よくある、スカウト失敗したトレーナーの話 作:ヒメノリ
人や獣が足で走る。また、人が■に乗って走る。
レース会場は既に、多くの人が訪れていた。
いくつかの駅を乗り換えながら、辿り着いたレース場は、盛況な様子であった。
会場前には、私と同じようにウマ娘が何人かで来ていたり、家族と思われる人等が、子供達の興奮に流されるように来ていたり。
状況は多様であるが、皆、今日という日にこのレース場で過ごす事を選んだもの達という事である。
ウマ娘レース及びトゥインクルシリーズは全国、世界的に熱狂をもたらすイベントである。
そのため、休日となれば、ある程度知名度と人口のあるレース場であれば、この様に盛り上がる事も珍しくない。
しかし、今日は比較的有名な重賞が行われる予定がある訳では無い。
そのため、人の集団にはムラがあり、観客席にだって空きが充分あることだろう。
それでも、人が満ち溢れてるように見えるのは、きっとこのレース場に訪れてる人々が、今日というレースを楽しみに暖かな雰囲気を纏っているからなのか。
改めて、ウマ娘レースという事業の偉大さと人気ぶりに感心していると、後ろのトレーナーから声を掛けられる。
「レース場の雰囲気はどうだ?」
そういうと、トレーナーは体の周りに水滴をつけたスポーツドリンクを渡してくれた。
今日も、変わらず暑いためありがたい。
私は、受け取ったペットボトルを傾け、スポーツドリンクを一口飲む。
何時もの、学園で見るスーツ姿と違って私服で身を包むトレーナーの姿があった。
普段とは異なる、ラフな姿でのトレーナーであったが、相変わらず目は暗いし、纏う空気感も軽いものでは無かったため、普段通りのトレーナーと言う認識からは外れなかった。
「どう、って聞かれてもねー。」
私はトレーナーの顔を見上げた後、周りの様子を、確認しながら答える。
どうであるか聞かれても、人、という印象以外を受けることは無かった。
レース場にも、何度か来たことはあるし、特別驚く様な出来事も無かった。
そんな私を見た後、トレーナーは受付から購入してきた入場券を2枚私に見せてから言った。
「君も、何度か見たことはあると思うが、今後は選手として君にもこのような場所を訪れてもらう予定だ。」
今のうちに、この感覚に慣れておくといいと言うと、トレーナーはレース会場の入口へと向かっていった。
私は、受け取ったスポーツドリンクを持ってきたタオルで包むと、それをカバンに入れ、トレーナーの後をついて行く形でレース場へと歩を進めるのであった。
少し歩けば、レース会場に近づいた。
遠目から見ていたレース会場も、近くで見れば中々の大きさだ。
当然、その分レース目当てに訪れた人達との距離も近づき、ウマ娘の優れた聴覚には、その会話の音も入ってくる。
「なぁ、聞いたか?今日、あのシンボリ家の期待の新生がデビューするらしいぜ。」
誰かの声は分からない声が聞こえてきた。
「えーっと、シンボリ家ってなんか有名なウマ娘の名家だっけ?」
その男の会話相手であろうもう1人の男が反応をする。
どうやら、今日のレースについて、観客の中にも知っている人がいるらしい。
シンボリルドルフだ。
私は、より大きく見えるようになったレース会場を見上げながら考える。
トレーナーが、2人分の入場券を受付に通しに言ってるようだった。
「今週末、空いているか?」
その日、トレーニングが終わり、いつものように身体をトレーナー室のソファに沈めている時だった。
「へ?」
突然、真面目な顔していつものトレーナーがいつものトレーナーらしくない発言をしたため、私も思わず声を漏らした。
その後、開いていたファイルを閉じたトレーナーは事情を話した。
どうやら、今週末にシンボリルドルフがデビューするという情報を、どこからか仕入れたらしい。
そのため、敵情報偵察の意味と、私に明確な目標を実感させる目的として、その日にレースを見て行くことを提案された。
レースは、もちろんだが好きだ。それが、誰のレースであろうと、見てる分には自分の闘志が高まるし、白熱したレース展開には興奮もする。
しかし、そんな学園でも聞いた事のない情報。
一体どこの情報なのか、気になったが、トレーナーのなんとも言えない表情を見て聞くのを止めた。
『なんで、それだけで諦めたの?』
それに、聞かない方がいい事もある。
どうにも、あの一件が私の中で少し尾を引いてるらしく、情報源は聞けないまま、今日に臨むことを選んだ。
そう、今日シンボリルドルフが初めて出るのだ。
私よりも少し先にこの世界に足を伸ばそうとしているのだ。
ふと、見上げた視線を下ろし、地面を見つめると、そこはレース会場の影で覆われていた。
黒い影の中、受付とのやり取りを終えたであろうトレーナーがこちらに近づいてくるのが見えた。
私は、力強く、より強い影の中へと踏み込むように、進んだ。
ーーー
観客席には、既に何人かの人達によって席が埋められていた。
老若男女様々な人やウマ娘がレースを見にやってきていた。
しかし、テレビ越しに見た観客席のように、見渡す限りの人で埋まってる訳では無い。
今日は、重賞でもなんでもないのだ。
それでも、平時より多く感じるのは、今日出てくるシンボリルドルフによるものなのか、それともそのシンボリルドルフ所属するチームのトレーナーの名声によるものなのか。
きっと、その両方だろう。
「パドックまではあと、10分くらいだな。」
適当に空いていた席に腰かけ、腕に着けてる時計を見ながらトレーナーは言った。
パドックとは、簡単に言えば、ウマ娘にとってのお披露目会の様なものだ。
意味なんてあるのか、確か、授業で教えてもらった事もあったのだが、もう忘れてしまった。
横にいる優秀なトレーナーにでも聞けば分かるのだろうが、形式的なものだろう、私はそう捉えることにした。
今日のレースの状況とか、出走ウマ娘の事とか、シンボリルドルフの事とか、シンボリルドルフの事とか。
とにかく、トレーナーが真顔で淡々とシンボリルドルフのことを語る様子を見て、改めてこの人物はシンボリルドルフに身を焦がした人だったのだと、再確認したところで、パドックにウマ娘達の姿が見えた。
「六番、シンボリルドルフ1番人気です。」
アナウンスの声が、彼女の出走と、その人気を告げると、シンボリルドルフがそこにはいた。
学園指定の体操服姿での出走は、この時期のウマ娘にとっては風物詩のようなものであり、少しマヌケにも見える。
しかし、その瞳から、その威圧感からはそんな風物詩も、マヌケな幻想も見つかることは無かった。
「…皇帝。」
思わず、そう呟いた。
トレーナーが名をつけたシンボリルドルフに対する大衆認識。
もし、それが現実のものになるとしても、私は違和感を抱けそうにない。
そこから、何人かのウマ娘の紹介を終えると、いよいよゲートへと彼女達の姿が移動した。
ふと、隣を見てみると、いつも通り生真面目そうな、しかし、いつもより集中した様子で連なるゲートを眺めるトレーナーが居た。
「…もうすぐ、始まるぞ。」
1点。集中させたその焦点を崩さないまま、横にいる私に呼びかける。
この遠目からでは、正確にその距離を測ることは出来ないが、きっと、トレーナーの視線の先は、1つなのだろう。
レースが始まることを告げるアナウンスが響くと、フッと会場から空気が抜けたみたいに一瞬の静寂が訪れる。
周りの観客も、従うような黙りだし、妙な、しかし嫌では無い緊張感がこちらにも伝わる。
そして、ガコン。
レースの始まる音と、駆け抜ける1歩の音が重なった。
ーーー
レース会場から出てくる人達は、どこか満足気だ。
それは、きっとあのレースを見た人達ならきっと共通な認識だろう。
文句がないレースであった。
もちろん、この言葉は私のものであり、それこそ隣で帰り道のための駅へと歩を進めてるトレーナーからすれば、細かい指摘ならばあるのだろう。
しかし、それでも文句が無いのだ。
それは、走った姿だ。
勝ちに満足したものなら、きっと勝ったその瞬間に興奮と喜びを精一杯に表すものだろう。
しかし、今回は違う。
今日の勝者は、走り切ったあと、何事も無かったかのように笑顔でウィニングランをこなした彼女の姿に慢心はなく、ただそうする事が当然であるように笑顔を浮かべ、ターフを駆けたのだ。
レース後のライブも無事に成功を収め、誰もが満足いくような、模範的で噛み締めるような勝利。
「…勝ったね。」
横で、渡る信号が色を変える事を待っているトレーナーに言う。
「勝ったのか。」
少し、妙な反応だった。
いつものこの人なら、「当然だ。」と、いつものシンボリルドルフ信徒っぷりを発現するものだと思っていたのだが。
その顔に、その類の感情はなく、むしろ、どこか困惑した風のトレーナーに私は尋ねる。
「勝ったのか、って、見てたでしょ?」
歯切れの悪いトレーナーは、どこか上の空だ。
「あ、いや、そういう意味ではなくてな…」
…やっぱり、何かあったのだろう。
思えば、私に今日のレースの件を持ち掛けた来た時だって、様子がおかしかった。
情報源を話そうとはしないし、いつでも何処か自信ありげな無表情も、最近はただの無表情に変わっている。
多分、それはトレーナーの中での枷だ。
呪いと言ってもいい。それ程までに、トレーナーの中ではただ一つ、取り憑かれ続けてるのだ。
ーーー
『さぁ、残り400をきった!おっと!ここでシンボリルドルフ、外から伸びる!』
レースも終盤が近づき、周りの熱気が最高潮に近づいてきたのを、肌と耳で感じる。
『凄いぞ!シンボリルドルフ止まらない!シンボリルドルフ伸びる伸びる!』
圧巻だった。実況の声量に比例するよう、シンボリルドルフの脚は回転して、スピードは加速を続けてく。
自然と、握りしめられた自分の手に力が篭もる。
もし、あの場に自分がいたら、勝てるだろうか。
そんな自分と、シンボリルドルフを仮想敵として重ねる。
勿論、勝てるとは思えなかった。
それは、当然とも言えた。
これまでの練習量だって、悔しいけど才能だって、出自だって違う。
だから、理屈で分かった。自分ではまだ届き得ない領域だと。
でも、でも。
『シンボリルドルフ!今ゴールインッ!凄い脚だ!今後が楽しみとしか言えません!』
横で、トレーナーが、呆然と表情を浮かべて見ていた。
でも、それは見ていたのではなかった。
魅ていたのだ。
自分の過去と、彼女の姿を重ねて。
ずっと、自分の中に這っているままのシンボリルドルフの姿を見たまま。
だから、悔しかった。
ーーー
「…こんな事言うべきか悩んだよ。」
私が突然切り出した言葉に、トレーナーが少し驚いた。
「トレーナーの中で、シンボリルドルフの、アイツの姿が残り続けてるのは分かるよ。」
ただ、淡々と、なるべく冷静でいられるように話す。
「私とトレーナー。所詮、一時的だし、アイツに勝てるのか、そんなの分からない。」
むしろ、勝てないと見る方が懸命だろう。
「でも、たったそれだけの間でもさ。」
そして、それは多分、トレーナーが1番理解してる。
だって、知ってるから。
だって、分かってるから。
だって、理解してるから。
シンボリルドルフを。
「でもっ!それでもさぁ!」
抑えようとしてた感情が、声を超えて劈く。
思わぬ声量に、トレーナーだけでなく、周りで同じ様に信号を待ってる人達もこちらを見る。
だけど、回り出した感情は、もう止まらなかった。
「その間だけでもっ!信じてよ!」
ーーー
『…ルドルフ。』
名残を惜しむように、トレーナーが口にする。
今日の勝者を。
横の私を追い抜いて。
ーーー
だからこそ、横で見てた貴方にだけは信じて欲しかった。
「私を勝たせるって、言ってみせてよ!」
気づくと、私の目からは涙がこぼれてた。
今まで、感動や悲しみで涙したことはあっても、こんな衝動的に泣き出すことは無かった。
「っ!」
たった少しだ。お互い、終わりを懸けたラストチャンス。
だから、そこに想いを託す必要は無いし、どんな形でも、最後に残るのは終わったという結末だけだ。
だからこそ、懸けて欲しかった。
「…トレーナー、私、アイツに勝てるかな?」
ポロポロと、涙が地面へ落下する。
こんなことする様な柄じゃないし、それは多分トレーナーにとってもそうだ。
信号が、赤から青色へと変わる。
「…すまなかった。」
トレーナーの手が、私の肩へとかかる。
手は、ぎこちなく震えていて、こんな状況に慣れていないのが、振動で伝わる。
「勝てるよ、いや、勝たせてみせる。」
静かに、でもゆっくりと慎重に息を吐きながら言葉を連ねる。
涙を拭って、トレーナーの顔を見る。
視界の端には、こちらのやり取りに注目しながらも、信号の色が変わりきる前に渡ろうとする人達が映る。
顔は、変わらず無表情だ。
でも、前の様に、私に勝てないと言い放ったあの日と同じ位、自信に溢れた表情。
『いいや、全然。』
それに、決意を加えた、トレーナーの見せた心の表れ。
彼の瞳には、確かに私の姿が映っていた。
涙を拭った手を、服で少し拭いてから、赤い目のままトレーナーに手を差し伸べる。
『よろしく、トレーナー。』
前はどこまでも闇が続いた夜の中。
「よろしく、トレーナー。」
放った言葉、まだ残る夏の陽日に照らされた空気に響き渡る。
この関係は、何処まで続くのだろう。
「ああ、よろしく。」
際限あるこのトレーナーと共に、駆けてみてもいいと、そう思えたなら。
架けるー
ものの間に関係をつける。
『バ券』→『入場券』へと変更しました。(2022/09/12 )
※『バ券』は入場券の意味を込めての表現でしたが、伝わり辛かったため、変更しました。
投稿時間は何時がいい?
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朝(6:00〜8:00)
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昼(12:00〜14:00)
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夕方(16:00〜18:00)
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夜(19:00〜21:00)