よくある、スカウト失敗したトレーナーの話   作:ヒメノリ

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調子乗って長くなりました。


星の数程あるメイクデビュー

トレセン学園は今日も、快晴であった。

流れる雲の数は、多く、けれどもその合間から差す光が明るく地上を照らしていた。

 

たしか、空を覆う雲の割合が7だか8割を越せば、どれだけ空が青くても曇りなんだっけ。

 

そんな、そう遠くない前に習ったような気がする授業の内容を思い出しながら、私は窓の外を眺める。

 

「〜で、あるからして、この時、君達もご存知、ナポレオンが登場するのだが、最近では、このナポレオンがウマ娘であるとか〜」

 

黒板には、世界史の授業の内容を教師が書き記していた。

意外にも、この中央トレセン学園に来る生徒は賢い生徒が多い。

 

中央は、選りすぐりのウマ娘達が集うウマ娘養成施設であるが、何もレースの脚だけで入学が出来る訳では無い。

 

正確には、レースの実力だけで入学出来る生徒には限りがあるのだ。

推薦や、レース試験の結果があまりにも高い場合には、入学することも可能だが、その生徒の数はおよそ1割にも満たない。

 

ならば、どのようのしてこの生ける修羅場である中央に入学するかと言うと、レース試験や筆記試験、面接だ。

 

トレセン学園の日程としては、午前は普通の学校のように数学や、歴史等の学習。中には、レース学という他の学校には無い教科もあるが、これらの成績も高く無くてはならない。

 

まぁ、中には例外もいるのだが。

 

そのため、所謂名家と言われるウマ娘達は、幼い頃からこの中央トレセン学園への入学のための座学や、レースへの特訓など、高い能力をもつウマ娘へと育成されるのだ。

 

そのため、レースで結果を残すウマ娘達は割と教養のあるウマ娘であるケースが多い。

 

そんなある程度の教養を求めるトレセン学園であるため、授業の内容も割と難しくもある。

 

そんな授業に頭を悩ませる生徒もいれば、我得意とレースの片手間にこなす生徒もいる。

 

私?どっちでもないと言ったところだろう。

私は特別勉強が嫌いでもないし、レースにも支障は無い。

 

普段から授業をサボることも無く、真面目に学生生活を謳歌しているのだ。

 

「〜で、この時かの有名な俳句がこの人物を表す言葉として伝えられているのだが、『鳴かぬなら、私が走ろう、ツノド〜」

 

チラリと見る黒板は、先程よりも右へと教師の持つチョークの位置が移動していて、時間も進んでいた。

 

そう、普段ならこの先生のよく分からない歴史の小話もしっかりと聞いているのだが、そんな私が窓の外に心を寄せているのには、理由があるのだ。

 

窓の外、空から少し視線を落とすと、学園に植えられた木の葉が色を変え、茶色や、木の枝がむき出しになっていたり等、すっかり秋も終わりを迎えた様子であった。

 

外からの肌寒い風を防ぐように、窓は少しだけ開いていた。

「〜は、これまでの宗教概念を覆す程の衝撃を世界に轟かせた。しかし、そんな彼がウマ娘レースに対して熱い情熱を注いでたことは有名で、実はこの性格が原因でウマ娘の尻尾を急に触った事で蹴られてしまい〜」

 

資料と文字の組み合わせで分かりやすく説明をしてる先生の横には、クラスに常設されてるカレンダーが壁に掛けられていた。

 

カレンダーには特に書き込みがなく、今日の日付がカレンダーの左上に記されていた。

 

11月1日。今日から11月の始まりだ。

 

もうすぐ、私のデビューが、始まる。

 

机の上、乱雑に開かれた教科書の上に力なく置かれた手を、ぎゅっと握りしめる。

 

ーーー

 

「いいか、今の君に関して不安は無い。当時俺が考えてた君のデビューより、ずっといい状態でここまで来れている。」

 

普段はあまり使わないホワイトボードを背に、トレーナーは黄色のファイルを持ちながら私に向かって話す。

 

今度のレースは、アイツが絡まないため、赤のファイルは少し遠くの机の上に置いてある。

 

「不安だった脚も、だいぶ頑丈になっている。走法に関しても出来る限り勝てるよう調整してきた。」

 

淡々と、事実を述べるように話し続けるトレーナーは、持っているペンで話してる内容をホワイトボードに書きながら言った。

 

最初、私の脚部不安を見抜いたのはトレーナーであった。

 

脚部不安、と言っても重大なものでは無かったらしい。

 

だが、「小さな不安でも取り除かないと安心できない質なんだ。」と告げるトレーナーは、私の脚を軽く検査すると、それから調整された坂路により、私の脚は改善された。

 

すると、自分でも驚く程走りやすくなった。

速くなったわけでは無い。でも、加速へのスイッチが滑らかになった様な感覚だった。

 

それからも、私の細部の様子をしつこい程にあのファイルに纏めて行くトレーナーからの指示によるトレーニングは、効果的だった。

 

本当に、自分が強くなる自覚が芽生えてきた。

 

今日、何時もより真剣な表情でホワイトボードも連れてきて作戦会議を行っているのには理由がある。

 

私のデビュー戦が近づいているのだ。

 

あの日、見せてもらったファイルにも記載されてたが、どうやら私のデビュー戦はこの時期にする事があの時から計画されてたらしい。

 

本人曰く、計画してた時より能力の高まるスピードが早く、もっと早くのデビューでも良かったらしいが、特段早める理由もなく、この時期に決まった。

 

最近は、レース運びの話や、実際の競走をイメージしたトレーニングが多くなっている。

 

いよいよデビューするんだなぁ、と少し感慨深くなる。

 

「と、そんなところだな。何か、質問や君からの意見はあるか?」

 

何度も確認するように話すトレーナーの話を、こちらも慎重に聞いていると、話にひと段落がつき、こちらの質疑に話を移す。

 

「うーん、質問ねぇ。」

 

私は、先程のトレーナーの話を頭の中で復習しながら考える。

質問と言われても、レース運びの確認とか、現状の私の状態の確認をしただけだ。

 

考えるように、部屋の中を見渡す。

 

トレーナー室は、最初来た時より何倍も生活感で溢れるようになっていた。

 

トレーナー室、と銘打っているのだから、当然トレーニングやトレーナーが業務で使う品が増えていくのは当たり前だ。

 

しかし、主にソファの周りを中心にして、私の私物も最近は増えていってる。

 

多分、シンボリルドルフ、アイツのデビュー戦を見に行った時からだと思う。

 

私のトレーナーに対する遠慮は段々と無くなって行った。

 

別に、尊敬してないだとかそんな訳じゃない。

 

でも、心のどこかにあった蟠りが少しだけど、柔んだんだと思う。

 

「…特に無いなら、それでいい。」

 

眉をぴくりと動かした後、トレーナーは話を締めるようにそう言うと、手に持ってたボード用の黒いペンをホワイトボードに磁石で貼り付けてあるペン入れに入れる。

 

それから、机に置いてあった、もう冷めてしまったであろうコーヒーをトレーナーが飲む様子を、私はボーッと見つめる。

 

きっと、これから私の人生最大のピークが始まる、その初陣が近づいているというのに私には実感が湧かなかった。

 

何となく見ていたのに気づかれたのか、カップに口をつけるトレーナーの目と目が合う。

 

「…なんだ?」

 

口をカップから話すと、口内に含むコーヒーを飲み込んだ後、トレーナーは言った。

 

トレーナーは、何処と無く暗い目を持ってる人物だ。

それが、シンボリルドルフのスカウト失敗から起因しているのか、元々の性格なのか、もっと違う何かなのか。

 

私には推し図りかねるが、それでも分かることがある。

 

「…ねぇ、私。あんまりまだレースが近づいてる実感がないのよね。」

 

突然の私の意味不明な発言に、トレーナーは目の形は変えず、眉だけ困るように額に寄せる。

 

「実感か。それは考えてなかったな。」

 

すると、顎に手を当て考える仕草を見せるトレーナー。

 

つくづく思う、トレーナーは真面目なのだと。

 

よく、トレーナーの噂を聞いたのか、クラスの皆から近況やトレーナーについて聞かれることがある。

 

冷酷だとか、やる事に感情が乗って無いとか。

 

何故か、トレーナーの噂は後ろ向きなものが多いのだが、きっと彼の目や、あまり動かない表情筋にあるのだろう。

 

でも、顔には出ないだけで、彼は喜んだり傷ついたりする。

 

口ぶりから、本人には自覚が無いんだろうけど、トレーナーは考えてる事とか、案外わかりやすい。

 

なんか、その真面目さとか、わかりやすい反応から年上であるのだが、少しからかいたくなる悪戯心が湧く感じだ。

 

『私を勝たせるって、言ってみせてよ!』

 

だから、そんな性格だから、きっと今トレーナーは考えているのだろう。私がレースで勝つことを。

 

「うーん、多分、大丈夫よ。」

 

ソファから立ち上がり、わたしは両手を上に伸ばして、のびをする。

 

さっき、実感が無いと相談してきた自分の担当への対処を考えていると、突然その本人が大丈夫とか言い出すのだ。

 

きっと、今トレーナーは困惑した顔を見せるのだろう。

でも、そんなトレーナーの顔を見ずに、私は自分のバッグを持つと、トレーナー質を出る扉へと歩いて近づく。

 

「あ、ああ、大丈夫ならいいが。」

 

トレーナーは、思った通り困惑した声で言った。

まぁ、当然であるが。

 

「トレーナー。」

 

私は、扉を目の前にするまで近づくと、止まって振り返る。

 

最近、色々と疲れてるのだろう。

いつも通り濁った目の下には青白い隈が出来ていた。

 

「大丈夫だよ。私、」

 

私には、レースだとか、メイクデビューだとか、実感が無い。

 

いや、正確には、実感が無いんじゃない。

恐れが無いんだ。

 

これまでの日々で、トレーナーについて詳しく知れたとか、そんな薄っぺらい事を言うつもりは無い。

 

でも、確かにこの人が私を勝たせられるレベルの実力と、勝たせるという意思がある事が分かったのだ。

 

だったら、それで十分だろう。

 

「勝つから。」

 

静かに、でも力強く言う。

気づくと、私の頬は力み、笑顔を浮かべていた。

 

鏡が無いので確認出来ないが、きっと、勝気な笑顔と言うやつだ。

余裕綽々とも言う。

 

ポカンとするトレーナーであったが、少しするとフッと肩から力を抜いたようにため息と共に、顔を俯かせる。

 

「じゃ、また明日。」

 

私は、伏せた顔のままのトレーナーに手を振り、扉へと手を掛けてトレーナー室を出る。

 

扉が閉まる直前、確かにトレーナー質の中から声が聞こえた。

 

「…あぁ、頼むぞ。」

 

声しか聞こえないが、どうせ表情には出てない。

 

しかし、きっと、トレーナーは笑っているのだろう。

 

なんだか、私は嬉しくなって、寮に向かう自分の足取りが速くなっていることに気づいた。

 

「…ちょっと恥ずかしいわね。」

 

誰も居ない事を確認して、1人呟いた。

 

ーーー

 

「…あー、前言撤回よ、前言撤回。めっっちゃ緊張する!」

 

私はつい何日か前の自分の姿を思い出し、思わず殴り倒したくなった。

 

今日は、待ちに待ったレースの日、メイクデビューだ。

横に立つトレーナーは、前にここ、レース場に来た時と同じ様に私の隣に立つと言った。

 

「だから、慣れておけと言っただろう。」

 

そう言うトレーナーは、あまり緊張してないようだ。

 

「…いやー、実際に自分が走るとなると話が違うのよ。」

 

前と同じ様、なんて言ったけど、横に立つトレーナーの服装は前とは違い何故かスーツだ。

今日が11月であるためいいが、毎回レースの度にスーツを着るのだろうか、夏あたりに痛い目を見そうだ。

 

「実感、湧いてきたか?」

 

少し意地が悪そうに言うトレーナーが言った。

 

「…はいはい、湧いてきましたよー。」

 

数日前の余裕ぶった態度の自分が少し恥ずかしくて、少し不貞腐れながら言葉を返す。

 

レース場は、本日も盛況であった。特別なイベントはなく…なんて、前に来た時もそんな感じだったろう。

 

とにかく思う、この国の人々はレースが好きすぎるのだ。

 

「はぁ。」

 

思わず、ため息を零す。

すると、トレーナーが肩をポンポンと叩いた。

 

「ほら、そろそろだ、行くぞ。」

 

チラとトレーナーの顔を見ると、今日も変わらず愛想がない表情だ。

経歴を聞く限り、この人だって担当のレースは初めてのはずなのに。

 

自分だけ緊張してる事が少し悔しくて、レース場を睨みつける。

今日は、いつもより大きく見えた。

 

ーーー

 

前は、受付から観客席へと移動をしたが、今日は違う。

私たちは、受付へ向かうとそのまま観客席の方向とは違う方向へと案内された。

 

途中、向かう廊下の壁に「←競技者控え室」と書かれた張り紙がしてあるのを目撃した。

 

私は今日、ここに関係者として訪れたのだ。

 

案内された控え室は、思ったより閉塞的に感じた。こういう狭いところはウマ娘の性質からか嫌いなのだが、今日だけはその狭さが自分の心を緊張から守ってくれるようだった。

 

「では、お時間になりましたらもう一度スタッフが訪れますので、パドックの方までお願いします。」

 

それだけ言うと、受付のお姉さんは去っていった。

 

まだ、重賞すらとってない学生ウマ娘にもレースは平等に行われるのだと、少し感心をした。

 

「後、30分後にはパドックだ。」

 

チラと時計を確認したトレーナーは、私にそう言った。

いよいよ近づいてるのだと思うと憂鬱なんだか、興奮してるんだかよく分からない感覚に襲われる。

 

落ち着くために、適当な椅子に腰をかける、パイプ椅子だ。

 

「一応、今日のレースについて確認しとくか?」

 

トレーナーは今日は赤い方は持ってないのか、黄色い、私のファイルを見せながら言った。

 

「…大丈夫よ。」

 

トレーナーなりの気遣いなのだろう。だが、ここで話を聞いても自分が弱ってく気がして断る。

 

今日のレース、私は基本先行していく予定だ。

周りの生徒と比べても、私の素養は悪くは無い。

 

爆発的な末脚など、特筆する武器こそ無いが、全体的ステータスとフォームに関しては今の時点で上位に位置するとトレーナーは話した。

 

他も、デビューのウマ娘達なのだ。皆経験は浅く、複雑なレース展開にはならないだろうと予想した上でのこの運びにした。

 

他にも、トレーナーのファイルにはびっしりと今日のレースの作戦が書き込まれていたが、私には教えてくれなかった。

 

なにやら、必要な知識や技術は今日までに教え込んできたし、変に全て詰め込むの逆効果として全てを教えてはくれなかった。

 

「そうか、安心した。」

 

そうやって言うトレーナーの表情には、私とは対照的には曇りは無い。

 

「…ま、いいわ。取り敢えず、着替えるからトレーナーは部屋出てて。」

 

何となく、自分だけ不安なのは悔しいが、今はレースに集中しよう。

 

「ああ、分かった。」

 

そう言ったトレーナーは素早く部屋を出ると、控え室には私だけになった。

 

「…」

 

少し、無言で固まる。

大きなレースじゃないし、客だってアイツの時よりは少ないだろう。

 

でも、背中がゾワゾワするような感覚が抜けなかった。

 

「…着替えよ。」

 

こんな風に固まってても仕方ない、私は持ってきた大きめのバッグの中から丁寧に畳まれた学園指定の体操服に袖を通す。

 

ああ、私自身もどうやらレースの風物詩とやらになるらしい。

 

練習や、授業なんかで何時も来ている体操服が妙に重く思えた。

 

それから、配られた自分の枠順が書かれた数字のゼッケンをつける。

 

何度か深呼吸をして、呼吸を整える。

 

手を胸の方に置く。

 

自分の心臓がドキンドキンとなっているのが確認できた。

 

私、今から走るんだ。

何度もテレビや観客席越しに見たあの風景に飛び込むんだと思うと、余計心臓の音は止まらなくなった。

 

皆、こんな風に緊張するのだろうか。

こんな風に、体操服を着たまま、何度も深呼吸をして。

 

ふと、私の頭に1人思い浮かぶ。

 

ーシンボリルドルフも。

 

「そろそろだぞ。」

 

コンコン、というノックの後扉越しに声が聞こえた。トレーナーの声だ。

 

「え!もうそんな時間?」

 

そんなに時間が経ってるとは思ってなかったため、驚きの声が漏れる。

 

「ああ、まだ時間はあるが、そろそろ備えといた方がいいぞ。」

 

時々思う、本当に時間の流れは平等なのか。

きっと、この感じ方には理論付で説明する事ができるのだろうが、思わずにも居られなかった。

 

もう一度だけ深呼吸をした後、私は控え室の扉を開いた。

 

扉を開くと、正面で廊下の壁に背中を置いているトレーナーが居た。

 

「もう大丈夫か?」

 

周りを見渡すと、私以外にもトレーナーと思わしき人物と私と同じように体操服を着たウマ娘達がいた。

 

いまから、この娘達とターフに立つのだと思うと、不思議な感じだ。

 

「スタッフの人は?もう来たの?」

 

私が聞くと、トレーナーは問題ないと言った。

どうやら、これから正真正銘私のデビュー戦が始まるらしい。

 

しばらく、トレーナーと他愛も無い会話をしてると、レース場の方からアナウンスの声が聞こえだした。

 

いよいよ始まる。

 

大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。

いざ、本番となるとここまで緊張するものなのか。

 

私が、もう一度深呼吸をしようとした時だった。

 

トンっと背中を押され、吐き出そうとした息が急に肺から漏れる。

 

「っ!」

 

驚いて振り向くとトレーナーが何かを言いたそうにこちらを見つめていた。

 

その表情は、何となく気楽そうだ。

 

「…気楽そうね。」

 

思ったまま伝える。

すると、トレーナーは目をそのまま、口だけニヤリと挑発的に笑うと言った。

 

「ああ、どうやら俺の担当は勝ってくれるらしいからな。」

 

そう、トレーナーの言葉が胸にストンと落ちてくるようだった。

 

急に力が抜ける感じがした。

 

「…あー!もうっ!なんかバカバカしくなってきたわね。」

 

なんか、悩むのも自分らしくない気がして、そのままトレーナーを、キッと睨みつけ言った。

 

「良い?私はアイツに勝つの、こんなとこで負けるわけないの!」

 

そう、啖呵を切る。

きっと、この声の大きさでは周りの娘にも聞こえてしまっただろう。

 

これじゃ、宣戦布告だ。

 

「ああ、そうだな。勝つんだろう?」

 

それだけ言われると、私はトレーナーに背を向き、パドックの方へ、レース場の方へと進む。

 

ああ、もう最悪な気分だ。

 

帰ったら、トレーナーにギャフンと言わせやる。

私は、その勢いのまま、観客達の見る光へと足を踏み出した。

 

ーーー

 

パドックでのポーズはどうするのだろうか。

パドックでは各々が決めポーズのようなものを持っているのだ。

 

腕でも組んでればいいだろうか。

 

だが、思い返すと、シンボリルドルフは腕を組んでいた気がする。

 

なんとなく、同じにはしたくなかった。

 

だけど、勢いだけで入った私は特に考えてなく、そのまま立ち尽くしてるのも変な気がして、迷った末、両腕を腰に当てて胸を張るという、なんか、あんまり可愛くもカッコよくもない感じになってしまった。

 

だけど、自信はありそうだし、まぁいっか。

 

そんなこんなでパドックの時間も終わり、アナウンスの指示のもとゲートへと歩き出す。

 

観客席は、自分が思ってるより人はいなかった。だけど、視線の質量は思ってる以上だった。

 

軽く準備運動しながら、これから走るコースを眺めてゲートへと進む。

 

ゲートを見ると、狭くてやっぱり嫌な感じがする。ウマ娘レースを考えたのが誰かは知らないが、何故このようなゲートにしたのか、理解に苦しむばかりだ。

 

『さぁ、各ウマ娘ゲートへと入っていきます。』

 

さぁ、いよいよだ。

実況の声がレースの始まりを予感させる。

 

真っ直ぐ前を見て、鼓動と呼吸を感じる。

不思議なものだ。

 

レースの前はあそこまで緊張してたのに、いざ目の前になると感覚が研ぎ澄まされるようだ。

 

きっと、心の奥の闘争心が刺激されてるのだ。

 

ドクンドクンとなる心臓も、今は心地よく思えた。

 

それに、私は勝つのだ。

ここにいるの誰でもなく、ただ強さの証明と自分のエゴのために、

シンボリルドルフに。

 

しばらく構えて待ったところで、声が頭上を響いた。

 

『そして今、各ウマ娘、ゲートを…出ました!』

 

ガコン、音が聞こえると同時に駆け出した。

 

勝ちへの1歩を、素早く踏み出した。

 

ーーー

 

『差し切った!虎視眈々と狙い続け、今先頭が決まりました!』

 

控え室には、俺のスマホを持ったまま、尻尾を振りながら彼女が今日のレースを見ていた。

 

きっと、嬉しいのだろう。

今日という日が、彼女にとっての初レースなのだ。

 

「へ、へへへ。かっ、勝った。」

 

少し、年頃の乙女が出してはいけないような声をしながら、勝利を喜ぶ少女の声が聞こえた。

 

「そうか、それは良かったな。」

 

まるでこちらに気づいてない様子の彼女に語りかける。

 

レースは、危なげなく勝ちであった。

教えた通りに、想定以上に良い走りで彼女は1着の座を手にした。

 

「そ、そうね。」

 

まだ興奮覚めやらぬと言った様子で体操服のままの彼女が言った。

 

「それは、良いが、そろそろライブだ。そのままの姿じゃ格好つかないぞ。」

 

俺がそう言うと、ハッとした表情で、彼女は自分の衣装を見下ろした。

 

「あ、そうだ!ライブ衣装に着替えなきゃ。」

 

トレーナー、ちょっと出てって!と、忙し気に伝える彼女に急かされるまま、俺は部屋を出る。

 

「着替えたら、ライブ会場に行くんだぞ。」

 

パタンと閉じられた扉に向かって、俺は伝える。

 

「分かってるわよ。」

 

その返事を聞いた俺は、自分自身も彼女のセンターを見るために観客席へと移動する。

 

コツ、コツ、コツと廊下を進む1人分の音が響く。

 

デビュー戦勝利である。

 

確実に、皇帝打倒へと1歩ずつ近づいている。

しかし、まだまだその玉座までは遠い。

 

彼女をその場に届かせるために、今日のレースを頭の中で振り返ってると、曲がり角を曲がる辺りで声を掛けられた。

 

「やっほー。」

 

その声に、俺は振り向く。

聞きなれた、という訳では無いが俺の記憶に強烈に残る人の声が聞こえた。

 

そこには、私服の、まだまだ少女のように着飾った女性の姿があった。

 

まるで、ファッション誌の世界の人間のような顔をして現れたのは、樺咲先輩であった。

 

「まずは、デビュー戦勝利、おめでとう!」

 

花のような笑顔で、まるでニコッと擬音のつきそうな笑顔で話しかける樺咲先輩は、相変わらず胡散臭い。

 

「…来てたんですか。」

 

また、げっ、と言いそうになるのを堪える。

俺は、なるべく平静を装って答える。

 

「おやおや、向窓後輩と、後輩の担当の勝利なんだから、もうちょっと喜んだらどうなの?」

 

俺としては、樺咲先輩でなければ正直にお礼の言葉でも言えたのだろう。

だけど、この人の言葉であるなら、裏を感じずには居られない。

 

「ありがとうございます。今後も、先輩の激励を励みに研鑽を重ねていきたいと思います。」

 

と、取り敢えずそれっぽい返しをしておく。

これなら、どこからどう見ても模範的な後輩だろう。

 

「あら、向窓後輩からそんな風に真面目に言われても、素直に受け取りづらいね。」

 

アンタが言うな。

反射的に言いそうになった言葉を喉元でグッとこらえる。

 

この人に乗せられてはいけないのである。学生時代、散々学んだからな。

 

「…で、なんの用で来たんですか?」

 

時計を見ると、そろそろライブも始まりそうだ。話を早々に切りたいため、用件を聞くことにした。

 

「お、話が早いね。敵性情勢の観察よ。向窓後輩も前に来てたでしょ、ルドルフちゃんの時。」

 

どうやら、前回来てたこともどこからかバレてたらしい。

別に、悪いことでは無いのだから、問題は無いのだが。

 

しかし、敵性情報である。

 

「…先輩には敵に見えてますか?」

 

俺が言うと、先輩は一瞬真顔になった後、何が嬉しいのかさっきよりもニコニコし始めた。

 

まるで獲物を見つけた猛獣のようだった。

 

「あら、てっきりライバル視してくれてるものだと思ってたけど。」

 

違った?なんて返してくる樺咲先輩。この人の面倒くささ、胡散臭さはいつからなのだろうか。

 

生まれてから、なんて考えたくは無いが。

 

「俺は思ってませんよ。勝負にならないでしょう。」

 

ハッキリと言うと、先輩は少し意外そうな表情をする。

 

「へー、自分の担当が勝った日だってのに、思いの外辛辣だね、向窓後輩。」

 

そう、今日勝ったのは間違いなくあの娘だ。走りに文句はなく、素晴らしかっただろう。

 

しかし、シンボリルドルフに勝てるかどうかでは話が別だ。

いまの実力では話にならない。

 

「ええ、今の俺達では足元くらいにしか居ないでしょう。」

 

傍から聞いたら、というか普通にトレーナーとして失格レベルの発言をする。

 

「だから、どうかそのまま油断をしててください。」

 

俺の言葉に、先輩の目付きが変わる。

赤みを増したかのように思える強い目付きだ。

 

やはり例えるなら、猛獣だろう。

 

「…へぇ。」

 

本当に、何が嬉しいのだろうか。

樺咲先輩は笑みを止めない。

 

「いつか、その玉座から下ろしますよ。」

 

それだけ言うと、俺は時間もそろそろなので、その場を離れることにする。

 

「では、後がつっかえてるんで。」

 

そう言うと、俺はその場を離れた。

 

「またね、向窓後輩。」

 

そう言う先輩の声は、どこか寂しそうだった。

 

ーーー

 

ウィニングライブとは、レース終了後にその勝者を称えるためだとか、応援してくれたファンへの感謝だとか、意味や意義は人それぞれだろう。

 

ようは、形式伝統的なものだ。

 

でも、メイクデビューの彼女等にとっては、景気づけみたいなものでもある。

 

今後、ファンもできるだろう。

今後、より強いライパルとも出会うだろう。

 

そんな彼女等の門出を祝う祝福。

 

俺は、伝統が嫌いだ。

伝統とは、進化を止めた古い形骸感がして、どうにも好きになれなかった。

 

だけれども。

 

目の前には、キラキラと光が広がっていた。

ウィニングライブになんて、今まで興味もなかった。

 

ただの踊りと、歌の複合品。

それでレースに勝てる訳でもないだろう?

 

それでも、センターで今も踊る彼女の表情が少しでも輝いて見れたのなら、それは。

 

「…案外、悪くないな。伝統。」

 

観客席の隅っこからであったが、その明るさと喜びは十分に伝わってきた。

 

そして何故か、ここまでの短い彼女との思い出が勝手に頭に過ぎり出した。

 

ふと、未練がましいかもしれないが思う。もし今日の勝者がルドルフで、俺が彼女の担当であったら。

 

俺は、今のように思えただろうか。

 

ルドルフの勝利を喜べたろうか。当然と切り捨てただろうか。

 

考えてから、意味が無いと思い、やはり切り捨てる。

 

しばらくすると、けたたましい音楽と楽しげな歌声も、どこか可愛らしい踊りも終幕を迎え、ライブが終わる。

 

会場には、ライブが終わり、額に汗をつけながらここまで見ている観客に手を振る彼女の姿があった。

 

本当に嬉しそうだった。

 

例え、偽りの、エゴで満ちた一時的な関係でも。

自分の担当が勝つことってここまで。

 

「嬉しいことなんだな。」

 

声は、誰にも拾われず、空気に溶けていった。

柄にもなく、頬が笑顔になるのを感じた。

 

ーーー

 

ライブが、終わる。

私では無い、1人のウマ娘の勝利と、健闘した他のウマ娘達の行うウィニングライブが終わった。

 

「…素晴らしかったな。樺咲トレーナー。」

 

私は、横に立つ樺咲トレーナーに感想を伝える。

今日、ここに来るよう誘ったのは彼女からだった。

 

「そうね。」

 

樺咲トレーナーは、 何時も笑顔が輝かしい女性だ。

だが、今はその笑顔を浮かべたまま、どこか遠くを見てるようだった。

 

「…ねぇ、ルドルフちゃん。」

 

私の名前を呼ぶ。樺咲トレーナーは私の事をちゃんとつけて呼ぶ。

気兼ねなくて、私は嫌いでは無い。

 

どうにも、私は皆から謙遜されがちであるようだ。

 

「なんだろうか、樺咲トレーナー。」

 

周りの人々の中には、帰ろうと、荷物をまとめてる者や、レースの感想を言い合う若者等、多様だった。

 

「貴女、本当に良いの。このままで…きっと、このままじゃ「樺(・)咲(・)ト(・)レ(・)ー(・)ナ(・)ー(・)。(・)」っ!…。」

 

話だそうした樺咲トレーナーの声を遮るようにして声を出す。

つい、少し力みすぎてしまった。

 

「…。」

 

樺咲トレーナーは、こちらを見つめて訴えてくる。きっと、彼女は優しい人なのだろう。

 

だけど、今の私に、私に向けられる優しさ等要らないのだ。

 

「すまないが、これは、私の決断なのだ。」

 

暗に、触れるなと伝える。

 

「!…そう、ね。」

 

寂しげに言う樺咲トレーナーは、それ以上は続けようとはしなかった。

 

そう、これは私の決断。

弱い皇帝は、要らないのだ。

 

目を瞑る。

思い出される、あの日の景色。

 

君を手放したあの日の事。

 

トレーナー君、君では無理だ。

 

君は、ここ(玉座)まで来れない。

いや、決して来させなどしないさ。

 

目を開き、レース場の空を見上げる。午後から開催のレースが終わり、夕暮れが近づいていた。

 

それは、いつかの夕雲と似ていた。

 

 

 

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