よくある、スカウト失敗したトレーナーの話 作:ヒメノリ
良い子はマネしないようにしよう。
*何時も誤字報告ありがとうございます。
衝撃による始まり
「あー、疲れたぁ…。」
バサリと彼女の体がソファへと倒れ込む音がする。
その声を聞き、彼女の為予め用意していたスポーツドリンクをソファ前の机に置く。
「約1週間、お疲れ様だったな。」
1週間、このトレセン学園の冬休みの期間を利用した強化練習週間のことである。
ここ1週間、いよいよトレセン学園の冬休みも終盤という事で、常時より過酷で制限の多い練習を彼女に課していた。
「ありがと。」
疲れた様子の彼女が、置いたスポーツドリンクを手に取り口元へと運ぶ。
「んぐっ、んっ…ふぃー。」
一息にドリンクに口をつけた後で、彼女は手に持っている半分ほどの容量になったペットボトルを再び机の上へと置き、一息をついた。
「あー、私、頑張ったわ。えらい。」
ぽけーっとした様子でソファに体を預け天井へと感慨深そうに目を向ける彼女はそう言った。
今日はその練習日最後という事で、今までの練習を活かしたい総合特訓として少々ハードな内容だった。
いや、彼女にとってはそれよりかこの一週間は睡眠から起床、食事の内容までも俺の計画した予定通りに過ごすという正に徹底した管理体制のもと行われる練習だったのだ。
心身ともに草臥れた事だろう。
正直、客観的に見ても相当辛い練習であったと思うのだが、彼女は最後までやり切ってくれた。
「まあ、今日から晴れて自由の身だ。また明日も練習自体はあるが、放課からはまたいつも通りの練習へと戻る。」
そう言いながら俺も黄色のファイルから目を外して首を回す。
コキンと首の骨が悲鳴をあげるのを耳にしながら、彼女に向き合う。
どうやら本当に疲れている様で、いつもの凛とした覇気が見当たらなかった。
まだ日は落ちきっておらず、トレーナー室の壁にかけられた時計の針は5時前を指していた。
俺は目前にあるパソコンや資料の乗った長机の上、置いたままにしてた自分の財布を手繰り寄せる。
中身を見て、万札でも出そうかと思ったが、思いの外自分の懐が寂しい事を思い出した。
そのため、精一杯の強がりとして半分の5000円札を取り出して、立ち上がり彼女の元に近づく。
「?」
近づいてきた俺と手元を見て、彼女は不思議そうな顔を浮かべる。
「なにこれ。」
「ここ1週間の…報酬?ま、とにかく最近は俺の作った物ばかり食べさせられてただろう。これで今日は好きに食べるといい。」
と言うと、彼女はまた不思議そうな表情を浮かべた。
「いや、トレーナのご飯が不服な訳じゃ、むしろいつものより…。」
何か言いたいことがあったのだろうか、しかし言葉が後半に進むに連れ小さくなり、正確に聞き取れなかった。
「ま、いいか。折角貰えるなら自分へのご褒美に使おうかしらね。」
そう言うと彼女はダラリと全身から力を抜いてた身体をソファの上から起こし、その場に立ち上がる。
どうやら、受け取って貰えるようだ。
…自分の担当に練習以外で金銭を渡す事は何かに違反しているだろうか?
彼女の手元に5000円札を譲渡してから気づいたが、もう遅かった。
まあ、この程度大丈夫だろう。
ん〜、と小さく呻き声を出しながら両手を天井に向け伸ばした彼女は、こちらを振り返り笑顔を見せた。
「じゃ、取り敢えず1週間お疲れ様。また明日からもよろし…。」
そこまで声にした所で、不意に彼女の顔から笑顔が消え、一瞬の真顔を挟んだ後、今度は強い驚きに表情を染める。
「あぁ!?」
それから何かに気づいたのか、辺りをキョロキョロと忙しく見渡した後、部屋の隅に纏めておいた彼女の鞄に一目散に向かい、何かを探し出した。
「ど、どうかしたか?」
突然の行動に驚き声を掛けると、彼女は手元と目線を鞄に落としたまま答えた。
「完っ全に忘れてたわ!明日からクラス変わるんだった!ここ1週間練習に頭いっぱいで忘れて…ああっ、やっぱり無い!」
先程の疲れきった声とは対称的な焦りの含まれた少し大きな声であった。
明日、丁度冬季休暇の終了で、登校日のはずだが…彼女の話から想像するに、明日にあるクラス替えとやらを忘れていたようだ。
年明けにクラス替え。
自身の学生時代を振り返ってみても経験がなく、イマイチピンと来なかったが、そう言えばつい先日たづな女史に注意されるついでに言われた話を思い出す。
『まったく…向窓さんは何でこういつも注意されるのですか、話してる様子、真面目ではありそうなのに…。』
確か、あの時は謎の赤いスーパーカーがトレセン学園の前を通ったのを目撃し、そこから思いついたトレーニングを試そうとそのスーパーカーの持ち主との協力の末スーパーカーのとの併走や同乗することでのスピード感覚の変化を取り入れようと持ち主のウマ娘と意気投合した時だった。
そのウマ娘と実際に試しに併走を試みようと計画してる所を偶然たづな女史に目撃されたのだった。
計画は半ば頓挫、よく分からない今流行りの言葉を喋るウマ娘と共にお叱りを受けた帰り、トレセン学園へとたづな女史と帰路についてる時だった。
『いや、トレーニングに活かせそうと思ってだな…。』
その道中最近また増加してる俺の問題行動について弁解をしてると、呆れたようにたづな女史が目を細めて言った。
『どういう発想でスーパーカーを練習に活用できると思ったんですか…。』
ジトっとした目で見られると何処か罪悪感が湧いてくる。
気まずくなった俺が目を逸らすと、たづな女史が思い出した様に両手を身体の前で合わせると言った。
『あ!そうでした。向窓さんはもう担当の娘から聞いてるかも知れませんが、トレセン学園では年明けから生徒のクラス替えがあるんですよ。』
この話、後で他の新人トレーナーさんにも伝えなきゃ、と話すたづな女史は後日新任のトレーナー宛にお知らせの書類を送った。
1度目を通した筈だが…あぁ、思い出した。
トゥインクルシーリーズに挑戦するウマ娘たちは年の瀬と共に舞台をジュニアからクラシック、クラシックからシニアへと移していく。
確か、それに伴い挑戦するレースの路線や距離に合わせ、クラス替えを行うと記してあった気がする。
確かに、スプリンターとして活躍するウマ娘とステイヤーを同じカリキュラムで育成するのは困難だろう。
それこそ、中央でチームを持つトレーナー達が多く抱える課題のひとつだ。
各個人に合わせた練習をクラス単位で行うのは難しいため、距離や挑戦レース事に分けるという理由と聞いた。
つまるところ、目の前で焦り何かを探す彼女は明日から別のクラスへと移転になる訳だ。
年明けからのクラスの変更は今までの学校習慣では珍しいものであるため今まで忘れていたと言う所だろうか。
と、彼女が焦る理由に思考を巡らせていると、一通り持ち物を確認したのか彼女は鞄を探るために降ろしていた腰を上げると、今度はポケットへと手を伸ばし携帯を取り出した。
「ああ!もうっ!やっぱり無いわね!えーと、教室は今日…まだ空いてるっぽいわね、よし、回収される前に急いで取りに行かなきゃ。」
携帯で教室の解放状況を確認したのか、彼女は今度はトレーナ室の出口へと向かい、靴を履き始めた。
「ごめん!トレーナ今日もう終わりって事で、ちょっと急がなきゃ行けなくて。」
「別に構わない、どうせ今日はもうやる事はないしな。忘れ物か?」
鞄を持って外へと出るため扉に手をかけながら彼女は言った。
「うん!明日からクラス替えで、そのための学生証の更新が明日あるんだけど、その肝心の学生証を前の教室に置いてきちゃったぽくって…明日無いと色々面倒くさそうだからね、急いでとってるわ!」
じゃ!と言うと彼女はゲートをくぐる時の様に綺麗なフォームとスタートダッシュを決めるとジャージ姿のままその場を去っていった。
廊下は静かに走れ…だったろうか。
彼女の姿を見てそれを思い出した。
開けっ放しのままの扉を閉じて、1人になったトレーナ室の中に戻る。
「明日のトレーニングでも確認して帰るか。」
もうやる事も無いため、俺は机の上に広がる2色のファイルを手に取りそれぞれを開きながら考えるのだった。
ーーー
現状、変化が2つほどある。
これまでの約1年を振り返り俺はそう結論づける。
チラと窓の外を見ると、結構考え込んでしまったのか、気づくと外は暗くなり始めていた。
俺が腰掛ける椅子と向かい合う机の上には、ずっと睨み合っていたファイルが赤色が黄色に重なるように置かれていた。
考え事の内容は、勿論彼女とルドルフ、皇帝完全攻略についてである。
1口、カップに入っている珈琲に口をつけて一息つく。
さて、少し整理をしよう。
今、俺達の目的は当然シンボリルドルフに勝利すること。
そのため、ルドルフの出場するレースに被せるようにこちらも挑まなくてはならない。
彼女の今後出るレースを予想出来れば、それに対応するトレーニングも行えるし、これは早く知ることに損は無いどころか、大きなアドバンテージとなる。
そんな重要な事、トレーナー間の情報収集等、調べる方法は多いのだが…生憎、情報交換を行えるような友人を持ってなかった。
しかし、これまでのルドルフとの会話や、昔の様子からある程度察する事が可能だ。
珈琲の入ったカップを机の上に置いてから赤のファイルへと持ち替え、ペラリとページをめくる。
『①クラシック三冠路線⟵』
ルドルフが出るであろうレースを予想し、説を検証しまとめたページ、その1番上に書いてある第一予想。
俺の経験が正しければ、ルドルフは王道を好む。
思考の問題でもあるのだろうが、恐らくルドルフの性格からして真正面から叩き潰し、自身の強さを証明する事を好むだろう。
…彼女の目標が俺の知る限りであれば、だが。
これまでのルドルフの様子を見るに、やはり備えてるレースは俺の予想通りではありそうだが。
そんな事を考えながらも、あの日の、俺にとっての大きな人生の岐路であったろうスカウトの日を思い出す。
まだはやはりズキリと痛む胸を誤魔化すように頭を振る。
…ルドルフはレースの走りからも感じ取れたが、俺の知ってると言うより想像する状態とは異なる可能性が高い。
その要因が掴めてない事が問題なのだが…まあ、ここは追追考えていくとしよう。
そう、今の俺の予想ではルドルフはクラシック三冠、皐月賞、日本ダービー、菊花賞と進むと予想している。
数あるクラシック路線の中でも毎年話題となり、それ故に憧れるウマ娘も多いレース達だ。
彼女が自分の力を証明するには相応しいと言えるだろう。
さて、出場レースを予想出来たとしてもそれだけで解決するほどレースの世界は甘くない。
十分なトレーニングとレースにおける作戦、経験は、対戦相手が
赤のファイルを開いたまま机の上に置いて、今度は黄色のファイルを開く。
レースとは、重賞とは練習の積み重ね、ウマ娘達の日々の努力の成果である。
これは何もレースに限った話ではないが、何かを成功させるには下地や基盤の丁寧な整備が必須となる。
その点で考えると、シンボリルドルフは最強と言ってもいい。
シンボリルドルフは強い。
俺だけでなく、きっとレースを見た者たちは目は口を揃えてそう言うだろう。
事実、シンボリ家の新星という事で注目してる専門家達は彼女の強さを高く評価してる。
しかし、その強さはどこから来るものか。
レースを見た者たちは今度はそれぞれバラバラな意見を言うだろう。
何故なら、総合的に強いからだ。
末脚が素晴らしい、仕掛けるタイミングが素晴らしい、序盤の作戦が、ペースの保ち方が…。
百と彼女のレースを見返した俺は見る度にその
しかし、何故そこまで完璧なレースを行えるのか。
その理由は単純な下地の整備の完成度の高さと天性の勝負センスだろう。
彼女の能力で意見が割れるのは彼女が全てにおいて秀でてるから。
彼女のレースで評価すべき点が割れるのは、彼女の走った軌跡が全てにおいて秀でているから。
前者はシンボリ家の全面的なバックアップと彼女自身の身を削った努力から来ており、後者はその能力を使い切れる彼女のセンスから来てる。
俺が思う強いウマ娘とは、レースを支配するウマ娘だ。
そしてルドルフは同じレースの舞台に立つ者ならば、自身さえも支配しきるウマ娘だ。
一言で言えば皇帝。
多くのウマ娘はどれだけ努力しようとその能力を十全に発揮出来ない者が多い。
緊張や体調の管理にも問題はあるだろうが、それは当然な話で、それすら加味して計画を立てるのが当たり前だ。
それがシンボリルドルフの場合、考慮する必要が無い。
俺が過去に見た彼女のレースでは、ルドルフはその能力を持て余すこと無く、いつも半バ身抜け出るように勝ってきた。
これは、自分の全力を把握して更にそれをレースに落とし込む計算力が不可欠だ。
そしてそれは同時に不可能でもある。
事前にトレーナーがどれだけ思慮を凝らしても、レースに絶対は無く、いつもアクシデントが発生する。
しかし、ルドルフはレースが始まると同時にどんなアクシデントにも対応して予想通りの結果を導く。
それはただの計算では無く、まるで相手の様子を見て戦略を決める将棋の様であった。
故にレースに絶対は無く、シンボリルドルフは絶対であるのだ。
さて、以上の点を踏まえて期限の秋…菊花賞までに俺とあの娘がルドルフに勝てる可能性を考えてみる。
「まぁ、無理だろうな。」
1人暗くなったトレーナー室で自分の思考に呟く。
この冬、考えに考えて出た結論がこれだ。
まず、下地が違う。ルドルフの幼い頃からのトレーニングは俺が間近に目撃してるし、その差は数値にも出てる。
そして経験の違いだ。先程も言った通りルドルフはレースの経験は少なくとも、センスが飛び抜けて高い。
これを覆すのはとてもじゃないが彼女の経験値では無理だろう。
つまり、現在ルドルフに勝てる可能性はかなり低い。
そう、低いのだ。ない訳では無い。
俺は、開いたままの黄色のファイルのページをめくり、最近の彼女のトレーニング状況を確認する。
ここ1週間、厳しいトレーニングを彼女に課したつもりであった。
彼女には伝えてないが、今の時期で彼女の様なウマ娘が行ったら途中で音を上げてしまう内容であった。
そもそも、1週間完走する予定は無かった。
それなのに彼女はやり遂げた。
これが意味することは即ち、彼女は俺の想定を超えた。俺の想定の成長を超えていたのだ。
別に今までのトレーニングは画期的であった訳では無い、単純に彼女の吸収が遥かに高いのだ。
この原因が分からないのが、最近の寝不足の原因だ。
もし、この
足りない経験は、俺が補う。
絶対は無いレースを、確実にするよう分析しきればいい。
これが2つの変化のうちの一つ。
もう一つは、ルドルフの若干の不調だろうか。
だろうか、と言うのはイマイチ俺も確信が持てないからだ。というのも、ルドルフの実力は伸びてるし、成績だって良い。
ただ強いて言うなら、今までの俺の勘がルドルフの違和感を告げるのだ。
そこまで考えて、流石に眠気が襲ってきたのか、欠伸が口から漏れ出る。
「そろそろ寝るか。」
今日は帰って、明日からまたトレーニングに励もうとトレーナー寮へ帰るための支度を行う。
必要な資料ある程度整理してると、紙の中に妙に厚い物が紛れてる事に気づいた。
隙間を開いて取り出すと、それは手帳の様なものであった。
手帳をつける癖なんて無かったため、何かと思って中身を開くと、そこには見知った名前とウマ娘の顔写真が貼ってあった。
無表情に撮られたその顔は、つり目も相まって少し怖くも見えた。
「って、これ生徒手帳か。」
例の生徒手帳であった。
どうやら何かの間違いで紛れてしまったようだ。
明日使うと、クラス替えに伴って必要だと彼女が言っていた事を思い出す。
時計を見ると、もう遅く、今からでは渡す事は難しいだろう。
「明日の朝、渡すか。」
教室棟の見取り図はどのようであったか、思い出しながら俺はトレーナー室を出た。
ーーー
バシンっ…。
何かが弾けたような、軽くも痛みを伴う音が辺りに響く。その音に気づき、興味無く話していた者は音の方向へ、もとより見てた者は顔を青ざめさせていた。
音の中心は、2人のウマ娘からであった。
1人は、よく知るウマ娘、もう1人のウマ娘と対峙するように立っているその少女は、俺の担当のウマ娘であった。
さて、もう1人のウマ娘。
恐らく、彼女が手をあげてしまったウマ娘の顔は、頬を叩かれた衝撃から、俺とは反対の方向を向いていた。
しかし、見間違うことは無かった。
何故なら俺はその背を、その脚を、その姿を嫌という程目にしているのだから。
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