フルールが賭場でぼろ負けした翌日、宿の室内では一人の少女がふくれっ面をしていた。
「むー」
ベッドの上であぐらを掻くフルールは体をあっちこっちに揺らしながら、むー、だとか、うーん、だとか唸り続けている。咥え煙草で口さみしさを誤魔化すフルールは、暖炉のある室内という事もあってスキニーのジーンズに七分丈のカットソーとゆるい恰好をしている。だからか、なんだか煙草を吸う姿が様になっているな、とユウリは思う。
「やっぱ悔しいわ!」
フルールは唐突にそう叫んだ。室内をふわふわと浮かびながらうたた寝していた褐色肌の女――レテミアが、フルールを見て僅かだけ目を見開く。だが、欠伸一つするだけですぐに目を閉じてしまった。まるで猫か何かだ。
そして興味ないと示したレテミアを気にせず、フルールは椅子に座って本を読んでいたユウリを見た。
「ユウリ、リベンジよ、リベンジ」
両の拳を振ってはやし立てるフルールに、ユウリは面倒だなあ……と思ったが、口には出さない。一応命の恩人だ。頼まれごとは断りづらいユウリだった。
だがまあ、意思を示すくらいはしておきたいとも思う。
「でもでもあの、イカサマが仕組まれているのでは……たぶんですけど」
「ふふんちゃんと考えてあるわよ、その辺は」
言外に『行きたくないです』と伝えても、フルールは得意げに笑うだけだ。
こういう時のフルールはすごく馬鹿っぽい。
「やばくなったら引けばいいのよ……! でもそこまではぎりぎりまで稼ぐわ!」
「あー」
上からも、あー、という何とも言いがたい呟きが上がった。ユウリが顔を上げれば宙では悪魔女がのんびり蝙蝠羽を揺らしている。そのゆったりとした羽ばたきが、レテミアの感情を表現しているようだった。
ユウリが曖昧な表情になって顔を曇らせている間に、フルールはさっさと支度を終えてしまっている。
銀のオイルライターに煙草の紙箱。ごついガンベルトに納まるリボルバー式拳銃。少女が着るにしては男性的なデザインをしすぎたジャケットを羽織るフルールは、その首にマフラーを巻いて、ユウリを手招いた。
「はやく、はやくユウリ!」
「……わかりましたよー」
「何よぅやる気ないわねあんた。ほら、ギャンブルよ、楽しいでしょ!」
貴族として俗に触れずに過ごしてきたユウリにはわからない事だ。煙草もギャンブルも。
そういう訳で二人は賭場に到着した。街で一番大きいらしい建築物は二階建てで、一回が酒場兼賭場となっている。賭場の前に立っているというのに、建物の中からはがやがやとした盛況の音が聞こえてきた。
儲かってるんだなあ、とユウリは白い息を吐きながら思う。フルールはジャケットの袖をまくりながら意気揚々と賭場の扉を開いた。
多種多様な人種がひしめく賭場の熱気は凄まじい。酒と煙草が外へと逃げていく中で、その熱にユウリは軽く目眩を感じた。
「あのー、フルールさん? 私、あっちの方でお酒飲んでますね」
「あーうん、好きにしなさいー。迷子にならないようにね?」
なんだか子ども扱いされてます……。
と眉を八の字にしながらも、ユウリはフルールと別れて昨日と同じカウンター席に着く。バーテンダーに注文表を渡され、ユウリは「うーん」と小さく唸り声をあげた。
実のところ酒はあまり飲まないので、おそらくカクテルだろう名前がたくさん羅列されていてもよくわからない。金はあるので、甘いものをおすすめで頼もうかと口を開いた時だ。
「ここは欲が渦巻いている」
そう、声が聞こえて。それはすぐ隣からで。
思わずユウリは横を見る。
「その熱気が人を狂わせる。だが、君は、違うみたいだ」
そこには、いつの間にか隣の席に座っている女が一人。
――濃い褐色の髪をした、赤い瞳の女。
紅玉の如き彼女の瞳孔はやや縦に長い。
理解する。
女は冷たい顔をしてユウリを見つめている。吸い込まれるように彼女の赤い瞳を見つめていたユウリは慌てて頷いた。フルールが酒場で酔っているとき、近くの客に問答無用で絡みに行くのをいつも見ているため、酒場で話しかけられること自体には『こういうものなんだな』という理解があった。
「え、ええ、どうぞ」
「ありがとう」
女は小さく謝辞を述るとすぐバーテンダーに酒を注文する。注文表も見てないのに……。
「君はどうする」
「あっ、え、私ですか? ええと……あ、甘いやつで」
流暢にバーテンダーと受け答えをしていた女と違って、ユウリは酒の知識に乏しい。曖昧な注文に気恥ずかしさを覚えるが、バーテンダーの男は静かに頷くだけだった。冷静な態度に余計ユウリは顔を赤くする。
すると、ふ、と掠れるような吐息が隣から聞こえてくる。――笑われたのだ。
「うぅ……」
「すまない。馬鹿にする意図はない」
そうは言うが、今のは絶対馬鹿にされていた……!
「待ち合わせをしているんだが、暇だった。素面の君となら時間つぶしになるんじゃないかと、そう思っただけだ」
だから他意はない、と女は付け足す。背中の中ほどまであるストレートの髪も、伸びきった背筋も、異様なほど硬質だ。
感情味のない言葉は己を警戒してのものなのか。ユウリは戸惑いつつも、頷いた。丁度バーテンダーが二人の注文した酒を置く。ユウリが青のカクテル、女がウイスキーのストレートだった。
女はショットグラスに注がれた黄金色の酒を一口含むと、同じようにグラスを傾けているユウリに横目を向ける。
「君は見た感じこの辺りの人間ではないが、旅人か?」
「ええ。ちょっと色々あって」
「なるほど。望んでその立場に居るわけではないと」
「ええと……」
ユウリは小さく頬を掻く。血の巡りと共にアルコールが回るのを感じながら、どこまで話していいのかを悩んだ。この場限りの関係に必要以上の情報は不要だろうし。
するとそんなユウリの戸惑いを理解したのか、女は小さく手を振って見せる。
「ああ、待て、言わなくていい。当てる」
短い言葉。女の性分を現しているみたいだ。
「何か……そうだな、例えば魔物に襲われて、そこを誰かに助けられて、目的を失った君は家に帰ろうとしている。――どうだ?」
「す、すごい。よくわかりますね」
「私の勘はよく当たる」
そこで初めて女は口元を緩めた。柔らかい微笑い顔に、この人きれいだな、とユウリは感じてしまった。元々端正な顔をしているが、表情の硬さがそれを邪魔していたのだ。
「あの、失礼でなければお名前を……」
「教えてもいいが、ただ教えるだけではつまらない。だからそうだな」
女は着ているジャケットの内ポケットに手を入れ、そこから束になっているトランプを取り出した。ゴム紐を外し、女は幾つかのカードを手に持つ。
「――なあ、勝負しないか」
「勝負?」
「ああ。簡単なものだ」
とんとん、と女がカウンターを叩く場所。そこには先ほど取り出したトランプの、女が手に持ったカードがある。――総数は14。
積み重なったそれらの上に手を重ね、女はゆっくりと横に動かした。器用なことに滑らかにカードが動き、十四枚のカードは均一に広がる。
女がマニキュアの塗られた爪を端のカードにひっかけ、勢いよくひっくり返せば、滑らかに面を見せるカード達。
本当に、器用だ。
「ここにAからKまでのカードがある。そこにジョーカーを追加する。計十四枚だ。そして、ここから、一枚を取り出す」
確かに。あるのは全てクローバーのAからK、そしてジョーカー。女はカードを全て束ねると、一度シャッフルをした。素早い切り方にユウリはほうと息を吐く。女の動作は完成されきっていて、美しいと言える。マジシャンか何かなのだろうか?
そして女は一番上のカードを引き、それを裏面のままカウンターに置いた。当然だがユウリにはなんの数字が描かれたカードなのかわからない――女にもだ。
「ジョーカーを14として扱う場合、このカードはハイかロウか、どちらだと思う」
つまり、
確立は1/2。
つまり完全な運の問題になる。
「……ロウ、ですか?」
「さてどうだろう」
女は小さく首を傾げながらカードをくるりと返す。そこに描かれていたのは……。
――クローバーの2。
ロウで合っている。
女が小さく拍手をした。2、3度だけのそれに、ユウリは「やった」と笑う。だが、女は、変わらぬ硬い表情のまま続けた。
「正解だ。だが、別にこのカードが当たろうと外れようとどうだっていい。勝負はここからだ」
「ええ……?」
「次のカードを当てたら君の勝ちにしよう。外したら私の勝ちだ」
「な、なるほど?」
女が酒を一口。ユウリもカクテルに口をつける。甘い味と、ゆったりと溶け込んだアルコールの酒気。少し眉間が揺れる感覚がユウリを襲う。ああ、酔っているな、と。
煙草の煙と人々の過密する熱気が外へと逃げていく中、女は残り13枚が重なった束の上に手を置き、そして一番上を引く。それをユウリの前に裏面のまま置いた。
女は、ユウリの青い瞳を覗き込むようにして、言った。
「運に賭けるか、確立を信じるか――。君はどちらだ?」
うーん。とユウリは悩む。
14枚のうち、先ほど出たのは2のカード。つまり数的には
ロウが6/13、ハイが7/13。
確率的にはハイを選択するのが正しい。――が、確率で選ぶにしては『微妙な』差だ。
「運か、確率か……」
なるほどなあ、とユウリは思わず感心してしまった。この微妙な差では、運に身をゆだねても問題ない気はする。
まるで己の性格を見定められているみたいだ。
しばし悩んだユウリは、じっと黙っている女に、やがて告げた。
「……ハイ、ですか?」
「甘い。ロウだ」
女は
え、とユウリが首をかしげる間もなくカードはくるりと半回転し、その絵柄を現す。
――スペードのA、つまり1。
ロウだ。
ユウリは小さく肩を落とした。
「むむ……負けた。え、でも、あれ?」
カウンター席にあるのはスペードのカード。
先ほど女が見せたAはクローバーだった。
「なんでスペード?」
「気づいたか」
ニヤリと女が笑う。その笑みに、ユウリは女の本質を見た気がした。
「何故なら……ほら、カードはここから出ている」
女が軽く右手を揺らす。すると、女の着ているジャケットの袖の中から、カードが現れた。
絵柄はスペードの3。
あっ、とユウリが声を上げたころにはカードは女の袖口の中に引っ込んでいる。――簡単なマジックで、だからそれはつまり……。
「イカサマじゃないですか!」
「怒るな」
思わずユウリが声を上げれば、くすくすと女が笑った。見事にハメられたユウリが眉を上げても女の態度は揺らがない。
事実、ユウリが場にあるカードの束をぶんどって数えてみれば、13枚もある。場に二枚出したのなら12枚でないとおかしいと言うのに。――完全なイカサマだ。運も確率も何も関係ない、出来レースだ。
「君は身持ちが堅そうに見えて妙に隙が多い。そういう性格は好まれやすいが、同時に付け入る余裕を与えてしまうよ。注意するといい」
ユウリがトランプのカードを広げてむーっとしかめ面になっていると、女は打って変わってべらべらと喋り出した。
硬質な態度も演技だったと、そういうわけだ。演出から何まで、押しに弱いユウリを威圧して飲み込むための罠だった、という事。事実、女の笑みは実に和やかで軽い――というか軽薄そのものだ。
「……占い師か何かなんですか?」
「長く生きているとそれなりに観察眼がつくというだけのことさ」
女がカードを片付けながら笑みを向けてくる。実に親しげで、憎々しい。
「……勝負は私の勝ちで終わりだな?」
「イカサマしたんだから私の勝ちですよ」
「ふむ。一理ある。だが
「……名前、教えてくれないんですね」
「頬を膨らませたって教えない。可愛い顔だとは思うが」
ふふん、と鼻を鳴らす女。更にユウリはふくれ面になって無言の抗議をする。女は軽く肩を竦めるだけだった。そして、カードを片付け終えると、席を立つ。
カウンターに置かれた紙幣は二枚。――二人分の注文量だった。
「ああ、それと」
ユウリが何か言う前に、既に立っている女は口を開いていた。その立ち姿はやけに恰好良くて、ユウリは何となく考えてしまう。こういう人に助けてもらえたらな、と。
「本当は同類だと思ったから、話しかけたんだ」
「同類?」
「愛されることは知っていても、愛したことはない。愛を知らないとは寂しい事だと思うか、
え――?
「なんで私の名前……」
「――私はそうは思わない。感じない」
鉄錆にも似た濃い褐色の長髪。
揺れる赤い瞳は、賭場の証明を受けて怪しい光をたなびかせる。
「王とは、そういうものだ。上に立つとはそういうことだろう? 恋を知らない貴族の娘」
女の笑みはそう告げて、呆然とするユウリを置いて賭場を出て行った。
ようやくユウリが反応できたのは、女が完全に姿を消しで空だった。
「……なんだったの? あの人」
どこまでも格好いい、そして狡い、女だった。