周囲には陥落した
それもそのはず、指揮官たるヨオズは率いる部隊の誰よりも実力で勝り、それは身体能力においても同様だからである。
階級社会である
ヨオズの背後には実に五〇匹もの
全身を躍動させて疾走するヨオズが、前方からこちらへ向かってくる一匹の
全力疾走してきたのであろう、肩で息をつく伝令と思しきクアゴア・ライダーをヨオズはまず鷹揚な態度で迎え入れ、ついでその恐怖に引き攣った表情に眉を顰めた。
「──ヨオズ様! ほ、報告いたします!」
「どうした、何があった」
「
「……ふん、やはりか」
伝令の報告は、半ば想定出来ていた内容だった。
もとより散り散りに逃げる
つまらなそうに鼻を鳴らしたヨオズが、顎をしゃくって続きを促す。
「──それで? それだけではあるまい」
「は、はい! 奴です──奴が出ました! 黒い悪魔が!」
その単語に、ヨオズの背後の部隊がざわついた。
都市攻略のために選抜された精鋭部隊に、伝令の恐怖が伝播していく。
〈黒い悪魔〉──その名は凶兆だった。白き竜王や三大支配者にこそ及ばないものの、この数週間余りの間で
「……まさか、本当に出たとはな」
「──ヨオズ様」
「くどいぞ。出たならば、ここで奴の戦力を測る。そう言った筈だな」
「……了解しました。ではお供します」
「ふん、勝手にするがいい。……おい、伝令」
「は……なんでしょうか」
あくまでも諫言する副官に、ヨオズは一瞥すらすることなく切って捨てると、膝をつく伝令のクアゴア・ライダーに歩み寄る。
「疲れているだろう。ご苦労だった……
「きょ、恐縮であります……はっ?」
そしてヨオズは旧友をいたわるように肩に手を置くと、おもむろにもう片方の手をその腹部向けて
「あ……が、ぎゃあああああああッ!!」
「ヨオズ様!?」
「一体何を……!?」
伝令の悲鳴を皮切りに、副官や背後の部隊が驚愕の声をあげる。その声にまるで頓着せず、むしろ優しさすら感じる声音で問いかける。
「痛いか?」
「はっ……はひィッ! 痛い……痛いです! やっ、やめ──」
「そうか。じゃあ、こういうのはどうだ?」
ヨオズはそのまま躊躇いなく、突き入れた手を捻転させる──
伝令の絶叫が更に一際大きくなり、血塗れの両手でもがいた。その異様な風体に、副官や控えている追撃部隊は声をかけることすらできない。
やがて伝令の絶叫が憐れを催す哀願となり、哀願が掠れた喘鳴となる。弱々しい抵抗を残すのみとなった伝令の手を振り払うと、ヨオズは振り返った。副官も、部隊の者も、その狂態に後ずさる。
その顔と両腕は伝令の血に染まり、元より赤みがかっていた毛を更に深い紅がまだらに染め上げている。
「俺が恐ろしいか?」
ヨオズの後方に控えていた者全員が首を縦に振った。
その反応に満足してヨオズは頷くと、口を開く。
「そうだ。俺は恐ろしい──そして、我らが氏族王はもっと恐ろしい。そしてそれ以上に偉大なのだ」
然り。強者とはその強さゆえに恐れられ、畏怖され、畏敬され──信仰を一身に集める。
だがぽっと出の、どこの馬の骨とも知れない
それを許していたら、氏族王のもと統合され統率された
追撃部隊の一匹に歩み寄ると、その首元を掴み目を合わせる。他の
「それで。俺と──黒い悪魔だったか。奴とどっちが恐ろしい?」
答えはなかった。当然、ここで黒い悪魔の方が恐ろしいなどと放言できるほど肝の座った
そしてそれは、
「わかっているならいい。いくぞ」
踵を返したヨオズに応える者はいない。それに苛立ち怒声を放つ。
「どうした、返事は!
「「「お……おおおお!!」」」
やけくそ気味に鬨の声を上げる
十数分も経たずして、地上砦の正門が見え始めた。
血臭が一際濃くなり、
推察するに、撤退を図った
見たところ、武装した
前後の挟撃に遭ったならば、如何に正門配置の部隊が呆けていたとはいえ、その場で殲滅ないしは壊乱、大多数の
おそらくは
正門から出てみれば、そこはまさに死屍累々だった。
いまや
奥に、撤退していく
しかし万が一、
その万が一を防ぐためにヨオズ自ら追撃部隊を率いてきたのだ。
だが──
累々と広がる死体の中で、黒衣の剣士が幽鬼の如く佇んでいる。
黒い髪。碧眼に白い肌。身長にして一八〇と少しといったところか。一目で知れた。奴こそが報告にあった黒い悪魔だと。
得物は抜いていない。細身の剣としか表現できないそれは抜き放たれることなく腰の鞘に納まっている。戦士としての威圧感もほとんど感じられなかった。まるで、そのまま無視して走り抜けば素通りさせてくれるのでは、と感じるほどに。
だのに、強烈な悪寒にヨオズは身を震わせていた。
その視線が、重心が、立居振る舞いが語っていた。この場を誰一人として通すつもりはない、と。追う者は一人残らず斬り捨てると。
「──問おう! 剣士よ、貴様は何者か!」
ヨオズの誰何に、黒衣の剣士は僅かに眼を眇めたあと応じる。
「カレル・エッケハルト。ただの根無草だ」
「重ねて問う! 貴様は
「ああ。人間だ」
少なくとも精神的には、というカレルの内心に気づくことなくヨオズは問いを重ねる。
ニンゲン。アゼルリシア山脈の一部にのみ集落を築く
だがそれは今この場において重要ではない。
「ならばなにゆえ
予想外の問いだったのか、カレルはしばし黙考した。
実際のところゴンドの護衛の延長線上、という以外の理由はない。強いて言うならそれぞれの種族との第一印象が大きいだろう。
「──一身上の都合により」
ふざけているのか、とヨオズは鼻白んだ。
が、堪えてその言葉を推し量る。ともかく、目の前の剣士はこの場を通すつもりはないようだ。ならば是非もなく、当初の予定通り押し通るほかはない。
剣士目掛け、朗々と名乗りをあげる。
「我が名はプ・ヨオズ。
カレルはもう答えなかった。
名乗りは済ませたとばかりに黒刀の柄に手をかけ、抜刀する。
構えは取らない。切先を下げたまま半身になっただけだ。
武の一端に触れたものならば、舐められていると感じるだろう。研鑽を積んだ武人ならば、その隙の無さに戦慄したはずだ。だが、ヨオズは優れた戦士だったが武人ではなく、そして武に触れる機会に乏しかった。ゆえにその脅威の程を理解することなく、情報によってのみ推し量るしかなかった。
すばやく周囲に目を配る。
背後の追撃部隊たちは、言い含めた通り隊列を保ったまま控えている。
だが本当に目を向けるべきは足元、地に伏した骸だ。
だが、カレルの周囲にある
それは、幼少の頃より希少金属を与えられて過ごしたレッド・クアゴアであるヨオズをして侮り難い武器だということだ。
戦力評価を済ませたヨオズは、じりじりと間合いを詰めていき──裂帛の咆哮とともに飛び出した。
颶風とともに振われた爪を、カレルは半歩下がることによって回避した。次いで振われる二撃、三撃目も紙一重で届かない。
ヨオズの戦い方は身体能力にものを言わせたもので、亜人種としては非常にスタンダードだ。
当然、そんな考察に気付かぬヨオズは一向に攻撃が命中しない現状に歯噛みする。
「どうした! 逃げているだけでは俺は倒せんぞ!」
言うも、ヨオズはカレルにそうするだけのメリットがないことを察していた。
カレルの目的が
ヨオズが攻め、カレルが受ける。その構図が動くことはない。ヨオズのその判断は、早々に裏切られることになる。
「……レベルは二〇前後といったところか……?」
カレルがそう呟くと、いままで回避に徹していた足を初めて前に踏み出した。
(来るか──!)
ヨオズは両腕を交差して構え、カレル目掛けて飛び出した。
配下の
カレルが黒刀を振るう前にこちらの攻撃を当てる。よしんばヨオズの攻撃に先んじてカレルが得物を振るったとして、速度が乗る前にこの硬皮で受け切る算段だった。
カレルの手元がぶれ、黒刀が閃いた。その時点で先制することは敵わないと悟ったヨオズが体当たりを敢行すべく防御を固める。そして、そのヨオズの戦略は痛切に裏切られた。
ヨオズとカレルがすれ違い、ヨオズはつんのめるように泥濘に突っ込んだ。突進を躱されたことに悪態を突きながら立ち上がろうとし──失敗して、再び倒れ込む。
「なっ──なんで……」
「足もないのに立てるわけないだろ」
果たしてヨオズの両脚は遥か後方、カレルの足元に転がっていた。
すれ違いざまに両脚を斬り落とされたヨオズは、突進の勢いを殺すことが出来ずに泥濘に顔面から突っ込んだのである。
「馬鹿な!」
まるでなにも見えなかった。
それどころか斬られた感触すら感じずに、気が付けば地を這っていた。
遅れてやってきた激痛にもがき、悲鳴をあげる。喪失感と激痛に思考が回らず、ヨオズはただ混乱の渦で這いずり回る。ただ一つわかるのは──己の両脚を奪ったこの男が、想定を遥かに上回る強さを持っていること。
氏族王ですらここまで圧倒的戦力を保持してはいない。仮にヨオズが叛旗を翻したとして、叩き伏せる為にただの一撃で済むはずがない。
「こいつを殺せェ!」
地面を這いながらヨオズは絶叫した。
連れてきた副官や追撃部隊に、一騎討ちをしていたことすら棚に上げ、恥も外聞をなく下知を下す。
だが、命令を受けて動く者はただの一匹たりともいなかった。
皆恐怖に凝った瞳で地を這うヨオズと、下手人の男──カレルを見詰めている。
「何をしている!? 俺の言っていることが聞けないのか! 早く──ひいッ!?」
まるで春の野原を漫ろ歩くが如く歩を進めるカレルに、ヨオズが喉が引き攣ったかのような悲鳴を上げる。
勝敗が既に決した以上、ヨオズの生殺与奪権はカレルが握っている。その上でヨオズに近付いて何をするつもりなのか──当然、敗者に肩を貸し互いの健闘を讃えあうつもりがないのは明白だ。
その事実を否応なく理解させられたヨオズが、恐怖と激痛に泣き叫びながら泥濘を這いずり逃げる。それは死神の足音だった。それに追いつかれたが最後、自らの命運が文字通り尽きることをヨオズは過たず理解していた。
しかし、当然の如く無傷の勝者から両脚を失った敗者が逃げおおせることは叶わない。ヨオズが背後を振り仰いだ時には、カレルは眼前まで迫っていた。
庇うように上げた両腕が、呆気なく斬り飛ばされる。血と泥の飛沫を上げて転がる両腕の行先を見届けるよりも先に、ヨオズの喉は黒刀に切り裂かれていた。
「がっ──」
肘から先を失った両腕で虚空を掻きむしると、ヨオズは泥濘の中に突っ伏した。
くぐもった喘鳴とともに自らの血に溺れていく哀れな元指揮官を一瞥すると、カレルは
視線を受けてなお、誰一人として動くものはいない。
彼等は理解していた。ここであの剣士に向かって行ったとしても、ヨオズと同じ末路を辿るだけなのだと。一歩でも動けば殺されるかもしれない。身じろぎ一つした次の瞬間には命はないかもしれない。そんな危惧が彼等の両脚を地面に固く縛り付けていた。
「他に相手して欲しいやつがいるならしてやるが」
その言葉を聞くや否や追撃部隊の面々は一八〇度身を翻し、脱兎の如く走り去る。
四肢を失って息絶えたヨオズの亡骸を思い出す。彼が失血によるショックで死んだのか、自らの血に溺死したのかは定かではないが、あんな末路はごめんだった。
×××
「結局、お前の出番はなかったな」
黒刀を鞘に納めたカレルが背後のゼンベルに投げかける。
ヨオズの取り巻きたちがカレルに襲いかかったときの抑えとして控えていたが、結局仕事が回ってくることはなかった。
そもそもその役目が必要だったかどうかは甚だ疑問ではあったが。
「そりゃあ、あいつらもこんなのを見せられちゃあな」
ゼンベルがヨオズの亡骸を見て溜め息をついた。
決闘に勝利し、とどめを刺した。ただそれだけの事のはずなのに、敗者は見苦しく周囲に助けを求め、泣き叫びながら地を這いずり回り、結果惨めな最期を迎えた。
「俺としちゃあ嬲るつもりはなかったさ」
「わかってるって。ただ、殺しちまって良かったのかよ?」
「ああ。別に俺たちが追われていた訳でなし、手間かけて口を割らせるよりは後腐れなく殺したほうがいい」
「……いいや、多分ありゃあ早々に吐いてたと思うぜ」
「……やっぱりそう思うか?」
ゼンベルは返答せずに肩を竦めただけだった。
カレルとしても正直な話、ここまで恐れられるのも心外だった。今まで
なのに思惑は外れ、噂には尾鰭と背鰭が付き、脚まで生えて独り歩きしている。おかげさまで今やカレルは直接出会った
「それに、仮にも司令官クラスだろ? 生け捕ったとしたら追撃部隊が再編されたかもしれないだろ」
「確かに言わんとすることはわからねえでもないがよ。それもないと思うぜ」
「……だよなあ」
肩を落とすカレルにゼンベルが苦笑いを浮かべた。
この剣士は出会ったころこそ口調も固かったが、今では砕けて肩の力も抜けてきている。それは喜ばしい事だ。常識人なのに持っている力が図抜けているから浮世離れして見えるだけなのだ。
「なあに、お前も別に
カレルはもとより
今でこそ
そう思えば、これから先居なくなるカレルを怖れ続ける
そう笑いながらゼンベルはカレルを励ました。
「さて、じゃあそろそろゴンドたちを追いかけようぜ。ここにいたら血臭でモンスターが寄ってきて──」
言いながらフェオ・ジュラに足を向けようとした瞬間、ゼンベルは絶句した。
視線の先にあるのは──ラッパスレア山。アゼルリシア山脈でも一際危険な、獰猛なる支配者たちが闊歩する土地。
「マジかよ……」
山頂付近から轟然と噴き上がった炎が、雨雲を吹き散らしながらラッパスレア山上空を旋回する。
それはさながら紅い流星だった。
紅蓮の炎の軌跡を引いた真紅の不死鳥が、夕闇を切り裂いて、落ちゆく日に変わる第二の太陽の如く空を舞う。
その軌跡がなにより雄弁に語っていた。この空こそ我が王国だと。
その翼がなにより傲慢に語っていた。我こそ天空を支配するものだと。
「ポイニクス・ロード……」
我知らず呟いていた。
然り。彼の者こそはポイニクス・ロード。
山脈の絶対者が一にして、天空を統べる覇者。
ヒトの手の届かぬ天に舞う、紅蓮を纏う灼けた王。
「あれがラッパスレアの三大支配者か」
「ああ。俺ァほとんど
雨も、万有引力も、夜の闇すら彼を縛る枷足り得ない。それら全てを振り切り蹴散らして飛翔する威容を目にすれば、小国程度であれば数夜のうちに壊滅させられる戦闘力も納得せざるを得ないだろう。
「ポイニクス……
カレルの視線の先で、真紅の不死鳥が魂消る絶叫を夜闇に響かせた。