発車の笛が鳴る。列車はゆっくりと動き始めた。
狢の駕籠から鉄の駕籠へ。乗り心地は甲乙付け難い。隣のみつは草鞋を放り出して、窓を開けようと頑張っていた。
危ないから顔を出しちゃいけないよ。
「首が取れても平気。すぐ元に直るもの」
私が平気じゃない。窓は開けたままで良いからと懇々と宥める。羊羹の包みは結局私が持つ事にした。
外の景色は地平線まで田んぼが広がっている。みつが言うには来た時と景色が違うらしい。
呑み仲間に聞いた時は眉唾だったが噂は本当だったのか。
私が来た時は山間を通ってあの街に来た筈なのに、停車場のベンチから見たあの山々がさっぱりと消えていたのを見て呆れて笑うしかなかった。
寸刻も経たず、列車は緩やかに速度を落とす。街が見えてきた。華やかな色の洪水が押し寄せてくる錯覚に陥る。
呑み屋街とは違う艶が掛かった紅一色の街並みを仄かに灯す提灯群。誰かが吹いた煙管の煙が街を覆う。
その匂いが何とはなしに懐かしさを覚えた。
「墨顔さま。手を。あたいの街は迷いやすいから」
迷子だったみつにそんな心配されるとは心外だが、はいはいと彼女の言う通りに手を差し出した。私の薬指と小指を握りしめて、みつは駆け足で改札に向かう。
駅を出た時、街はみつを呼ぶ声で騒然としていた。こりゃ、怒られるな。覚悟はしといた方が良いよ。
「き、客を。客を連れてきたから……!」
みつは私の後ろにしがみついて動かなくなったのでどうしようかと悩んでいると、見覚えのある顔を見つけた。
一角。どうした。そんな急いで。
「……!? あ、ああ墨顔か! よく来たな! だがすまねえっ! 今、街は大騒ぎでよ! 此処の子供が消えちまって…………」
一角は私の後ろに誰か居るのか気付いたようだ。呑み屋街で見つけてね。羊羹を手に入れようとしたら迷ったようだ。
「羊羹……? “いさな”か! ああ、それで畜生……! 見つからねえ訳だ」
一角は泣き叫ぶみつの首根っこを掴んで、そのまま飛ぶように何処かへ消えてしまった。私を一人置いて。
「やれ困ったもんだ。兄ちゃん、おいで。一角の代わりに俺が案内するよ」
その場にいた男衆の一人が疲れきった表情で私の背中を叩く。夜通し探してたらしい。
「取り敢えず宿だな。みつの悲鳴が聞こえるだろう? あっちが干物屋で、その向かいに宿がある。こっちだ」
一応聞くが私は迷子を送っただけで大した事はしてない。帰りたいのだがどうだろう?
「諦めな。このまま帰しちゃ姐さんの面目が立たねえ。精々楽しんでくれや」
見上げると巨大な蜘蛛の巣が空を覆う。大きく伸びをした。何事も諦めが肝要である。
桜糸の旧遊郭にしばらく滞在する事になった。
◻️
宿の部屋は思っていたより広い。番頭に聞くと二階の半分を繋げているらしい。正直持て余すが良しとしよう。
煙草を勧められ、断ろうとしたが煙管を差し出されたので一服。紙巻きの焼ける匂いは苦手だが、煙管のはそうでもない。せっかくだから主人に付き合ってもらう。
この街では朝と昼は来ない。夜が終わると夕方になって陽がまた沈む。その所為か西の空に落ちる太陽は何処かのんびりとしている。平時ならとっくに夜になってるというのに。
路上では子供達が遊んでいる。独楽とメンコ。男の子ならともかく女児がやってるのは珍しい。影法師がゆらゆらと楽しげに揺れている。
大きく、息を吐いた。煙が空に落ちる。煙管のお陰だろうか、美味いな。
「良かったら貰って下さいな。祖父の形見だけど、あっしにゃ過ぎたもんで」
銀細工の一点物で藤の花が彫刻。使いこなされたその佇まいには惚れ惚れするものの私は首を振る。
これは未だに惚れているよ。さぞ色男だったんだな、あんたの祖父は。
番頭はそれを聞いて曖昧な笑みを浮かべた。
「どうしようもねえ人でしたが、その煙管だけは手離さなかったんで。仕方ねえ、墓に置いとくか」
番頭が席を外す。私は欄干にもたれて欠伸を一つ。干物屋からの悲鳴はだいぶ前に鳴り止んだようだし、そろそろ挨拶をしておこうかね。
そう思っていたが帰ってきた番頭から言伝が。
「あの姉妹がお礼に来たよ。部屋に案内しても良いですかい?」
そう。じゃあ頼むよ。ついでに羊羹を切ってくれないか?
姉の方も甘味が好きだと聞いてるからね。