辺境領の業務日誌 あるいは新人領主とその秘書官のドタバタな日常 作:雅媛
「明日から、どうしようかと思いまして」
原因は目の前のアーシェロットではあるが、彼女に問題があるわけではない。
単に彼女はこの辺境の町を領地として受けた。ただそれだけである。
いろいろ思うところも感じることもあったが、彼女に全部ぶつけるのは気が引けた。
そんなごちゃごちゃした気持ちがまとまらないまま答えた結果、ツバキの回答は、わかりにくいものになってしまっていた。
それを聞いて、アーシェロットは首をかしげる。
「あ、もしかして明日広場を使う予定があったとか? ごめんね。明日朝一番に片づけるから」
「いえ、広場を使う予定はないです」
完全に的外れな心配をし始めたアーシェロット。
そういうわけではないと答えたツバキの声色は、自分で意識しているわけでもないがかなり冷たく響いてしまう。
ツバキは自分のそんな態度に、まるで八つ当たりしているかのようだとさらに元気をなくしてしまう。
それに焦るのはアーシェロットだ。元気づけるつもりで来たはずなのにまるで逆の結果になっている。新人領主最初のお仕事、住民を元気づけるが大失敗に終わりそうな気配を察していた。
「じゃ、じゃああの大きな熊倒しちゃいけなかったとか? 領主が初めて着任した時って、領地周辺の大きな獲物を狩ってきてみんなに振舞うっていうのが帝国の伝統であって、それにより新しい領主の頼りがいと寛大さをアピールするんだけど、現地で信仰されている神獣とかを狩ってトラブルになることもあるらしいんだよね。一応調べてはきてたんだけどもしかしてあの熊もそういう神獣とかで、それを狩っちゃったから明日から何かしなきゃいけない「いえ、そういうわけではないです」あ、そう…… な、ならよかった」
焦って早口になりながら、ウンチクだか言い訳だだかわからないことをしゃべり始めたアーシェロットの、発言を遮るかのようにツバキは答えた。
その声の冷たさに、言われたアーシェロットだけではなく、町の人たちも二人の方を振り向いた。
別にツバキも冷たくしたいわけではない。
ただ、明日からホームレスかもしれないという状況にメンタルが限界を迎えている上に、その原因ではあるが最低限のプライドで八つ当たりはしたくないという気持ちもあり、気持ちを押し殺している結果、春の夜にもかかわらず冬の寒さを感じるほど冷たい声色になってしまっただけである。
町の人たちは、二人の様子を察し、そそくさと家へと帰っていく。
肉は十分食べたし、権力者である領主さまと、元権力者である代官の諍いに巻き込まれたくないと判断したのだ。
そんな街の人たちの様子にも気づかないまま、アーシェロットは言葉を紡ぐ。
ドツボに嵌っていっている自覚はあるが、沈黙の方が耐えきれなかった。
「えっと、ごめん、じゃあ明日って何があるの?」
「何もないです」
「?」
「何もないから困ってるんです」
「??????」
話が謎かけのようになってきて、アーシェロットの頭は『?』で埋め尽くされた。
ツバキが困っていることは間違いないだろう。
それが、何もないこと、というのはどういうことか。
何か起きることを期待しているのだろうか? もう、全く訳が分からなかった。
アーシェロットは最終手段に出ることにした。
「はい、これ。ひとまず飲んで落ち着こう?」
ツバキに液体の入ったコップを渡す。中身は、酒である。先ほどの騒ぎで、酒を持ち込んできた住人が居り、少し分けてもらっていたのだ。
「ありがとうございます」
「あ、ちょとま、あ」
疲れと混乱で思考力が死んでいたツバキは、受け取ると一気に飲み干してしまった。
中に入っていたのは度の高い蒸留酒である。
喉が焼けるような感覚を覚えたが、ツバキはそのまま飲み干してしまった。
「だ、大丈夫?」
すでに日が沈み、広場にあった明かりも町の人の撤収で片付けられてしまっているため、あたりは月明かりぐらいしかなく、暗かった。
ぱっと見ではどうなっているかわからなかったアーシェロットはツバキの顔を覗き込み……
「ふぎゃっ!?」
そのまま両側の頬っぺたをツバキに摘ままれた。
意味が分からないが、息は酒臭く、顔は赤くなっている。酔っているだろうことは容易に想像できた。
「そもそもですね」
「ひゃい」
「なんなんですか領主って」
「にゃに、って言われても……」
そこにツッコミを入れられても答えに窮する。
領主は領主である。それ以上の説明は単純すぎて逆に難しかった。
「あなたのせいでですね」
「ひゃい」
「私は明日からホームレスですよ」
「いや、そうはならないかと」
「なるんです!!」
「ほっぺもげちゃううううう!!!」
全力で両頬を引っ張られたアーシェロットは涙目である。
相手が屈強な男だったら力づくでも振り払っただろうが、自分と同じぐらいの年の女性だ。暴力は戸惑われた。
「この町に碌な仕事なんてないんですよ!!!」
「ひゃい!!」
「だから仕事がなくなったら大きな町まで行かないといけないんですよ!!!」
「ひゃいいいい!!!」
「こんな小娘に碌な仕事なんてあるわけないじゃないですか!! 春でも売れとでもいうんですか!!」
確かに身寄りのない女性が一人大都市に行けば、最悪そういうこともあるかもしれないのは確かだ。
だが、目の前の彼女を自分の秘書として雇う予定だったアーシェロットには、ツバキの言っている意味が分からなかった。
困惑するアーシェロットの頬から手を放すと、ツバキは怒ったように今度はアーシェロットの胸をわしづかみにした。
「にゃああああああ!?」
「なんですか! 私みたいなまな板には需要がないというんですか!! ぷぷ、お前の春なんて買うやつもいねーよとでもいうんですか!!!」
「言ってない!! 言ってないから!!」
非常に豊満なアーシェロットに比べ、ツバキの胸部は平坦だった。
もっとも長身で、濡羽色の黒髪を持つ彼女は普通に美人であり、体型もスレンダーというべきものであるから、そういう場でも人気になりそうにも思えるが…… そんな感想には何も意味がなかった。
ツバキの力が強すぎて、胸は指が食い込んで痛いし、身長差で押し込まれて地面に押し倒されるしで、もうわけがわからない状況になっている。
「もう行き倒れ確定じゃないですか!! どうしてくれるんですか!!」
「いやそもそも秘書官とかそういうのに……」
「責任取ってください!!!」
「話が通じてない!!」
酔っ払いに話が通じるわけがないのだ。
だが、被害者にそれは何の慰めにもならなかった。
「責任取って養ってください!!」
「どういうことだってばよ!?」
領主に任じられて現地に行ったら元代官に迫られている今の状況について、説明を求めたくてしょうがなかった。
ダイナミックすぎる現地のハニートラップである。もしや、町の人たちもこれを予想して逃げだしたのだろうか。そんな被害妄想すら頭に浮かんでしまった。
ひとまず、ツバキの悩みは代官解任後の仕事のことのようだ。
勘違いしているようだが、代官をクビになってもそのまま放逐されるのは職務怠慢だった奴ぐらいであり、領主の秘書官などに横滑りするのが普通だ。
領地のことを分かっている人材をわざわざ外に出す必要性もないし、通常の処理なのだが、彼女はそれを知らなかったのだろう。
ツバキの悩みは簡単に解決しそうだが、それとは別に現状を打破するのは困難を極めていた。
ひとまず明日ゆっくりと膝を詰めて話すべきだろうと現実逃避をしているアーシェロットに、ツバキが覆いかぶさってくる。
そのまま顔が近づいてきて……
「ん~!!!!」
アーシェロットの唇は奪われるのであった。
いきなりすぎる熱いべーぜに混乱するアーシェロットであったが、すぐに異変に気付く。
「ちょっと、大丈夫!?」
酔いが完全に回って、気を失って倒れこんできただけであった。
その着地点が唇って、それはそれでどうかと思うが、飲ませたのが自分である手前、あまり文句も言えなかった。
ため息をつくと、ツバキをお姫様抱っこして、町役場の建物の中に入るアーシェロット。どこにベッドがあるか、とか全くわからないが住人がこんな状況ではどうにかするしかなかった。
そんな二人のやり取りの一部始終を、町の人たちは物陰から見ていたこと。
明日にはその噂が町中に回っていることなど、二人はまだ知る由もなかった。