刀を腰に差した男は、得物を抜きもせずにじっと此方を見据えていた。
先の言葉通り、本当に敵意はないのだろう。そう判断したゴンドとゼンベルは、意を決して岩陰から体を晒す。
二人ではまるで対抗できる相手ではないというのもあり、自棄になっていた。
「まずは──助かった。こいつらに見つかっていたら、今頃儂らは袋叩きにされていたじゃろう。まずは、礼を言わせてくれ」
ゼンベルとともに頭を下げる。
少なくとも今は下手に出ておくべきという打算はあったが、それは本心からの言葉だった。
「いえ、礼には及びません。自分はただの通りすがりですから」
「ふむ……そうか?」
理性的な対応──それだけでもゴンドにはありがたかった。この一ヶ月、野蛮極まりない
「いや、それでも重ねて礼を言わせてくれ。お主は命の恩人じゃ」
「ああ──そりゃ、間違いねえ」
となりのゼンベルも神妙な顔で頷いた。
世は力こそ全てと豪語するゼンベルだからこそ、図らずも命を拾った現状に対して真摯だった。あるいは、目の前の強者に対して相応の敬意を抱いていたのかもしれない。
目の前の男は、妙に気配を探り辛いが──その佇まいといい、一目で破格とわかる装備群といい、圧倒的強者であるのは間違い無いだろう。
その気配の読めぬ異質さこそが、強者だという事実を際立てているようだった。
強き者は総じて己の力を誇示し、強者としての気配を周囲へと振り撒く。その力を自負し、畏怖せしめるのだ。
だが、目の前の男にはそれがない。
気負わず、自然体で──傲りがなかった。
「そういうことなら、感謝を受け取りましょう」
謙虚な物言いからは彼が文明人であることを伺わせた。
「それで……こんなところになんの用じゃ? 見たところ冒険者でもないようじゃが、探し物かの?」
冒険者というものは、大抵胸や肩といった見えやすい場所に〈冒険者プレート〉という冒険者の位階を表すプレートをつけている。
〈
咳払いして話題を切り替えたゴンドに、男は少し悩んだあと、歯切れ悪く答える。
「実は自分、記憶喪失でして。ここが何処かもよくわからなくて……」
「なんと……」
「そりゃあ……難儀だな」
ゴンドとゼンベルは同情するかのような声を上げた。
記憶を亡くし、気がついた場所がこんな人外魔境など気の毒にも程がある。このアゼルリシア山脈は、並の探索者ならば生還を絶望するような魔境なのだから。
アゼルリシア山脈に国を作る
現に
そんな彼が、この山脈で
改めて目の前の男を観察する。
一八〇センチ強の長身に、やや細身の体躯。ゴンドからすれば見上げるような長身だが、ゼンベルに比べれば遥かにマシだ。そしてその髪は漆のように黒かった。
装備は暗色を基調とした軽戦士然とした軽装に、肘や膝といった関節部と胸にのみ装備された革の軽鎧。膝下まで覆うブーツ。
そして腰に差した得物だ。ゼンベルにとっては知らない武器だが、
「なあゴンド。こいつをなんとか〈フェオ・ライゾ〉まで連れて行ったらどうだ? 人里までは遠いし、道中の用心棒にもなるだろ」
「なんじゃと?」
反駁し振り向いたゴンドだったが、たしかにゼンベルの主張は理に適っていた。
アゼルリシア山脈を東に下り、トブの大森林を抜けた先にあるという人間の帝国は、ドワーフに国に比べ遥かに遠い。年に十数人程度の行商人が来る程度の交易はしているが、どちらにせよフェオ・ライゾまで行かねばその行商人にすら会えまい。
何より、道中の用心棒という提案の方がゴンドにとって魅力的だった。
今までゴンドとゼンベルは散発的なモンスターや
「ふむ……確かに悪い提案じゃない。どうじゃ? 儂らの用心棒になる気はないか? フェオ・ライゾに着けば宿も提供できるぞ」
男は悩むように細い顎に手を当てたあと、ややあって頷いた。
「では──お願いします。どうせ、他に行くあても有りませんしね」
× × ×
山道を歩きながらの自己紹介で、男は自分の名をカレルと名乗った。
落ち着いた物腰と言葉遣いからは知性と教養が感じられたが、
己の力こそが全てと豪語する
「それで、その……フェオ・ライゾだったか。その都市はここからどのくらいの距離にあるんだ?」
「おそらく、直線距離で言えば五日もかからんくらいじゃと思うが……この山の地形じゃ、少なくともその三倍は見積もっておいた方がいい。ただ、道中の
その場合は、正面戦力であるカレルの負担が増すこととなるが、構わないかという問いに、問題ないとカレルは頷いた。
しかしカレルの戦闘力ならば、仮に三〇匹が三〇〇匹になろうと容易く殲滅してのけるだろう。数の暴力を許さない隔絶した個の戦闘力。それほどまでに彼我のレベル差は圧倒的だった。
それゆえに、数時間前と比べゴンドとゼンベルの足取りは随分軽い。
実に一ヶ月近くもの間身を潜めながら山を彷徨っていただけに、自由に山道を歩き回れる解放感をここぞとばかりに味わっていた。
ゼンベルも同様である。
ゆえに敵を
「
ゴンドが語るのは数百年の歴史を持つ、
「北の〈フェオ・ベルカナ〉は最大の都市にして首都であったんだがの、二百年も昔に魔神の襲撃で放棄せざるを得んかった。おかげで今や王城は〈白き竜王〉どもの塒に、城下町は
魔神に、白き竜王──また知らない単語が出てきたとカレルは脳内のメモに単語を刻む。
さも当然の如く出される単語であり、このアゼルリシア山脈ではおそらく常識なのだろうが、後でまとめて聞くことにする。
それに、やはりこの山脈には
しばらく歩いていると、ふと前を歩いていたゴンドが空を仰いだ。
先ほどの曇天とはうって変わり、雲がちらほらと見える程度の晴天模様と変化している。日が傾き、青い空が黄金色へと変わりつつあった。
つられて空を見上げたカレルがその変化に感動していると、鉱石や採掘道具の詰まった荷物を背負い直したゴンドが声をかける。
「そろそろ日が暮れる頃合いじゃの。ちと遅くなったが、ここらで野営するかのゼンベル」
「そうだな。小川も近いし、ここなら水にも事欠かん。それに小さい洞穴でもあれば最高なんだが……」
「そう都合良く見つかるかの……」
そうぼやきながら野営に適した場所を探していると、程なくしてゼンベルから声がかかる。
洞穴と言うほど大きなものではないが、巨大な岩の陰になっており小川からも程近い。足元も鬱蒼とした草木ではなく砂利で出来ているため、虫が寄ってくる心配もないだろう。
最後の憂いは水場が近いことによる鉄砲水による被害だ。険しい山間部の川沿いでは、凄まじい勢いの水流に襲われ下流まで流される被害が事欠かない。それによって命を落とす危険性も大きい。
しかしそこはやはり水場とともにある
幾度となくこの山脈で野営してきたのだろう、二人の選んだ野営地は理想的な立地に近かった。
水源が近く、虫が寄ってくる心配も少ない。少し歩けば草木が立ち並んだ林があるが、巨大な岩の周辺は至って見晴らしが良く不意の襲撃にも対応出来るだろう。更には巨大な岩は天然の屋根となっており、屋根造りに労力を割かなくていい。
アーコロジーでの資料で見たキャンプ場のようだ、とカレルは周辺を眺めながらそう感じた。とはいえカレルが生きていた二一三六年では自然などほとんど残っておらず、過去の資料での閲覧しかできなかったが。
ふと、微かな郷愁の念がカレルの胸中をくすぐった。
今更戻りたいとも思えないが、あれはあれで彼の居場所でもあったのだ。
この世界に放り出されて早一週間。既に、電脳世界に意識が取り残され、いつか救助がくるなどと言った幻想は捨てていた。
だが、閉塞したアーコロジーに発展の余地はなく、あるのは先細りの未来だけだ。ゆえに未練はない。今更戻ろうとも思わない。心残りが無いわけではないが、今重要なのは今後の身の振り方である。出来れば同じ
野営の準備に忙しなく手を動かすゴンドとゼンベルを見て、カレルはその考えを保留した。
まずは
ゴンドは薪となりそうな乾いた枝を拾ってくるために席を立ち、ゼンベルは夕食となりそうな小魚を獲るために簡易な銛を製作して小川で漁をしている。
落ちていた手頃な枝をナイフで削って制作した銛は、柄にゴム製のバンドが括り付けられており、先端付近を持って手を離すとゴムが伸縮して穂先が飛び出す仕組みだ。先端にはトゲのような
もともと手先が不器用だったゼンベルだが、
ひゅ、という風切り音とともに銛が水面に突き立った。引き揚げると手のひらほどのサイズの小魚が、逃れようとぴちぴち跳ねている。これで、三匹目だ。
目標は一人頭三匹だった。アゼルリシア山脈は豊かな自然があり、木の実や山菜なども良く採れたが、
欲を言えば、燻製にして数日持ち越せるだけの量をとってしまいたい。フェオ・ライゾを出るときに携帯食料を持ってきたとはいえ、保存日数のために旨味を犠牲にしたような味で食い繋ぐのは気が引けた。
幸い小川と言っても幅は五メートルほど、ゼンベルの膝丈以上の水深はある。見える範囲の魚を取り尽くしたとて生態系に影響はあるまい。
再び水面を向いて銛を構えた視界の端で、小さな影が石の陰に逃げていったのをゼンベルは見逃さなかった。
水底に手を突っ込み、石を退けると逃れようとする小さな影をむんずと手で掴み取る。
沢蟹だった。小さなハサミでゼンベルの指先を挟むが硬い鱗を貫けるはずはない。小さく蠢く沢蟹を見てゼンベルは笑った。沢蟹がいると言うことは、この小川は飲用に特に適していることの証明である。
手の中で涙ぐましい抵抗をする沢蟹を口に放り込み、旨そうに咀嚼する。魚を獲るついでにおやつにありつけるならモチベーションも上がると言うものだ。
ちらりと横目で野営地を見ると、カレルと名乗った黒い軽装の剣士が手作業をしている。ゴンドに教わった通り、火の効率が良く空気をよく通すように薪を組み、身体を横たえられるように草木を編んで寝床を製作している。
最初こそ教わりながらやっていたが、すぐに要領を掴むと慣れた手つきで長い指をすいすいと動かしている。ゼンベルとは比べるべくもない手際の良さだった。ゴンドに言わせればまだまだだそうだが、そもそもが
改めて見れば見るほどに、カレルと言う青年は異様だった。
この世のものとは思えない破格の装備群に、只者ではないと思わせる佇まい。しかして強者の風格を漂わせているかと問われればそうではなく、むしろ気配は希薄と言えるほどだ。ゼンベルの文化圏からは知るべくもないが、暗殺者や剣客のそれに近いと言えるだろう。
だというのに、その姿勢はあくまで自然体で、気負いがない。それが異質さを際立たせている。
それはゼンベルのような武に生きる者だからこそわかる異質さと言っていい。これが生産職の人間や、研究者肌の
物腰は落ち着いていて、受けごたえも淀みなく理知的だ。会話からは知識人であることを伺わせると言うのに、一帯の地理や一般常識には酷く疎い。人間社会に疎いゼンベルですら周辺の国の名前は知っていると言うのに、この青年はそれすら知らないと来ている。
そのちぐはぐさが酷く異質に感じられた。
彼の申告した通り、いよいよ本当に記憶喪失なのだろうと結論付ける。培った普通の知識や自分の名前は覚えているのに、社会通念や一般常識などそれ以外の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまう。そういった事を聞いた事がある。ぞっとしない話であった。
既にゼンベルにカレルを警戒するつもりはなかった。あれほどの実力を見せつけられた以上、警戒してでも無駄と判断したのだ。そもそもカレルに彼等を欺くだけの理由が見当たらない。
半刻ほど経つと、ゴンドが枯れ木の山を抱えて帰ってきた。既に組んである薪だけでは夜を明かすには些か心許ない。火が弱くなってきたら継ぎ足す薪が必要だった。
ゴンドはカレルから受け取った草木を編んだ寝床を検分すると、合格だとでも言うように鷹揚に頷く。この短時間で造れたのは大きめのものが二枚のみだが、一人は歩哨として立つから三枚作るのは無駄と判断したからだ。
「畜生、さっきの
「いや、生憎……勿体無いが、採掘した鉱石で即席のものを作ればいけるじゃろ」
懐を漁り始めたゴンドに、カレルから待ったの声がかかった。
「ちょっと待て。俺にいい手がある──〈
薪に翳された手のひらから、小さな炎が放たれ薪に火を灯す。瞬く間に燃え上がる焚き火にゼンベルは感嘆の溜め息を、ゴンドは驚愕の面持ちでカレルを見た。
「お主、剣士でありながら魔法も使えるのか!?」
詰め寄るゴンドを抑えながら、カレルはやってしまったか、と内心冷や汗をかいた。
「あ、ああ……簡単な魔法なら。手慰みに覚えたんだ」
「なんと……」
過剰な反応に引きながら濁しておく。
第何位階まで使えるのか、などは言わない方がいいのだろうか。さほど珍しい
魔法剣士、というビルド自体数は少なかったが、珍しいというほどではなかった。ビルド構成の手間と運用の難しさの都合上やや玄人向けの印象を持たれがちだが、それだけに対人勢やユグドラシル斜陽期でも一定数存在していたはずだ。
カレルも、
やはり環境が違えば常識も違うということだろうか。
ゼンベルはゴンドの様子に呆れながら小魚を捌き、内臓を取り出していく。
取れたのは八匹だ。カレルが辞退したため三匹はゴンド、残りはゼンベルが有り難く頂戴することとする。火を通すのはゴンドのみ。ゼンベルは生で、このサイズなら内臓も取り出さずそのまま食べるつもりだ。
他にも採取した木の実や山菜も並べられる。ゼンベル、ゴンド、カレルの順で量が多く、カレルは随分と少ないが少食なのだろうと誰もその事に言及しなかった。ただでさえ種族が違うのだから、そういうことだってあるだろう。
実の所、今までカロリーメイトじみた完全栄養食ばかりを口にしてきたカレルにとってほとんど初めての
× × ×
それから実に一週間の間、カレルたちはアゼルリシア山脈の険しくも自然豊かな地形を歩き詰め、過ごしていた。
数匹から多くても十数匹の集団で現れた彼らは、はじめこそ数を恃みに囲み、あるいは奇襲を敢行したきたが、専門職に劣るものの優秀な〈
本来三人の目的地である〈フェオ・ライゾ〉までは二週間以上かかる道程のはずだったが、行軍自体は順調そのもので、既に二つの山を踏破し、アゼルリシア山脈でも最大級の難山、ラッパスレア山に足を踏み入れていた。
そしてアゼルリシア山脈でも一際獰猛かつ強力な支配者を抱える土地であった。
元来山中の都市に篭る
地表から数キロも離れていない地中に溶岩河を抱えるラッパスレア山は、地上ですら地熱の影響により昼夜問わず常夏の様相を呈している。常人ならば“暑い”で済む程度のものだが、地中ともなれば話は変わってくる。
地下に潜ればそれだけ溶岩河に近づくのは道理であり、地下道の籠った熱は常軌を逸していた。入念な準備と事前知識無しには踏破し得ないほどに。なにより──地下道も溶岩地帯に至れば、ラッパスレア山の三大支配者の一、〈ラーアングラー・ラヴァロード〉の襲撃に遭う可能性があった。
他にもラッパスレアの天空を支配する〈ポイニクス・ロード〉や地上を制する〈エインシャント・フレイムドラゴン〉などが存在していたが、溶岩河という不利な地形で相対するよりはそちらを相手にした方が幾分マシであり、地中より隠れ潜む分に適していた。
とはいえこの行軍もあと数日というところまで来た。
これまでのペースからすれば、明日夜か明後日の午前中には都市の入り口が見える頃合いだというのがゴンドの弁である。
さしものカレルにも手は余ると見て、ゴンドとゼンベルはそれまでとは違って慎重に進むつもりらしい。
カレル自身も
なにより自分はただの護衛である。護衛である以上要らぬリスクを買うのは護衛失格であると言えた。