流浪の民   作:つばゆき

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prologue

 

 

 

 

 DMMO-RPGというものがある。

 体感型大規模多人数オンラインロールプレイングゲームと呼ばれるそれは、サイバー技術とナノテクノロジーの粋を結集した最新のゲームサービスであった。

 ゲーム世界に実際に入り込んだかの如く遊べるという、先人たちが願って止まなかったものがこの世に生み出されたとき、世のゲームプレイヤー達は狂喜し、こぞってそれを買い求めた。

 当然利に敏い企業達がそれを見逃すはずもなく、様々なDMMO-RPGタイトルが生み出されてきた。その数多あるゲームタイトルの中で、ただ一つ燦然と輝くゲームがある。

YGGDRASIL(ユグドラシル)』と呼ばれるそのゲームタイトルは、発表当時からさまざまなメディアの注目を集め、他のDMMO-RPGタイトルとは一線を画す圧倒的な自由度によって多くのユーザーを惹き込んだ。

 九つのワールド(サーバー)に分かたれた広大なワールド。七〇〇種類に及ぶ種族と二〇〇〇種類以上の職業(クラス)、更には六〇〇〇を超える魔法の数々。

更には別売りのクリエイトツールでもって各々のアバターや武器、防具の外装を弄れるという、《やり込み要素》というものにとことんこだわった造りは多くのユーザーに運営の正気を疑わせたほどであった。

 魅力的なタイトルにユーザー達は金を放出し、意見や要望を受けた運営がユーザーに還元する──そんな循環を繰り返したユグドラシルは過去に類を見ないほどの隆盛を誇り、日本国内に於いてDMMO-RPGといえばユグドラシルを指すというほどの発展を見せた。

 

 ──それも今となっては過去のことである。

 

 

 

 

 

     ×     ×     ×

 

 

 

 

 

 過去隆盛を誇ったユグドラシルに、サービス終了という終わりが近付いている。

 かつては最高峰のDMMO-RPGとして知られたユグドラシルも、十二年という歳月が経つうちにそれを超える多くのゲームが生み出され、過半数のユーザーはユグドラシルを離れていった。しかしながらユグドラシルが優れたゲームであることは間違い無く、その自由度とやり込み要素に魅せられたユーザー達や、一部の『廃人』と呼ばれるヘビーユーザー、そしてサービス終了間近にして再度ログインしたユーザー達によって仮初の賑わいを取り戻していた。

 無論、サービス終了を惜しみ、悲しむ声も多くある。まだ全てのシステムを堪能しきっていないというユーザーや、久々にログインした結果その面白さに懐かしさを覚えたユーザーたちに依るものだ。しかし多くのユーザーは惜しみながらも終わりを受け入れていた。その受け入れ方もまた様々である。

 懐かしいギルドメンバーとの再会を喜ぶ者や、最後だからと羽目を外しデスペナルティを繰り返す者、また往生際悪くダンジョンに挑む者や、ギルドホームの最奥で終わりを迎えようとしている者……。

 ユグドラシルの九つの世界のうちの一つ、ミズガルズの闘技場で剣戟を交わす者達もまた、最後の受け入れ方を選んだ結果である。

 

 古代ローマ建築を彷彿とさせる闘技場、その中心で刃を交わす者が二人、己が技術を放出せんと咆哮と剣戟のエフェクトを撒き散らしていた。

 互いの得物は刀、そして長槍。リーチにやや劣るものの取り回しの良さと連撃に重点を置いた得物と、圧倒的リーチを誇るものの懐に入れられたら対応が難しいという得物である。

 互いの技量が同等に近いのならば、その戦闘の肝は間合いの競り合いにあると言っていい。長剣の主は魔法で牽制しながら長槍の穂先を見切り、いかに間合いの内側に入り込むか、長槍の主はそれらの尽くを叩き伏せ、己に有利な間合いを堅持するか、そのやり取りに終始する。

 まずは得物に刀を持つ男。装備は取り回しのよい刀と、防御面より機動力に重きを置いた黒衣に軽鎧。身体の可動域を極力殺さぬよう、要部にのみ厚手の革と僅かな金属で補強した防具は直撃すれば大ダメージは免れないものの、小回りと機動力を十全に活かした戦法で長槍の男を翻弄している。

 対して長槍の主は身の丈一九〇センチを超える偉丈夫に、それを超える長さを持つ重厚な槍を携えている。防具は紅を基調とした和の趣きある、これまた重厚な甲冑だった。

 関節部以外頑強な防具によって覆われた装備は生半な一撃などものともせず、長槍による攻撃力と高い防御力を全面に押し出して戦う戦闘スタイルはシンプルゆえに強力極まりない。

 しかし現状、戦いの趨勢は得物に刀を持つ男の方へと傾きつつあった。

 取り回しの良さと速度を活かしたヒットアンドアウェイの戦法に、軽さを魔法によるエンチャントでカバーした一撃の火力は侮り難いものがある。一方長槍の男は高い防御力と堅実な立ち回りで致命的な被弾こそ防いでいるものの、ダメージレースでは遅れを取っていた。

 長槍の男は焦燥感を抱きながらも、それを相手に悟らせまいと振り払うように大きく長槍を振った。身を翻し長槍の届かぬ間合いに軽やかに着地する刀の男を前に、内心で舌打ちした。

 このままではジリ貧である。軽鎧による速度でこちらを圧倒する長剣の男は、防御力こそ重装のこちらに劣るものの、その回避力と致命的な一撃を確実に見切るプレイヤースキルは僅かにこちらを上回っている。

 しかし悲観するほど残り体力に差はない。構成ビルドから察するに体力上限がこちら程ではないのは明白だ。一撃、あるいは二撃まともなものが入れば戦況は拮抗状態まで戻るだろう。──いや、あるいは。

 そのとき、長槍の男に欲が生まれた。互いの残HP(ヒットポイント)は三割を下回っている。日に回数制限のある大技が決まれば、あるいはそのまま勝利することも可能なのではないか? 少なくとも、このままヒットアンドアウェイを繰り返されるよりは、戦況をひっくり返す一撃に賭けたほうがまだ勝利の目はある。

 ここが分水嶺だ、と決めた男は、刀の甘い一撃を長槍の柄で受けずに、最も装甲の厚い胸部で受け止める。残り少ない体力がさらに目減りするが、必要経費と割り切った。

 厚い装甲を裂き切ることが出来ず鈍い金属音と共に止まった刀身を、左の籠手で弾いた。その刹那、大砲の筒先の如く構えられた長槍の穂先が、赤い魔力のエフェクトを放つ。

 ──獲った、と確信した。

 

「──おおおぉぉぉぉッ!!」

「甘いッ!」

 

 全霊の一撃が上体を穿つその刹那、刀の男の身体がまるで霧のように霧散する。突き込んだ長槍の穂先は肉を抉らず、空を貫いただけだ。

 

「──何ッ!?」

(転移か? ──いや違うッ!)

 

 慌てて周囲を見渡すがもう遅い。長槍の男は大技を放った硬直時間を突かれ、背後から胸を貫かれていた。

 スキル《ミストフォーム》。肉体を霧に変えて実体に対する攻撃を無効化する《吸血鬼(ヴァンパイア)》専用のスキルである。

 刀の男が得物を胸からずるりと引き抜くと、出血のエフェクトとともに長槍の男が闘技場の地面に崩れ落ちた。

 

「ぬう……よもやこの我を斃すとは、見事……なり……」

 

 無念そうな表情アイコンとともに、崩れ落ちた大柄な身体が空に溶けるように消えていく。最後には幾つかのドロップアイテムだけが場に残った。

 

「最後まで武人ロール続けるんですか? 不知火さん」

 

 呆れたような声を上げ、刀の男がドロップアイテムを拾い集める。苦笑したような気配を発しているが、流石に技術的な問題でそこまでは反映できない。

 

「あー惜しい!」

「これで三連勝ですか? いやあ流石ですね!」

 

 惜しむ声や称賛の声とともに、観客席から様々なアバターのプレイヤーが降りてくる。数にして二〇人かそこらと言ったところだが、その種族は千差万別だ。

 基本となる人間種に始まり、基礎ステータスに優れる亜人種、見た目も能力も一風変わった異形種まで。

 見上げるような巨躯に巨大な戦斧(バトルアクス)を背負った風巨人(エアジャイアント)の一人が親しげに話しかけてくる。

 

「いやあカレルさん、最後の駆け引き凄かったですね! あのスキル読んでたんですか? 判定広くて避けづらいんですよねー」

 

 カレルと呼ばれた吸血鬼(ヴァンパイア)が、黒い刀を鞘に戻して振り返った。

 

「確かに大技誘いましたけど、思いのほか発生が早くて避けられるかヒヤっとしましたよ。まともに喰らってたら負けてましたね、あれ」

「いやいや、思いっきり『甘い!』って言ってたじゃないですか!」

「はははは」

 

 ユグドラシルのサービス終了も目前だが、プレイヤーにも様々な最後の迎え方がある。その中で懲りずにPVPを繰り返しているのが、カレルの過ごし方だった。

 今でも周りに集まってきているのはPVPを専門とするギルドのメンバーや、対人スレに常駐して日夜討論しているようないわゆる《ガチ勢》と言われるプレイヤー達である。

 こと技術においてはユグドラシルでもトップ層のプレイヤー達は、最後の過ごし方を決めかねて、結局はいつものようにPVPに興じているのだ。

 

「カレルさん、なんだか今日はいつもの武器と違いますね。新しく作ったんですか?」

「ん? ああ、これですか」

 

 風巨人(エアジャイアント)が物珍しげにカレルが腰に差した刀を見る。普段のカレルは伝説級(レジェンド)の倭刀を幾つか保有しており、相手によって使い分けていた。だが今日カレルが腰に差している刀は見覚えのない拵えをしている。

 カレルは差した黒い刀を鞘ごと手に取り、課金エフェクトのオーラを纏わせながら、勿体ぶるように鯉口を切った。

 

「そういえばロキさんにはまだ見せてませんでしたっけ。これ、数打ちの伝説級(レジェンド)じゃなくて厳選とチューニングを繰り返した神器級(ゴッズ)なんですよ」

 

 渾身のドヤ顔──の表情アイコンとともに差し出された武器を、ロキと呼ばれた風巨人(エアジャイアント)はへえ、と感嘆の声ををあげて見つめた。

 

「へえ、神器級(ゴッズ)! 大盤振る舞いですね! いや、今日は妙に火力高かったなって思ったんですよ」

 

 神器級(ゴッズ)──それは、ユグドラシル内で最もレアリティの高いアイテムの総称である。

 最下級、下級、中級、上級、最上級、遺産級(レガシー)聖遺物級(レリック)伝説級(レジェンド)神器級(ゴッズ)と、込められたデータ量によって強さやランクが異なるユグドラシルにおいて、神器級(ゴッズ)に込められるデータ量の上限は規格外である。

 制作するだけで相応の労力を必要とされ、一般プレイヤーでは一つ作るのがやっとの神器級(ゴッズ)であるが、自分のビルドに見合ったものにチューニングと厳選を繰り返すとなるとその労力は莫大である。

 当然カレルが今回持ち出した刀も自分のビルド構成に最適なものにチューニングされた、無二の一品である。

 そんなものを持ち出してきたのは、カレルの最後の大盤振る舞いといえた。

 

 そもそも、ガチ勢と言われる彼らだが、当然のように全身神器級(ゴッズ)で固めるだけの労力とプレイヤースキルをもつ規格外集団である。しかしPVPを主体に活動する都合上、PVE主体のプレイヤーよりデスペナルティの可能性はかなり高い。

 レベルダウンや高レアアイテムのロストなど、重いデスペナルティを受けるユグドラシルのシステムでは、PVP主体のプレイヤーは格落ちの伝説級(レジェンド)を身体のどこかしらに装備し、ロストしてもまだ替えの利くように調整するプレイヤーがほとんどである。

 

「そういえば、カレルさんてどこかギルドとかに属してるんでしたっけ? 基本インしてるから連絡には困りませんでしたけど……」

 

 話題を変えるように、ロキがふと思いついた言葉を言う。

 

「そうなんですよ。《NOMAD(ノーマッド)》っていうギルドなんですけど」

「あ、なんか聞き覚えあります。結構でかいギルドなんですか?」

「いや、精々中規模ギルドですよ。PVP専門の傭兵ギルドなんです。報酬次第でギルド戦にも加担する、みたいな。おかげでお尋ね者だった時期もあって……今じゃ笑い話ですよ」

「はえー……」

「二年くらい前に前のギルマスも辞めちゃって、もうほとんどギルメンも残ってませんけどね」

 

 対人専門の傭兵ギルドだけあって、多方面から恨みを買うこともままあった。しかし報酬次第で動く性質上、資金に余裕のある大規模ギルドや、ギルド戦で切羽詰まった側に便利な傭兵として雇われることもあった。下手な傭兵NPCより余程期待できる戦力だと認知されれていたこともあっただろう。

 事実、対人戦闘に優れる《NOMAD(流浪の民)》はその精強さで知られ、同数の戦闘では必ず勝利してきた。その戦績はカレルの誇りでもある。前ギルド長は『2ch連合のような数だけ揃えた連中なら、三倍の数でも負けん』と豪語していた。

 だがやはり、傭兵ギルドという意味では魔法職を専門に集めたギルドのほうが有名だろう。一〇〇人の構成員のうち半分を魔法職最強のワールドディザスターで揃えた魔術師団は、その圧倒的な殲滅力から『味方した方のギルドが勝つ』とまで称されたほどだ。

 

「しかしこれ、めちゃくちゃかっこいいですね。課金エフェクトも入ってるし、かなり外装いじってあるんじゃないですか?」

「前のギルマスが引退してからやることなくなって、こいつの為にわざわざクリエイトツールを引っ張り出したんです。会心の出来ですよ」

 

 その刀は、ひたすらに黒かった。

 まず、柄が黒い。鍔が黒い。刀身すらも、まるで夜の闇に浸したかのような漆黒に染まっている。

 それは刀としての美しさよりも、物を斬るという一点に特化したがゆえの機能美と言ってよかった。

 銘を夜薙。そのシンプルなネーミングを、カレルはことのほか気に入っていた。

 刀身をまじまじと見ていた風巨人(エアジャイアント)の表情が、ふと何かに気づいたかのように目を眇めた……ような気がした。

 

「げ、もしかしてこの神器級(ゴッズ)、かなりチューニングされてません? データ量がとんでもない気がします」

「あ、わかります? 前のギルマスも強い武器は作って使ってなんぼ、とかいう人でして。何年かかけてこつこつ作ってたんですよ。……ギルド武器引っ提げてギルド戦に行った時は頭を抱えましたが」

「ああ、うちのギルマスもそんなこと言ってたなあ……それで一回ギルド武器壊されて帰ってきて、みんなにボコボコにされてましたよ」

 

 ははは、と二人で笑い合う。

 周りではこれと見定めた相手とPVPをしていたり、懐かしい思い出話に興じている。

 

「それで……この後はどうします? 余裕があるならもう一戦しますか? まだやってない人もいますし」

 

 カレルはロキの言葉に少し逡巡したあと、首を振った。

 

「いや、ここらへんでやめときますよ。サービス終了まで一時間弱しかないですし、もう見れなくなる景色でも見とこうかなって」

「へえ、意外ですね。カレルさんのことだからサービス終了の瞬間までPVPしてるのかと思ってました」

「まあ、確かにそれも魅力的ですけどね──」

 

 すこしだけ勿体つけて、笑顔で言った。

 

「実は俺、昔はワールド・サーチャーズ所属だったんです」

 

 

 

 

 

     ×     ×     ×

 

 

 

 

 

 ユグドラシルの世界は広大だ。その広さたるや、サービス開始から十二年経つ今でもそれに匹敵するだけのオープンワールドを展開できた作品は数えるほどしかない程に。

 アースガルズ、ミズガルズ、ニダヴェリール、アルフヘイム、ヴァナヘイム、ニヴルヘイム、ムスペルヘイム、ヘルヘイム、ヨトゥンヘイム。

 それら九つの世界の一つ一つを見て回るとしたら、一時間やそこらではとても足りない。丸一日あっても不可能だろう。

 それでもカレルは、思い出深い場所や美しい景色をどうにか折り合いをつけながら見て周った。

 

 気が済んだ頃にはサービス終了まで残り一〇分を切っていた。

 残り時間を実感するとともに、一抹の寂寥感がカレルを襲う。思えばカレルはサービス開始時から今日まで実に十年以上ユグドラシルをプレイしてきた。半生近くをこのゲームに捧げていたことを思えば、なくなってしまうのはあまりにも寂しい。他にもやり込んでいたゲームは無いわけではなかったが、やはりユグドラシルはカレルにとって特別な存在だったのだ。

 

 しばらく《飛行(フライ)》の魔法で空を飛んでいたカレルが、ここぞと思った場所に降り立った。

 月明かりに照らされた、町外れの小高い丘である。

 街灯など光源のない場所では月や星がよく見える。それがゲーム内の作り物であったとしても。

 カレルはその丘の上で、倒れ込むように身を横たえると、視界一杯に広がる夜空をみて、感嘆の溜息をついた。

 アースガルズやアルフヘイムにも美しい景色はあったが、カレルはミズガルズの郊外から眺めるこの夜空が好きだった。視界に他の人工物が何一つ入らない夜空は、眺めていくうちに吸い込まれるかのような錯覚を覚えるほどだ。

 おそらくはリアルの辛さもあったのかもしれない。まるで現実逃避をするかのように美しい光景を追い求めていた時期もあった。

 今も色んなサーバーで、現実逃避の最後の締めくくりとして遊び呆けているプレイヤー達がいるに違いない。

 市場を見て回ったとき、貴重極まりないはずの世界級(ワールド)アイテムが二束三文で売られていたときには腹を抱えて爆笑したものだ。他にも生産職ばかりで占められたギルドは最後の大盤振る舞いとばかりにどう見ても神器級(ゴッズ)にしか見えないアイテムが大量に投げ売りされていた。

 他の場所ではデスペナを繰り返してはしゃぎ回っている連中や、一切の防具を身につけない、通称『全裸』状態で爆笑しながらレイドボスに突っ込んでいくパーティも見かけた。

 それに、ああ、世界級(ワールド)アイテムと言えば。

 

「結局、誰も奪いに来なかったな」

 

 カレルは懐から蒼い液体の収まったガラスの小瓶を取り出した。手のひらの半分程度しかないそれを指先で弄ぶ。

 世界級(ワールド)アイテム、《蒼褪めた血(ペイルブラッド)》。

 異形種のみ装備可能なそれは、種族レベルと職業レベルの合計一〇〇レベルまでしか取得でないシステムを無視し、職業レベルを追加で取得できるアイテムである。

 通常ユグドラシルでは、基礎ステータスで優遇されるものの種族レベルを獲得せねばならず、種族ペナルティを課せられる異形種よりは、一〇〇レベルをそのまま職業レベルへと割り振れる人間種の方が強い傾向にあった。

 しかしその縛りを無視できる《蒼褪めた血(ペイルブラッド)》は、異形種の優秀なステータスをそのままに、人間種のガチ勢と同じだけの職業レベルを取得することができる。当然通常の一〇〇レベルプレイヤーとのレベル差によるダメージ補正は入らないが、その恩恵は計り知れない。

 いつぞやの大規模ギルド戦のどさくさに紛れて掠め取ったものだが、ついぞこの手を離れることはなかった。

 鍛え上げたプレイヤースキルとこの世界級(ワールド)アイテムの力でカレルはユグドラシルPVPランキングでもトップランカーとして名を連ねていたのだ。

 しかしそれも、あと数分で意味はなくなる。ユグドラシルも、そこで得た思い出も、すべて過去のものになる。

 そこで、はたとカレルは思い出した。

 そういえば一人、カレルと同じような思いをしているフレンドがいるのではないか。

 『彼』と出会ったのはユグドラシル全盛を過ぎ、人が減り始めたころ、たまたま仲が良かった『彼』のギルドメンバーに紹介されたときだった。

 それ以来、たまにメールをし、ギルドの資金繰りを手伝い、共通の知人──主に『彼』のギルメンだが──の話をして盛り上がった。そういった、友人より少し遠く、知り合いよりも少し近い関係の彼。

 その名を、AOG(アインズ・ウール・ゴウン)のモモンガという。

 

「やっぱりログインしてたか。まあそうだよな」

 

 コンソールを弄ってフレンド欄を開く。ほぼ全員が真っ黒なオフライン表示の中で、明るくポップされた数少ないオンラインの『モモンガ』の表示。

 自分ではたまに話し相手になる程度のことしかできなかったが、彼はユグドラシル最終日にギルメンに会えたのだろうか。

 少しの逡巡のあと、《伝言(メッセージ)》でメールを送ると、さほど待たずに返信が帰ってきた。どうやらギルドホームの奥でずっとギルメン達を待ち続けていたらしい。

 その健気さに苦笑しながら、続けて送られてきた文面に目を通す。

 ──『十二年間、お疲れ様でした』。

 

「お疲れ様なのはあんたのほうだろ……まったく」

 

 『さようなら。またいつかどこかで』。と送りながら、実に損な性格をしていると鼻を鳴らした。

 コンソールを閉じ、時間を確認する。23:58。もう終わりまで幾許もない。

 明日も仕事だ。余韻に浸る間もなく、早々に眠らなければならない。

 しかしまあ、それでも。

 

「この景色が最後に見れただけでも満足か」

 

 そして、ユグドラシルは終わった。

 

 

 

 

     ×     ×     ×

 

 

 

 

 

 目を閉じたカレルの耳に、ぴちゃん、と水の跳ねる音が届いた。

 ただの水音であるはずなのに、それがカレルには致命的なほどの違和感に感じられた。

 ユグドラシルは終了した。十二年もの長き歳月に終わりを迎えたはずだ。

 カレルの──蓮水彰(はすみあきら)の自室には、水道や蛇口などない。枯れきった彼のアーコロジーでは雨などほとんど降らず、部屋の外には窓を叩く粉塵が立ち込めるのみだ。

 だから──ありえない。ありえないのだ。部屋の中で水音がするなど、それは紛れもなく異常事態である事の証左。

 だから現状の把握をしようと目蓋を開き、そして飛び込んできたありえざる光景を前にして、更なる混乱を余儀なくされた。

 

 そこは暗闇だった。

 目を凝らしてなお、足元を見る事すら難儀するであろう闇。だが暗闇だとわかるはずなのに、カレルにはその闇を詳らかに見通せた。

 そこはさながら広々とした洞窟のような、あるいは大地に走った亀裂──巨大な地割れの中のような──峡谷だった。

 

「なん……だ? これは……」

 

 茫然と呟く声に、答えるものはない。

 見上げた空は殆どが岩壁に遮られ、地上まで少なくとも数十メートルはありそうだ。岩壁の切れ目はそこそこ広く、欠けた月と星々が覗いている。

 試しに冷えた岩壁に触れてみると、湿ったそこからは滲み出るように岩清水が湧いている。ぴちょん、ぴちょんと滴り落ちる水滴は、冷えた岩壁に結露したものが、尖った岩の先から滴っている音だろう。垂れた水滴は岩の窪みに水たまりを作り、溢れた水はカレルの足元で小さな水流となって流れている。

 水滴の付いた手のひらを眺めていたところで、気付く。

 色白の肌、長い指。

 見下ろしてみれば、身に着けているのは先程までログインしていたユグドラシルのアバターの装備のようだった。暗い色のサーコートに要部のみを金属系の防具で補強した軽鎧。黒革のような素材の指抜きグローブと、ふくらはぎの中程までを覆うブーツ。腰には刀を差したままだ。

 

「まさか、まだログアウトできていない?」

 

 ユグドラシルのサービス終了が何某かの不具合で延期されたのだろうか。それとも、プレイヤー達の要望に運営が応えた結果だろうか。しかしそうだとしたら、運営から何かしらのアナウンスがあってもよかったはずだ。

 そう思ってコンソールを開こうとするも、コンソールが浮かび上がることはなかった。GMコールも効かない。チャットや《伝言(メッセージ)》にも誰も反応する気配はない。頼みの綱の強制終了も不可能だった。

 改めて意識して見れば、いつも視界の端にあったミニマップも、体力や残MPを表示するHUDもない。

 

「ああ、くそ……なにが起こってるんだ。意味がわからん」

 

 静かに過ぎる周囲の様子も、一定の感覚で滴る水滴の音も、僅かに香る湿った土の匂いも、全てがカレルの焦燥感を加速させる。

 

「……馬鹿な、匂いだと?」

 

 その事実が、カレルの意識を冷や水を浴びせたかのように冷却させる。

 ユグドラシルを始めとしたDMMO-RPGでは、感じ取れる五感は視覚、聴覚、触覚の三つに限られており、触覚も一部制限されている。残った味覚と嗅覚に至っては、電脳法によって完全に削除されているはずだった。それが破られているとなると重大犯罪に抵触する。

 大きく深呼吸して、冷静に状況を推し量った。

 切り立つ岩の質感も、頬を撫ぜる湿った冷気も、僅かに差し込む月明かりも──あらゆる全てが高精細で、非現実的なまでにリアルだった。これほどのデータ量、実際のユグドラシルなら数秒と持たず処理落ちしそうなものだ。平面の画面に映し出す従来のMMOと、サーバーに生成された仮想世界にニューロン・ナノ・インターフェイスと専用コンソールでアクセスするDMMO-RPGは決して同列に語れるものではない。少なくとも、既存の技術で再現出来る粋を遥かに超えている。

 まるで、異世界に放り出されたかのようだった。

 だが──本当にそうなのか?

 ここは本当に『ユグドラシル』の世界ではないのか?

 わからない。

 なにもわからない──が。

 

「まずは……現状把握か」

 

 カレルは自分にそう言い聞かせるように呟くと、空洞を歩き始めた。

 

 

 

 

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