よくある、スカウト失敗したトレーナーの話 作:ヒメノリ
寒々とした空気のもと、冷え込んだ冬の温度を肌に感じながら、ただ1点、彼女の走りを見続ける。
由緒ある彼女の家が所持している練習用のレース場が、これもまた、彼女の家が所持している広い庭に設置されている。
レース場というには、観客席も、細かい設備も無く、寂しいものであったが、あれらは娯楽として楽しむための設備で、練習を目的とするここには必要がなかった。
何度見ても、家で持つにしてはあまりにも規模が大きな施設だ。
しかし、そんな家庭で持つにはあまりに巨大な施設ですら、彼女が使用するのであれば、小さなものであると感じられた。
大きく脚を振り走る彼女の身体がコーナーを回って、此方へと折り返して向かってくる。
本当に、美しい走りであると思った。
美しさに対する価値観と言うものは、人それぞれであろう。
しかし、今この一瞬を惜しむ事無くむしろ、足りないと言う程に目を奪われているのだから、美しい光景には違いないのだ。
その脚には、強さがあったのだ。
何者にも踏み入れさせない、自分に立ち向かう全てを組み伏せんとばかりに走る抜ける、その強さが彼女の美点であろう。
そして、そんな美点に見惚れ、今ここで人様の庭に上がり込み、この場に立っているのだ。
なんて、考えている内にその姿は段々と大きくなり、此方へと素早く駆け抜けて行く。
今見た限りで、いや、これまで見た彼女の情報を頭の中で集約して、彼女の走りを詳しく本人に伝えるため、その姿に近づく。
まだ、幼い彼女では適正よりも長い距離を走ったためか、全身で息をしながら肩を上下に震わせてる彼女の正面に近づく。
「お疲れ様。」
そう一言告げながら、彼女の横に移動する。
「…。」
こちらに気づいた、と言うよりかは再確認したという所だろうか、彼女は露骨に不機嫌な表情を浮かべて俺の横を通り過ぎていく。
「素晴らしい走りだったよ。今の時期でも競争を意識して走っているその姿勢には感動を覚えた。それから、スタートダッシュのあの姿勢、前回よりも前傾姿勢の改善が出来ていた。」
無視されている事に構わず、俺は彼女に懸命に話を続け、返事を待つ。
「…。」
が、成果は無し。
しかし、それでも今この感動を伝えずに終わることは出来ないのだ。
「それで、今の君の走りを見るところ、やはり前回から力を入れるリズムのズレが気になる。この間見た、この資料なんだが、やはり、今の時期から無理に筋肉から変えるより「おい。」も、む、何かな。」
延々と今の走りに対して、素人目線ではあるが、つい先日読み込んだウマ娘資料に乗っていた知識で彼女に話す。
すると、俺の前を歩いて屋敷と捉えれる程の大きさを持った自宅へと歩を進めていた彼女は、その足を止めてそう言った。
「…何かな、じゃない。別に私は君に走りを見て指摘してくれ、なんて言ったか?」
振り返った彼女は、指を俺の方に向けて指しながら、また不機嫌だと言う表情で訴えかけて来た。
『君』なんて言葉をこの年齢の少女が言うのに違和感を覚えたのは最初だけであった。
幼い少女が発するには些か小生意気にも聞こえる、高圧的な態度をもつ少女の言葉だ。
しかし、そこには不思議と品格と強かさを感じるのだから、彼女の言葉に違和感を持つことはなくなって言った。
「いや、特に言われてないな。」
俺がそう返すと、確かに目の前の少女は不機嫌だった表情を更に深くして、青筋でも浮き出てきそうな怒りへと変えた。
「そうか、そうか。」
しかし、少しした後その顔を笑顔へと移し替える。
彼女が俺の前で誰にでも分かるように明るい表情をしてる時は決まって、その胸に激情を秘めてる時だ。
さて、俺の言葉が彼女の逆鱗を掠めでもしたのだろうか。
何とか失言を取り消すべく脳内で奮闘してると、まるで蹴り飛ばすぞ、とでも言いたげなオーラと笑顔でこちらに近づいてきた。
「蹴り飛ばすぞ。」
そう言いながら彼女はその足の裏を俺へと向けてきた。
本当に言うのか。
そんな事を考えながら、貧弱な俺の身体はまだ若いウマ娘とは言え、突然の蹴りだ。
その衝撃に耐えられない俺の身体は彼女の蹴りによって芝飛び込むことになった。
軽くゴロゴロと芝の上を転がる事になった。
芝の優しい草達が俺の身体を優しく迎えてくれた。
「もう蹴ってるじゃないか。」
そう言いながら、俺は芝の上で上体を起こし、蹴られた彼女のいる方向を見る。
先程の朗らかな、偽の顔から一転、再び高圧的な視線と立ち姿で、今度は上から見下ろされる形になったため、より迫力が増している。
このままでは格好もつかないため、手を使い、地面から体を押し上げる。
立ち上がると、俺を蹴った張本人である少女が呆れた目線で俺を見つめて立っていた
自分の膝あたりを軽く払ってから彼女に近づく。
蹴られたが、本気では無かったのだろう。
先程の走りができる少女の走りだ、少なくとも、俺よりは強靭なその脚で本気で蹴り飛ばされたら、地面を転がる程度では済まなかっただろう。
「それで、先程の話の続きだが、」
話を続けようとする俺を見て、彼女は大きくため息を零した。
「…はぁ。」
それから、再び俺を置いて屋敷の方に歩き出す彼女。
それに続くように俺も彼女の後ろから追いかけるように歩き始める。
そんな俺の様子を後ろ越しに感じたのか、彼女は背を向けたまま話しかけた。
「大体、君がここまで執着する理由が分からないし、興味もない。大方、君の家の都合とかだろうが。」
覇気のある言葉でそう語り歩く彼女の後ろ姿を見ながら言葉を返す。
「そんなもの決まってるだろう。ただ君のー」
ーー瞬間、目の前がぐらつく。地面を歩いてた確かな感触は薄れ、音も聞こえなくなる。
一瞬だけ意識が飛んだような、妙な感覚だった。
視界が揺れる、記憶が混濁するようになって、気がつくと、目の前にはこちらを見つめる少女が居た。
幼くも威厳あるウマ娘の少女が、普段は見ないようなぽかんとした表情で俺の目の前を立っていた。
「…どうかしたか?」
思わず、聞き返す。
すると、少しぼうっとしてたようで、少女はこちらを見て、顔を左右に振ると、またいつもの表情へ変えた。
「…いや、なにも。君はそういう人間であったなと。」
そういう人間、とはどういう事だろうか。
気になって彼女に問い掛けようとするが、それよりも早く彼女は踵を返しながら言葉を続けた。
「…いや、何でもない。そんなことより、ほら、あちらを見てみろ。」
そう言って彼女は指先を向かっていた屋敷の方を指す。
先程まで遠くて気づかなかったが、玄関口近くで1人の少女が座り込んでいるのが確認できた。
「む、あれは…。」
座る少女もまた、ウマ娘であるようで、特徴的な耳や尻尾が動いてる様子が確認できた。
こちらが気づいたのと同時に、ウマ娘もこちらに気づいたようで、何が目的か駆け足でこちらに向かってくる。
「ほら、あちらの方は君にご執心だろう。」
彼女がそう言い、走る少女の姿が近づいた事でそのウマ娘が誰なのか判断がついた。
「ああ、シリウスか。」
どうやら、今日もこちらに来ていたらしい。
何度かの高い頻度で会う、彼女と年の近いウマ娘である。
しかし、だとするなら彼女の言葉に違和感が残る。
隣の少女を指さしながら言う。
「いや、彼女が執心なのは君の方だろう。」
シリウスは彼女と所謂幼馴染と言うやつだろうか。
名ばかりの俺と違い、明確に深い繋がりのある同年代のウマ娘であろう。
そんなシリウスと彼女はお互いに意識しながら過ごして来たはずだ。
「それにしても、また今日も君が居るここまで来るとは、シリウスは大層君が好きらしいぞ。」
と、言いながら彼女の方をちらりと見ると、今度は信じられないものを見るような目でこちらをジトっと見ていた。
「どうした?何か気に触るようなことを言ったか?」
「同気相求…いや、私が言えた事か。」
そう言うと、彼女はまた大きくため息をついた。
聡い故だろうが、幼い少女にここまでため息をつかせるとは、全く世知辛い世である。
自分を棚に上げて考えていると、俺の足は彼女の横へと追いついていた。
横の少女の顔を見る。
どんな表情をしているのだろうか。
見ようとしても、見ることが出来なかった。
また、視界が揺らぐ。
深海から水面へと浮かんでいくよう、意識が上昇していく。
もがく様に自分の腕を振り回し、その掌を見つめて気づく。
妙に色や艶に違和感のある自分の手に、これが夢であると認識することに成功した。
寒い空気が吹いていた。
今日が何時だったか、何故だか思い出せなかった。
「るど、るふ。」
目が覚める直前、夢の世界が潰える寸前に、その少女の名前を呼んだ。
ーーー
身体が浮いていくような錯覚と共に、瞼が開かれる。
体を起こして、見ていた夢を思い返す。
「…懐かしい夢だな。」
顔を洗った訳でも、コーヒーを飲んだわけでも無いのに、妙に頭が覚めた様子だった。
夢の効果によるものだろうか。スッキリとした気がする。
起きた後、最近は日課になっている時計とカレンダーを確認する。
もう行事の把握漏れをして1日ケーキを探す事態に陥らないように、あの日から日付を気にするようになった。
時計は5時14分。
目覚まし時計の設定した時間よりも早く起きてしまったようだ。
横に視線をずらし、次にカレンダーで日付を確認する。
今日の日付を見て、昨日も、今日も休みであることを認識した後、一応ベットの傍に置いある携帯の日付と時刻を確認する。
クリスマスの二の舞になる訳にはいかないからだ。
電源入れると、携帯の画面には横並びに数字が現れる。5時15分の現在を記している。
そしてその上、少し小さな文字で今日の日付と曜日が記されていた。
1月1日。
本日はめでたい正月であった。
ーーー
1月1日。この日は、街中が静かに、それでいて和やかに時が流れていく。
12月より仄かに増した早朝の寒気を感じながら、トレーナー寮から学園へと移動をしていた。
正月早々堅苦しいスーツを見に包み、朝早くから出勤する奴なんてそう多くはない訳で、1人くらいは同じ様な者がいるかと思って歩いていたが、誰ひとりとして姿を見せなかった。
鍵も施錠されてない為、今日が立ち入り禁止である訳では無いが、流石に今日は各トレーナーも休みなのだろう。
いや、今日訪れたのが早すぎるだけで、少し待てばここを訪れるトレーナーも増えるのかもしれない。
そんな寂しい光景の中、僅かな望みをもって俺は1人でトレーナー室へと向かっていた。
トレーナー室はウマ娘の生徒達が普段授業を受ける教室がある本館とは違い、少し離れた別館に位置している。
その中でも、1番奥の出入りするのに手間がかかる一室が、俺とあの娘に与えられたトレーナー室であった。
最近は少し狭く感じる部屋であった。
チームでも持てば此処とは別の、もう少し広い部屋を与えられるのかもしれないが、これ以上大きな部屋に移動する気も、チームを持つ気も無いので現状あまり不満は無かった。
それに、チーム部屋に移動となれば、面倒くさい先輩との遭遇率も上昇してしまう。
やはり今の部屋がベストなのだろうと思う。
そして、そんな素晴らしいトレーナー室へと辿り着くと、扉の横辺りに違和感を感じた。
そこにはポストが設置されており、小さなサイズの紙がポストの口からはみ出ていた。
何かトレセン学園からの連絡が書類で行われる場合、ここに入れられているケースが多い。
しかし、大抵その場合は他のトレーナー室にも連絡として同様の紙が投函されている筈なのだが、今日通ってきた道を思い出す限りそんな様子は無かった。
となると、俺個人宛の手紙と言う事だが、俺の人間関係から考えると、理事長からの呼び出しか、駿川たづな女史からのお叱り注意喚起だったりするのだが。
やはり、送り主はたづな女史であろうか。
最近、何かと叱られる経験が増えた気がする。主にたづな女史から。
さて、何が校則に違反したか。届出なしの夜間外出か、いよいよルドルフの観察のし過ぎでのお忠告か。
正月早々どんな説教を受けるものかと小さな手紙を取り出すと、妙に紙が硬いことに気づいた。
「年賀状…?」
少しして、掌より何回りか大きいその紙が年賀状である事に気づいた。
何故トレーナー室に、それに誰からだろうか。
あの家族にそんな風情や息子への惜別の感情があるとは思えないが、もし仮に両親からの年賀状であるなら、俺のトレーナー寮へ送ればいい物。
それに、このポストに入っているということはこの年賀状は学内にいる者からの連絡であるという事だ。
最後に、そもそも俺に年賀状を送るような人物が居ないということ。
唯一あるとするなら、昨日俺がトレーナー室を去った後、あの娘がここに訪れ年賀状を入れたという説だが。
しかし、あの娘ならこんな回りくどいやり方ではなく、俺の寮のポストにでも入れるだろう。
ならば、誰かと。
手元の年賀状の送り主を確認すると、そこには懐かしい名前があった。
『シリウスシンボリ』
一体全体どういった巡り合わせか、ついさっき夢の中でも出会った懐かしい少女からの手紙であった。
彼女から俺への年賀状等、何の事情かと思い、年賀状を裏返しにして本文を覗く。
裏側には、淡いエメラルドグリーンを背景に何かの花の絵が書いてある、想像とは違う所謂『オシャレ』な年賀状の中身であった。
そこに上から書き込んでのであろう、軽やかな筆跡で英文が書かれていた。シリウスの自筆であろうか。
『一等星はすぐ側に』
と言う内容が短く書かれていた。
なんの意味があっての年賀状かと思えば、その中身を見て心の中で小さく合点がいった。
どうやら挑戦状であったようだ。
これなら、わざわざトレーナー室に送ったのも、何故送られたのかも同時に解決する。
送り主であるシリウスシンボリ。
彼女は俺と同じよう、ルドルフの近くでいる事が多かった。
そのため、彼女は俺の少ない交友関係では珍しくルドルフ繋がりでよく話す方であった。
しかし、対人経験の薄い俺はよく彼女の反感を買ってしまったようで、いつもシリウスが俺の言動に顔を赤くして怒り、それをルドルフが少し離れて呆れた表情で見ているという様子だった。
トレーナー資格取得の関係で、もう年単位で家を離れているため、シリウスと別れたのも数年前なのだが、彼女の歳から考えるに、もう直ぐこの学園に来てもおかしくは無い。
ルドルフの走りにばかり夢中であったが、古い日常の光景の中で走っていたシリウスの姿も、才能と努力に溢れたものであった。
きっと、彼女は来年、いや今年にでも此処に来るのだろう。
そこに気に食わない存在がいると知っての挑戦状か何かだろうか。
随分と手のこった挑戦状であると同時に、少し申し訳無い気持ちが襲う。
今年、4月からシリウスが此処を正式に訪れる日が来たとしても、その年の秋には俺はもう此処を去るのだ。
どういった形であるかは分からないが、彼女の望むような展開は難しいであろう。
今年1年。
もうトレーナーとして年明けを迎える事も、こうやって年賀状を受け取る事も無いのだ。
緑の年賀状が眩しく光った。
ーーー
もう随分生活感の見えるようになったトレーナー室に入る。
この部屋を与えられた当時、埃をかぶり何も無い殺風景な様子だった部屋の中身は、今では二分されていた。
片方は様々な資料や、積み重ねられた本の束が無造作に放られた大きめの机が置いてある。
主に俺が使用する机であり、こちらのスペースにはホワイトボードやレースデータ等、トレーニングに関わるものが多い。
そして片方、もう使い込んで少し経ったであろう1人が寝転べる程度の大きさのソファ。
こちらは、彼女の使用するスペースであった。
最近では自前の小さな机を持ち込み、ここで学園での課題を行っていたり、俺にはどれが何なのか分からないが、細かな道具等が置かれて行った。
この部屋で行う毎日の反省会が原因なのか、気づくと私物が増えていき、今では何となく狭く感じる程になっていた。
そうやって目に写る景色の変化を振り返りながら、俺はこの部屋にも置いてあるコーヒーメーカーを起動するため、流し台の方へと移動する。
既にセットしてある装置にカップを置いてからスイッチを押すと、小さな機械音と共にカップに少しづつ液体が注がれていく。
絶妙なリズムで柱を作っては消えていく、流れる珈琲を眺めていると後ろの方、扉から音が聞こえた。
俺が振り返る時には、ガチャりと音がすると同時に扉が開かれていた。
ひょこりと耳から姿を覗かせて入ってきたのは見慣れた少女であった。
「…あ、トレーナー。」
そこには学園用の制服ではなく、冬用の暖かそうなマフラーを首に巻いた私服姿の自分の担当がいた。
一応、学園に滞在する間は制服姿であることが義務付けられてるのだが、どうやら彼女はそんな些細な事は気にしないらしい。
「ああ、おはよう。」
靴を脱いで部屋に上がろうとする彼女に挨拶をして、チラリと壁にかけてある時計を確認する。
時計は、丁度7時ぴったりを指していた。
早起きついでに俺はこの時間に来たが、特に呼び出した訳でもない彼女がここを訪れるには早い時間帯だ。
「どうした?今日は休みと伝えたと思うが。」
年末年始はゆっくりと過ごしたいもの、という一般論をカレンダー見て思い出した俺は、事前に昨日今日はトレーニングが無い旨を話していた。
「あー、そうね。昨日は無事ぐたぐだ…ゆっくり過ごしたしね、今日は少しトレーナー室に顔を出そうと思って。」
大きく伸びをしながらこちらに歩いてくる彼女はそう言った。
「それにしても早い時間だな、コーヒー位しか用意出来ないが。」
親指でコーヒーメーカーのある背の方を指しながら言う。
それに対して、彼女は2回首を小さく振りながら答えた。
「遠慮しとくわ。私、コーヒー飲めないの。」
と言いながら彼女はソファに腰かけてから、顔をこちらに向けた。
「あと、こんなに早い時間に来たのはどっかの誰かさんが年末年始をスーツで連勤する姿を昨日寝る前に想像できたからよ。」
ほらね、と言いながら俺に人差し指を向けてきた。
「…まさかな、今日位はゆっくりするさ。」
そう言って、音が鳴らなくなったコーヒーメーカーから完成したカップを取り出して1口飲む。
「今日位は、ね。」
なんて訝しげな表情で話す彼女に気づかない振りをしてコーヒーを飲む進める。
「ん?トレーナー、それ何持ってるの?」
追求が終わったかと思うと、彼女は俺の下ろしている左手が握る年賀状に気づいたようだ。
俺は左手を上げ、その表面が見えるようにしながら彼女に説明を試みる。
「ああ、これは年賀状だ。ちょっと懐かしい人物からのものでな、トレーナー室宛に入ってた。」
「…トレーナー室宛に?誰、家族から?」
流石に寮ではなくトレーナー室に配達された事に違和感を覚えたのだろうか。
「いや、彼等はこういったものは渡してこない。知り合いの、少し手の込んだ"オシャレさん"がいてな。」
名前を言ったところで知らないか、またシンボリの名前を出す事でシンボリ信者だと言われる事を考慮して名を伏せる。
「トレーナーが、年賀状を知り合いから…?」
彼女はまるで密室現場を前にした探偵のような口ぶりで話した。
「そこまで不審がる事もないだろう…ないよな?」
そこまで交友関係に疑心を覚えられる程とは、彼女から見てどれだけ性格に難があると思われてるのだろうか。
改めて自分の身の回りに友人と言える人間が居ない…少ないことに不安を覚えた。
すると、そんな反応を見た彼女はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた後口を開いた。
「冗談よ、8割くらい。」
2割は本音らしい。
担当のウマ娘にまで交友関係を心配されるとは。
少し、愛想良くしてみようかと思っていると、彼女がおもむろに立ち上がった。
「てか、私はこのままダラダラしてても良いけど、もしかしてトレーナーは今日も働く気なの?」
再び問い詰めるような口振りになり、彼女の目が少し威圧的に吊り上がる。
「…。」
なんと言っていいものか。
いや、本当のことを言えばバリバリ働くつもりだったが。
このまま正直に言えば、またクリスマスの時のように俺の常識を疑われ、否定したとしても、今度は俺の言葉を疑われるだけだ。
どちらにしても逃げ場がないため、俺は黙秘権を行使した。
「呆れたわ。トレーナーの鑑ね。」
しかし、黙っていても彼女には効果が無いらしく、やれやれといった様子で両手を肩の辺りまで上げて、手を開いて呆れたと言うようなポーズを取る。
そして、今度は俺のもとまでズンズンと近づいて来た後、少し背伸びをして、俺の手にもつカップを中身の珈琲を零さないように取り上げた。
「はい、今日はもう営業終了よ。ほら、そんな堅苦しいスーツから着替えて。」
そう言って彼女は俺の身体を軽く叩くと、今度は自分の荷物を持って玄関へと向かった。
「…着替えろと言われても、俺はこのままで構わないが。」
俺はスーツ首元あたりを軽く引っ張りながら主張する。
靴を履こうと片足で立ちながら、踵に手をかけている彼女は振り向いて言った。
「トレーナーが構わなくても、私が構うのよ!」
どういうことなのか。
困惑する俺に「いいから早く着替える!」とだけ言った彼女は俺を置いてトレーナー室を出ていった。
彼女は何をお求めか。
如何せん我の強い彼女の気性と思考は読みづらい。
いや、ただ俺の人の心情を察する能力が低いだけかもしれないが。
仕方なく、取り敢えず彼女の希望通りに堅苦しいスーツを脱ぎ、ワイシャツの上に羽織る何か暖かそうな上着を探すことにした。
ーーー
「なるほど、そういう事か。」
トレーナー室に置いてあった、もこもことした綿のついたフード付きの上着を羽織りながら、俺は自分の担当の後ろを歩いていた。
あの後着替えた俺がトレーナー室を出ると、既に待ち構えていた彼女が居た。
「やっと来たわね。」
と言うや否や、彼女は着いてくるように伝え、足早にその場を後した。
慌てて着いて行った俺は学園を出て、商店街の道を超えて神社のある山場の方まで歩いていた。
すると、正月に神社と言う組み合わせからか、周囲を行き交う人達の装いも着物と言った華やかになっていた。
「何も聞かずに着いてきたが、もしかして君の目的は初詣だったりするか?」
着物こそ着てはいないが、トレーナー室に訪れた時点で私服であった彼女は元から俺のもとを訪ねるついでに外出をする予定であったのだろう。
「そうよ、折角のお正月なんだから、これくらいは気分味わっておこなきゃ。」
俺達は正月の定番、御参りをするため神社へ訪れているようだ。
神社の前は平時より多くの人やウマ娘で賑わっており、着物や冬服に身を包んだ者たちが参拝へと来ているようだった。
今回、彼女から正月のレクチャーとして参拝を提案された。
勿論参拝を知らない訳でも、目の当たりにしたことがない訳でもない。
しかし、実際に神仏に対して真面目に願い事をするのも、神社に訪れる事も初めてであった。
「しかし、ここを登るのか…」
神社の本体、所謂本殿を拝むためには目の前に立ち上っている石階段の群れを突破する必要があった。
何故神社の石段というものはここまで長いのか。
先行きを考えるだけで登る気を失せさせるこの設計は、神からの試練なのだろうか。
そして、俺の隣に立っていたはずの少女が、先を考えて怯えてる俺とは対照的に、なんの躊躇も無くその石段に足をかけた。
「ほら、トレーナーもさっさと登るわよ。この程度の長さでへこたれないの!」
コンコンと石段を踏み上げる音を響かせながら、彼女は俺を置いてリズム良く登り始める。
ウマ娘基準で語られても…と言い訳をしたい所だが、残念ながら俺は一般的な成人男性と比べても体力が乏しい。
置いていかれる訳にもいかず、俺も意を決して石段を登り始めた。
見上げると、もう彼女の背は高く見えた。
何段か止まらずに登り続けてると息が上がってきた。
「っはぁ、はぁ、」
思わず息が漏れ始めていた。
上の方を見上げると、もう何段を先を登る彼女の姿があった。
普段、彼女に対してスタミナが足りないだとか言ってるトレーナーがこんな姿でどうなのだろうか。
少し考えて、次の瞬間にはそんなことに思考を割く余裕すら無くなっていた。
ーーー
「にしても、本当に体力無いのね。トレーナー。」
やっと登りきった石段の先では、赤い鳥居の前で俺の事を待っている寒さにより少し頬を赤らめた彼女が居た。
息を整えてから話しかけようと思ったが、中々荒い呼吸が収まらず、近くの丁度いい岩に腰掛ける事にした。
「ふう…。いや、全くもってその通りだ。昔から激しく身体を動かす経験がなくてな。」
少なくとも体の丈夫さを自分の担当に理想とするトレーナーである者がこれでは威厳が無いかと思ったが、初めの時点で威厳など欠けらも無い出会い方であった事を思い出した。
「ふーん、昔ね。そういえば私トレーナーの生い立ちとか、あまり気にしたこと無かったかも。」
俺の体力についての言及をしてると、昔話について焦点が当てられる。
気にした事がないと言われてみて、自分でもあまり気にしたことが無いことに気づいた。
横の彼女に視線を合わせると、耳をピクピクと動かし、じっと目を見つめられた。
昔について聞きたいらしい。
「…すまないがあまり話せる内容はないと思う。」
空は青く、何となく透明に思える。
そんな空を見上げたまま、彼女に答える。
「…いや、言いづらいなら言わなくていいけど…。」
少し気まずそうな雰囲気を纏って、腫れ物に触れてしまった様なリアクションで彼女は言った。
どうやら誤解を誘発してしまったようだ。
別に俺に後ろめたい過去も、震えるほどの悲しいエピソードもない。
「いや、特に深い理由はない。単に、一部を除いて興味が無さすぎて覚えてないだけだ。」
これは本当の話だ。俺は過去にトラウマを抱えてるわけでも、大きな挫折をした訳でもない。
今のところ、人生最大の絶望はルドルフからスカウトを断られた日くらいだろう。
「…はー、なんだ気を使って損した感じだわ。」
目をパチリと一瞬開いた後、ため息をして、いつもの少し上がり気味の吊り目でこちらをジトっと見つめられる。
大方、俺に何か人には言えないような深い事情があるものだと推察していたのだろうか。
「ちなみに、トレーナーが覚えてるのってどこ辺りから?」
どこ辺りから、というのは俺が明確に日常を記憶し始めた辺りと言うことだろうか。
それならば、当然。
「ルドルフに会った辺りからだな。」
と、答えた。
俺の日常に色が戻り始めたのは、あの日のルドルフを見た日で、それは鮮明に思い出せた。
しかし、答えたはいいが彼女からの反応は芳しく無く、またため息混じりに。
「まさに、根っからのシンボリルドルフ信者ね。」
と言いながら彼女はこちらを軽く睨んでいた。
彼女から映る俺の奇行に対して彼女はよくシンボリルドルフ信者だとか、教祖だとか言い出す。
それはもう良くある日常なのだが、最近はうんざりされているのか、この様に睨まれたり、唇を尖らせたりして不満を顕にするのだ。
「そんなんじゃないさ。ただ、俺にとってシンボリルドルフは生活の当たり前だったという話だ。」
ま、それも今となっては人生最大の敵でもある訳だが。
しかし、この言葉が彼女の琴線に触れたのか、目線を向けると今度は首をクルンと垂直に振り、そっぽを向いてしまった。
「…はあ。トレーナーってデリカシー無いでしょ。」
今度はデリカシーについての話のようだ。どうやら今のは選択ミスであり、結果として彼女を怒らせたようだ。
なんというべきか。汚名挽回をすべく彼女への言葉を考えているが、特に浮かばない。
そのまま沈黙が何秒か続くと、彼女がもう一度大きなため息をした後に腰掛けていた岩から立ち上がり、本殿の方へ体を向けた。
「ま、いいわ。次までに私みたいな繊細な乙女への態度を改める事ね!」
顔を人差し指と共にバシッと俺へ向けながら彼女はそう言った。
如何せん対人関係は苦手である。
あまり動かない表情の代わりに、ポリポリと頭を搔く事で感情の表現をした。
「繊細、か。」
気づくと息も整っており、何時までも座りっぱなしでこれ以上彼女の乙女心を傷つける訳にもいかないと考えた俺は立ち上がり、彼女の背を追いかける。
彼女の背より少し後ろに位置している赤い鳥居をくぐる。
神社内部では意識しなくても誰かの声のざわめきが耳に入る程に人の姿が確認できた。
賽銭箱の前の行列に並ぶ者たちや、おみくじの結果に一喜一憂する若者たち等、老若男女問わず様々な者たちによる活気が形成されてた。
あの石段を前にしてここまで訪れる者は少数であろうと考えていた俺は思いの外多い人の姿に少し驚いた。
「そりゃ、正月なんて神社に1番人が集まる時期よ。当たり前でしょ。」
「…声に出てたか?」
エスパーだろうか。
自分の喉に手を当てて、確かに声に出していない事を思い出しながら尋ねる。
「顔に出てたのよ。」
そう飄々と答える彼女の声に俺は右手で頬を触る。外の空気に晒されていた顔の表面は冷たく、掌の温もりが頬に伝導して言った。
もしかしたら俺は感情が豊かなのかもしれない。
現在俺の心を読んでいるのは彼女だけだが、俺は最近自分の表情筋が想像より活発に活動してるのかと思うようになっていた。
うむ、最近は学生時代よりも話す相手が増えている気がするしな、今横にいる彼女や、たづな女史とか。
やはり俺のコミュニケーション能力も必然的にあがり、感情表現も豊かになったのだろう。
「あ、ちなみに表情に出たとかじゃなくて、何となくの雰囲気ね。」
…違ったらしい。
またまた俺の心をナチュラルに読んできた彼女は人差し指を立てながら俺に注釈を入れてきた。
「…やはりエスパーか。」
別にトレーナーの表情が豊かという訳では無いわよ、と言い、無情にも俺に現実を突きつけた彼女は敷地に敷き詰められた玉砂利の中に浮かぶ石畳の上を進み、賽銭箱へと続く列に並んだ。
どうやらまず拝礼を行うらしい、彼女に続くように横の列に俺も足を置く。
「それで、せっかくの正月に神社に来たのはこれが目的か?」
財布取りだし、2枚分の五円玉を取り出しながら彼女に尋ねる。
すると、彼女はまた呆れたようにため息をしながらこちらを見て、
「いやいや、別に正月に参拝に来るのに理由とか要らないからね。トレーナーって、そういうところ抜けてるって言うか、アホよね。」
と言った。
「…むう。」
いきなりのアホ発言に何か言い返してやろうかとも考えたが、如何せん俺が常識離れしている事も事実であるし、発言した所でまた彼女から課題を提示されるだけだろう。
なんてやり取りしてる間に列は進み、俺達の後ろに新たな参拝者が並んでいた。
賽銭箱を目の前にして財布の中身を探している彼女に、取り出した1枚の五円玉を手渡す。
「ん、ありがとう。」
そう言って小さく頭を下げた彼女は、五円玉を箱の中へと投げ入れた。
投げた五円玉は弧を描き、チャリンと音を立てて賽銭箱の底へと落ちていった。
チラと横に目を向けると、同じように五円玉を投げ入れた彼女が目を瞑り、手を閉じて切に何かを願っていた。
神頼みは好きでは無かったが、彼女のその姿に自分を願わないのは不誠実な気がしたため、俺も神様にお願いをすることした。
手を合わせ、パチンと音を立てて目を瞑る。
何を願うべきか、考えて一言思い浮かんだ。
ー打倒、皇帝を。
それは、祈りと言うより、宣誓に近かった。
ーーー
「で、何をお願いしたの?」
「さぁな。ささやかな願い事だ。」
あの後、気分を満喫する為と彼女がくじ引きを提案したが、引いた俺の運勢は凶。
そんな俺のおみくじの結果を共に見た彼女は
「不運ね、トレーナー。」
と小さく勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
年始早々不運を神と彼女に笑われた後、彼女の番となりくじを引いた。
驚く事に、彼女も凶であった。
笑っていた彼女の笑みは時間が止まったかのようにその場で動きを止めていた。
正に、運命共同体である事が発覚した後、2人揃って神妙な顔つきでおみくじを結んだ。
そんな事もあり、本日彼女の言う正月イベントをクリアした俺は行きに登った石段を下っていたところ、彼女から願い事の内容を尋ねられた。
「さぁなって、何か言い難い疚しい事でも考えてたの?」
今度は、彼女が冗談交じりに「いやらしい」なんて笑み浮かべて言いながら揶ってきた。
「そういう君はどうなんだ?」
尋ねてくる彼女に俺から逆に問いかける。
すると数瞬考えた様に目線を上に向けた後、人差し指を彼女自身の口の前に立てて、
「乙女の秘密よ。」
とだけ言った。
どうやら、俺はこの乙女と言う言葉に弱いらしく、これを盾にされてしまっては何を聞くも出来ない。
「秘密か…。」
「そ、秘密よ。」
何となく、彼女と目が合い、それから奇妙な間を空けたあと、彼女がクスクスと笑いだした。
「…また何かおかしなことを言ったか?」
不審に思った俺に対して彼女は何が可笑しいとか笑いながら返事をした。
「いやぁ、何となくね、私とトレーナー、同じ事考えてそうだなって思ってね。」
くじ運も一緒だし。
そう言う彼女はまだ楽しそうに笑っていた。
同じ事。
年齢も、ウマ娘である事も、立場も生まれも違う彼女と俺が一致する点は少ない。
しかし、そんな彼女と同じ事を願ったとするならば、それはーー
「ねぇ、トレーナー。」
ぽつりと彼女が呟くように話しかけた。
行きは途方もなく長く思えた石段も、気づくとあっさりとその下層へと移動していた。
頭上の空を、雲が緩やかに流れていく。
ゆったりと過ぎていた二人の間の時間を動かしたのは、彼女からであった。
「年始早々悪いんだけどさ、今日この後にトレーニングって、出来る?」
彼女の口からは、突然の事が告げられたが、頭は驚くほど冷静に彼女の言葉を飲み込んだ。
否、むしろ、それ以上に身体彼女のその言葉に確かに自分の中に滾りを感じた。
「奇遇だな、俺も丁度今日のトレーニングメニューについて考えていたんだ。」
彼女の目を見て、そう答える。
本当は、メニューなんて考えていなかったが、頭の中は既にこの後のトレーニングのことを考え出していた。
「!!そう。じゃ、早速帰ったらトレーニングよ。私、先に行ってるから!」
そう言った途端彼女は目にも留まらぬ速さで来た道を引き返して、学園へと向かっていた。
先に進んだ彼女の後ろ姿を眺めて、改めて石段の向こうの今日来た神社を見つめる。
クラシック期。
これから俺が進む、彼女が走る最初で最後の1年だ。
シンボリルドルフに勝つ。
これから数々のレースに挑むと言うのに、ただ1人のウマ娘に対して勝つと言う目標。
聞くと矮小な目的にも思え、しかしそのウマ娘の名を聞くと到底叶わないものにも思える。
菊花賞までにシンボリルドルフに勝つ。
制限付きの、破滅が約束された未来。
そんな絶望に進む1歩だと言うのに、心は何処か晴れていた。
目線を神社のその上の空に向けてから、そろそろ自分も学園に向かわなくてはならないと思い、視線を落として彼女の走り去っていた方向へ向ける。
歩き出すための1歩を踏み出そうと足をあげようとした時。
上着のポケットから、普段聞かない着信音が響いた。
踏み出そうとした足が、止まった。
なんかとんでもなく投稿期間が空きましたが、今後も更新はします。
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