

俺は手に握った辞職届を理事長室の机に静かに置いた。

 

「!」

 

「これは……驚愕ッ!どういうつもだッ!向窓トレーナー!」

 

俺は言葉を発することなく、その視線で返答をした。

 

「…私は、トレセン学園理事長として、君の話を聞く義務がある。」

 

真剣な目で、秋川理事長が答える。

 

「……」

 

「だが、私個人としては、君の意思を尊重しようと思っている。」

 

「……」

 

「君が望むなら、私は君がここを離れる事を許可しよう、しかし…」

 

「……必要ありません。」

 

「そうか……。残念だ…」

 

「では、これで。」

 

名門たる向窓家で、GIウマ娘を輩出できないどころか、担当も持たずに引退とはな。家族からどう言われることか。しかし、そんなことはどうでも良かった。

心は擦り切れ、もうこの場所に光を見いだせなかった。

もうそれきりで、部屋を後にしようとした時だった。

 

「待ってくれッ!」

 

秋川理事長の静止の声が、俺の足を引き止めた。

 

「…なんでしょうか。」

 

「いや、実はな……。」

 

「君は、私の頼みを聞いてくれるかな?」

 

秋川理事長は、静かに言った。

 

「……言っておきますが、私はこのトレセン学園を離れる身です。この辞表を受理して頂けるのならば、私があなたの辞令を受ける義理はありません。」

 

振り向き、扉を背にしたまま、理事長に答える。秋川理事長の目は、どこか悲しそうで、その特徴的な扇子を閉じた状態で口元を抑えながら言った。

 

「そうだッ!これは命令ではなく、私個人、

秋川やよいからのお願いだっ!」

 

「……?」

 

そこで、話を終えることも出来た。どうせもう、未来を見れないのなら、ここで終わった方が良かったのかもしれない。

 

「…わかりました。承ります。」

 

だから、この決断は、俺のエゴであり、ひょっとしたら気まぐれだったのかもしれない。

しかし、結果としてこの判断がトレーナーとして、最後に俺を引き止めたのだ。

 

「そうか…!良かったッ!」

 

悲しそうな目はそのまま、内容を話し終えた秋川理事長は俺の判断に喜びを示していた。

きっと、この人は幼いながらに崇高な志を持っ

ているのだろう。

 

俺には、到底無いものだ。しかし、何故だろう。その崇高な在り方に、惹かれてしまうのは。

俺は、理事長室を後にした。

ーーーー

今まで碌に訪れなかったトレーナー室で必要な器具を纏める。

コーンや、ストップウォッチ等の、グラウンドで使う基礎的なものだ。

中央トレーナーというのは、狭き門だ。

新人であれど、小さいが専用のトレーナー室を与えられる。

 

といっても、俺は数週間使用も、掃除もしてないため、ホコリが目立つが、生活感のない汚れ方のする部屋となっていた。

 

さて、そんな部屋でトレーニング器具を探しているのには、秋川理事長からの依頼が関係している。

 

理事長曰く、「中央トレセン学園の設備を、好きに使って構わない。」とのことだ。

 

なんでも、トレーナーの数が足りないため、各ウマ娘に専属のトレーナーを付ける事が出来ないらしい。

 

俺は傷心に碌に学園にも顔を出してないから分からないが、今、もう有力とされるウマ娘は、既に誰か担当をつけているか、何処かのチームに入っている。

 

しかし、そうでない、模擬レースで結果を出せず、トレセン学園所属の教官の指導を受けてる生徒もいる。

 

しかし、どうやら今年は例年よりもこの"余り物''の娘が多いらしく、教官の人数も足りてないらしい。

 

今、中央トレセン学園ではチームの一強化が目立つらしく、一つのチームの倍率が高くなり、溢れてる者が多くなってるのも理由の一つだと考えている。

 

そして、その人手不足を補うため、教官の補佐及び代理として指導を頼まれた。

そして、そのための練習器具を揃え、今グラウンドに向かってる訳だ。

 

「はぁ…」

 

何をしているのだろうか。今更この職に無念を感じているのか。だとしたら、女々しいことこの上ないな。

 

指定されたグラウンドに着くと、何人かのウマ娘がそこにいた。

周りにも教官がいるが、俺の所は7人程度であった。

 

挨拶もそこそこに、トレーナーである事を告げると面倒くさくなりそうであったから、特に事情は言わず、全体用のトレーニングを行った。

 

自称であるが、俺は優秀なトレーナー候補だ。周りよりは、的確なアドバイスをできたと思う。

軽く練習を見て、気になった箇所を各自に伝え、そこから考えた効率的な練習方法を教える。

 

基本練習を多めに、全体的にムラが無くなるよう、指導した。

数週間ぶりにトレーナーという職に触れた気がするが、上手くできただろうか。

 

夕暮れも深くなり、そろそろ終わりの時間に彼女達の練習を見てみると、今日指導した部分に関しては意識して走ってたため、よく出来たと考えておこう。

 

そして。もう終わるかと思った時、ふと視線の少し先に、素早く靡く鹿毛が写った。

遠くであれ、良くヒトの目で判断ついたと思う。やはり、俺はまだ引きずったままらしい。

シンボリルドルフが、走っている姿を見てしまった。

 

「っ!」

 

胸がズキリと痛む。

ルドルフは、集団で指導を受けてるようで、周りの雰囲気を伺うに、何処かのチームに加入したのだろう。

 

…やはり、俺には無理だろう。

こうやって、一目見るだけで、こんなにもどうにかなってしまいそうなのだ。

 

秋川理事長には、悪いが、この話はこれきりにしよう。

俺には、この状態でトレーナーを続ける資格も、意欲もない。

 

練習もそこそこに、俺は今日の担当ウマ娘に軽く挨拶をすると、逃げるようにその場を去った。

 

ーーー

「…しまった。」

 

夕時を少しすぎて、仄かに暗くなったトレーナー室で、俺は呟いた。

 

あれから、今日の分の書類を纏めて、秋川理事長に辞職の旨を再び伝えようと決意した。

しかし、そのために荷物を纏めていると、物が足りないことに気づいた。

 

トレーニング器具を幾つかと、肝心の辞職届だ。

思い返してると、ルドルフを見かけ、傷心に浸るあまり、荷物を整理したまま、グラウンドに置いてきたかもしれない。

 

ちらりと、部屋に置いてある時計を見る。

今から向かえば、グラウンドの使用時間を過ぎてしまうだろう。

 

まぁ、使用時間厳守なのは、主にウマ娘だ。

 

少し位俺が彷徨いてたって、問題は無いだろう。

そう思い、荷物も軽装に、トレーナー室を後にして、グラウンドに向かうことにした。

 

何人かのトレーナーとすれ違う。

 

やはり、グラウンドの使用時間を過ぎたのだろう。きっと、これから彼等は今後の自分の担当のウマ娘のトレーニングメニューでも試行錯誤するのだろう。

 

中には、俺の噂を知ってるのか、横目にチラチラ見てくる者たちも居た。

 

居心地悪い中、薄暗くなったグラウンドを訪れる。

周りを見渡すと、今日練習を行った隅の方のドラム缶が置いてある場所に、荷物が纏めて置いてあることに気づいた。

 

恐らく、俺のものか。近づいて荷物を確認しようと屈もうとした時だった。ドラム缶の裏から音が聞こえた。

 

どうやら、まだ誰かいるようだが……。

ゆっくりと近づきながら観察してみる。……これは。

ウマ娘は、膝を抱え込むようにして座っていた。

そして、微かだが肩で息をしている。

 

そのウマ娘は、見覚えがあった。今日担当したウマ娘、余り物の一人であった。

 

「うっ…クソっ、クソっ…!」

 

泣きながらも、何かに怒りを感じているようだ。ウマ娘というの生き物は、感情の起伏が激しいものが多い。

 

更に、レースで強いウマ娘というのは、闘争心が高く、感情的になりやすい。

ウマ娘は、耳もいいのだが、どうやらこちらに気づいてないらしい。

 

「…」

 

少しの付き合いだが、このまま見て見ぬふりをするのは少し俺の良心が咎める。

 

頭を掻き、そのウマ娘に声を掛ける事を決意する。そして、意を決して話しかけた。

 

「どうしたんだ?」

 

俺が声をかけると、ビクッと耳と尻尾が動くのが確認できた。

 

そのウマ娘は、長めの深い色の茶髪をした、吊り目の気が強そうなウマ娘であった。

 

練習を見る感じ、基礎能力は悪くないが、少し不器用な所を感じる走りをするウマ娘であった。

 

「…アナタは…」

 

そのウマ娘は、俺の顔を見ると、目を大きく開き、信じられないようなものを見たような顔をしていた。

 

まるで、幽霊でも見たかのような顔だ。

 

「今日、君の指導を担当した者だよ。それより、君はこんな時間まで何をしてるんだ?」

 

言うと、名も知らないウマ娘は少しムスッとして反応した。吊り目なのもあり、少し威圧的な雰囲気がある。

 

「…別に、ちょっと、用事があって。」

 

目に見えてわかりやすい嘘を言うものだ。しかし、それを指摘しても話が進まないし、何より俺がここに来た目的を忘れるところだった。

 

「そうか、じゃあ、俺は荷物を取りに来ただけだから、これで帰るよ。」

 

「えっ!?ちょ、待って!

その場を離れようとすると、彼女は慌てて立ち上がり俺を制止した。

 

別に、このウマ娘が望んでないのなら、俺がこれ以上関わる義理はない。

 

なにより、俺は明日からこの娘達と関わることは無くなるのだ。

それでも、振り返ると、先程まで俯いて座っていたウマ娘は立ち上がり、驚いた顔でこちらを見つめていた。

 

「いや、流石にこの状態で放っておかないでしょ…」

 

ウマ娘は、驚いたように言った。

 

「そりゃ、確かにそうかもしれないが、君が語る気がないなら、俺もこれ以上深入りする気は無いさ。」

 

すると、ウマ娘はムッとした表情で反論してきた。

 

「それは……、そうだけれど…。」

 

それきり、黙り出したウマ娘に、俺もどうすることも出来ず、誰もいないグラウンドの隅で、無為に時間だけが過ぎていく。

 

もう、帰ろうか。そう思い、再び帰る旨を伝えようと口を開いた時だった。

 

「ねぇ、アンタ、トレーナーでしょ。」

 

その言葉に、俺は少し驚いた。

 

彼女達との練習で、俺がトレーナーである事を告げたことは無かったはずだ。

 

何故、この少女は気づいたのだろう。

 

「…あぁ、その通りだが。」

 

俺の言葉を受け取り、このウマ娘は、やっぱり、と言いながら言葉を続けた。

 

「他の教官に比べて、意見が専門的だし、練習器具も少し良い奴だったから、そう思ったんだけど。」

 

思ったよりも、視野の広い娘である。普通、そこまで気にするものだろうか。まぁ、そんなことを知ったからどうと言う話でもないが。

 

「まぁ、正解だ。それで、どうしたんだ?」

 

俺が逆に問い返すと、ウマ娘はまた少しの間の沈黙を置いて、考えた後、俺に聞いた。

 

「…ねぇ、さっきの練習の時、最後の方、シンボリルドルフの方、見てたでしょ。」

 

その言葉に、再び胸がドキリとする。嫌な汗が少し手に滲む。

本当に、よく見てる少女である。

 

「……あぁ、見ていたが。それがどうした。」

 

「あの人には勝てると思った?」

 

……何を言っているんだコイツは。

 

正直、全く思わなかった。シンボリルドルフを、俺はよく見てきた。だからこそ、彼女が現在の段階で圧倒的な仕上がりの差が、あることを知っていた。

 

目の前のウマ娘は、中央トレセン学園の生徒だ。悪くは無いし、一般的に速い方だろう。

しかし、それでも差はあるのだ。

 

「いいや、全然。」

 

俺は思わずそう答えてしまった。少し、いや、だいぶ無神経だったろうか。

 

そう思い、反応を伺うと、ウマ娘は思ったよりも静かな反応を示した。

 

「そっか……」と言って、そのウマ娘は少し寂しそうな顔をした。

 

そして、その後、俺の目を見て、意を決したかのように言った。

 

「ねぇ、アンタ、辞めるの?」

 

俺は、その言葉に自分の忘れた荷物を見る。どうやら、辞職届を見られたようだ。

 

「……そうだな。明日にでも。」

 

俺がそう言うと、そのウマ娘は、少し驚いた顔をした後、尋ねた。

 

「なんで?」

 

…語る必要はあるのだろうか。俺はその問いに渋るが、どうせ明日にはいなくなるのだ。

 

ここまで見抜いたご褒美として、教えるのもやぶさかではないだろう。

 

それから俺は、シンボリルドルフにスカウト失敗した事と、俺の生い立ちについて軽く話した。

 

すると、ウマ娘は思いの外興味ありげに話を聞き、話終えると、考え込むようだった。

 

この話を聞いて、引いただろうか。

 

それも、当然だ。たった一度、スカウトに失敗した程度で辞職に踏み切るトレーナーなんて、前代未聞だろう。

 

それから、喉をゴクリと鳴らし、1歩を近づくと、話した。

 

「私、自分が強いと思ってた。」

 

ポツリと一言、話し始めた。

 

何の話だろうか。

 

「生まれも、そこそこ走りに強いとこだったし、地元でも、負けた事は、あんまり無かった。」

 

どうやら、この少女の身の上話のようだ。

話の内容は、典型的な、地方から進学したウマ娘にありがちな話だ。

 

中央トレセン学園に上がってからも、今までと同じように勝てると思ってたウマ娘が、勝てなくなる。

 

これを理由に、学園を去るものも多い。スカウト失敗でトレーナーを辞めようとしてる俺が言えることでないが、今まで勝ち続けてきたからこそ、ここでの挫折で心をおってしまうウマ娘が多いのだ。

 

この娘も、その類いだろうか。

 

「だけどさ、ここに来てわかったの。……私より速い娘はいっぱいいるって」

 

しかし、次に続いた言葉は、予想とは違ったものだった。

 

「それに、私の知ってる中で、一番速かった娘だって、もういないんだよ。」

 

なんと言おうか、考えていた俺だったが、その考えとは裏腹の答えが飛んできた。

 

「居ないって、どういうことなんだ?」

 

思わず、聞き返してしまった。

 

「…その娘は、結構な名家の子だったの。脚も、私より早く回して、勝負勘も優れてた。」

 

話している声に、少しづつ熱がこもるのを感じられた。

 

「スタミナがあって、中長距離が得意だった。だから、私の適正距離とも少し被っていたの。だから、ライバルだった。」

 

地元で勝ち続けていたという話を聞いたが、全勝とは言っていなかった。恐らく、彼女から勝利を奪ったのも、そのウマ娘なのだろう。

 

「そんなあの娘はね、野望っていうか、目標があったの。さっきも言ったけどその娘は、私よりも豪華な、名のある家の子だったの。」

 

俺も、名家と言えば名家なのだろう。もっとも、名ばかりの古い家だ。

 

俺からしたらシンボリ家以外とは碌に関わろうともしなかったため、その家の名を聞いても分からないだろう。

 

「その目標ってのは?」

 

気づけば、赤みのあった空は、すっかり暗闇に姿を変えて、星が目立ち始めていた。

 

「…ご存知、シンボリルドルフよ。」

 

…やたらと、この少女がシンボリルドルフを気にする理由が、分かった気がした。

 

「シンボリルドルフは、トレセン学園に入学してから、ずっと負けなしだった。レースでも、模擬戦でも、学園生活の中でも。」

 

確かに、彼女は敗北とは遠い関係にあるだろう。それは、中央での生活の中でも同じのようだ。

 

「同世代なのよ。更に、あの娘にとっては、シンボリ家に負けたくないっていう、御家の事情もあったのよ。」

 

そこで俺は、ふと疑問を覚えた。

 

「…でも、それは君のライバルのウマ娘の話だろう。君がここで怒りを覚える理由には繋がらないと思うが。」

 

そうだ、シンボリルドルフは絶対だ。まだ、公式的にレースに出てないが、俺は断言出来る。

 

今世代の、注目の的はシンボリルドルフになるに違いない。そして、そんなシンボリルドルフをライバルに据えるのは、当然だろう。

 

「…折れちゃったのよ。」

 

先より、暗い、何処か消えそうな声量で小さく呟いた。

 

折れた?何がだ。ルドルフに迫る練習の中で脚でも折ってしまったのだろうか。

 

「違うわよ。」

 

そんな、俺の反応が表情にでも出てたのか、先読みされて答えられた。

 

「心が、折れちゃったのよ。」

 

そういう声には、小さかったが、今までの話の中で1番感情の籠った声であった。

 

「なるほど、俺と同じというわけか。」

 

思わず、自嘲気味に答える。トレーナーとしては、シンボリルドルフが早いことは、当たり前のことで、そこまでショックを受けることでない。

 

しかし、同じターフを走る者としては、その大きすぎる差に、絶望してしまっても仕方ない。

 

「だが、そこまでショックを受けることか?所詮この時期に行うレースなんて模擬レース程度だろ?まだ、心が折れる要素がないと思うが。」

 

俺が言えた台詞では無い。重々承知しながらも、一般的思考に基づき尋ねる。

 

「…私も、同じ事を言ったわよ。でも、大差、だったの。」

 

…模擬レースで大差?あのシンボリルドルフが?

はその言葉に疑問を覚えた。

 

いくらシンボリルドルフとは言え、大差をつけることは厳しい。それを実現するには、それこそ、逃せぬレースを走るよう、なりふり構わぬ全力が必要なはずだ。

 

だが、シンボリルドルフは賢明だ。模擬レースで、いや、レースにおいて大差に意味は無い。

 

計算し尽くした走りでレースを支配し、ほんの少し自分が前を行くレースを創るのだ。

 

覚えのない走りをするシンボリルドルフに疑問を覚える俺であったが、目の前のウマ娘は、それに気づかず、続ける。

 

「……私は、そのレース見てなかったから、分からないけど、そのレース、チームに入るかどうかを決める、大事な模擬レースだったらしいの。」

 

成程、先程見たルドルフは何処かのチーム練習を行ってるようだったが、その心折れたウマ娘も、同様のチームを希望してたのだろうか。

 

「それから、その娘に覇気がなくてね。今、担当が着いてるらしいんだけど。提案されたのも、シンボリルドルフが来なそうな路線のレース。」

 

確かに、良く考えれば分かるものだ。模擬レースとは言え、大差をつけたのだ。トレーナー達からすれば注目の的だ。

 

そして、そんなシンボリルドルフが自分とは違うチームに入れば、どうなるか。

 

トレーナーや、ウマ娘によるかもしれないが、今の段階からシンボリルドルフを避けて勝てるレースを目指す者がいてもおかしくない。

 

「それがトドメになったみたくてね。それから、目に見えてシンボリルドルフを避けるように過ごすようになったの。」

 

…確かに、気の毒な話かもしれない。いや、その娘に不幸は無いのだろう。

 

しかし、その娘はシンボリルドルフを意識せざるを得ない状況なのだ。それは、その娘にとって、あまりにも残酷な話である。

 

「そうか……」

 

思わず、言葉に詰まる。こんな時、どんな言葉を掛けるべきか、分からなくなる。

 

「まぁ、なんだ。でも、そのトレーナーだって、そのウマ娘にしたって、悪い事でない。むしろ、その娘にとっては…」

 

上辺だけの、薄っぺらい言葉を続けようとする俺を遮るように、目の前のウマ娘は叫んだ。

 

「分かってる!!」

 

思わず、体が跳ね上がる。今まで、あまり大きな声を出してなかったから、余計に驚いた。

 

「分かってるよ…でも!」

 

そこから再び、この少女を見かけた時の表情に戻った。

 

どうやら、ここで残ってる理由はそこにあるらしい。

 

少女が、黙ってしまったことで、夜らしい沈黙が周りを包む。

 

それから、少し経ち、今度は大きく息を吸って、吐いてから言った。

 

「…でも、そんな事で、諦めて欲しくなかった…!だから、だから…!」

 

再び沈黙が起きる。しかし、今度は何とも言えない迫力があった。

 

「…だから、なんだ?」

 

厚い空気を崩すように、俺から声を掛ける。

俺の言葉に、ハッとしたようにする少女。そして、今度は、覚悟を決めたように言葉を告げた。

 

「…だから、私、勝ちたい。」

 

シンボリルドルフに。出来るのだろうか。

 

「勝って、勝って証明したい!」

 

それは、凡的な夢。決して特別じゃない、ありふれた望みの一つだ。

 

「ねぇ、アンタ、シンボリルドルフと、昔から関わりがあったって言ってたよね。」

 

その話は、先程辞職の件について話す時に告げたものだ。

 

「そうだが、なんだ?」 

 

この先の展開が、読めないほど俺は愚かじゃない。

だから、断るべきだろう。

 

「だったらさ、私のトレーナーになってよ。」

 

やはり、こうなるのか。予想通りだ。

だから後は、断る。この返事をするだけだ。

 

「…」

 

だけなのに。

 

「この世代の主役が、シンボリルドルフだって、終わらせたくないの。そのために、私を、シンボリルドルフに勝たせて。」

 

シンボリルドルフに勝つ?

絶対を、破る?

シンボリルドルフを信仰してるとまで言える俺が?

 

「…ちゃんと、聞いてたか?俺は、絶対的シンボリルドルフ信者だし、家としても、シンボリ家万歳な家柄だ。それでも…」

 

ややこしい言い草だ。シンプルに一言、無理だと言えば、それで済むのに。

 

だと言うのに、それをしないのはきっと…。

 

「…でも、アンタもまだ心残りなんでしょ。表情見れば、それくらいわかるよ。」

 

表情には、出ない方だと思ってた。無表情だと、冷たいとよく言われた。

 

そう思えば、先程も、心を読まれたような気がする。

 

「…」

 

俺が無言でいると、先に少女が話す。

 

「ねぇ、勝たせてよ。別に、シンボリルドルフを裏切れって言ってるんじゃない。」

 

ああ、なんでこうも人生上手くいかないのだろう。

 

「…わかった。」

 

どうして、自分はここまで上手く思い通りに動いてくれないのだろう。

 

「!!ホントっ?」

 

了承してもらえると思ってなかったのか、さっきまでの陰鬱とした雰囲気の声とは違う、彼女の声が聞こえる。

 

ああ、返事をしてしまったじゃないか。

バカである。

 

「だけど、これは君と俺の利害関係の取引だ。」

 

少女の勢いに呑まれないよう、しっかりと返事をする。

 

「俺は、君の話を聞いて、疑問が生まれた。何故、ルドルフは俺を拒んだのか。レースの様子を聞くに、少し違和感が残る。」

 

そうだ。俺の心にあるこの奇妙な違和感。きっとこれが、俺の心残りとやらだ。

 

その解決のため、一時的な利用関係だ。

 

「ルドルフは、三冠を目指すだろう。だから、菊花までの間。そこまで力を貸そう。それまでに、俺はこの違和感を消す。」

 

そう、その後目の前のウマ娘がどうなろうが、知ったことじゃない。

 

「…わかった。私は、シンボリルドルフに勝つために。アンタは、シンボリルドルフの変化を知るために。」

 

そこまで言うと、少し言葉を止めて、彼女はこちらを振り向き、手を伸ばした。

 

「よろしく、トレーナー。」

 

もうすっかり夜が空気を覆う中、俺は、人生で初めての、担当を持つことになった。

彼女の右手を、右手で掴んだ。

 

「ああ、よろしく。」

 

そう答えると、少女は微笑みながら、続けた。

………………

翌日、俺は昨日より少し綺麗なスーツを着て、トレーナーらしい格好で再び理事長室を訪れた。

昨日、

ウマ娘の子と話し合った結果、今日からトレーニングを始めることにしたのだ。

今日は、その報告も兼ねてここに来た。

 

コンコン 扉をノックすると、「どうぞ」という聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「失礼します。」

 

昨日より、幾分か丁寧に入る。今日からトレーナーとして働くため、相応のスーツを着たからか、声も少し引き締まっていた。

 

扉を開けると、昨日と同じよう、机の向こうで、足がつかない状態で自分より高い机に向かい、座っている秋川理事長がいた。

 

「!向窓トレーナーッ!どうかしたか?」

 

俺の姿を見て、少し緊張した風の秋川理事長。

 

「昨日の件、臨時の教官を務める件について、ご報告がありまして。」

 

そう前置きをして、俺は昨日と同じように、理事長と机越しに対面する。

 

「単刀直入に、このお願い、断ろうかと思いまして。」

 

そう言って、俺は懐から封筒を取り出す。俺の言葉を受けた秋川理事長は、顔をグッと悔しそうに歪ませ、言葉を漏らした。

 

「そうか…残念だが、君がそう言うなら…」

 

そう言って、秋川理事長は俺の差し出した封筒を受け取ると、鬱屈そうな表情を一転させて、驚いた表情をした。

 

「っ!!む、向窓トレーナーっ!コレは…!」

 

そして、受け取った封筒を開封し、中身を確認した。

 

「ええ、見ての通りです。もう、教官代理を続けることは出来ません。」

 

先程とさして変わらない言葉。しかし、今度は秋川理事長の表情は、明るいものだった。

 

「今日から、担当を持つことにしました。今日は、その報告です。」

 

封を開けた封筒の中身は、昨日であったウマ娘との担当契約に関する書類が書かれたものだった。

 

「成程ッ!承知したッ!向窓トレーナー少し遅いが、これからも君たちの行く末!見守らせてもらうッ!」

 

いつもよりテンションの高い声で話す秋川理事長。その表情は、嬉々として見えた。

 

「では、これで。」

 

要件は済んだ。そう思い、退出しようとすると、

 

「待ってくれないか?少し、話がある。」

 

呼び止められてしまった。

 

「なんでしょうか?」

 

そう言って振り向いた先にいたのは、普段からは想像できないような、真剣な面持ちの秋川理事長だった。

 

「実は、君に伝えておきたいことがある。」

 

そう言った秋川理事長の顔には、何か決意のようなものを感じた。

 

「今更言うのも、その、あまり良くないかもしれないが。シンボリルドルフ。彼女に、何かあったのか?」

 

申し訳なさそうに、いつもより覇気がなく話す秋川理事長。

 

ルドルフ?どういう事だろうか。昨日、走りを見た感じ、いつも通り、常々完璧な走りであったはずだ。

 

「…すみません、自分は、今のルドルフについて、語れることはないと思います。」

 

そう告げると、そうか、と寂しい返事が残る。

そうして、何か言いたげに口を開いた秋川理事長であったが、そこからなにか思い出したかのように、口を閉じる。

 

「…いやっ!なんでもない。君に伝えるべきことではなかったな…」

 

そういうと、秋川理事長は。

 

「今後!何か困ったことがあったら、遠慮なく相談して欲しいっ!君たち、ウマ娘とトレーナーの行先の幸運を、祈らせてもらうッ!」

 

と、いつものテンションで言われた。その言葉を最後に、俺は理事長室を退室した。

 

その後、部屋から出た時、丁度顔を合わせた駿川たづなに、今日からトレーナーとして、正式に働き始めることを伝えると、良かった、と心配をしていた旨と、これからの軽い業務内容についての説明を受けた。

 

どうやら、学園の中で俺は相当な問題児であったようだ。

 

まぁ、赴任して少しで辞めるトレーナー等、前代未聞だろう。

 

それは、学園も手を焼く存在だ。

説明を終えた後、最後に、「本当によかったです。」と言われた。

 

この学園は、思ったよりもお人好しが多いようだ。

 

そんなことを考えながら、俺は自分のトレーナー室に向かった。

 

トレーナー室の扉を開けると、中には誰もいなかった。

 

中に入って、まず目に入ったのは、部屋の端にある小さなキッチン。その反対側には、トレーニング用の器具が置かれたスペースがあり、中央にはソファとテーブルが置かれていた。

 

昨日、初めて立ち入った部屋だが、今日からはここが拠点となるのだろう。

 

部屋を見渡した後、スーツを脱いでハンガーにかけ、トレーナー用の制服へと着替えた後、一息つくために、俺はソファーへ腰掛けた。

 

すると、ふと、俺の視界の端に違和感があった。

 

「なんだこれ?」

 

俺はソレを手に取る。それは、綺麗に畳まれた一枚の紙切れだった。その紙には、

 

『今日、五、六限目にトレーニングがあります。第三グラウンドに来て下さい。』

 

という文字が書かれていた。筆跡は、昨日契約書に書いた彼女の名前と同じものであった。

 

これから、トレーニングの日程も合わせていかなくては。

 

忙しい日々が始まるのだと、予感を感じた。

そして、紙には裏面にも文字が書かれてることに気づいた。

 

ペラリと裏を見ると、そこにも同じ筆跡で文字が綴られていた。

 

『PS・部屋、汚いです。私が次来るまでに綺麗にしといてください。』

 

その文章に、部屋を改めて見ると、窓からさす光で肉眼でも見える程、埃が舞っているのが確認できた。

 

「…午後まで、掃除するか。」

俺はそう呟いてから、まず、掃除器具が何処にあるのか、探す所から始めた。

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