トレーナーが婚約者にフラれたらしい。ウケる 作:モブA
「あの、殿下」
「ファインでいいわ」
「……ファインさん。そろそろ自室戻っても──」
「コーヒー、いかが?」
「……どうも」
まず言えることは、安易にトレーナーの車に搭乗したのはマズかった、という事だ。
危惧していた通りの状況に陥った今、私はいらない苦労を強いられている。
場所は寮の広間。
丸テーブルを挟んだ向かい側には、にこやかながら目が笑っていないファイモーション。
差し出されたのは、絶対に今すぐ飲み干すのは不可能な熱々の珈琲──話を聞くまでは逃がさないという分かりやすい警告だ。
「消灯まではまだ時間あるし、いいでしょ? 同じ寮生同士……少し話そうよ♪」
「は、はぁ」
目の前の王族から笑顔で放たれる覇王色の覇気も凄まじいが、この状況で私に懐疑の視線をぶつけているのは、何も彼女だけではない。
後方の少し離れたソファには、談笑するフリをして耳をこちらに傾けているセイウンスカイとナイスネイチャ。
付近の自販機の後ろにも、姿こそ見えないが何人かが隠れて聞き耳を立てている。
まさに四面楚歌だ。ここで誤魔化して逃げたところで、また他の生徒から追及されることは目に見えている。下手すりゃ誤解からボコボコされる。
なので私がやるべきなのは、ファインモーションその他数名からの疑いを晴らせるような弁明を、即座に
そもそも誤解ですからね。私バイトし過ぎて門限超過しそうになったのを怒られただけなんで。
「ウルトレイアさんは、トレーナーとはどういう関係なの?」
「……ほぼ無関係ですけど」
まずトレーナーとウマ娘、として彼と接したことはほとんどない。
私はよく相談事が舞い込んでくるカフェの店員で、彼はそこへ訪れただけのお客さんだ。
大前提として、彼の隣に立つことを望んでいる他のウマ娘たちが心配するような事態には陥って無いし、間違ってもそうなる関係性ではない。
「あの、さっきのアレですよね。実は私、門限ギリギリまでバイトするなってトレーナーさんに怒られて、そのままお小言貰いながら寮まで送ってもらっただけなんです。やぁ……怖かったな、トレーナーさん」
あの人に対しては苦手意識を持っていて、少なくとも好意が発生するような心境ではないことを伝えることが出来れば、この場は乗り切れるはず。
彼女たちが聞きたいのは自分たちが安心できる情報のはずだ。
私が無害で別にトレーナーを狙う理由もないと分かれば、今後詰め寄られるようなことも無いだろう。
「……そうなの?」
「えぇ。もうあのトレーナーさんに声をかけられるのもイヤなので、今度からは早めに帰ろうと思います」
「そ、そう」
質問したこと以上の情報を教えられて気圧されたのか、彼女は少々後ずさったように体をひっこめた。
殿下が純真な方で助かった。正直ここで深読みされてたら、ポーカーフェイスが崩れて余計に怪しまれていたところだ。事実を述べてるだけなのに何でこんな緊張しなきゃいけないのだろうか。今の学園息苦しいよ。
「……あっ。ファインさん、もしかしてトレーナーさんの事──」
「ふぇっ!? 待っ! ……そ、それは、何というか……」
話題をずらすことには成功したらしい。ここから少し探りつつ、恋路を応援する旨の発言を心がけて誤魔化せば、今日のところは大丈夫なはずだ。
天真爛漫且つ高潔で、あまり人前で動揺する姿は見せず、常に余裕を持った態度でいるファインモーションが、軽く質問しただけで焦ってチラチラと周囲を伺う様子を見せているあたり、トレーナーに強い感情を向けているウマ娘──というよりチームアルデバランのメンバーたちの中では、私の知らない暗黙の了解の様なものが存在するのかもしれない。
踏み込むと危険な領域だ。裸一貫でアマゾンの奥地へ突っ込むくらい危ない可能性がある。そこら辺の詮索は命にかかわるのでやめておこう。
──限界ギリギリでなんとか詰問タイムを切り抜けた私は、荷物を部屋に置いて大浴場へ向かった。
だいぶ遅い時間になってしまったが、利用するウマ娘が少ないという点を考えると、たまにはこういうタイミングで入るのも悪くない。
あのトレーナーがバイト先に訪れてから、何かと気疲れする機会が多くなっている気がするので、ここらでゆったり湯に浸かってリフレッシュしておかなければ。
「あっ」
更衣室に来た時点で分かってはいたのだが、大浴場を利用しているウマ娘は、私を除いてたった一人しかいなかった。
長く艶やかな黒髪をタオルでまとめて、湯船の中でリラックスしきっていたその人物と目が合い、思わず足が止まる。
「……こんばんは、ウルさん」
先に声をかけてくれた彼女に軽く会釈をし、ささっと全身を洗い流した私は、早速彼女の隣に腰を下ろして、一日の疲れを癒すのであった。
「お疲れさま、カフェさん」
……
…………
トレセン学園の大浴場の天井はガラス張りになっていて、見上げると美しい星々が困憊を掻き消してくれる。
二人して疲弊を隠さず、ため息にも似た呼吸の後、自然と会話が始まっていた。
「今日はありがとうございました……ウルさん。私プールトレーニングの予約を取ってしまっていて」
「いやいや気にしないで。あっちじゃいーっつも助けてもらってるんだから」
店長の他に唯一私をウルと呼び、隣で空を見上げているこの少女の名は、マンハッタンカフェ。
何を隠そう、バイト先の店長の娘さんである。
同室でもなければクラスも異なるが、一緒に働く機会が多い彼女と仲を深めるのにそう長い時間はかからなかった。
休日に軽く出かけたり、アグネスタキオンさんとの共用になっているらしいスペースへ私が赴いて珈琲を振舞ってもらったりなど、いわゆる普通の友人関係を築けている。この学園における、数少ない私の友達のひとりだ。
「……なにやら、噂になっていたみたいですが……大丈夫ですか」
「あー、やっぱカフェさんも知ってんだ……」
困ったことに、あまり噂のアンテナを張っていない彼女の耳にすら届くほど、学園の話題をあのトレーナーが占拠してしまっているらしい。
特別営業の日にあのトレーナーを対応したことはカフェさんも知っているので、該当の人物が噂になってしまい、流石の彼女でも気になってしまったのだろう。
「……ごめん。ミスったかも」
彼と出会ったあの時、話を聞けばすぐ終わる、と考えたせいで必要以上に寄り添いすぎてしまったかもしれない──そう思えてならなかった。
店長もカフェさんも特別営業の時は、常に一線引いて相手の悩みを紐解いていたのだ。あれは踏み込み過ぎると危険だと分かっていたからなのだろう。
落ち込んで俯くと、カフェさんは私の方へ一歩寄り添ってくれた。肩が当たってます。ドキドキ。
「失敗では……ありません。現にあのトレーナーは少なからず回復して……今こうして、学園に出てきている。それはウルさんが彼の心の鍵を開けることが出来た……何よりの証拠です」
「そ、そうかな……?」
励まし上手、褒め上手。とにかくカフェさんは接していて心地がいい。
彼女が目的で通常営業の日に訪れがちなお客さんたちの気持ちも分かるというものだ。平たく言うと好き。
「でも、カフェさんならもっと上手くやれたと思うんだ」
「……それは、違うと思います」
ググっと伸びをしながら、彼女は続ける。
「特別営業日はそもそも、対応者と歯車の噛み合う方しか招きません。人も、タイミングも、あのお店はそういう場所ですから。……なので、ウルさんが一人の時に来訪したという事は、父でも私でもなく……ウルさんにしか解決できない、お悩みなのでしょう」
えっ、そんなシステムだったの。普通に初耳だった。
「……それでも心配だったら、私を頼ってください」
うおぉっ、私の肩に頭を預けてきている。何でこんなに良い匂いするの……同じ女子なのに格差が凄い……。
というかカフェさん、相談したらこんなに励ましてくれるんだ。距離感も近いし、こんなの好きになるに決まってるだろ。結婚しないか?
「ウルさんも、あのカフェの一員なのですから」
ただのアルバイトに過ぎない私をここまで……おぉ、うん、だいぶ元気が戻ってきた気がするな。これがカフェインってやつか。
彼女のおかげで、下を向きかけた顔を上げることが出来た。
学園のウマ娘たちに深読みされない程度に、もう少しだけ交流を続けて、カフェに置いてある指輪を受け取ってもらえるまでは──もう少しだけ、頑張ろう。
「カフェさん……」
「ちなみに私はもう上がります」
「ふえぇ、いかないで!」
調子に乗って甘えようとしたらカフェさんが湯船から上がってしまったので、私も続いて大浴場を後にした。
話によれば私とトレーナーの歯車は、噛み合うようにできているらしいので、彼女にアドバイスを貰うのはちょっと我慢して、あともう少しだけ自分で考えた方法でトレーナーを励まそう──そう考えながら自室へと戻っていくのだった。