【web版】依存したがる彼女は僕の部屋に入り浸る(旧依存症な彼女たち)   作:萬屋久兵衛

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男女で海に行くとかいう現実には存在しないイベント・後

 

「うっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!」

 

 浮き輪をつけて棒立ちする僕を見て、北条は大爆笑した。

 

「ふっ、くく……。よ、良かったじゃないか。そんなご立派な()()を持てて……。それならどんな女でもイチコロだよ。くふっ」

 

「これは……。思った以上にデカいね」

 

 西園寺は笑いをこらえながらも僕の姿をそう評し、東雲は珍しく声を震わせつつコメントした。

 ご好評頂けたようでなによりである。

 笑いながらも、色がどうとか先端の傾き具合がどうとか、僕が身につけている浮き輪についてしょうもない論評をしている三人を僕は諦観と共に眺めることしかできない。

 ……その眺めることも目の前の物体が邪魔をして上手くできないのだけれど。

 僕が使って面白おかしくなりそうな浮き輪探しという意味の分からない行程は、注文通りの品があっさり見つかったことでさくっと完了した。

 その浮き輪はほぼ真っ白で、そこだけ見ればたいしておかしな要素はない。僕の視界を遮るほど大きな白鳥の首を無視すればの話であるが。

 僕も半ば自棄になって浮き輪を腰の辺りで保持しているため、傍から見れば僕の股間から白鳥の首が突き出ているように見えなくもないだろう。こういう下ネタっぽいのに過剰反応しちゃうお年頃な三人には大受けである。

 サービス精神を発揮して腰を揺らすと、白鳥の首もゆらゆらと揺れる。それを見た北条は腹を抱えてうずくまり、西園寺は耐えきれずに吹き出す。東雲もついに耐えきれなくなったのか顔を反らして肩を震わせた。

 ここまでやっておいてなんだが、僕としてもまさかたかが浮き輪でこんな辱めを受けるとは思わなかった。内輪で笑われる分には許容できるし、他人からどう見られようと別にかまわないが、知り合いに晒されるのはつらい。せめてこの絵面が出回らないようにだけ言い含めておかねばなるまい。

 

「いや~笑った笑った。それじゃあ早速海に突入しましょうか!」

 

「待つんだナツ」

 

 笑いすぎて目元からこぼれた涙を拭いながらの北条の言葉に西園寺が待ったをかける。

 

「先に日焼け止めを塗りなおしておいた方がいい」

 

「ああ、そうね。りょーかいりょーかい」

 

 日焼け止め?

 確か朝水着に着替えた時に塗っていたような気がするのだが。

 

「日焼け止めなんて大体二時間ぐらいしか効果がないからね。仕事中は忙しすぎて塗り直す暇がなかったけど、外で遊ぶなら塗り直しておかないと」

 

 そうなのか。今までの人生で日焼け止めを塗るなんてことをしたことがなかったので、てっきり一日ぐらい持つのかと思っていたのだが。

 

「流石にそんな長持ちはしないさ。それに日に焼けるほどの直射日光の中にそんな長時間いることもないだろうしね。……さて、ここはひとつ皆で仲良く塗り合いっこを──」

 

「シノちゃん背中お願い~」

 

「はいはい。代わりに私の背中もよろしくね」

 

 下卑た表情で手をわきわきさせる西園寺を尻目に、北条と東雲はふたりで塗り合いを始める。スルーされた西園寺は寂しそうに手をわきわきさせている。

 お前朝も同じ流れでひとり寂しく日焼け止め塗ってたじゃん……。

 

「……まあいい、今は好感度をもっと稼ぐ時期だ。お楽しみは後々にとっておくとしよう。仕方がない。ちょっと手伝ってくれ」

 

 西園寺はたぶん叶わぬ夢を口にしてから、僕に日焼け止めを渡してくる。

 ……っておい。

 つい受け取ってしまったが、これは僕に背中を塗れということか。朝だって自分で塗ったんだから、今回もわざわざ僕を使わないで自分でやればよかろうに。

 

「自分でやるとしっかり塗れないからね。屋内で働いてる分にはいいけど、外にいるのにそれじゃあいただけないよ。まあ、ちょっとぐらい手が滑ってあらぬ所に手がいっても怒らな──」

 

 おっと手が滑った。

 

「あだだだだだだ!!か、肩は自分で塗れるっていうか君まだ日焼け止め付けてなぐああああああっ!!!」

 

お客さん凝ってますねえ。もっと運動したら?

 

「ぐうううっ!あ、あいにくとナツほどじゃないが荷物が重くてね……。体力は関係ないのさ。と、というか早いとこちゃんと塗ってくれ!」

 

 いや、重いものをお持ちなら尚更筋トレとかするべきじゃなかろうか、という所感は口に出さずに肩に添えた手を外すと、ちゃんと日焼け止めを塗ってやる。

 あまり躊躇してもからかいの種になるだけでいいことはない。無駄にためらったりせずささっと塗ってしまうのが一番なのだ。

 できるだけ柔らかな肌の感触を意識しないようにしつつ西園寺が手の届かなさそうな部分に日焼け止めを塗りたくる。

 

「……んっ」

 

 焦って強く手を押しつけたせいか小さく声を上げる西園寺。心臓に悪いのでそういう声を出さないでほしい。

 冷や汗をかきつつもなんとか最低限の部分を塗り終わり、後は自分でやれと西園寺に日焼け止めを突っ返す。

 

「……ありがとう。そうだ、お礼に君にも日焼け止めを塗ってあげよう。ちょっとサービスし過ぎな気もするが、なあに君とボクの仲だ。これぐらいの事は問題ない」

 

 そう言いながら日焼け止めを手に付ける様子もなくじりじりと近づいてくる西園寺を見て、僕はなりふり構わず逃走した。

 西園寺はそれを見て無言で追いかけてくる。

 

「なんかあのふたり、最近仲良いわよねえ」

 

「だねえ。合宿で色々あったらしいから、その辺がきっかけかな?」

 

 ……結局人混みの中で速度が出せなかった僕は西園寺に捕まり、きっちりとお礼参りを受けた。

 

 

      *

 

 

 ……それにしても、暑い。

 鉄板の前とはまた違う真夏の直射日光にうんざりする。

 西園寺によって嫌というほど日焼け止めを塗りたくられたためこの後日焼けに苦しむ心配はあまりないのだが、インドア人間にとって陽射しというのは大敵だ。八重さんなんかが気まぐれに店から出てきていたら即座に干上がっていただろう。

 そんな厳しい陽射しの中、僕は北条が飽きて放り出した白鳥の浮き輪を身につけて日光をやり過ごしていた。海に身体を沈めている間は日光の熱から逃れられるのだ。肩から上は必要経費と諦めるしかない。とにかく、やつらが遊び飽きて海の家に帰るまでの辛抱である。

 僕は波に揺られながらも、時折近くで戯れている西園寺と北条に視線を向けて様子を確認する。

 ふたりは足が余裕でつくぐらいの位置でちょっと泳いでみたり、波に挑んでみたり、海水をかけあったりと、実に海らしい遊びをしている。どちらも楽しげであるのだが、顔がだらしなく緩んでいる西園寺は間違いなく真っ当な楽しみ方をしていない。

 あまり見過ぎるとどんな因縁を付けられるかわからないのであまりやりたくないのだが、変なのに絡まれた時にフォローしなければならないのだ。

 余計なお世話な気もするし僕が介入したところで大したことはできないが、後で事が知れた時に九子さんからしばかれるのは勘弁願いたいのである。

 

「そんな見てばかりじゃなくて、自分も混ざればいいのに」

 

 混ざらない。

 何かが浮き輪にぶつかる感覚と共に背後から声がして、思わず発した否定の言葉と共に振り向くと、東雲が浮き輪に捕まっていた。インドア集団な僕たちの中で無駄に運動能力の高い東雲は、僕たちに遠泳への同行を当然のように断られひとり寂しく海へ消えていったのだが、珍しく息が上がっているところを見るに本当にそこらを泳ぎ回っていたらしい。

 高校時代までボクシングをたしなんでいたという話だが、受験期間のブランクも有り、大学に入ってからも特に運動らしい運動をしている様子もないのに、よくそんな元気がありあまっているものだ。

 

「体力はそれなりに落ちたけど、なんだかんだ長いこと続けてたからね。過去の貯金が残ってるんだよ」

 

 そんなものか。今までそんなに運動に積極的でなかった僕にはわからない感覚だ。

 それなら大学でも続ければいいのに、とは言わない。北条みたいに余計な地雷(弟ネタ)で気まずい思いをするつもりはないのだ。

 まあそれだけ元気があるのなら、僕じゃなくて東雲があそこに混ざってくればいい。僕は余計な体力を使わず白鳥と共に波に揺られている方がいい。

 僕の言葉に素直にうなずくかと思われた東雲は、しかし微妙な反応だ。

 

「ううん、それも悪くはないんだけど……」

 

 ……東雲の視線は、どうやらこの白鳥の浮き輪に注がれているようだった。どうやらこの浮き輪にご執心であるらしい。やはり疲れが残っているのだろうか。

 そういうことなら仕方がない。別にこの浮き輪を独り占めしようなんてことは考えていないので、東雲が使いたいなら引き渡してもかまわない。

 

「……いや、むしろそのままでいてもらった方がいいかな。ちょっと失礼するよ」

 

 そう言って東雲は一度海中に潜ると、浮き輪を下からくぐるようにして僕のいる内側に無理矢理入ってくる。

 大きなサイズといっても所詮ひとり用なので、輪の内側はぎゅうぎゅう詰めになった。スタイルの良い東雲とひょろひょろな僕でも背中同士がほぼくっつくぐらいには狭い。

 おい!と抗議の声を上げる僕におざなりな返事をしながら、東雲はなにやら身体を上げ下げしている。滑らかな東雲の背中が僕の背中に擦れて変な気分になりそうなのでマジでやめてほしい。

 

「……うん、これぐらいかな」

 

 どうやら満足したらしく動きを止める東雲に対し、僕はこの謎な行動の理由を糺した。

 西園寺や北条はわかりやすい性格をしているので行動パターンを読みやすいのだが、東雲は一番まともで社交的なくせに時々行動の意図が読めない事がある。

 真後ろにいる東雲の表情はわからないが、恐らくいつも通りの表情でやつは語り始める。

 

「実は、海に来たら一度やってみたかったことがあるんだけど……」

 

 何をやってみたいのかは知らないがこの突飛な行動に関連する願望が皆目見当つかなかった。

 珍しく無駄にもったいぶっている東雲に、いつもより余裕のない僕は焦れて先を促す。

 

「物語のシチュエーションで、裸で海を泳ぎ回ったりすることあるでしょ?実はあれにずっと憧れててね」

 

 ああ……。

 思わず頷きそうになったが、慌てて首を振って思考を打ち消す。

 確かにやったら開放的な気分になれるかもしれないが、実行するには問題がありすぎる。というか、こんな人混みの中でそんなこと画策していたのかこいつは……。

 

「いやだなあ、私だってそんな捕まるようなことはしたくないよ。本当は都合のいい岩陰とか、人気のない場所があれば良かったんだけど、流石に探しても見つからなかったね」

 

 やけに遠泳にこだわっているなと思っていたが、それが目的だったらしい。田舎の海岸でもあるまいし、そんなスペースが有るわけないだろうに。

 

「まあそれは諦めたからいいんだ。この浮き輪、真っ白だし材質的に透けなさそうでしょ?」

 

 確かにその通りだが……。

 ……ん?もしかして、お前まさか?

 察した僕が思わず背後を振り返ると、東雲もこちらを向いて微笑んでいる。

 

「浮き輪で隠すところ隠せば意外といけるんじゃないかなって」

 

 いけるか!

 

「いや、下半身は海に隠れるわけだし、胸だけ上手く隠せればなんとかなるんじゃないかな。ひとりで浮き輪に入ったら隙間から見えちゃうかもしれないけど、こうやってふたりで入ってたら隙間が無くなっていい感じじゃない?」

 

 思わず声を荒げる僕に、東雲は本気とも冗談ともつかない顔で自らのがばがば理論を並べ立てる。本気だとしたら、何が東雲をここまで駆り立てているのか僕にはさっぱりわからない。

 そもそも、東雲の理論でいけば真っ裸で泳いでいる東雲に誰かが同伴しなければならないのだ。誰を同伴するにしても傍迷惑にもほどがある。

 

「春香や夏希だとたぶんいろいろつっかえて難しいだろうしなあ。いいアイディアだと思うんだけど」

 

 どこにもいいところが見つからないんだよなあ……。

 そういう癖は人を巻き込まず、自分だけで楽しんで欲しい。

 そう僕は諭すが東雲はまだ諦められないらしく、名残惜し気な表情をしている。

 

「ううん……。今ちょっと試してみるのは──」

 

 ちょっとトイレ行ってくるから浮き輪よろしく。

 

「あ」

 

 僕は東雲が言い切る前に強引に浮き輪から脱出する。

 砂浜に上がって振り返ると、東雲がこちらを恨めし気に見ていた。僕は東雲の意思表示に反応せず、代わりに西園寺たちの方を指し示す。

 東雲が肩をすくめてそちらに向かうのを確認してから歩き出す。

 トイレに行きたいのは方便だけではないのだ。いや、けしてやましい意味ではなく。

 

 

     *

 

 

 用を足してトイレを出ると、またちょっとした列ができていた。僕が並び始めた時には既にそれなりの並びだったというのに。

 年一回の催しものに集まる人を捌けるだけのキャパがないのだろう。それでも女子トイレの並びに比べたら万倍マシだろうけど。

 ちらりと女子トイレの列を見ると、すごい人数が並んでいる。北条がよく並んでいるパチンコ屋の朝一の並びよりも間違いなく多い。これだけの人数を消化するのに何回転必要か、最後尾の人がどれだけ待たされるか、考えるだけで恐ろしい。

 あまりじろじろ見て不審者と思われたくないので、視線を切ってさっさと三人がいる辺りに歩きだす。

 ……が、僕の足はいくらも歩かぬうちに止まってしまった。少し先の方で見慣れた目立つプロポーションした女を発見したからである。

 そしてどうやら、見知らぬ男性に話しかけられて、というか絡まれているらしい。

 その男性は中年、要はおっちゃんと言っていい年頃で、その女──北条に呂律が回らず内容の聞き取れない言葉を僕にも聞こえてくるほど大きな声でまくし立てている。時折北条も言葉を返しているようだが、その何倍もの量の言葉で返されている有様だった。おっちゃんの顔は明らかに日焼けじゃない理由で赤らんでおり、一分の隙もなく完璧に酔っ払っていた。

 恐らく北条はトイレに行くために単独行動をしたのだと思うが、僕たちのいた場所からトイレまでそれほど距離がなかったはずなのに酔っ払いを引っかけるとは、たいした吸引力である。

 ふむ、しかし。

 北条とおっちゃんのやり取りを遠目に見ていると、九子さんが言っていたことがよく分かる。酔っ払ったおっちゃんが強引なのは間違いないが北条も上手いこと躱すことはできていないようだ。無視するなり周りに助けを求めるなり相応のやり方があるだろうに。

 あのままだと、外から助けの手が入らないとどうにもならなそうだったが、どうやら周囲に酔っ払いの相手をしてまで助けてくれる奇特な人はいないらしい。まあ、今はおっちゃんもしつこく話しかけているだけで特に事件性が有るわけでもないのだ。僕もこんなことに出くわしたら、事が大きくならない限り手は出したくない。

 ……絡まれているのが、知り合いじゃない限りは。

 僕はため息を吐いてから止めていた足を動かし始める。この場合、流石に無視して観戦とはいかないだろう。

 気の重さについのろのろと進み出た僕が声をかけると、疲れた顔をしていた北条の顔がぱっと明るくなり、僕の後ろに逃げ込んでくる。

 さて、後は素直にこのおっちゃんが僕たちを帰してくれるかどうかだが……。

 僕はおっちゃんに北条が連れであることを伝えると、返事も聞かずに北条の腕を引っ張りながら脇を抜けていこうとするが、やはりことはそう上手く運ばないらしい。

 おっちゃんは、たぶんおいとか何だとか、そういうニュアンスの言葉を発しながら僕の肩を掴んでくる。その力があまりにも強かったので、僕は反射的にその腕を振り払ってしまった。

 まずいと思った時にはもう遅い。

 僕に反抗されたおっちゃんは、顔を真っ赤にして吠え立ててくる。その言葉は先ほどよりも支離滅裂で、もう何を言っているのかさっぱりわからない。

 こういう手合いに対して穏便に終わらせようとするなら、相手を刺激するのは悪手でしかない。向こうはこっちを下に見て舐めてかかっているのだ。年下だからとか強そうに見えないとか、おそらくその程度の理由で。だから北条にも強引に話しかけるし、僕がこうして反抗的と取れる態度を見せれば怒りを露わにする。

 こうなると謝って済むかどうかも怪しいし、そんなことしてもどれほどの時間拘束されるかわかったものではない。

 酔っ払いのおっちゃん相手であるし北条を連れていても走って逃げるのは容易いとは思うが、その場はよくとも後でおっちゃんに見つかったりしたらどうなるかわかったものではない。

 まったく、どうにも()()()()()()()()()

 正面ではおっちゃんが飽きもせず読解不能な言葉をわめき散らしている。背後ではおっちゃんの怒り具合に萎縮した北条が僕の手をぎゅっと握っている。その間で健気に壁になっている僕は、こういう時小説とかだとその手は震えていた、なんて描写が出てくるけどそんなことないんだな、なんて他人事のように考察していた。

 北条の手は、どちらかというと不安で強ばっているという表現の方が適切に思える。やはり死を覚悟するような相手と対峙するなんて事態にならないとだめなのだろうか。

 ……さて、僕ひとりだけならこのまま相手の気が収まるまで聞き流していてもかまわないのだけれど、北条が背後にいる手前そうはいかないだろう。

 腕力に訴えるようなフィジカルは僕にはないし、酔っ払い相手に言葉で説得なんてナンセンスもいいところだ。

 やはりここは、恥も外聞もなく数の力に頼るべく周囲に助けを求めるのが一番だろうか。

 僕がおっちゃんの話を聞き流しながらそう考えていると、視界の端に西園寺と東雲が映った。僕たちの戻りが遅くて様子を見に来たのだろう、騒ぎの様子に目を見開くのが見える。

 丁度いい、やつらが九子さんを呼んでくれればおっちゃんも視線(メンチ)ひとつでダウンするに違いない。

 僕はおっちゃんを刺激しないよう密かに指先で僕の後ろ、海の家の方をちょいちょいと指し示した。これで通じてくれるかは微妙な所だったが、ふたりは納得したように頷き、何事か話をした後に行動を開始した。

 西園寺が僕たちの後方に回り込むように動き、東雲は何故かこちらの方に向かってくる。ふたりで九子さんを呼んで来てくれればいいのでこちらへの助勢は必要ないのだが……。

 東雲の謎な行動に内心首を捻っていると、その時、不思議なことが起こった。

 

「ぎゃあ!」

 

 背後で北条が悲鳴を上げると、僕の背中に飛びついてくる。

 勢いよくぶつかってきた割に衝撃が小さいのは柔らかいクッションが僕と北条の合間に存在したからだろう。いや、それは北条の持ち物なのだけれど。

 おっちゃんと東雲の動きに集中していた意識が一気に背中の感触に引き寄せられる。ちょうど左右の肩甲骨の下辺りを中心に、僕では持ち得ない柔らかさを感じる。

 おおよその状況は、振り返らずとも明らかだ。

 僕は思わず前に出て北条から離れようとするが、何故か北条は僕の肩を掴んで拘束し、逆に身体を寄せて密着するような体勢を取った。

 何故!?と声にならない悲鳴を上げそうになった僕は、感触の違和感に気がつき身体を硬直させた。

 背中を圧迫してくるモノから、あるべき感触が伝わってこなかったからである。北条の身を包んでいたはずの布地の感触が。

 人肌の暖かさと余人が持ち得ぬ弾力に、僕の身体中からぶわっと冷や汗が吹き出る。衆人環視の中、僕はいったい何をされているのか。

 ──しかし、その考察に入るよりも、北条に訳を問いただすよりも先に目の前で起こった事態に否が応でも釘付けになる。

 僕の正面では、周囲の人々と同じようにおっちゃんが目を見開いて、僕というか僕の後ろに目をやっている。おそらく僕以外の衆目はすべて同じ箇所に集まっているのだろう。

 そんな中、おっちゃんの横にいつの間にか東雲が立っていた。普通に歩いて近づいただけだろうが、ほぼ背中に意識がいっていたせいで気がつかなかったのだろう。

 誰もが、それこそおっちゃんすら東雲を意識していない中、やつはおもむろに両腕を持ち上げ、左足を一歩前に踏み出す。テレビで時々見るボクシング試合で、ボクサーがとるファイティングポーズというやつだ。

 東雲はそのまま重心を前に倒すと、身体を捻りながら小さく弧を描くように握りこまれた右手を突き出した。

 無駄のないシャープな動きで突き出されたその右腕はおっちゃんのあごの先をかすめるように小突いた。

 突然の衝撃に驚いた表情をしながら一歩たたら踏んだおっちゃんは、そのまま頭をふらふら揺らしたと思ったら崩れ落ちるようにして倒れ込んでしまった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 下手人である東雲は、おっちゃんが頭をぶつけないように支えながら素知らぬ顔で声をかけている。

 おっちゃんの様子に気がついた衆人の一部が声を上げながらおっちゃんの周囲に集まっていく。誰もおっちゃんを介抱している女が下手人とは思っていない様子だった。

 何がなんだかわからぬ状況に思考停止して立ちつくしていると、背後から北条が声をかけてくる。

 

「ご、ごめん、ちょっと水着が……」

 

 その言葉に僕は現実に立ち返る。

 おっちゃんは東雲によって密かにノックダウンされてしまったが、僕と北条のとんでもねえ状況はなんら改善していないのだ。

 背中の感触に気がいきすぎてまとまらない思考でなんとかかんとか状況を整理すると、どうやら北条の水着がほどけてしまい、とっさに胸を隠すために僕にくっついたということらしい。

 そんなことするよりも、手で隠した方が早いし確実だったろうに。

 

「だ、だって、あんたが手え握ってるから間に合わなかったんだもん……!」

 

 いやまあそうかもしれないけれど……。

 

「はいはい。バスタオルを持ってきたから、これを使いなよ」

 

 その時、背後から西園寺の声が聞こえた。数瞬の後、北条の身体が僕から離れていく。振り返ると、上半身にバスタオルを巻いた北条が目の前に立っていて一瞬硬直する。北条は北条で流石に気まずいのか気恥ずかしいのか僕と目が合うとすっと目を逸らした。

 

「その……。あ、ありがとね?」

 

 取り繕うように感謝の言葉を口にする北条。

 別にその辺は気にしていないのだが、僕も曖昧に頷くことしかできない。

 客観的に見て僕自身に罪がないとはいえ、僕の方が気にするなと言う訳にはいかないだろう。流石に。

 

「ああ~……。と、とりあえず水着直してくるね?」

 

 そう言って僕に背を向け海の家に向かう北条。西園寺も苦笑しながら北条についていく。

 それを見送ってから再度振り返ると、ノックアウトされたおっちゃんががたいの良い男性ふたりに運ばれていくところだった。よっぱらいとして救護室にでも放り込まれるのだろう。

 それを見送っていた東雲が僕の視線に気がついてブイサインを見せつけてくる。こころなしか表情がどやっているような気がする。

 僕はため息を吐くと、視線を海に転じる。

 ……とりあえず、いろいろと冷やすために海に入ろうと思う。

 

 

    *

 

 

「いやあ、それにしても大活躍だったじゃないか。少しは見直したよ」

 

 スイカを片手に隣に座った西園寺が、僕の方を覗き込むようにしながらいやらしい笑みを浮かべている。

 僕は西園寺を視界の隅に捉えつつも、渋面のまま打ち上げられた花火を眺めている。

 

「そうだね。ああいう時に矢面に立つなんて中々できないと思うよ」

 

 反対側から東雲が西園寺の言葉に賛同する。西園寺は明らかにからかい半分であるが、東雲の表情や声音からは本気で言っているのかからかっているのかまったくわからない。

 そもそも、別に褒められたくてやったことでもないし、事態を解決したのは僕じゃない。

 というか、あんな高等テクをどうして習得しているんだとか、なんであんなことをしたのかとか、お前等には聞きたいことがたくさんあるのだが。

 

「あんなのは大したことじゃないよ。通ってたジムでちょっと教わっただけで」

 

 ちょっと教わっただけであんな器用に大の男を沈められるのだろうか……。

 

「まあそれはいいじゃない。ぱっと見た感じあのおじさんも相当酔ってたし、時間をかけてたら君と夏希に何するかわからなかったからね。一番早い方法を選んだんだ」

 

 いやまあ、確かに問答無用で手っ取り早かったかもしれないが……。まあそっちはこの際いい。注目を集めるなら何も北条にあんな羞恥プレイをさせなくてもやりようはあっただろう。

 僕が西園寺を見ると、やつはとぼけてみせる。

 

「おや、ボクが何かしたような口ぶりじゃないか。見てもいないのに酷い言い草だ」

 

 あんな都合よく水着のひもがほどけるかよ、ご丁寧にバスタオルまで準備しておいて。どう考えても下手人は西園寺だろう。

 

「バレたか。ナツ本人に気取られないすばらしい仕事だったと自負しているんだが」

 

 それは北条がお馬鹿さんなだけだろう。状況を考えれば明らかだろうに。

 

「お馬鹿さんは酷いような……。まあいいか。いやね、本当はすぐにバスタオルをかけるつもりだったんだよ。ナツの悲鳴とバスタオルでポロりを隠している状況だけでも十分衆目を集めるだろうからね。まさか君に飛びついて隠すとは思わなかったんだ」

 

 そう言って肩をすくめる西園寺は、ふてぶてしくも続ける。

 

「それに、君もいい思いをできたじゃないか。有りそうでなかった生乳の感触は刺激的だっただろう?」

 

 刺激的で済ませられるか。お陰でこっちは北条とめちゃくちゃ気まずいのだ。

 ちらりと北条の方を盗み見ると、やつは七野ちゃんと一緒に長椅子の上に立って花火鑑賞をしている。はしゃぐ姿はいつも通りに見えるが、僕と北条はトラブルの後からろくに会話をしていない。

 

「それは正直すまなかった。ボクもちょっと自分の欲望に素直になりすぎたよ。後でナツにも謝ってとりなしておく」

 

 流石の西園寺もふざけた態度を止めて頭を下げる。

 いやまあ、北条にしっかり謝罪するなら僕についてはどうでもいい。

 ただ、今後北条と気まずくなるのだけが非常にめんどくさいだけである。

 

「その辺は難しく考えなくてもいいと思う。君もいつも通りに接していれば大丈夫だよ」

 

 東雲がそんな言葉をかけてくる。

 なんだかんだうちでコミュ力最高値の東雲が言うのであればその通りにするが……。

 いつも通りに振る舞うこと自体はわけないのだが、内心まで気にせずに過ごせるほど僕は図太くない。喉元過ぎればということでしばらくすれば落ち着くかも知れないが、しばらく気疲れする日々が続きそうである。

 とりあえず今は、花火を見て今後の現実から目を逸らそうと思う。




本作タイトルを「依存したがる彼女は僕の部屋に入り浸る」に改題して書籍化されます。スニーカー文庫様より11月1日発売予定です。
詳細と続報は作者TwitterもといX
https://twitter.com/yorozuyaqb
スニーカー文庫公式サイトhttps://sneakerbunko.jp/product/322304000132.html

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