辺境領の業務日誌 あるいは新人領主とその秘書官のドタバタな日常 作:雅媛
新領主の着任 1
『今日も平和な一日だった』
辺境領の業務日誌にこの記載が行われるのは、5日連続である。
では6日前に何があったかというと、農家のおばさんが作業中に怪我をして手当てをした、というだけである。
そして、その前は1週間、同じ記載が続く。
住人の怪我ぐらいしか書くことがないぐらい、この辺境の町ヴェステは平和だった。
住人は100人足らず。
南以外の三方を山に囲まれた、街道の行き止まりに存在するこの町は、めぼしい産業もなく、過疎化が進んでいた。
住人も、年寄りと、子供と、少数の若い女性のみ。
仕事が少ないため、若い男たちは皆もっと大きな街へ出稼ぎに行ってしまい、そのまま帰ってこない者も少なくない。女たちも町の外へと嫁いでいく者が多く、残っているのは外に出られない老人や子供ばかりであった。
そのうち、人が居なくなって消えてしまうかもしれない。そんなド田舎で、町の纏め役である代官をしているのが、この日誌を書いているツバキであった。
まだ16歳のツバキは、昨年亡くなった父の跡を継ぎ、この町の代官をしている。
ド田舎とはいえ、一応皇帝直轄領であるこの町の代官は皇帝から選任されるものである。閑職であることは疑いがないが、それでも正規の帝国の職員である以上、成人したてで学歴もない、ただの田舎娘であるツバキが任命されることは本来あり得ない。
だが、1年前、前代官であったツバキの父が亡くなったとき、帝国は魔王討伐戦の真っ最中であった。帝国どころか下手すると世界の存亡がかかっている戦争中に、辺境の代官一人のことなど関わる余裕がなかった。
結果中央から正式な代官が送られてくることもなく、ただ、父が代官だったからという理由で、ツバキがなし崩し的にその職を引き継ぐことになったのが現状だった。
代官とは本来町の纏め役である故、とても偉い仕事だ。だが、こんなド田舎ではその偉さもたかが知れている。
仕事内容も大したことがない。
毎日見回りをして、町でトラブルが起きていないか確認すること。
町の誰かが困っていたら手伝うこと。
結局何でも屋以上ではなかった。
他には業務日誌を書いたり、帝国に納税のための手続きをしたり、といったこともあるが、基本忙しい職業ではない。
だが、そんな仕事でも、一人食べていけるぐらいの給料がもらえるのだから、本人としてはかなり満足していた。
「平和なのはいいことよね」
日が暮れてきたころ合い。
いつもの定型文を記載した日誌を閉じながら、ツバキはひとり呟く。
別に何かトラブルが起きることを望んではいない。
何か変化も求めていない。
年齢の割に、ツバキは非常に達観していた。
そして、そんな日常が続くと、無条件に彼女は信じていた。
ツバキの日常は平凡だ。業務を終了した後は、夕食を食べて寝るだけだ。
夜起きていると明かりとして灯油を消費する。安くない灯油を日常的に消費できるほど、ツバキの給料は高くなかった。
夕食は、塩漬け野菜を煮込んだだけのスープに、硬くなったパン。
いつも同じものである。
安くてお腹が膨れるが、一般的においしいものといわれる料理ではない。
だが、彼女はそんな安い料理が嫌いではなかった。
日が落ちる前に料理を済ませようと、鍋を片手に食料保存庫に向かおうとするところで……
「ごめんくださいー」
コンコン、というノックとともに、入り口から若い女性の声が聞こえてきた。
ツバキにとって聞き覚えのない声だ。この人口の少ない町の人間なら声からだけでも誰だかすぐにわかる。こんな可愛らしく若々しい女性の声の持ち主など、この町にはいない。
とすると、声の主は外から来た人間だろうか、とも一瞬思う。だが、若い女性がそもそもこんな辺境に来る理由もまったくわからない。
よもや、何か超常的なものが女性に化けているのではないか。
そんな突拍子もないことが頭をよぎるぐらい、その声はこの辺境の町では普通ではなかった。
開けるべきか、居留守を決め込むか、そんなことを悩みながら扉を見るツバキに、外からの喧騒が聞こえてくる。
「ねーちゃん、ほんとすげーな」
「さすがのボクでもちょーッとばかし苦戦したけどね、でも魔王ほどじゃなかったよ」
近所の子供の弾んだ声と、最初の女性の声が会話している。
「ツバキさーん 居留守決め込んでないで、出てきてよ~ 熊肉よ!!」
別の近所の子供がツバキを呼び掛けている。どちらも覚えのある声であった。
どうやら、正体不明の若い女性は、街の住民をどうにかして味方につけたらしい。
熊肉、とか言っているが…… 熊を仕留めたのだろうか。
しかし、この辺りに生息する熊というと、森熊という全長5mにもなる狂暴な生き物である。熟練の狩人でも避けて通る相手であり、狩れるような相手ではない。
それをあの若い女性の声の持ち主が、仕留めるなんて常識的に考えにくかった。
とすると女性は行商人か何かで、商品に熊肉の燻製でも扱っているのだろうか。
納税時期も外れてるし、こんな辺境の町まで足を延ばす理由は何だろうか。
頭に疑問を浮かべながら扉を開けると…… 視界に飛び込んできたのは茶色い山のような毛玉だった。
「でかっ!? なにこれっ!!」
思わず声を上げる。
その声に反応して、子供らがわらわらとツバキに集まってきた。
「あ、ツバキねーちゃんやっと出てきた」
「すごいおっきいよね! これバラすからツバキさんところの解体道具貸して」
「あ、うん、納屋の中にあるから、使っていいけど……」
「わーい」
熊を見ていた町の人たちが、ツバキの答えを聞いてぞろぞろと納屋へ向かっていく。父が昔使っていたという動物の解体器具一式が置いてあるのだ。おそらく町で一番立派な道具であり、この大きな毛玉、推定森熊の死体を解体するのに使いたいのだろう。
突然の状況に呆然としているツバキの目が、熊の前に立つ見慣れない女性に止まる。
全く見慣れない女性だ。さっきの若い女性の声の主だろう。
俄かには信じられないが、おそらくこの熊を持ってきたのが彼女なのだろうと、ツバキは思った。
この町に森熊を狩れるような人はいない。だが、目の前の森熊の死骸がある以上、これを持ってきたのは彼女なのだろうと思った。
ツバキは女性を観察する。
パッと見て目立つのはその銀色の髪と、頭に生えた角である。
頭の横に生えている羊のモノに似た巻角は、真っ白で非常に目立つ。
珍しい銀髪も合わせると彼女が光り輝いているようだった。
さらに背中に生えている蝙蝠のような小さな翼と、地面をしてしと叩いている鱗の生えた尻尾を見れば、彼女が竜人であるのはすぐにわかった。
竜人は、皇族や貴族に時々いる種族であるが、数は多くない。彼女ももしかしたらどこかの貴族の血を引いているのかもしれない。
身長は、目測140cmもなさそうだ。
非常に小柄であり、近所の子供たちと比べても下手すると小さいようにも見える。
だが、子供ではないだろう。子供とも間違えられそうな身長である一方、彼女のその胸部は非常に豊満であった。
女性用の胸甲をしているにもかかわらず、鎧の上からでもわかるぐらい大きいのだ。脱いだらすごそうだ。
一方でウエストや腕はかなり締まっていて、鍛えているのが外見からでもよくわかる。幼児体型とは違う、女性らしい体つきだった。
端的に言えば、小柄だがナイスバディな女性である。
服装は冒険者が着るような、胸部だけ金属で作られた軽鎧だ。だが、冒険者のように薄汚れておらず、薄い青を基調に白いリボンが彩られたワンピースのような鎧下はかなり可愛らしい。
腰に下げた剣と装甲が取り付けられた服装から言って、戦うことを仕事にしているのだろうと思うのだが、一方でお姫様のようにきれいな服を着た彼女の職業が何か、ツバキにはわからなかった。
じっと女性を見つめ続けるツバキに、女性も気づいたようだ。
目と目が合う。その女性は顔も美人でる。
目が大きくてちょっと幼く見えるがそれでも青く輝く瞳はとても美しく、顔の造形も非常に整っている。
そんないろいろとこんな辺境の町にはチグハグな彼女は、何も警戒する様子もなく、ツバキに話しかけてきた。
「えっと、貴方が代官さんかな?」
「はい、この町の代官のツバキです。失礼ですがあなたは?」
「この町の領主になったアーシェロットだよ。よろしくね、ツバキちゃん」
「よろしくお願いしますアーシェ…… え、領主?」
アーシェロットは楽しそうに笑った。