【web版】依存したがる彼女は僕の部屋に入り浸る(旧依存症な彼女たち)   作:萬屋久兵衛

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ニコチン中毒者はコスプレイヤーの夢を見るか

 

「ねえ、どっちでもいいんだけど、これ五百円ぐらいで買ってくれない?」

 

 北条が珍しく出席を取らない三限の講義に出てきたと思ったら、たばこの箱をひとつとピエロのロゴが入った百円ライターを机の上に置いた。

 ちなみに声をかけられたふたり――僕と西園寺は喫煙者ではない。

 

「……場合によっては考えるけど、これいくらしたんだい?」

 

「四万ウン百円」

 

 またパチンコに負けたのか。こんな時間に大学にいるって事はほぼストレート負けに違いあるまい。

 せめて僕らが買い取りやすいものを持ってきて欲しいものだ。

 

「し、仕方ないじゃない!今日は気分を変えようと思って普段行かない店に行ったんだけど、換金率はめっちゃ悪いしなぜか景品交換は千円からだったのよその店!おかげで五百円戻すつもりで計算したのに回収できなくて……。めんどくさくなって目に付いたからもらってきちゃった。ライターはなんとなくセットで」

 

 負け額からの推察だけど、四万溶けた時にすっぱり止められたら千円救えてたんじゃないかね。

 

「あたしはむしろ五百円の時点で止まったことを評価して欲しいわ」

 

「ちゃんと止められてえらい」

 

 西園寺、甘やかすんじゃない。その五百円も救えてないし。

 ……しょうがない、このたばこは僕が買い取るよ。

 

「秒で矛盾するなよ……。君だって甘やかしてるじゃないか」

 

 一回試しに吸ってみたいと思ってたんだよ。これはちょうどいい機会だからであって甘やかすためじゃない。

 

「はいはい」

 

「ありがてえ……!ありがてえ……!」

 

 西園寺には生暖かい目で見られ、北条は仏に会ったかのような勢いで拝んでくる。オーバーリアクションは目立つから止めて欲しい。

 しかし北条はよく資金が保つな。毎回のようにグループに報告してくるけど、ざっとした計算でもけっこう負けているように思えるのだが。

 

「……実は、今回はマジでやばい」

 

「なんでそんなになるまで打ち続けたのさ……」

 

「だってお宝台だったのよ!二万もあれば天井に到達するところだったのに、後数回転って時に当たって単発はないじゃない……!」

 

 要は、ほぼ確実にリターンが見込めるはずだった台に裏切られたということだ。

 北条の実況を聞いていて何となく知識を得ていなければさっぱりわからない話である。本当に無駄知識だ。

 ていうか残りの二万円は未練で追っかけた余計な出費じゃないか……。

 

「で、どうするんだい?たばこの換金までするぐらいだから素寒貧なんだろう?日雇いでも入れないと絶食生活じゃないか?」

 

 北条は親に大学までの定期代を出してもらう代わりに昼食代やその他雑費は自腹らしいので、金欠は死活問題らしい。まあ、朝晩のご飯があるので絶食は大袈裟だし死にはしないと思うが、北条の顔は深刻そのものである。あの漫画みたいなグラマラス体型を維持するために相応のカロリーが必要なのかもしれないと勝手に想像しておく。

 

「日雇いも考えてるんだけどねえ。一応他にも案があるのよ」

 

 考えなしにお金を浪費する北条でも策はあるらしい。それで、どうするつもりなんだ?

 僕の問いかけに北条は指を一本立ててみせる。

 

「まずひとつ。あんたの家に寄生して定期代を浮かす」

 

 はい却下。

 

「はやっ!?」

 

 当たり前だ。うちに無駄飯ぐらいの居場所はない。

 

「個人的には面白そうな案だけど、朝晩の食費が自費になることを考えるとあんまり効率が良くないね」

 

 面白いで他人の生活を脅かすんじゃない。

 

「最近はボクもナツもちょくちょく泊まってるし今更じゃないか」

 

 できればそれも止めて欲しいのだが、時々いるのといつもいるのじゃ大分感覚が違うのである。

 

「まあ、これは予測できたことだから別にいいわ。本命はこっちよ」

 

 そう言ってちょっと自信満々な様子で北条はスマホを差し出してくる。僕と西園寺が画面を覗いてみると、どうやら何かのホームページらしい。しかし……これは……。

 

「ふむ、これは有名なアダルトサイトだね。こういうオークションやってたんだ、ここ」

 

 そう。北条が開いているサイトはAVとか大人のおもちゃとか同人誌とかを売ってる名の知れたアダルトサイトだ。真っ昼間の大学構内でこんなサイトを開く胆力に驚嘆する。

 どうやらサービスの一環としてオークションをやっているらしい。

 けれど、物を売るならそういうのに特化したフリマアプリとかオークションサイトなんかがあるはずだが、わざわざアダルトサイトで売る必要があるのだろうか?

 

「そりゃあもちろんよ。この中のカテゴリーにね……」

 

 北条がページを操作していくと、オークションにかけられる商品のカテゴリが細分化されていく。素人、と表示されたカテゴリを開くと、下着姿の女性の写真がずらっと表示された。

 

「おいおいおいおい。もしかして使用済み下着を売るつもりかい?」

 

「……顔出しはさすがにしないけど、首から下だけとか顔にモザイクかけたりすればいけるかなって。オークション形式だから当たれば一発でかなりの額になるかも」

 

 思った以上にマジな顔をしている北条に西園寺が引きつった顔をする。

 

「いやいやいやいや、流石にどうかと思うよ……?余所で売るぐらいならボクが買うから」

 

「それはそれで怖いわ……。流石に冗談よ。こういうのにまで手を出すつもりはないわ」

 

 そう言ってけらけら笑う北条にため息を吐く西園寺。友人を止められてホッとしているのだろう、たぶん。

 しかし、なんだやらないのか。今ざっと調べてみた感じだと使用済み下着の売買に違法性はなさそうだし、過剰な数じゃなければ生活用動産扱い?とか言って所得税がかからない可能性が高いらしいからおいしい商売だと思ったのだけど。

 

「……それ、マジ?」

 

「おい!人がせっかく引き留めたのに悪い方向に持って行こうとしないでくれるか!?」

 

 僕は実行する上での問題点を確認しただけだ。確かに外聞は悪いかもしれないが、損得を吟味して決めるのは北条自身である。

 

「そんな他人事みたいに……」

 

 なにせ他人事である。北条が下着を小汚いおっさんに売ろうが、そのおっさんが北条の下着をどう使おうが関係ないし僕は困らない。

 

「そういう表現されるとやりたくなくなるわね……。元からやる気はないけど」

 

 ちょっと未練がありそうに見えなくもないが、本人がそういうのならこの話はなしだ。

 

「はあ、ボクだけ無駄に神経すり減らした気がするよ……。君も、ツンデレみたいなことやってないで素直に引き留めろよ」

 

 僕にそんな要素はない。本人にリスクを背負う覚悟があれば稼げる見込みが高いのは間違いないのだから。

 

「はいはいはい。しかしそうすると真面目にバイトするしかないね。ナツはどこかバイトのあてはあるのかい?」

 

「受験終わった直後ぐらいから先月までは地元の居酒屋で働いてたんだけど辞めちゃったしねえ。軍資金は今までの貯金とそこでのバイト代から出してたんだけど、供給が無くなって参っちゃうわ」

 

 合わなくて即辞めたとかじゃなく数ヶ月は中途半端なタイミングだな。バイトサボってパチンコに行ってるのがバレてクビになったとか?

 

「そこまで墜ちちゃいないわよ!酔っ払いのセクハラが酷くて何回も警察が来て外聞悪いし、バイトメンバー内の修羅場の元になってるって言われて辞めただけよ」

 

 ええ……。そんなサークルクラッシャーの上位互換みたいな展開あるのかよ……。いやまあ、想像できる光景ではあるけども。

 

「強いて敗因を挙げるなら大学入学直前にイメチェンして今の髪型とか服装にしたことかしらね。まったく、好きでこういう体型してる訳じゃないのに、どうして他人に悪し様に言われなきゃいけないんだか」

 

「バイト先が居酒屋だったのも悪かったんだろうね。……けどナツの言うこと、ちょっと分かるなあ。ボクも高校の頃、女子と仲良くなれなくて男子とばかり連んでいたら知らない女子から彼氏を寝取られたって因縁つけられたこととかある。こっちはそういうつもりは全くなかったんだけどね」

 

「ほんと世の中理不尽よねえ」

 

 ……なにやら一般人には縁のない会話が聞こえるが、この際無視しよう。

 結局のところ、真面目に働くしか生きる術はないのだ。諦めて労働に励め。単発なら西園寺おすすめの業者がある。僕もちょくちょくそこでバイトしてるし。

 

「ほんと?それじゃあたしもそこにしようかな……。ハルちゃん紹介頼める?」

 

「かまわないよ」

 

 講義が始まったこともあり、話はそこで切り上げとなった。

 その後、一度四限で別々の講義を受けるために分かれた後、僕たちは再び合流した。僕自身は別に合流する気はなかったが、この後僕が向かう場所を聞いて勝手にふたりがついてきたのだ。あまりついてきて欲しくはなかったが仕方がない。

 目的地は、九号館食堂のテラスの先にある隔離された空間。喫煙スペースである。

 せっかく手に入れたたばこなのでさっそく吸ってみようという魂胆だ。

 ちらほらと先客がいたので彼らを避けるようにスペースの隅っこに陣取る。案の定じろじろと見られてやり辛いったらありゃしない。

 

「健康に悪いとはわかっていても、一度は試してみたくなるのが人の性だよね」

 

「わかる~。それに、赤信号皆で渡れば怖くない、みたいな?」

 

 僕がたばこの封を開くのに苦戦している横で頭の悪い会話をしつつも、ふたりは興味津々といった感じでのぞき込んでくる。

 不器用に紙を破いてやっとこさたばこを取り出すと、さっと手がふたつ伸びてきて一本ずつ抜き去っていく。

 一応僕の金で買いとった物なんだが……。

 

「まあまあ、貰いたばこってやつよ」

 

「全部消費できるとも限らないんだからいいじゃないか」

 

 いまいち納得いかないが、まあいいだろう。僕も一本たばこを取り出し口に加える。

 ライターを取り出して火をつけようとすると、たばこを咥えた顔がふたつ寄ってきた。

 ……いや、邪魔だから顔を退けろ。

 

「せっかくだから皆で一緒にデビューしちゃおうよ」

 

「そうそう、抜け駆けは良くない」

 

 こんなことに抜け駆けもくそもあるか。……ええい、仕方ない。

 ふたりが引く様子もないので僕もいやいや顔を寄せる。……よし、いくぞ。

 僕たちはライターの火にたばこの先端を突き出し、大きく息を吸い込む。

 そして、同時に盛大にむせた。

 三人の口から吐き出された煙で僕たちの周囲は大惨事だ。

 

「げほっ、げほっ!何これまっず!?」

 

「……初めてのたばこは美味しくないとは聞きかじっていたけど、こりゃあきついな。何本も吸える気がしないね」

 

 ある意味予想通りの展開だが、ここまでとは思わなかった。北条の持ってきた銘柄は比較的初心者向けでタールやニコチンの量も少ない物らしかったので大丈夫だと思ったのだが。

 まあ最初はこんなもんでも吸っていれば美味しくなるのかもしれない。捨てるのももったいないしなんとか吸いきってみよう。

 そういう訳で僕たちはそれぞれ頑張ってたばこを消化し始めたのだが、全員が顔を突き合わせてしかめっ面で吸う酷い絵面になっていた。

 

「これは三人がかりでも一箱吸いきるのにどれだけかかるかわからないなあ」

 

 西園寺のぼやきに僕と北条が無言でうなずいていると、喫煙スペースに人が入ってきた。

 

「あれ?西園寺さんと北条さんと……。珍しい組み合わせに珍しいところで会うね。……ていうかどうしたの?みんな不景気そうな顔して」

 

 入ってきた女性は僕たちの存在に気がつくと、目を丸くしながら声をかけてきた。

 

「ああ、東雲さんか。ボクらは最近連み始めたんだよ」

 

「お疲れ~。ちょっと理由があって三人でたばこデビューしてみたんだけど、惨敗したところなのよねえ」

 

「そういうことね。吸ってる私が言うのもなんだけど、たばこはあんまりおすすめできないなあ」

 

 そう言いながら東雲さんはたばことジッポライターを取り出すと、慣れた手つきで火を付けた。吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出す様は堂に入っていて年季を感じさせる。

 ぱっと見、男性平均身長ぐらいの僕と同じぐらいに見えるから、女性としては身長が高い部類だろう。肩まで伸びた栗色の髪に大人びた容貌で、洒落たパンツルックと相まってたばこ片手に立っている姿が絵になる女性だった。

 僕は彼女に気づかれぬよう西園寺にアイコンタクトをすると、それに気がついた西園寺は一瞬呆れたような表情をした後、片手でささっとスマホを操作する。

 僕もなるべく自然な動作になるよう心がけつつスマホを取り出し西園寺からのメッセージを確認した。

 

『彼女は東雲冬実さん。僕らのゼミの同期だよ。いいかげん人の顔を覚えなよ……』

 

 なるほどやはり。得心してうなずく僕を西園寺が半眼になって見ているが気にしない。やれと言われてできたら宿題を忘れる学生も働かないニートも存在しないのである。

 しかし、東雲さんは僕たちと違って美味そうにたばこを吸っている。何か上手に吸うためのコツみたいなものがあるのだろうか?

 

「結局慣れだからね。何回も吸ってれば美味しく感じてくると思うけど。吸い方を気をつければちょっとマシになるかな」

 

「ふむ、できればその上手な吸い方というのをご教授いただけないかな」

 

「いいよ。そんな難しいことでもないし。たばこっていうのは燃やす時の温度が低いほど良い味が出るんだよ。だから、勢いよく吸ったりしないでゆっくり吸う方がいいんだ。たばこを咥えながらも、普通に呼吸をするような感じっていうのかな」

 

 言われたとおりにゆっくりと呼吸をするよう意識して吸い込むと、煙の吸入量が減り先ほどのようにむせることなく吸うことができた。肺の中に空気以外のものが入ってくるような違和感は拭えないけれど。

 なるほど。これなら醜態をさらすことなくたばこを吸えそうである。

 

「ほんとだ。吸い方ひとつで変わるものなんだね」

 

 西園寺が煙を吐き出してから感嘆の声を上げる。

 

「東雲さんは吸い慣れて見えるけど、前から吸ってるの?」

 

 北条の言葉に、大学一年生の僕らが考えちゃいけない疑問が湧き出てくるが口を突く前に西園寺が目で制止してきた。

 いけないいけない。僕たちはたばこもお酒もオッケーな歳だった。大学一年生はみんなにじゅっさい。この世界はそういう設定なんだ、うん。

 北条の問いにたばこの煙をゆっくりと吐き出してから東雲さんが答えた。

 

「吸い始めて一年ぐらいかなあ。予備校時代に手を出してね」

 

「あ、もしかしなくても年上?」

 

「皆がストレートで入ってるならそうなるかな。別に年齢は気にしなくて大丈夫だよ。私よりも上の年齢で入ってくる人もけっこういるし」

 

「そう?じゃあ親しみを込めてシノちゃんね」

 

 微妙な話題を軽い感じで流して東雲さんの懐に入っていく北条。このコミュ力の高さと男女問わず人目を引きすぎる見た目が周囲の人間関係をぶち壊すのだろう。サークルクラッシャー体質とパチンカスで金が無いのと、後他人の家で人が寝てるのに深夜アニメを視聴し始める傍迷惑な行動がなければゼミやサークルの中心にいるような女なのだが。

 ちなみに西園寺の場合はただでさえ昨今は受け入れられづらい大酒飲みなのに性格、言動、行動すべてにおいて同性受けが悪いようなのでこれも人の上に立てるタイプじゃ無い。女子受けが悪いのは時々出てくるセクハラ発言が問題なんじゃないかと最近は思いはじめている。

 

「やっぱり誰かに影響されて吸い始めた感じ?彼氏とか」

 

 無邪気に聞く北条に対して、東雲さんはあっさりと答える。

 

「誰かに教え込まれた訳じゃ無いけど、強いて言えば死んだ弟かな。このジッポも形見のやつだし」

 

「え"っ……」

 

 兄じゃなくて弟なのか。東雲さんは真っ当に見えるし家族に不良がいるイメージも湧かないのだが。

 

「どちらかというとおとなしい、普通の子だったんだけどね。まあ実際吸ってたかどうかはわからないんだ。遺品整理の時にエロ本と一緒に未開封のたばことこのジッポが出てきて、そうだったのかなって」

 

 たばこが見つかるよりエロ本が見つかる方が辛いな……。やっぱり時代はデジタルということか。

 

「私もエロ本は親に見せられなくて黙って捨てたよ。たばことジッポの方は私がもらい受けたんだけどね」

 

「……平然とそのボールを投げ返せる君には感服するよ。見たまえよ、リアクションに困って固まってるナツの姿を」

 

 呆れた目で見てくる西園寺。確かに北条が引きつった顔で口を半開きにしていて面白い。

 本人が普通に話してるんだから問題あるまい。別に僕が地雷を踏み抜いたわけでもないし。

 

「彼の言う通り、別に気にしなくていいよ。一年も経てばこっちも気持ちの整理がついてるし。まあ、当時はけっこう取り乱しちゃって。受験も散々で浪人するはめになったんだけどね」

 

「……いや、そんなさっくり重い球投げつけられても」

 

 ははは、と軽い感じで笑う東雲にたいして再起動した北条がうめくようにして返す。

 

「ま、私のことは気にしないでよ。三人はなんでたばこなんか手を出したの?」

 

「あ、ああ。実は……」

 

 西園寺が北条がたばこを持ち込んだいきさつを説明した。ついでに僕からパチンコに負けすぎて金が無いくせにその容姿故に定職にありつけず、下着売りに手を染めそうになりかけている窮状を付け加えたところ、ヘッドロックを仕掛けてきた本人ともみ合うハメになった。

 

「なるほどねえ。じゃあ、バイト紹介しようか?不定期だけどけっこう割はいいと思うよ」

 

 二本目のたばこに火を付けた東雲からの提案に、僕を解放して北条が食いつく。

 

「マジ?どんな仕事?」

 

「一応モデルってことになるのかな?有名雑誌とかに載るようなやつじゃないけど。従姉妹が撮影スタジオやっててね。スタジオの貸し出しだけじゃ儲からないから時々宣材の撮影とか引き受けてるんだ。この服も撮影に使ったのをそのまま貰ったやつ」

 

「へえ、そうするとシノもそこでモデルやってるのか。美人でスタイルもいいしね」

 

「身内だから急な依頼で使いやすいってだけだよ」

 

 東雲さんは謙遜してみせるが、立ち振る舞いを見れば納得の人選ではある。この季節でも長袖なのは日焼け対策って事か。

 

「いや、別にそんなつもりはないんだよね。夏服出したり選ぶのがめんどくさくて着てるだけだから。私、汗とかかかないタイプだし」

 

 違うのかよ。

 

「まあ気にした方がよくはあるけど、最近は加工でなんとでもなるしねえ」

 

 それでいいのか……。

 

「少なくともクレームは来てないらしいし、大丈夫じゃないかな」

 

 じゃあいいか。けど、北条にモデルなんてできるのだろうか。顔はともかく体型が常人離れし過ぎてて使いどころが難しい気もするが。

 

「体型の話は余計だっての!」

 

「大丈夫大丈夫。普通のファッションモデルみたいなのはちょっと難しいかもだけど、うちは何でもやるから需要はあるよ。夏希レベルじゃないけど胸の大きな人も仕事してたし。……ちょうどその人の写真も。ほら」

 

 そう言って東雲さんはかばんを漁り、取り出したDVDケースを僕に手渡してきた。

 受け取ったDVDケースの表面を何気なく見てみると。大きな胸の女性のバストアップ写真が移っていた。

 全裸の。

 ……ていうかこれAVじゃねーか!

 咄嗟に周囲を確認するが、僕らが端っこにいて且つ僕自身が壁になっていたので周囲に見とがめられることは無かった。よかった。こんな公共の場でAV持ってるのを見られたらどうなるか分かったもんじゃない。

 

「お、この前デビューした新人の娘だね。ちょっと気になってて借りようか悩んでたやつだ」

 

 西園寺が謎の食いつきを見せるが、北条の顔は引きつっている。

 

「いやあ、あたし、初めては普通に終えたいなって……」

 

「違う違う。AVとかはやってないよ。これは従姉妹の会社を辞めた後に本人からもらったやつ。こっちに専念するっていうからこの人がやってた仕事をやる人がいなくて。あ、そのAVは私も両親がいる家で見るわけにはいかないし、使う気もないから君にあげるよ。本人のサイン付きだから価値も高いよ」

 

 使わない。ていうか女からもらったAVなんてどう処理しろというのだ。

 

「まあまあ、せっかくもらったんだから見ないのは勿体ないだろう?使う気がないならせめて皆で酒を飲みながら鑑賞しようじゃないか」

 

 それは西園寺が見たいだけだろうが……。しょうがない。酒の肴にしたらサークルの誰かに売りつけるとしよう……。サイン付きなら定価以上で売れるはずだ。たぶん。

 

「とりあえず、従姉妹には話を通しておくから予定が決まったら連絡するよ。時間についてはある程度調整効くと思うから」

 

 そう請け負った東雲と別れた翌日には連絡が入り、週末そのスタジオにお邪魔することになった。

 撮影には北条だけでなく西園寺も誘われ、ついでに僕もアシスタントという名の雑用として雇ってもらえる事になったので僕の家から三人でスタジオに向かう。

 大学最寄りから電車に乗り、数駅離れた、この辺で最も栄えている某駅で降り立つ。

 駅ビルが建ち並び、人通りが煩わしい駅前から大通りをまっすぐ進み、目印として聞いていたコンビニの手前で折れる。しばらく進んだ先、目的地の目の前に東雲が立っていた。

 

「やあ」

 

 今日は日差しが強く外にいるだけで汗をかくぐらいなのだが、片手をあげて僕たちを迎え入れた東雲は相変わらず長袖パンツルックなのに涼しげだ。

 

「このビルが丸々撮影スタジオ兼事務所なんだ。中で社長が待ってるから」

 

「はえ~、ビル丸々ってすごいわね。その社長さんが例の従姉妹さん?」

 

「そうそう。ちょっと無理して借りたせいでやり繰りが大変らしいんだけどね」

 

 東雲に先導されて入ったビルの一階が受付兼オフィスらしい。

 手前はショップの受付のようなスペースとテーブルやソファが置いてあり、受付の奥にはデスクが並んでいて私服の女性たちが何人も動き回っている。

 一番奥のデスクに座ってパソコンを叩いていた女性が、こちらに気がついて席を立った。

 

「どーもどーも。私が冬実の従姉妹で、このスタジオ・コスパーティー社長の卯月三代です。今日はよろしくね」

 

「よろしくお願いします。そんな名前付けていらっしゃるということは、コスプレ専門のスタジオなんですか?」

 

「私も今いる社員も元々レイヤーとかカメコだし、そうしたかったんだけどねえ。立地とか福利厚生とかこだわりすぎてそうも言ってられ無くなっちゃったのよ。勢いだけじゃやっぱり駄目ね」

 

 西園寺の質問に卯月さんは苦笑しながら答える。それでも会社を続けていられるのは立派だと思うが、学生でしかない僕たちにはわからない苦労があるのかもしれない。

 

「けど、冬実の言う通りやばいぐらいの逸材で嬉しいわあ。北条さんも西園寺さんも、色々着せたくなってくるわね。肉体労働担当も付いてきて今日は何でもできそう!」

 

 い、いや、あの。仕事なら指示されたことはやるつもりですし、たいていのことで文句を言うつもりもないのですが、言い方が不穏すぎませんか……?

 

「ごめんごめん。そんな極端な力仕事とかはないから安心してちょうだい。ただ、うちは男性社員がいないから男手があるのとないのとじゃできることも変わってくるし」

 

 ああ、そういう……。

 

「女ばかりの仲間内で始めたせいで今更入れづらいところがあるのよねえ。入ってくる方も内輪で固まった異性ばかりじゃ気まずいだろうし。普段はそれでなんとかなるんだけど、撮影の時に単発で入ってくれるのは助かっちゃうわ」

 

 なるほど。それなら僕も都合がいい。適度な感じに仕事を入れてくれれば日雇いの仕事を選り好みして入らなくて済むというものだ。

 

「お互いウィンウィンという訳ね。冬実の紹介なら人柄は保証済みみたいなものだし、能力次第では正社員採用もしちゃうわよ」

 

 それはノーセンキューでお願いします。フルタイムでこの場に居続ける自信はない。

 

「そうかな?君なら空気とか読まずに平然と仕事できそうだとボクは思うけど」

 

 人のことをなんだと思ってやがる。ただでさえ大学でも孤立しかけてるのに社会に出てからも進んで孤立しやすい環境に身を置いてたまるか。

 

「私もいけると思うけどなあ。春香と夏希とはよく連んでるんでしょ?こういう環境はまったく問題なさそうだけど。君、才能あるよ」

 

 どんな才能だ。そんなものはいらない。

 

「まあまあ、まだこれから働き始めるところなんだし、お互いゆっくり相手のことを知っていけばいいじゃない」

 

 なんで北条がまとめるんだ。お見合いおばさんみたいな事を言うんじゃない。

 襲いかかってきた北条をなんとか撃退して、さっそく仕事にとりかかる。

 本日の撮影は、とあるアパレルブランドからの依頼された秋物の宣材撮影らしい。胸の大きな女性向けのブランドということで、北条にはうってつけの内容だ。目立つ北条に隠れがちだが、条件の範疇にいる西園寺も衣装を身に纏い、カメラの前でポーズを決めている。

 しっかりとメイクを施された西園寺と北条はいつもの惨状とは別人のようだ。

 

「良いわ良いわあ。ふたりともやっぱり絵になるわね!西園寺さん、次は後ろを向いて振り返るように。そう!完璧!」

 

 直々にカメラを構えた卯月社長はハイテンションでふたりのことを褒めちぎりながらシャッターを切っている。専門の人間は用意できないためメイクもカメラマンもすべて社員でまかなっているらしい。趣味が高じて作られた会社だけに器用なものである。

 僕といえば、東雲と一緒に衣装ケース等の荷物を動かしたり、レフ板を掲げたりと文字通り雑務に専念だ。社長に指示されるがまま、彼女の手足となって動いているが、難しいことをしているわけでもないので楽な仕事である。

 待ち時間で衣装を替えながら、交代でカメラの前に立つ西園寺と北条は、社長の褒め言葉に乗せられて輝かしい笑顔をカメラに向けている。

 

「こういった撮影の時、モデルの表情を引き出すのもカメラマンの才能だって言われるけど、三代さんは昔からその辺すごく上手いんだよね」

 

 一緒に裏方をこなしていた東雲の言葉にうなずく。こういう人が上にいるから会社がまとまっているんだなと感心して見ていたのだが、次第に雲行きが怪しくなっていく。

 

「よし、これでノルマは終わりね。……もし二人がよければ、他の撮影も入っていかない?お給金も弾むわよ?」

 

 ノリにノっているふたりは即座に了承した。次の撮影はコスプレ衣装のサンプル写真だ。

 スタジオでレンタルしているコスプレ衣装は、服飾担当の社員が新しいアニメや流行りの漫画が出る度に作るため、延々と増えていくらしい。

 最初のうちは東雲も入って三人で衣装を消化していったのだが、だんだんと北条の撮影割合も増えていった。

 元々AV女優になった巨乳モデルの代役という名目だったので、その人の担当分が溜まっていたのだろう。

 卯月社長と、いつの間にか外野に回っていた西園寺に褒めちぎられて機嫌のよい北条は気にもとめずに撮影を続けているが、制服系やアイドルの衣装みたいなしっかり着込むものから、スリットの入ったチャイナ服みたいなものやミニスカートなど露出が多いものになっていく。

 調子に乗った西園寺が胸を寄せさせたり際どい角度にカメラを構えさせたりやりたい放題だが、北条自身を含め誰も止める者がいないのである。

 気がついたときには激しく動いただけで色々とこぼれてしまいそうなぎりぎりの衣装で撮影している有様だった。

 正直、本人の私服の露出度が高いものだから見慣れた光景過ぎて全然違和感がなかった……。

 

「あれが三代さんのいつもの手なんだ。モデルを上手におだてて機嫌良く仕事をさせつつ、徐々に過激な衣装にシフトさせていくんだよ。三代さんが男だったらと思うと身内ながら恐ろしいよ」

 

 自分の番を終えて戻ってきた東雲が畏怖の念を込めつつ説明してくれるが、ろくでもない話である。というか、企業の使う宣材とかサンプルであんな過激な衣装必要なのだろうか。

 

「もちろん使わないよ。あれはあくまでプライベート用だからね」

 

 既に業務ですらないじゃねえか。まあ、給料が出るなら僕は文句ないけど。北条だって、どうせいつも露出過多なのだ。あの程度は許容範囲内だろう。多分。

 

「北条さん、最高だったわ!今日は過去一の出来映えよ!……それでなんだけど、北条さんにしかできない、特別な撮影があるの」

 

「いやあ、ありがとうございます!あたしに出来ることならやりますよ!」

 

 おだてられて上機嫌で木に登っているホルスタイン(北条が牛柄のビキニを着ているからで他意はない)は特に考えることもなく即答する。

 

「ほんと?ありがと~!それじゃ、これを着て欲しいんだけど……」

 

 卯月社長が取り出したのは、どうみても下着だった。

 

「えっ……。いやあ、それはちょっと……」

 

 ここまで順調にのせられてきた北条も、流石に躊躇した様子を見せる。今着てるビキニの方が余程過激だし、元々下着売買にまで手を出そうとしていたのだから今更だと思うのだが。

 

「お願いよお。前の娘が辞めちゃってから条件に合う娘がいなくて……。北条さんだけが頼りなの」

 

「ええ~、だけどなあ」

 

「お願い!今ならこれだけお給料出すし、撮影に使った下着もプレゼントしちゃう!」

 

「やります!」

 

 卯月社長がどこからともなく取り出した電卓を叩いて北条に見せると、目の色を変えて即答した。

 一応止めておいてやるけどいいのか?顔出しで下着姿をさらすことになるのだが。

 

「全然オッケーよ!これで薄い財布の中からお金を出してブラのサイズを更新する作業から解放されるわ……」

 

 ああ、そっちなんだ……。

 卯月社長のことを菩薩か何かのように拝み、歓喜のあまり涙を流さんばかりの北条だが、その菩薩の表情はすべて計画通りと言わんばかりに邪悪だ。

 さて、本人がその気であるなら僕からはもうなにも言うまい。せめてもの礼儀としてこの撮影はパスしてスタジオの外で待機することにしよう。

 

「アシスタントォ!ぼさっとしてないでさっさと準備してよね!」

 

 え、いや、流石に僕は遠慮すべきだと思うんだが、北条お前いいのかよ。

 

「モデルを待たせて気でも変わったらどうするんだ!きりきり動きたまえよ!」

 

 なんで西園寺はそっち側なんだよ……。お前下着売りの時は止めてたじゃ無いか。

 

「あれは企業が入ってるとはいえ個人売買だし、方向性に問題があったからさ。友人として止めるのは当然だったけど、これはあくまで仕事としての撮影だし、身元のしっかりした企業相手だろう?止める必要は無いね。……それにこんなえっ……、もとい珍しい撮影をかぶりつきで見れる機会滅多にないじゃないか」

 

 友情と私欲の不等式が成立する様をまざまざと見せつけられた気分だ。流石に欲望漏れすぎじゃないか……?

 ええい、やればいいんだろう。後で冷静になった北条からクレームが入ってもすべて会社に責任を押しつけてやる。

 

「いやあ面白いことになったね。みんなを紹介した甲斐があったよ」

 

 東雲もなに人事みたいにしてやがる。お前もアシスタントに入るんだよ。こうなればお前も一蓮托生だ。

 

「もちろん手伝う。こんな面白おかしい現場、参加しないと損だよ」

 

 

  *

 

 

 ふう……。まずっ。

 その日の夜、僕は自宅のベランダでたばこをふかしていた。お金を出してしまった手前、なにがなんでも箱の中身を吸いきらなければならないという義務感で消化しているが、まだ美味しく吸える日は遠いらしい。

 

 結局その日は夕方近くまで撮影が続いた。僕も初回サービスということで雑用にしては割の良い額をいただいたし、モデルとなったふたりはけっこうな額をいただいたらしい。特に北条は帰りの道すがら厚みがわかるぐらいの封筒を眺めて終始にやにやしていた。

 撮影後にはちょっと正気に返って頭を抱えていたが、諭吉の魔力には勝てなかったらしい。

 中身がどれだけ持つかは見ものである。

 そして、帰りがけに西園寺の提案で飲みに行くことになり、東雲も誘って四人で居酒屋にくり出し、本日の労をねぎらった。

 大学近くの駅まで戻ってきた時点で察しは付いていたが、二次会は当然のように我が家である。

 今は西園寺と北条が男性器に左曲がりが多いと言われるのはなぜかという議論を白熱させており、なんとなく身の危険を感じたため待避しているところだ。

 

「やあ、お風呂ありがとう。……おお、ベランダが広い。ビーチチェアまで置いて贅沢だね。これ使ってもいい?」

 

 渋い顔で月を眺めていると、背後でガラス戸が開くと共に東雲の声がした。

 今は誰も使っていないのだ。別にかまわない。

 

「それじゃお言葉に甘えて」

 

 振り向きもせず了承すると、ぎしり、とチェアが軋みすぐさまたばこに火を付ける音が続いた。

 

「……ふう。最上階の角部屋で、風呂トイレ別でもすごいのに、けっこう高いんじゃないの?ここ」

 

 最上階と言っても二階建てだからね、ここ。まあ確かに本来はとても手が出るような物件ではない。なんならこの部屋と隣に限っては防音仕様であるため、新卒社会人でも住むことはできまい。

 

「うわあ、やっぱりそんなにするんだ……。こんな部屋に住めるってことは、君がお金持ちなのか、それともとんでもない事故物件なのか……」

 

 残念ながらどちらでもない。ちょっとした伝手があって、大家の婆ちゃんの小間使いになることを条件に、格安で入居させてもらえたのだ。このベランダの正面に見える庭付き一戸建てに住んでいるものだから、しょっちゅう招集されるのが欠点だが、快適な生活をおくれるのであればまあ安い代償だろう。

 

「へえ、そんな漫画みたいな展開あるんだね」

 

 あるのだ、それが。この世界は物語(フィクション)らしいから、そういうこともあるだろう。

 

「ああ、飲み会の時の……。この物語に登場する大学生は皆成人しているからお酒もたばこもエッチなシーンも問題なし、だっけ?さあ乾杯って時に急に春香の口上が始まるからどうしたのかと思ったよ」

 

 西園寺曰く、大学生が大学生らしくいるための魔法の言葉なんだと。出所を考えるといかがなものかと思うが、まあ今の僕たちに刺さるものがあることは否定できない。

 

「ああ、確かに。大学生って中途半端だからね。講義は自由に決められたりして、高校までより自分のやりたいことができるようになったのに、扱いは子供だし。学費とか出してもらってるせいかな」

 

 中には奨学金とか使って自分で支払ってるやつもいるのだろうけど。だが、親の力に一切頼らず完全に自立してる大学生がどれだけいるかはわからない。

 新入生歓迎会とかで居酒屋にいって酒を飲んだりするのは大人感あるんだけどな。ほんの何ヶ月か前まで高校に通っていたというのに。

 

「今は断ればいい話だけど、昔はけっこう勧められたりしたっていうしね」

 

 そうそう。

 ……この話題は僕たちに都合が悪い気がするからあまり深掘りするのは辞めておこう、うん。

 とにかく、創作の世界でならご都合主義な展開も、年齢設定のガバもなんでも有りということだ。東雲だってそういうところあるだろう。弟の形見のジッポでたばこを吸う大学生なんてそうそういない。実に物語的だ。

 

「ああ、それね。……前に話したときは言わなかったんだけど、このジッポは元々お父さんの物だし、弟にたばこを勧めたのもそもそもお父さんなんだよね」

 

 ……はあ?

 とんでもねえ話が出てきて、思わず振り返る。チェアに寝そべって涼みながらたばこを吹かす東雲は苦笑しながら続ける。

 

「遺品整理の時にたばことジッポは隠してたんだけど、整理が終わる頃急にお父さんがジッポが無い!って騒ぎ出してさ。訳を聞いたらこっそり自分のジッポライターをプレゼントしてたことを告白始めてね。お父さんは酒は弱くて飲めないんだけどヘビースモーカーでさ。成人した子供と一緒にお酒を飲んで感慨に浸るみたいなことできないのが不満だったらしくて、せめて一緒にたばこを吸いたいって思ってたらしいんだよ」

 

 ……いや、弟さんが亡くなったのは東雲が大学受験の時という話だ。その弟が成人しているはずがない。そんな相手にライターはともかくたばこを渡したと?

 

「弟は私の一個下だったよ。まあ、お父さんも流石にそこまではしなかったみたい。誕生日プレゼント代わりに自分のお古のジッポだけ渡して、大人になったらこれでたばこを吸えって言ってたんだって」

 

 ははあ。東雲のお父様の言い分が正しいのであれば、たばこ自体は弟が購入したと。まあそんな話までされて本人に興味があったのなら、成人まで耐えられなかったんだろうなあ。

 

「そういうことだと思う。……実際はわからないけど、たぶん弟は吸ってはいなかったとは思うんだよね。灰皿みたいな物は見つからなかったし、こっそり吸ってればなんだかんだバレてたと思うし。けど、その話を聞いたお母さんに当然ぶち切れられて、あやうく家庭崩壊するところだったよ」

 

 それは残念ながら当然なんだよなあ。家族が亡くなったうえ一家離散なんて洒落にならない。

 

「ホントにね。で、偶然ジッポを見つけたふりして出してみせて、形見分けってことで私がもらい受けたんだ。……その時は隠したけど、たばこも出してたらホントに離婚してたかも」

 

 それが正解だろう。わざわざ話をややこしくする必要も無いのだ。

 

「ね。まあそういうわけで、結局私も興味を抑えられなくて吸い始めたってわけ。そんな大したことない理由でしょ?」

 

 いやまあ、大したことないことはないと思うが……。一気に話が緩くなったなあ。湿っぽいだけの話よりは余程マシか。……で、話に流されて聞きそびれたのだが。

 

「ん?なに?」

 

 なんでパンイチなんだよお前は。

 話に引っ張り込まれてつい突っ込むタイミングを逃していたことを改めて問う。チェアに寝そべりたばこを吹かしている東雲は、パンツ一枚しか身に纏っていなかった。肩にかけたバスタオルで胸を器用に隠しているが、色々とこぼれてしまいそうで気が気でない。

 正面が大家さんの敷地であるため覗かれる心配は無いとは思うが、絶対というわけでは無いのだ。

 余所から見咎められて痴女が出るとか噂されたらたまらない。

 

「いや、これには深いわけがあるんだ」

 

 東雲はたばこの灰を灰皿に落としながら動じることも無く言った。

 お前が他人の家のベランダで露出行為をすることにどういった理由があると?

 

「私があまり汗をかかないってことは説明したと思うけど、逆に言うと汗をかけないせいで熱の放出が上手く出来なくてね。お酒を飲んだりお風呂に入ったりしたらどうしても身体が熱を溜め込んじゃうんだ。だから、できるだけ露出面積を増やして、涼しい場所で身体を冷やしてるって訳」

 

 ……なるほど、理由が無いわけじゃないことは分かった。

 しかし、それならクーラーの効いた部屋で扇風機の前にでも居座ればいいじゃないか。わざわざ外にいる必要はない。

 

「だって、部屋の中だとたばこが吸えないから」

 

 それぐらい服着てからにしろ!

 

「まあまあ。けど、そういう意味じゃこの部屋は理想的なんだよね。ベランダは広くて寝転がりながらゆっくりたばこが吸えるし、実家じゃこんなこと出来ないからね。春香と夏希が都合が良い部屋って太鼓判を押すわけだよ」

 

 あいつら、僕の部屋をそんな風に言ってたのか……。ちょっと甘い目で見ていたが、容赦すべきではなかったのかもしれない。僕が今後の対応について検討していると、東雲はしんみりした顔をして続ける。

 

「……喫煙者って大学にもあまりいないし、ちょっと敬遠されてる感じだったから、みんなが気にせず連んでくれるのがありがたいんだよね。不謹慎だけど今日の仕事も久しぶりに友達とはしゃげて嬉しかったんだ」

 

 や、やめろ。急に家から追い出し辛くなるようなことを語り始めるんじゃない……。

 ……わかった、わかりました。あんまり外聞が悪いことをしてると僕が部屋を追い出されるからマジで気をつけてくれよ。

 

「ありがとう。大丈夫だよ。真っ昼間からこんなことはしないって」

 

 僕の言葉を聞いた東雲は先ほどまでの陰のある表情が嘘のように消え去りにこりと微笑む。

 ……他人の感情の機微に疎い僕には演技なのか素なのかはまったくわからなかった。

 犯罪すれすれの露出癖といい、この女は今までで一番ヤバいやつかもしれない。

 

「さて、ニコチンも補給したし、部屋に戻ろうか。春香がAV鑑賞会をするってお待ちかねだよ」

 

 そう言って部屋に戻っていく東雲。……僕のたばこはとっくに吸い終えていたが、何だかもう一本吸いたくなってきた。

 もう一本たばこを取り出し火を付けようとした僕は、待ちかねた西園寺に引っ張り込まれる。

 僕はテレビ正面のソファに配置され、純粋な子供のようにきらきらと目を輝かせている西園寺が隣に。DVDのパッケージをガン見している北条とシャツを羽織ったおかげで多少はましな格好になった東雲がソファ前に置いたミニテーブルの左右でクッションに座る。

 準備は万端だったらしく、すぐに映像が始まった。

 せめて酒でも飲まないとやってられない。酒に関して嗅覚の鋭い西園寺が僕の様子を敏感に感じ取ったのか、杯を握らせ酒をなみなみ注いでくる。

 なんだか口惜しくて西園寺の杯にもぎりぎりまで酒を注いでやったが、西園寺を大喜びさせるだけだった。

 ヤケクソになった僕は、上手いこと酔い潰れられることを願いながらぐいっと杯を呷った。




本作タイトルを「依存したがる彼女は僕の部屋に入り浸る」に改題して書籍化されます。スニーカー文庫様より11月1日発売予定です。
詳細と続報は作者TwitterもといX
https://twitter.com/yorozuyaqb
スニーカー文庫公式サイト
https://sneakerbunko.jp/product/322304000132.html

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