幻のウマ娘Tさん   作:クソザコナメクジ

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時系列がバグっていたので書き直しました。
昨日の分を読んだ方、申し訳ありませんでした。


9R:ティアラ路線の女傑達

 月日は、あっという間に流れ過ぎる。

 6月にはフサイチコンコルドが同世代の四天王の内3名を抑えて、東京優駿の優勝トロフィーを勝ち取った。僅か3戦でのダービー制覇は、彼女と似た戦績を持つアメリカの伝説的名ウマ娘から名を取って、和製ラムタラと呼び評される。また東京優駿の先週に行われたオークスでは、エアグルーヴが見事に勝利を飾る。

 アスリートとして走る事を重点に置いたクラシック路線と芸能方面に志すウマ娘が走るティアラ路線、その両方で世代なんばーわんを決める一戦が行われる中で私のトレーナーにとっても記念日となった。

 

「ぱんぱかぱ~ん。トレーナーさんの初勝利ですわ~」

 

 此処はトレーナー寮にある彼女の私室。愛しのトレーナーを膝上に乗せて、ウンと伸びをするように両手を広げる遠征帰りのウマ娘の名はサージュウェルズ。彼女は三勝クラスの特別戦で勝利を飾ったのだ。ダート路線から打って変わった芝の長距離戦、パワーはあるけども距離が長い方がズブい彼女には合っている。と、眼鏡のトレーナーが取った戦略が見事に嵌った結果だった。

 それは彼女にとっては9ヶ月ぶりの勝利であり、同時に私のトレーナーのトレーナーとしての初勝利となる。

 

「31勝目の1歩目……夢のプレハブ小屋まで、あと30勝……」

 

 眼鏡の彼女は、愛バに後ろから抱き締められた姿で光悦とした表情を浮かべる。

 条件問わず担当ウマ娘の通算31勝は、トレーナーの能力を測るひとつの指標となっている。それは中央トレセン学園がトレーナーにプレハブ小屋を提供する条件の一つとなっており*1、プレハブ小屋を持つ事で才能あるウマ娘を勧誘できる可能性は格段に上がる。

 故に中央トレセン学園のトレーナーは先ず、通算31勝か重賞勝利を目的に掲げる事が多い。

 

「……まあ31勝するよりも私が重賞勝利する方が早いと思いますけども」

 

 と私は机の上に置かれた人参味のスナックを齧る。

 

「でしたら私が貴女よりも早く重賞勝利してみせますわ~」

 

 のほほんとした声色、細めた目から覗かせる瞳は鋭い光を放つ。

 まあ、それならそれで構わないのですけど、と自分で用意した茶を啜る。

 二人が淹れるよりも自分で淹れた方が美味しい。

 

「それでミノルのデビューは本当に10月で良いの?」

 

 そのトレーナーの問いかけに、構いません。と私は頷き返す。

 今の状態でも勝利する事は難しくない。しかし前の歴史だと私はジュニア2年目の時に脚を痛めてしまっている。我慢できない程の痛みではなかったので、前のトレーナーには特に報告もせずに普段のトレーニングを積み重ねた結果、東京優駿の前に大きく悪化をさせてしまった。レースを回避する事もできた。しかし出れば1番人気になるのが分かっているのに、ファンの期待を裏切ることはできないとして出走を強行する。

 その結果、競走能力喪失。二度と本気で走る事ができない脚になり、そのまま引退することになる。

 前のトレーナーは、ずっとその事を悔やんでいた。

 

「10月の初めにメイクデビュー戦、その下旬に開催される荻ステークスに出走。少し間を置いて12月に朝日杯を取ります」

 

 だから今回、私はレースに出走する回数を出来るだけ抑える事に決めている。

 それまではじっくりと脚を丈夫に鍛え上げる。

 

「……やっぱり脚、心配なの?」

「今はまだ大丈夫ですよ」

 

 そう微笑み返すも彼女の顔色は晴れない。そんな彼女の頭をサージュウェルズが優しく撫でる。

 

「……12月にメイクデビューでも良いんだけど?」

 

 年下相手に良いようにされているのに一向に気にせず、眼鏡の彼女は心配そうに問い掛けてくる。

 脚を労わる事を考えるのであれば、彼女の提案も悪くない。しかし私は直ぐにでも走りたい、ひとつでも多くのレースに出走して勝利したい。脚の調子が許すのであれば、芝ダート、距離問わずに全てのGⅠレースに出走したいくらいの気持ちである。しかし、そんなことをしてしまっては、結果的に怪我で出られるレースが減る事になる為、涙を飲んで出走するレースを制限する。

 朝日杯に出走する意向は変わらない。朝日杯に優勝すれば、最優秀ジュニアウマ娘を表彰される可能性も高い。

 

「ミノルちゃんって結構、見栄とか気にするタイプですよね~」

「そりゃ貰えるものは取っておいて損はないですから」

 

 言いながら、月刊トゥインクルのページをペラペラと捲った。

 来月にメイクデビュー予定のウマ娘が記載されたページに目が留まり、何名かの有名なウマ娘の名を発見する。

 メジロドーベル、シーキングザパール。共に時代を作ったウマ娘である。

 

 

 7月2週、新潟レース場。

 内側から順々でゲート内に入った私は、全員が収まるまでの時間。自分の胸元に手を当て、大きく深呼吸をした。注目を浴びる事を極端に嫌い、ずっと屋敷の奥に引き籠る。それが駄目な事だと分かっていても外に出る勇気を持てず、メジロ家主催のパーティーでも隅の方でやり過ごす日々を送ってきた。

 そんな毎日に危惧を抱いていた。

 過去のトラウマを振り切るのは今日、全ウマ娘がゲートに収まって姿勢を落とす。地面に根づきそうになる脚を、何度か踏み直す。目の前にある鉄扉が開いたその時が新しい私への一歩目だ。今のままだと駄目だと分かっている、悪いと自覚してるなら直さなきゃいけない。

 ガシャン、という音が聞こえた時、世界が拓けた。

 視界一杯に広がる芝、何処までも続きそうな景色を数分で駆け抜ける。

 走る事は嫌いじゃない。今は、それだけで良い。

 良いと思う事は、そのままで良かった。

 

 メイクデビュー戦、芝1000メートル。

 メジロドーベルは2着とは、3バ身の着差を付けて勝利を飾る。

 その後に開催されたウイニングライブでは、ぎこちなさはあったが見事に踊り切った。

 順風満帆の滑り出しである。

 

 しかし彼女の話題は、1週間後の小倉で開催されたメイクデビュー戦に掻っ攫われる。

 芝1200メートル。2着との着差は、驚異の7バ身。クラシックとティアラ混同の中で余裕の勝利であった。

 そのウマ娘の名はシーキングザパール。アメリカ帰りのパワフルガール。

 

「二人のように走りたい……!」

 

 食堂にあるテレビを前に身を乗り出すのは、額の流星が特徴的な鹿毛のウマ娘。

 目をキラキラと輝かせる彼女は幼い時から骨端症という脚部不安に苛まれており、賢明な治療を続ける事で今、なんとか中央トレセン学園への入学まで漕ぎ着けた。本気で走る事は出来ないかも知れない。と親が選んだティアラ路線だったけど、私だってレースで輝きたい。

 キョウエイマーチ、レースもライブも頑張ります!

 

 

 ウイニングライブの始まりは、今は国民的ウマドルとして有名なハイセイコーが始まりとされている。

 今もなお続くウマ娘ブームの火付け役。地方では6戦6勝と無双する活躍を見せた彼女は「地方の怪物」の名を引っ提げて中央に移籍し、皐月賞を含めて重賞4戦を見事に全勝してのけた事でハイセイコーの名は全国に知れ渡った。その人気は正に有頂天、ウマ娘に興味のない人々にまで人気は浸透し、ウマ娘レースはお茶の間の一部としての地位を確立する。

 その後に出走した東京優駿で敗れた事で不敗神話は崩れるも、彼女の人気は衰えることを知らず、誰も彼もが彼女の事を応援する。そうして社会現象にまで発展したウマ娘レース。国民は一体となり、ウマ娘の走る姿に熱狂した。それはハイセイコーだけに留まらない。自分が推しを作り、推したウマ娘のグッズを購入して応援する。今となっては当たり前の光景が、この時に初めて生まれたのだ。

 ブームの火付け役となったハイセイコーは勝ち切れないレースが続いた。東京優駿以後の戦績は12戦3勝であり、GⅠは1勝のみに留まる。

 それでも彼女ことを応援し続ける人が居た。他に推すウマ娘がいる、それでも彼女は特別だった。ファンと言葉だけでは事足りない、しかし言語化するのであれば、ファンという以外に適切な言葉がない。彼女が作った大勢のウマ娘ファンが、彼女の事を愛していた。感謝をしていた。

 引退の決まった有マ記念では、彼女がゴールした後。彼女の名を冠する歌が観客全員で歌われた。

 

 誰の為に走るのか、何を求めて走るのか。

 栄光目指して、直向きに走る彼女の姿に皆が見惚れて、心を奪われた。

 恋に別れがあるように、この日が来るのを恐れていた。

 幾十万の観衆、戦い終わってバ場を去る。

 その背中を見送る事は、辛かろう。悲しかろう。

 この日が来るのを皆が恐れていた。

 涙を飲んで、彼女に告げる言葉は決めている。

 ありがとうハイセイコー、さらばハイセイコー。

 

 誰も彼もがウマ娘レースの魅力を教えてくれた伝道師である彼女に感謝し、万雷の拍手を送る。

 感謝していたのはウマ娘ファンだけではない。ハイセイコー、彼女もまたウマ娘レースを好きになってくれたファンの皆に感謝をしていた。どうにか感謝を伝えたい、想いを言葉に乗せて恩返しがしたい。

 そんな想いから彼女は学生という身分でありながらも、一大プロジェクトを立ち上げた。

 

 ──グランドライブ。

 

 中央トレセン学園に在籍する全てのウマ娘を、そして既に学園を卒業生すらも巻き込んだ特大のプロジェクト。

 後にウイニングライブの前身にもなったグランドライブは、開催前からメディア各位から全国に伝えられる事になり、グランドライブの様相は全国ネットにまで流される事態にまで発展した。最早、中央トレセン学園だけでは収拾が付かない事態に当時の学園理事長とURAは頭を抱える事になるのだが、それは御愛嬌。なんやかんやで後に伝説となるライブは大成功を収める事になり、レースで応援してくれたファンに感謝を返すウイニングライブの実施に一役を買う事になる。*2

 ウマ娘レースは、トゥインクル・シリーズと名を改めて、その文化は現代まで続いている。

 

 ティアラ路線が走る事よりもグランドライブに憧れを持ったウマ娘の受け皿となったのも丁度、同じ時期になる。

 芸能に重きを置いたティアラ路線では、年に一度、開催されるグランドライブへの参加を義務付けられており、走れずとも、歌と踊りで輝ける。というのは、一定層のウマ娘に強い希望を与える事になる。実際、ティアラ路線から芸能デビューを果たしたウマ娘は数多く存在している。*3

 その為、ハイセイコーの引退年にデビューしたテスコガビーを最後にティアラ路線とクラシック路線で実力に差が大きく開く事になる。

 

 ハイセイコーの引退から二十年以上、トウメイを最後にティアラ路線のウマ娘が年度代表ウマ娘に選ばれる事はなくなる。

 この時、ウイニングライブは半ば形骸化してしまっていた。クラシック路線では走る事こそがウマ娘の本業だとしてライブを疎かにするウマ娘が増えており、ティアラ路線のウマ娘もファンに感謝を返すライブを疎かにするクラシック路線のウマ娘を軽蔑する。そしてレースに費やすトレーニング時間の違いからティアラ路線のウマ娘はクラシック路線を直走るウマ娘に勝つ事を諦めるようになっていった。

 そんな状況に、たわけ、と吐き捨てたウマ娘が居た。

 後の女帝、エアグルーヴである。

 

 ウマ娘は走るだけに非ず、歌って踊るだけに非ず。

 片方だけでは半人前。今のウマ娘はレースとライブ、両方熟す事で初めて一人前となる。

 その理念は現代まで続いている。

 走りで有利なのはクラシック路線だ。しかし現代においてティアラ路線は、必ずしもクラシック路線に劣るとは云えなかった。

 ヒシアマゾンで切り拓き、エアグルーヴが種を撒いた。

 

 その時代が今、この時になる。

*1
担当ウマ娘の通算31勝。もしくは、重賞勝利。最後にチーフトレーナーからチームの引継ぎを受けた場合。その3つの内1つを満たす必要がある。

*2
ウマ娘は走るのが本業というハイセイコーの考え方とウマ娘ライブの無視できない経済効果の折衷案がウイニングライブ。

*3
走る事よりもライブがメインになることはハイセイコーの考え方とは相容れず、URAと学園関係者の中でも多くの議論が重ねられた。実際、多くのウマ娘やファンからライブに関する数多くの要望が届けられており、グランドライブの与えた社会的な影響を抑える事はできないと判断。走る事が本業のクラシック路線と芸能に重きを置いたティアラ路線を分ける事で問題を解決する。

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