【中編完結版】大切な人を庇って死ぬのが夢なのに世界がそれを許してくれない件について 作:サークル出雲
完結までお読みくださり、ありがとうございました。
感想でいろいろと疑問に思われる方が多かったため、ここでこの作品について語らせていただきます。
着想はタグにもある通り、有名な名作映画シリーズであるファイナルディスティネーションです。
ネタバレになるかもですけど、あれも主人公毎回○にます。
そのため、この終わり方はこれを書くと決めた時から確定していたことになります。
また、ジャンルについて曇らせがメインと考えていらっしゃる方が多いですが、タグにはつけてましたけどメインとしてジャンル曇らせものというものをそもそも意識してません。
曇らせるという意味では主人公を曇らせることしか意識しておらず、徹頭徹尾主人公に感情持たせて死なせるための話でしかありません。
ヒロインは所詮舞台装置でしかないという認識です。
着想にも書きましたが、映画的な終わらせ方を意識しております。
そのため、物足りなくなる気持ちはわからないでもないとは思ってますが、これは書く前から意識していることであったので読者の方々には申し訳ないとしか言えません。
タイトルにもある"大切な人"というのはダブルミーニングで書いてあります。
当初は果彌しかいなかったのに、最後の最後で有達友理という友達ができてしまったからこそ、つい庇って死にました。
これでもし彼が感情を得てなければ、有達だけ死んで果彌と束は二人で生きて後悔とともに生きていたことでしょう。
だからこそ、最初の方は"彼女"という名称をつけずに描写をしておりました。
大切な人が増えるのも予定通りの展開です。
あくまでも最初と最後だけ決めて、途中はある程度ざっくりしか決めずに書いてなかったので急展開に感じてしまう方も多かったかもしれません。
これは私の描写不足もあることはご認識しております。
しかし、上にもあるように"2時間映画的な展開"を意識してるのもあり、このような書き方をあえてしました。
賛否両論ありなのはわかっていますが、ご了承ください。
ここであえてこのあとの話を少しさせてしまうとすると、これまたファイナルディスティネーション的に有達友理は因果彌の目の前で残酷に死にます。
そして、親友と恋人(本人主観)を同時に失った果彌は廃人になりますが、対極的に見れば生きているので問題なしです。
感情を得る前の主人公ならば生きているから無問題と喜んだことでしょう。
しかし、最後の最後で死の間際に自分が死ぬことで彼女たちがどう思うかということに気づいてしまった彼は深い後悔のまま死にました。
目的を達成しておきながら、その目的そのものが間違えていたというよくある話ではありました。
大体こんな感じの考えで書き切りました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
今更だけど主人公とヒロインに名前つけた方が良い?
-
つける
-
つけない
-
どちらともいえない