幻のウマ娘Tさん 作:クソザコナメクジ
私如きが名乗るなんて烏滸がましいのです、はい。
幼い時にトゥインクル・シリーズを走るウマ娘の姿に憧れた私は、大学を卒業すると同時に地方トレーナー免許の資格試験を受ける。
その際、記念にと思って受けた中央トレーナー免許の資格試験に受かってしまった。
合格するなんて思ってもいなくって、でも、だからといって、折角、受かったのに断ることもできなかった。
勇気を振り絞って、中央トレセン学園の狭き門を潜ったのが去年の話。
でも、オドオドした私のスカウトを受けてくれるウマ娘なんて、そうそう居るはずもない。
担当を持てず、中堅トレーナーの助手として働かせて貰うことになった。
とはいってもトレーナーのイロハを教えて貰った事なんて一度もなくて、そのほとんどが雑務に付き合わされるだけだった。
何の為に中央トレセン学園に来たのか分からない毎日、トレーナー寮に帰っても何もやる気が起きない。
疲れ果てた身ではテレビでレースを見る事も少なくなり、部屋にはコンビニ弁当の空箱が詰まったゴミ袋が増えていった。
中堅トレーナーの助手として働いた一年間、なんの進歩もなかったように思える。
それから更に十ヶ月以上の月日が流れて、自分がトレーナーであることも忘れてきた頃合いだ。
彼女と出会った、その走る姿に目を奪われる。……今年、メイクデビューしたウマ娘の中には来年のクラシック路線で中心になるという四名のウマ娘がいる。彼女達は四天王を呼ばれており、その姿を一目見た時は、彼女達のようなウマ娘がGⅠの舞台で活躍して行くのだと思い知らされた。
でも彼女、トキノミノルの走りを見た時の衝撃は彼女達以上のものがあった。
彼女はGⅠを取る逸材だ、クラシック3冠だって夢じゃない。
……今はもう12月。素質のあるウマ娘はみんな、スカウトを受けている。
だから彼女にはトレーナーが居ないなんて夢にも思わなくって、遠くから眺めるだけに留める。
彼女を担当に持つことができたトレーナーは幸せだ。だって、好きなだけ彼女の走りを間近で見続けていられるのだ。今、坂路コースを駆け上がる姿を見ているだけでも惚れ惚れとする。彼女がレースでラストスパートを仕掛ける時、その光景を間近で見られると想像するだけで達してしまいそうだ。
ふひっ、と気持ち悪い声が零れる。口の端から垂れた涎を拭い取る。
そんな彼女が3本目を走り出した時、不意に片脚を庇う仕草を見せた。
膝を痛めた? ……いや、そんなことはない、はず。もし仮に脚を痛めてしまったのであれば、今しているように地面を踏み締めながら坂を登ることはできない。
……もしかすると過去に大きな怪我をした経験があるのかも知れない。
それまで美しかった走りが崩れるのを見て、見ていられず、つい彼女に声を掛けてしまった。
そろそろ、やめた方が良いんじゃ? と。
ひと睨みされた後、無視されてしまった。
やっぱり私って気持ち悪いのかな。4本目を走る彼女が余計に片脚を庇う姿を見て、心が苦しくなる。彼女自身も無自覚のようであり、崩れた走り方を修正する気配はない。……彼女は、無理をするべきじゃない。こんな走り方を続けていれば、今は良くても、後に大きな怪我に繋がる事にもなり兼ねない。すぐにでもやめさせるべきだ。
でも私は彼女の担当ではない、既に担当が居るウマ娘に外部から助言する事はマナー違反になる。
だからといって彼女が怪我をすることは見過ごせない。
……どうして彼女の近くにはトレーナーの姿がないのだろうか。
チームに所属しているせいでトレーニングを見て貰えていないのかも知れない。
そんな事を考えていると汗だくの彼女が、ゆっくりと歩み寄って来た。
「もし文句があるのでしたら、私が納得するメニューとスケジュールを持って来てください」
唐突にそんな事を言うと、にっこりと攻撃的な笑みを浮かべた。
「ひっ」
思わず、小さな悲鳴が口から漏れる。
気に障ってしまった? 嫌われてしまったかも知れない。こんな事なら言わなきゃよかった!
と疑念が自己批判の渦巻く中で、私が持つ灰色の脳細胞はひとつの事実を導き出した。
仮にも自分を担当してくれるトレーナーを持つウマ娘が、冗談でも他の人物にトレーニングのメニューやスケジュールの提出を求めるだろうか?
彼女は片手に持っていたストップウォッチの記録をノートに記入する。
そして自前の鞄から飲み物とタオルを取り出し、汗を拭いて水分を補給した。
彼女程のウマ娘に、こんな雑務を彼女一人にやらせるのか。
もしかして、もしかすると! 彼女にはまだ担当するトレーナーが居ない?
全てを理解した時、くひゅっと気持ち悪い含み笑いが零れる。
彼女を担当に持てたトレーナーは絶対に幸せだ、何故って彼女の走りを誰よりも近くで見続けられる!
……本当に? 私なんかが彼女の担当に? そんな恐れ多い!
そんな考えとは裏腹に私の本心は、この好機を逃すな。と訴えてくる。
私には、やるべき事がある。そんな事は関係ない。時間がなければ、自分の時間を削れば良い。
食事や睡眠と時間をひねり出す手段は幾らでもあった。
今しかない。嫌いな自分を変える時があるのだとすれば、それは今この瞬間だ。
◆
追い返した翌日、眼鏡を掛けた彼女は私の走りをジッと観察している。
何か思いついたような仕草を見せたかと思えば、胸ポケットに入れた手帳を取り出しては何かを記入する。
ちょっと鬱陶しい感じはあるけども、自分から言い出した事だったので無視を決め込んだ。
そんな日が三日間も続いた、眼鏡の彼女は目に見えてやつれていった。
四日目の放課後、授業を終えた私は体操着に着替えてトレーニングコースへと足を運んだ。
今日も自分を追い詰める為に限界を超えて鍛え上げる。その小休止、私がトラックコースから出て水分補給をしていると眼鏡の彼女が覚束ない足取りで近付いて来た。ふひひ、ふへへ、と気持ち悪い笑い声。眼鏡を掛けていても隠し切れない大きな隈、ボサボサとした髪に痩せこけた頬。何処からどう見ても不健康そうな見た目に反して、瞳だけはギラギラと活力に漲っていた。
何処からどう見てもヤバい奴、ウマ娘でありながらヒト相手に身の危険を感じる。
彼女は、私の目の前まで歩み寄るとギクシャクとした動きで鞄から分厚い紙束を取り出した。
「あ……えっ……その、ちゃんと、か、考えて……来ましゅた……」
噛んだ、ガッチガチに緊張している。ホッチキス止めされた紙束を受け取ると、彼女は更に追加で鞄から新たに分厚い紙束を取り出す。
「えっと、その……最初に渡したのが、その、私が知っているウマ娘の基本的なトレーニングを私なりにアレンジしたものでして……でも、たぶん、それだと納得しないと思うから……ナリタブライアンのトレーニングとか、シンボリルドルフのトレーニングとか……文献に残ってるのを参考にしたり……あと、これがミホノブルボンを参考にしたもので……あ、あと! スーパークリークも脚に不安を抱えてて、三冠には間に合わなかったけど、じっくりと鍛えて秋から本格始動するスケジュールも用意したんだけど……どれが良いのかってのは、私、経験がないから分からなくって……でも、私も貴女の走りを凄く観察して、何度もビデオを見直して、タイムも測ったりなんかして……あ、これがそのデータなんだけど……」
そう言っている間にも私の両手に積み重なる紙束の数は増えていった。
いや、ちょっと待って、持ち切れない。どれだけ出すつもりなのか、こんなに渡されても読めないって。
それでも彼女は容赦なく紙束を押し付けてくる。
「えと、その……私、何も知らなくて……ほんと、その……くひゅっ、ごめんなさい……烏滸がましいんだけど、これ、疲れた時は極端に走り方が悪くなってるから……ふひ、ふひひ……いや、おかしいんじゃなくて……ふへへへへ…………」
全てを渡し終えた後、彼女は気持ち悪い愛想笑いを浮かべて涙目になっていた。
そして逃げるように距離を取った。ふらついた足取り。あ、転んだ。誤魔化すように愛想笑いをして、改めて逃げ出した。
……彼女、本当に大丈夫なのでしょうか?
名前くらいは聞いてあげても良かったかも知れない。
それにしても──私の両手に積み重ねられた分厚い紙束の山、私は深く溜息を零す。
読むまでに何時間かかるのか。いや、もう全部は読む気ないのだけど。自分から言った手前、無下に扱う事もできない。
思いついた事を片っ端から書き連ねているだけならば、さらっと読み流す程度で良い気がする。
とりあえず適当にパラパラと捲ってみた。すると意外や意外、内容は綺麗に整理されている。
ただ単にクラシック3冠を目指す時、短距離路線を走る時、シニア王道路線。ダート路線と様々なパターンを想定しているから量が膨大になっているだけでひとつひとつの量は常識的な範囲で収まっていた。あとは脚の故障に関しての記載が多いのが量に拍車が掛かっており、脚に不安がある場合でまた新たにスケジュールやメニューを増やしている。
それでいて内容も充実している。正直、よくもまあこれだけ調べたものだと感心する。
少なくとも熱量は感じられた。
「私が脚に痛みを感じ始めたのはクラシックの時、今は痛みは感じていないのですが……」
脚に不安があると確信を持った書き方に疑念を持っていると、他の紙束よりも極端に薄いホチキス止めの紙束を見つける。
それにはデカデカとした文字が記載されていた。
……そこには百人が読めば百人が失笑するような読むに堪えない夢物語が書き記されていた。
私だって苦笑する。何故かって、この計画書には凱旋門賞やKGⅥ&QES、BCターフまでもが視野に入れられているのだ。せめて香港カップ辺りにしておけば、まだ現実的だった。内容は杜撰で誤字脱字も多い、計画書と呼ぶには余りに未熟な内容である。
でも、この荒唐無稽な夢物語が今まで私が見た計画書の中で最も魅力的に感じられた。
駄目だ、笑いが堪え切れない。
トレーニングをする気分でもなくなった。これはしっかりと目を通す必要がある。私は大量の紙束を両手に近場の木陰に腰を下ろす。
次に彼女が来た時が楽しみだ。
「あ、あの! この前なんですけども……その、なんか、余計なものが混ざっていなかったでしょうか!?」
翌日、眼鏡の彼女は面白いくらいに慌てふためいていた。
私は含み笑いを零して、余計なものはありませんでしたよ。と朗らかに告げてやって、あの紙束の存在を隠す。
すると彼女は顔を真っ赤にして、両手で頭を抱えながら項垂れてしまった。
余計なものはない。嘘は言っちゃいない。
「……私は練習量を減らす気はありません。あと幾つか計画書に関して質問があります」
羞恥で悶える彼女に容赦なく言葉を浴びせる。疑問の解消に加えて、幾つかの希望を口にする。
私が先ず最初に目指しているのが無敗3冠だって事も教えた。
そうやって意見を交わした後「もう一度、来てください」と伝えた時の彼女の破顔した顔は見物だった。
ウッキウキで紙束を持ち帰る彼女の背中に、ああ、そうそう。と言葉を添える。
「海外も視野に入れています」
脈絡のない言葉。眼鏡の彼女はポカンとした顔を浮かべた後、ボフンと顔を真っ赤にさせた。
察しも良いようで何よりです。
あの紙束を返すように詰められたけど、惚け通した。
◆
眼鏡の彼女と出会ってから数週間が過ぎる。
吐く息が白く染まる、雪が降る中でも私は厚着に身を包んで坂路を駆け上がった。
私以外でコースに出るウマ娘は少ない。
それもそのはずで今日は年末年始、帰る宛のない私は普段と変わらずトレーニングを積んでいる。
流石に今日は眼鏡の彼女も来ないはずだ。
そう考えた矢先、モコモコに厚着をした彼女が満面の笑顔で駆け寄って来た。
手には分厚い紙束を携えており、来年一杯に掛けての計画を嬉々として話しかけてくる。
彼女はクリスマスの時にも、トレーニングコースまで足を運んでいた。多くのトレーナーとウマ娘が休暇を取る中で、わざわざ私に会いに来るもの好きな彼女に「寂しい人ですね」と嫌味半分、心配半分で言ってやれば、彼女は気恥ずかしそうに身を捩る。事のついでだったので「会う人は居ないのですか?」と問い掛けてやれば、「此処に居ます」と臆面もなく答えるものなので藪蛇を突いたと苦い顔をする羽目となった。
そんな彼女が手渡してくる計画書は、私の駄目出しもあってか日に日に精度が増している。
少なくとも私一人で考えるよりも、ずっと質の良いものに仕上がっていた。
私がパラパラと捲る仕草を眼鏡の彼女は恐怖半分、期待半分で見つめてくる。実に鬱陶しい上に読み難い。でも、それも慣れてきた。そういうものだと割り切れば、最初の頃に感じていた程の不快感もない。
……というよりも、彼女が側に居ることが当たり前になってきている。
目を伏せる。私は、この時代に来る前までは理事長秘書として、様々なウマ娘とトレーナーの関係を見てきた。
有名なトレーナーの中には、ウマ娘にレースを教えて貰ったという人物も居る。明らかな新人トレーナーと組んでいた有名なウマ娘は、その事に不満を零さず、彼と一緒でなければ此処まで来れなかった。と言い続けている。もちろん方向性などの違いによって仲違いした者も多い。
幸せ太りしたマルゼンスキーから言われた事がある。
貴女は理想が高過ぎるのよ、理想が高いと出会いすら失われるわよ。
目を開ける。目の前には、なんとも情けない新米のトレーナーが居た。前のトレーナーはクモハタやセントライトを育て上げた超が付く程に一流のトレーナーで頼りがいがあった。彼には多くのものを貰ったし、そのおかげで栄光も掴めた。
最後は残念だったけど、それでも彼が居たから今の私が居る。
「……これは私も腹を括るべきでしょうか」
「ほえっ?」
私の呟きに、眼鏡の彼女はコテンと首を傾げる。その仕草に苦笑した。
精神的には自分よりも年下の彼女。でも、結婚という人生の相棒を選ぶ時だって十歳以上の年の差が生まれる事がある。
……既に彼女は行動している。自分の価値を証明していた。
だったら私も誠意をもって対応すべきだ。
「私には……夢があります」
空を見上げる、雪が降っている事もあって灰色雲が覆い尽くしている。
「それは何かを達成したいとか、そういったものではありません」
あの時、見れなかった夢の果てがある。
東京優駿で途切れた夢の途中、イツセイとミツハタが駆け抜けた道の先を私は見れなかった。
それが私の現役時代の心残り、まだ見ぬ未知の領域。私が駆け抜けたかった戦場だ。
「これから先、長い道のりになることはわかっています。少なくとも五年、それ以上の関係になるかも知れません」
誰かは言った。結婚は人生の墓場だと、それはネガティブな意味で捉えられる事もあるけども……本来は良い意味だったはずだ。
「……貴方は私の為に骨を埋める覚悟はありますか?」
「はいっ!!」
差し出した右手、それを食い気味に両手で握り締められた。
えっ、ちょっと引くんですけど。自分から言っておいて、なんだけど。
眼鏡の彼女は、ギラ付いた瞳で私を睨み付けている。
「良いんですか!? 私で良いんですね!? 後悔しても遅いですよ!?」
「……そう言っています」
「絶対に……絶対に離しません! 私、面倒臭いですよ!?」
もう既に今が面倒臭い。口には出さず、苦笑いで誤魔化した。
でもまあ、こうも求められるのは悪い気はしない。
12月の末、私は私だけを見てくれる専属のトレーナーを見つけました。
トキノミノル・グランドスラム大計画。
筆者:W・R
概要:深夜のテンション。