夕闇が深くなる。段々と暗くなるのと合わせて街も賑わいを見せてきた。大通りも歩くのが大変だ。
「雉だよ。雉! 丁度煮えたよ!」
「並べ並べっ! ったく! ほい一丁!」
「聞いたかよ。あのおかっぱ、煉瓦街に入り浸ってんだとよ」
「んだよ。早く帰ってこいよ。おいらも行きてえわ」
赤提灯の下、暖簾の先には先客が集う。どこも繁盛している。
伊雲屋のあの子にお土産をと物色していたが、やはり甘味ものは数える程しかない。大通りの中央辺りには汁粉を配っているが、お椀を持って帰るのもあれだ。水筒なんて尚更お土産らしくは無いだろう。
やはり饅頭か。色々と配ったお陰で風呂敷も大分軽くなっている。味も悪くないし、丁度良い土産だ。
ただどうしても拭いきれない感情が残っている。最初に渡した蜜柑と比べてしまう。ほんの少し物足りない、と。
なので取り敢えず蕎麦屋へ向かった。先程聞いた事の無い場所を話題にしていた男達の話が聞きたくなった。
「らっしぇい。兄ちゃん達、ちっとずれてくんな」
「おおう、真っ黒で。おい吉、そっち寄りな」
「こっちでさぁ。ここの蕎麦は美味えですぜ」
どうも、墨顔と言います。よろしく。案の定、彼らにはウケた。カケを一杯注文。
彼らは松蔵と松吉と名乗った。兄弟で昔は豆腐屋を営んでいたらしい。
「地震があってよ。気付いたらここに居た。墨顔の旦那は?」
私も似たようなもんだ。蕎麦がすぐにやって来た。ついでに酒を三つ。彼らにも。
饅頭は二つだけで良いらしい。そんなに食べきれないと店主は笑う。
松蔵達に酒を奢ると彼らも私に自前のどぶろくとやらを杯に注いでくれた。愛想良い彼らとは話が弾み、聞きたかった甘味の場所を尋ねた。それと煉瓦街とやらも。
松吉は甘いもの好きなようでこの辺りについても詳しかった。
「んじゃあ、旦那。土産だろ? ならあっちの通りを進んで左手に橋が見えるからよう、そこ渡って道なりに行けば『いさな』って看板あるんだ。そこの羊羹はチョイといけるぜ」
ほう、こりゃ良い事聞いた。有難い。羊羹なら日持ちするだろうし。これを呑み切ったら行くとしよう。
「そんで煉瓦街なあ。駅あっただろ? 下りで五つ目にそこに着くんだよ。文字通り煉瓦の町だ」
そこの菓子が美味いらしい。葡萄酒を使った洋菓子。この呑み屋街では大人気の逸品なんだと。
松蔵達の知り合いがよくその街に通っていたが、ここ最近は帰ってこないという。
「なに、心配してる訳じゃない。だけどあいつが持ってくるお土産が恋しいのよ、旦那ぁ」
松吉は頬杖を突いて頬を膨らませる。私はたった五つ先の駅にどうして行かないのか聞いてみた。
「どうにもあそこは落ち着かなくてね。この格好だと浮いちまうんだよ。それに羽虫みてえな小っちぇいガキに追い回されて嫌になったんだよ」
その子供の容姿を聞く限り絵本に出てくる妖精そのままで思わず笑ってしまう。変わらずに奇妙な世界だ事。是非行ってみたいものだ。
さて、そろそろ出るか。今度その街に行く機会があったら菓子を土産に持って帰るよ。
「本当ですかい! 旦那! こりゃ良い御仁と出会えて嬉しいもんだ。なあ蔵すけ」
「そうだな、吉。旦那、これを。いさなの女将はこれをつまみにするんで持っていって下せえ」
一夜干した蛍烏賊。手拭いに二十程包まれていた。向かう道中で摘んでも良いと言われたので早速口に入れたが酷く塩辛い。
思わず松蔵が持ってるどぶろくをせがんだ。蕎麦汁を飲み干して彼らと別れる。
酔いが回ってきた。全身がぼやける感覚。遠くから聞こえる下手な唄が三味線に合わせてぐにゃりと揺れる。良い塩梅な都々逸。
包んだ手拭いから蛍烏賊をもう一つ。塩辛い。しかしイケる。噛むと妙味。
細い路地裏が入り組んでいくが、ふと左に振り向くとしなり曲がった柳の垂れ幕が。
柳があるならそこには川がある。川岸には幾つもの灯りがあって、茶屋と細工屋の店員が縁台で囲碁を打っている。
風鈴が鳴った。柳の葉が揺れる。
橋を渡って向こう岸へ。ちらほらと釣り糸を垂らす人の姿があった。釣りか。久々にやってみたい。
昔、釣った子蟹を持ち帰って鍋に入れて貰った。「お手柄だぞ」と誰かが頭を撫でてくれた。その時も風鈴が鳴っていたな。
釣具屋は何処か。楽しみが増える。
いさなは橋を渡った先、寂れた武家屋敷のすぐ近くにあった。思ったより店は広く、薄暗い。菓子屋というより呉服の大店。
「いらっしゃいまし」
奥から妙齢の女性がお茶を持ってきて迎え入れる。私は畏まって頭を下げたが彼女の顔を見て驚く。
目も鼻も口も顔には無い。のっぺら坊。
「あら」
大体私も似たようなものであり、親近感が湧く。松蔵達がこの店を薦めたのも分かった気がした。彼女が女将なようだ。
「失礼しました。羊羹をお求めで?」
ええ、一つ。それとこれを。蛍烏賊を干したものです。
「あら嬉しい。酒に合うのですよ。宜しかったら一杯いかが?」
素敵なお誘いだがそろそろ帰らなくてはいけない。私は丁重にお断りして風呂敷を渡した。
「伊雲屋に? そう、あの子良い子でしょう。たまには顔を見に行こうかしら。見た事は無いのだけれども」
女将と雑談を交わしていると一匹の狢が紙に絡めた羊羹を二つ持ってきて女将に手渡した。彼女はそれを受け取って綺麗な風呂敷に包んでくれた。
一つと頼んだつもりだったが。
「ごめんなさい。あの子に渡して頂けますか? まだ幼いのにあまり甘味を食べられないものですから」
私は言おうか悩んだが彼女の好意を無碍にしたくないので黙って頷いた。お土産が二つに増えただけだ。私もそれほど若くはない。小さい子供を見るとついつい多めにあげてしまう困った大人なのだ。
「是非、またのお立ち寄りを。近々、新酒を仕入れますので」
商売上手だ。その時は又、蛍烏賊を持っていきますよ。
外へ出ると雪が降っていた。だが寒さを感じない。手の甲に落ちた雪に触れても溶けるだけ。暖雪という言葉は適当では無いが、案外相応しいのかもしれん。
橋を渡ると雪は追いかけてこないので振り返ると、見事な雪景色がそこにあった。
「おうい。見ぃ。珍しい」
「おお寒む」
川岸で糸を垂らしていた二人の釣り人は竿を肩に乗せて何処かへ行ってしまった。私は橋上でゆっくりと雪が落ちていく通りをじっと眺めていた。
浴衣で氷柱を見物するのは初めて。すっかり街は夜に包まれていた。
満足した私は寄り道せずに伊雲屋へ向かった。大通りの賑やかな雰囲気も一つ通りを抜けるだけで静かになる。
下駄がからんと鳴り響く。頭がぼうっとする。酔いやすい性質なのに何故こうも酒が好きなのか。
そういえばそうだ。私の頭を撫でてくれたあの人は
とっくに亡くなっていたなぁ。
酒が回る。この街は、居心地が良過ぎる。
「おかえりなさいまし」
鈴の鳴った声。気が付いたら伊雲屋に到着。細い腕が見えたので、いさなの羊羹を手渡す。
「女将さんの! 美味しいですよ」
お土産だよ。私と女将さんから。
「いけません。許すは貴方とです。是非ご賞味を」
そうかい。ならお願いするよ。夕食は少なめで構わない。昨日みたいに鍋が良いな。
「はい」
ああ、そういえば。私は墨顔と言うんだ。良かったら名前を教えてくれるかい?
「すみがお……墨の顔、墨顔様。はい。覚えました。小枝に名はありません。みな、小枝と呼びます」
そう、小枝ね。私と同じまんまだなと思った。名付け親に酒でも奢りたい気分だった。
「鍋は鴨が煮えてます。小鍋で」