幻のウマ娘Tさん 作:クソザコナメクジ
あの凶悪な気配は一体、何だったのか?
退屈な授業中。ワタシはペン回しを興じつつ昨日の選抜レースの事を思い耽る。
強い気配を感じたのは最終コーナーを抜けた辺りから、前に追いつくよりも背後から迫る何者かの気配を感じ取ったワタシは、逸る気持ちを抑え切れずに体力を使い果たすまで駆け抜けてしまった。その後は息も絶え絶えとなって、コースから出る彼女の背中を見送る事しかできなかった。
だけど、伝わるものはある。一目見ただけでもわかる。
彼女の後ろ姿、その佇まいから感じる強者の気配。
……顔を見れなかった事が悔やまれる。あれは必ず上がってくる。
その確信がワタシ、タイキシャトルにはあった。
「ハイ、タイキ。柄にもなくネガティブじゃない」
授業も終わって休憩時間になるとアメリカンな鹿毛のウマ娘、シーキングザパールが話しかけてきた。
私と同じように海外から日本にやってきた彼女は、英語で話せる事もあり、何かと話す機会が多く、今となっては学友であると同時に好敵手でもある。
そんな彼女を前にしてもワタシは頭を切り替えることはできず、「ンー、フゥー……」と言葉を濁す。
「……本当におかしいわよ、どうしたのよ」
シーキングザパールが僅かに眉を顰めた後、相手を気遣うような声色で問い掛けた。
話して何かが解決する問題ではない。しかし、話して何か変わるかも知れない。と私は昨日走った模擬レースのことを語り聞かせる。
サイレンススズカの2着になった事よりも、自分を追い立てた3着の方が気になって仕方ない。
「それで……ユー、トキノミノルって知っていますか?」
トレセン学園の生徒数は二千名と多いけども、社会という規模で考えれば高々二千名である。あれだけの走りをするウマ娘が今まで話題に上がらないはずもない。サイレンススズカにメジロブライト、メジロドーベル、スピードワールド。キョウエイマーチ。そして目の前にいるシーキングザパール──本格化前のウマ娘も含めれば、もっと居るけども、しかし、あんな凶悪な殺意を持っているウマ娘を自分が見逃すとも思えなかった。
「夏休みが終わった後に転校生が入って来たとは聞いたわね」
中央トレセン学園において、転校生は珍しい事ではない。
夏までに一人、夏休みが終わった後に三人が中央トレセン学園に転校して来ている。地方で良い成績を残した事もあれば、本格化した時に目覚ましい発達を見せて、中央トレセン学園の入学に必要な基準を満たす場合もあった。
中央トレセン学園は基本的に実力主義なので、能力さえあれば入学する事は難しくなかったりする。
「ところでタイキ。その子が気になるのも分かるけど、それよりも先に考えるべき事もあるんじゃない?」
そう言いながら彼女は机の上に置かれたプリントとトントンと指先で叩いた。
それはトゥインクル・シリーズに出走する条件。何処かのチームに所属もせず、専属の担当トレーナーと契約を結んでいない者はメイクデビュー戦への出走すらも許されない事が書かれている。
……まだ私にはトレーナーが居ない。
あの模擬レースの後、多くのトレーナーから誘いを受ける事になったけど……どうにも気分が乗らなかったので保留させて貰っている。名刺も貰っているけども、相手の事を調べる気力も湧かない。大事なことだと分かっているからこそ簡単に決められない。
そんな腑抜けた私を見てシーキングザパールは大きく息を吐くのだった。
◆
私が現役だった時期に比べると、随分と設備は様変わりしている。
歴代最強の一頭として数えられていた時に出した私のレコードタイムも、私が最後に確認した時の記録と比べると10秒もの差があったりする。しかし、それも現代の科学的に洗練された設備を見ると当たり前だと言いたくなる。彼の神バ、シンザンなんてシンザン鉄と呼ばれる特注の鉄下駄を履いてトレーニングを積んでいた。まだ精神論が信仰されていた時期の話、今のウッドチップだとか、プールだとか、坂路だとか……それだけならまだ良い。肺活量や筋肉量を分析したり、走り方を分析してのフォームチェック。現役時代、私が個人で独自にやっていた事が今や誰もが当たり前のようにやっている。
末恐ろしい時代になったものだと苦笑し、それでも現代に追いつく為にトレーニングを積み重ねた。
理事長ことノーザンテーストは、初戦に勝つ事は出来たが二戦目以降に苦しんでいる。
4戦1勝、2着が1回。3着が2回だ。それはやはり過去と現代のギャップに苦しんでいるのだと考えられる。10月のトーマスブリヨン賞に出走した際、アシュカラニの走りを見て、彼女も過去のやり方では駄目だと思い直したと言っていた。
余談だが、アシュカラニは後に国際GⅠを2勝する事になるウマ娘である。
私には豊富な経験がある。しかし、それは過去の遺物だと割り切る必要があった。
あの頃に思考錯誤して得た知識や技術は、今となっては当たり前で間違っていたという情報すらもある程だ。その事は私も知識として分かっていたつもりだ。しかし私の心の奥底に染み付いたものは簡単に拭い取れない。勝ちたければ、頑張るのは当たり前だ。適度な休憩、適切なトレーニング量というのは知識で分かっていても心が受け付けない。走れば走った分だけ速くなる。周りからオーバーワークと言われようとも、そうやって私は強くなってきたという自負がある。ミホノブルボンやライスシャワーで漸く、よくやっていると感じるレベルだ。
身体を絞る為にレースを練習代わりに使っていた真の天才も居るけども、ああはなれない。
本番で疲れを残さなければ良い、最終的に合わせれば問題ない。
そういう時代を駆け抜けてきた私にとって、トレーニングを制限されることはストレスでしかなかった。
そんな私だからトレーナーが必要だという事も十分に分かっているつもりだ。
しかし、精神的に年下の相手に高圧的な態度を取られる事はストレスだった。
それもまた当然といえば、当然の話。
中央トレセン学園に在籍するウマ娘といえば、まだ中学生や高校生といった精神的にも成熟していない少女である。
必然的にトレーナーに求める要素の中に、頼れる存在というものが含まれる。
だから自信満々で堂々とした態度を取る姿に惹かれるし、その事を理解している熟練のトレーナーは意図して強気な態度を取る。
……まあ見た目が中学生の私と対等の立場であって欲しいと願うのは難しいと分かっている。
トレーナーに対して高圧的な態度を取って萎縮させたい訳でもない。
今日も今日とてトレーニングに励んでいる。
私は何十年とウマ娘の世界にしがみついて来た私は、定番のトレーニングスケジュールを知っていたから、そこにちょっと手を加えるだけで当たり障りのないものは完成する。後はトレーニングの質を高めれば良い、私は自分の追い込み方を知っている。
10戦10勝。内レコードタイム7回。
この記録は常に成長を追い求め続けた私の証。昨日よりも今日の私、今日よりも明日の私を目指して駆け続ける。
「あ、あの……」
坂路の3本目を終えて休憩を取った後、4本目に向かおうとした時に坂路コースの外から声を掛けられた。
「そろそろ、やめた方が良いんじゃ?」
眼鏡を掛けたヒト耳の可愛らしい女の子がオドオドとした感じで問い掛ける。
私は彼女を無視して、4本目に入った。追い込んでからが本番だ。この1本が最後の直線、もう一歩の力を生み出す。
走り終えた後、ゆっくりと坂を降る。坂路コースの脇には、まだ眼鏡を掛けた少女が待ち構えていた。
彼女は、私の事を見つけると心配そうな顔でチラチラと私の足を見つめてくる。
正直、ちょっと煩わしい。言いたい事があれば言って欲しい気持ちもあるが、実際に脚の心配をされるのも余計なお世話だと思う事は間違いない。あの時代と比べるとトレーニングコースは随分と走りやすくなった。脚の負担が軽減されたのであれば、その分だけトレーニングに費やせるというものだ。
しかし、それが通用しないのが現代医学。全く煩わしい時代になったものだと思う。
「もし文句があるのでしたら、私が納得するメニューとスケジュールを持って来てください」
にっこりと笑いかければ、「ひいっ」と彼女は情けない悲鳴を上げた。
彼女の胸にはトレーナーバッジが付いている。新人なのか、自分に自信を持っていない様子。この程度で萎縮するような相手であれば、最初から興味がない。メニューとスケジュールだって持って来てくれなくても構わない。
こんな話をしたのは、ただひとつ。彼女の視線がうざかった。それだけだ。
タイキシャトル「パールさんは英語もできるので話しやすいデス」
シーキングザパール「言語の壁はボディランゲージでどうにかなる」
トキノミノル「走れば走るだけ強くなる」
サイレンススズカ「はい、そうですね! 走りましょう!」