トレーナーが婚約者にフラれたらしい。ウケる 作:モブA
アルデバランというチームを一言で例えるならば、常勝無敗そのものだ。
そのチームを率いる青年は、新人にも拘らず一線級のウマ娘を数多く育て上げた敏腕トレーナーとして、トレセン内外問わず噂の絶えない人物だった。
あのシンボリルドルフを育成した傑物の弟子だとか、探せばキリがないほど、彼を持ち上げる話の数は計り知れない。
凄まじい手腕と、俳優にも匹敵するその優れたルックスから、昨今の中央の話題の中心は間違いなく彼が独占していた。
しかし、そんな主役染みたスーパートレーナーである彼の姿が、ここ数日のところトレセン内で確認されていない。
生徒たちは浮足立ち、授業の内容もまともに頭の中へ入ってこず、走り方やタイムそのものに影響が出始めているウマ娘も少なくなかった。
中でもチームアルデバランに属しているウマ娘たちが、特に顕著だ。
「ネイチャ? おーい、ネイチャー……?」
「…………」
「ご飯いらないのか? ……さ、冷めちゃうぞう」
場所は食堂。
自分で持ってきたはずの食事すらまともに喉を通らず、茫漠としたまま彼方を見つめるそのウマ娘を心配するあまり、あの普段から明朗快活な青髪のウマ娘も困惑に苛まれている。
彼女たちだけではない。
そもそもトレセン全体が、このどんよりとした嫌な湿気に包まれているのだ。
理由は明白だ。
もはやトレーナーと生徒の距離感ではないだろう、と言い切れてしまう程、あの青年に心酔しているアルデバランのメンバーだけでなく、彼を思い慕う生徒は学園のそこら中に存在する。
あのトレーナーはチームの指導をするだけでなく、伸び悩む生徒たちを相手に、週に数回ほど相談室を開いているのだ。
高倍率かつ非常に厳しいチームアルデバランの加入試験に落ちた少女たちも、担当ではないにしろ少なからず彼と関わり──なにより彼を”支え”としている事は間違いなかった。
それほど広範囲の人間に対して影響を及ぼす人物が、数日とはいえ姿が見えないとあれば、彼が引っ掻き回したこの学園が混沌に包まれるのも、納得できない話ではない。
分かってはいる──のだが、決して居心地が良いとは言えない環境だ。
なので、今日も私はそそくさと逃げるように学園を後にし、バイト先の喫茶店へと向かうのであった。
そこは入り組んだ街の目立たない場所に、ポツンと一軒だけ立っている、いかにも老舗風などこにでもあるカフェだ。
わざわざ面倒くさい手続きを経て、アルバイトの許可を貰いここで働く理由は、単にレースに飽き始めているからに他ならない。
地元の仲間たちに応援され、死に物狂いで何とか中央に受かったところまでは良かったものの、待ち構えていたのは全国から集結した真のエリートたちによる分厚い現実の壁であった。
私は、俗に言うモブウマ娘。
AとかBとかそういう割り振りをされるタイプの、まず
何がどうなって中央に合格できたのか、今では全くもって理解できない。
なまじ中途半端に力があったからこそ、余計な夢を見てしまった、どこにでもいる有象無象の敗北者といったところだろうか。
「──ウルちゃん。僕ちょっと出てくるから、三十分くらいお願いできるかい」
「あ、はーい」
非常に小さいカフェだが、店長はそこそこ忙しい人で、一時的に店を空けるのは珍しい事ではない。
こういう風にお店を任されるのも慣れたものだ。
応対もコーヒーの用意もすっかり馴染んだ今の私であれば、どんなお客さんが来ようと怯む事はない。
店の端っこで音量ゼロの状態で流れているテレビを眺めながらボーっとしていると、少し経ってから入り口の鐘が音を鳴らした。
「っしゃいませー」
ここに来るお客さんの割合は、昔から利用してくれているお得意様がほとんどだ。よく訪れる人たちには、既に私の顔も人となりも覚えられている。
そのため決して適当というわけではないが、それなりにリラックスして業務に望めるバイト先になっているのだ。
というわけで、今日も今日とて油断しまくりながら入店の挨拶をして──固まった。
「…………ひとりです」
その来店した客には見覚えがあった。
見覚えはあったのだが、このカフェで”彼”を見たことは一度も無かった。
──チームアルデバランの、担当トレーナー。
いま最も学園を騒がせている張本人が、不運にも私がお店を任されている時間帯に、ご来店くださってしまったのであった。
「あっ。お、お好きな席へどうぞ……」
「…………」
無言のままカウンター席へ腰を下ろす青年。
よりにもよってそこかよ、という指摘は喉の奥へしまい込み、平静を装い応対することになるのだった。
◆
極めて失礼な話になるが、私はチームアルデバランのトレーナーに対して、好意的な印象を抱いたことがほとんど無かった。
優秀なトレーナーだという事は知っていたのだ。
彼の担当するチームのウマ娘たちは、その誰もが名の知れ渡った凄い娘たちで、G1をバチボコに荒らしまくってるとんでもない脚の持ち主だけで構成されている。
チームの中から二人を同じレースに出走させて、そのまま他の追随を許さず一着と二着をどちらも二人が取ってしまった話はそこそこ有名だ。
しかし、私が彼を近寄りがたい人間だと思ってしまったのには別の理由がある。
とにかく節操がない──それが私から見たトレーナーの印象であった。
レース場の下見や必要な消耗品の買い出しだけならまだしも、どこをどう見てもウマ娘の私的な付き合いでしかない場面に彼はいた。
明らかに恋慕の感情を向けているであろうウマ娘から、それもうほぼ告白だろうと言い切れるほどのアプローチを、数多の方向から受けていたのだ。
まさか普通のトレーナーが、担当のウマ娘にパフェをあーんで食べさせられたり、日替わりで相手を変えながら二人きりで出かける場面を何度も目撃されるはずがない。
なに、恋愛ゲームの主人公なの? とでも言ってやりたいくらい、多数の女の子たちから重めな感情を向けられ、なおかつ上手くその綱渡りをこなしているのが、チームアルデバランのトレーナーなのだ──と、そう思えても仕方のない人物だった。
優しくてカッコよくてトレーナーとしての才能に満ち溢れていて、どんなウマ娘が相手でも親身になって話を聞いてくれる、不気味なほどにコミュニケーション能力が高い男の人。
自ら関わらないよう距離を取っていた私のように捻くれた視点から見れば、彼は完璧すぎて怖い人だったのだ。
そのはず、だったのだが。
「………………はぁ」
カフェに来店して以降、ちびちびと熱いコーヒーを含みながら、時折ため息を吐いて沈鬱な表情のまま項垂れるその青年に、それまで見て抱いてきた『どんな相手でもグッドコミュニケーションを取る男』の面影はどこにもありはしなかった。
他にお客さんがいない分、彼の機微が余計に目に入ってくる。
昔からのお得意さんではなく、また店長もいないこの状況での一対一となれば、店員の私に逃げ場は存在しない。
端的に言って、カフェの中は地獄であった。
「っ、……うぅっ」
なんならトレーナーさんは既に少しだけ涙を滲ませてしまっている。
何事だ、これは。
大の大人がお店の中で泣きそうになるのもヤバいが、相手が相手なのでいつものように声をかけることもできない。
どうしたものか。
迷っているうちに、私はあることをふと思い出した。
──店長は、このカフェを『悩める存在が導かれる場所』と言っていた。
何だこの人、いい年して中二病なのかなと最初は辟易していたが、実際ここへ訪れる人たちは皆、自分では答えを出せない鬱屈とした想いを秘めた人々であった。
何がどういう原理なのかは知らないが、このカフェは昔から利用するお得意さんたちが来る”通常営業の日”と、店内に他の誰もいない状況で誘われるように悩める新しいお客さんが一人で訪れる”特別営業の日”が存在しているのだ。
私がここでバイトを続けているのは、割がよく業務もあまり大変ではないという部分以上に、迷える人々に道しるべのヒントを与えて答えへ導く店長のトークが気になるから、という身も蓋もないものが理由だった。
邪魔をしないために──だが、しかし。
今この場には私しかいない。
頼りになる店長や、時たまお店を手伝いに来て、相談事もそつなくこなしてくれる、店長の娘さんであるあの漆黒の髪が特徴的なウマ娘の彼女もいない、まさしくこのカフェの中で最もミーハーで、お悩み相談なぞ欠片も向いていない様な私しかいないこの瞬間に限って、不運な事にこの店は”特別営業”に切り替わってしまったらしい。
……どうしよう。
特別営業の日は、よく分からない不思議な法則が働いて、悩み人の迷いが一定以上晴れない限り、まるで時間が止まったかのように店内の時計が一秒たりとも動かなくなってしまうのだ。
つまり、話を聞いてあげないと、終わらない。
「……ふぅー。……よし」
しっかりと深呼吸し、腹を括った。
コレはこのカフェで働く以上、いつかはこなさなければいけない役割だ。
店長も、同じくらい仕事ができる黒髪の彼女もいない──であれば私がやるしかないのだ。
えぇと……まずは、そう。
どしたん、話聞こうか?てかどこ住み?ラインやってる? とか、こんな感じで。大体あってるはずだ。大丈夫いける。
「──あの」
まずは一言、声をかけた。
何よりも最初にやらなければいけない事がある。
「……?」
「珈琲、入れましょうか」
そう言うと、トレーナーは自身が指をかけていたカップに視線を落として、小さく苦笑いした。
どうやら先ほどからずっと、空のカップを口に運んでいた事実に、ようやく気がついてくれたらしい。
「……お願いします」
「はい。少々お待ちくださいね」
店長のように気さくに接し。
且つ、黒い少女のように自然に珈琲を淹れる。
見て教わったことを実践しつつ、私はついに一人のウマ娘として、まるで主人公のような敏腕トレーナーと相対した。
「どうぞ。──あぁ、それと敬語は結構ですよ」
「…………」
揺蕩うカップの中を見つめながら、何かを言い淀むトレーナー。
そういう一番難しい第一声を引き出すのが、相談事を聞くこちらの仕事だ。
「皆さん、心配してらっしゃいました。トレーナーさんはどこだーっ、て」
「……君も、学園の生徒だったのか」
「えぇ。……あっ、ですが心配なさらないでください。このカフェでの会話は、全て他言無用と店長に躾けられてますので」
明るく振る舞いすぎる必要はない。
このトレーナーとしての才能盛り盛りで人生勝ちまくりモテまくりに見える彼も、ここへ誘われたという事は、ひとりの迷える旅人。
決して意外そうな反応は見せず、近すぎない距離感で理解者面して話を聞いてあげる事こそが、今求められている対応なのだ。
「大丈夫ですよ、愚痴ってくださっても。──このカフェは、そういう場所ですから」
そうして小さく微笑むと、トレーナーは私の顔を一瞥し、眼下のカップを見つめて逡巡する。
一拍、置いて。
ようやく彼は口を開けて、珈琲の湯気を眺めながら、静かに語り始めるのだった。
「…………フラれたんだ、婚約者に」
──おっと。
意外とクソでかい爆弾が飛んできたな。
この人に婚約者がいただなんて話、学園のウマ娘たちが知ったら世界が終わりそうだ。
「いろんなウマ娘を指導しておいて、このザマだ。無知蒙昧なのは俺の方だったらしい」
私が黙って相槌を打っていると、トレーナーは我慢していたものが溢れ出るように、それまでの経緯を滔々と語っていった。
どうやら私は想像以上に重い案件を、非常に軽い気持ちで引き受けてしまったようだ。ウケる。