蒸し芋を二つ、食べ終えた時だった。声を掛けられたのは。
「よお、墨顔ってあんただろ?」
顔を上げれば七、八尺はありそうな一つ目の大男。彼は私の隣に座って同じく芋を五つ注文した。
「一角と呼んでくんな。あんたにちっと頼みがあんだよ。何、難しい事じゃない。頭の片隅に覚えて欲しいだけさ」
一角は此方の返事を待つ事無く仔細を語ってきた。何でも女郎蜘蛛が客が欲しいとぼやいているそうな。呑み屋街の隣駅にある桜糸駅には旧遊郭が一帯を占めていて、その女郎蜘蛛が長であるらしい。
客、ね。この世界に来てから一度も遊ぼうという気分がしないのだけれども。
「ただ喋りたいだけさ。姐さんは新しいもんが好きなんだ」
ふうん、よく分からんが興味があるし、近々伺うよ。急ぐ話しでも無いのだろうよ。
「おうよ。それだけだ。気軽に寄ってくれ」
そう言って一角は芋を平らげるとあっという間に人混みに紛れた居なくなった。
数日前の話だ。
この世界に来て約十日程、特に目的も無いので当てもなく気になった屋台に入っては酒を呑む生活を続けていた。
そんなある日、伊雲屋へ続く路地を歩いていると灯籠の下に誰かが蹲ってるのを見つけた。
真っ赤な着物を着た女の子。おかっぱ頭で年は六つぐらいだろうか。幼く見える彼女は涙を溜めて地面を睨んでいた。
思わず声を掛けて、親子さんとはぐれたのか問うと首を横に振った。
「羊羹……姉さんの、食べたから……買うまで戻ってくるなって……でも、わっち……あ、あたい……分からなくって……だから」
わっと泣きじゃくる彼女を宥めてとにかく家は何処なのか尋ねた。
それが桜糸駅の旧遊郭だった。
◻️
いさなへ再訪。羊羹を三つ頂く。
「それは善い行いかと。みつちゃん。良かったねぇ、親切な人に拾ってもらって」
「うん!」
暇人もこう言われると案外善人に見えるものだ。女将さんとは伊雲屋でちょいちょい会うのですっかり顔馴染みに。
子供好きなのか扱いに長けてる。みつと呼ばれたこの子も女将にべったりだ。そろそろ行かないと陽が沈んでしまう。
「駕籠をご用意します。駅まで送りますよ」
……そうか、それは有り難い。みつ、駅まで送ってくれるそうだよ。私は羊羹を包んだ風呂敷を彼女に渡す。
外には大きな狢が二匹、二本足で担ぎ棒を肩に乗せている。用意が出来たみたいだ。
彼女を駕籠に入れて、切符代として甘栗を手渡した。多分列車には乗れるだろう。
女将さんのお陰で早く帰れるよ、良かったなあとみつの頭を撫でようとすると、彼女は不思議そうな表情を浮かべて私の手を強く握りしめた。
「墨顔さまは?」
私かい? 駅まで案内しようと思ったけど駕籠があるのなら私はお役御免さね。気をつけて帰るんだよ。
だが、みつは私の手を離そうとしなかった。
「あたいの客なのに……なんで離れるの?」
何て人聞きが悪い事を言うのだか。私はあくまで迷子を助けたつもりであって、みつの客になった覚えは無い。
そう言おうとしたが目に涙を溜める彼女を見て、私は言い淀むしかなった。女将。助けてくれ。
「なら駕籠をもう一つ。墨顔さん、桜糸の女は蜘蛛なのですよ。例え子蜘蛛でも糸に掛かった獲物を逃す軟弱者はいません」
まあ彼女は本当に迷子だったそうですが。そう言って女将さんが手を鳴らすと駕籠がもう一つやってきた。
ああ、そうだ。一角は言ってたな。旧遊郭の長は女郎蜘蛛だと。ここに来てようやく私が糸に絡まれた獲物だと気付く。
潤んだ八つの瞳が妖しく輝く。震えるその両の手はか細いのだけれども。
それを振り払える程、私は強くはないのだ。
仕方ないが彼女を家まで送る事にした。みつの家族に事情を話してお暇したいがどうだろう。ちらりと女将に視線を見やると彼女は首を振る。
「少なくともニ、三日は帰れないかと。伊雲屋には私から言伝を送りましょう。ご心配なく」
……そうか。そうかぁ。じゃあ仕方ない。だがみつの客として行きたくない。どうすれば?
「ただの街ですよ。遊郭だった街。身体を売る女は一人も居ません。そこはご安心を」
「早く、早く」
みつに後ろの駕籠に乗るよう急かさせて観念する。女将、色々と世話になった。帰ったら良い酒でも持ってくるよ。
「お気をつけて」
駕籠に揺られながら私達はいさなを後にした。乗り心地は思ったより悪くない。
夕陽に染まった街並みを私はぼうっと眺めていた。