ヴィエ。
そう名乗ったチビガキに襲撃された。
イリス。
そういう名前のキチガイレズ女に喧嘩を売られた。殺せなかった。
あたしはいつまで生きることができて、いつまでレテと共に旅ができるのか。
未来はいつも不透明で嫌になる。
終わりは近い。――そんな気がする。
「でかっ」
と、フルールが言った。思わずと言った様子の言葉に、心なしかユウリが胸を張っている。
フルールの隣では背中の蝙蝠羽を揺らしてぷかぷか浮かぶ浅黒の女――レテミアも同じように「おおきいわねえ」と感嘆の言葉を漏らしていた。ふふん、とユウリが鼻を鳴らした。
「お二人とも、ありがとうございました。私の家まで送ってくれて」
ユウリは誇らしげな表情を感謝の色に変えて、頭を下げる。そんなユウリの背後には、これでもかというほどに巨大な屋敷が一つ建っていた。
城か何かだろうか? そう見た者に思わせるだけの屋敷。広大な庭――そして巨大な領地。『国』を名乗っても十分に通用するほどだ。
フルールは感心した様子で腕を組み、ユウリを見る。
「あんたってホントに貴族だったのねー」
「ホントって……いつも言ってたじゃないですか」
「いやなんか、あんたって普通っぽいし」
「普通っぽい……」
地味にショックを受けるユウリ。しょぼんと落ちた肩をけらけら笑ったフルールが叩いて、横を通った。フルールとレテミアは屋敷へと歩きだす。ユウリもその後を追った。
屋敷の門には兵士もいたが、ユウリがいるためか何ら足止めも受けずに素通りできた。門内――庭ではたくさんの庭師やメイドが行き来している。屋敷の大きさに比例した人数だな、とフルールとレテミアは感心してしまう。
「おや? ユーリリアお嬢様ではないですか。どうしたのですか?」
「お嬢様! お元気はいかがですか?」
そんな中でユウリは幾人もの人々から挨拶され、頭を下げられていた。皆が皆、ユーリリアお嬢様、と呼んでいる。フルールがにやにやした顔で言った。
「ユーリリアお嬢様、あんた大人気ね」
「や、やめてください。いつも通りユウリで結構ですから……!」
「なによユーリリアお嬢様。そんなに恥ずかしいのかしら」
「レテミアさんまで!」
きーっ、と珍しくユウリが耳まで赤くしながら怒り顔になる。その様子に、周りのメイド達もくすくすと笑っていた。平和な場所だな、とフルールは思う。見知らぬ二人がユウリの傍にいるのに誰も不審がらないなんて。
庭の中ほどまで来ると、「あ!」とユウリが声を上げた。彼女の手が指し示す先には花壇に水をやる壮年の男性が一人。
「お父さん!」
「ん? おお……おおおおおおお! ユーリリア!」
ユウリの声に振り向いた男――ユウリの父親は、人目も気にせずユウリに抱き着いた。ユウリは人前で恥ずかしいのか顔を赤くしているが、決して嫌ではないらしく、口元は綻んでいる。
「ゆーりりあ?」
「ユウリの本名じゃない。ユーリリア・フェス・ルベルトダスト。忘れたの?」
そういやそんな名前だったわね……。フルールが思い直しながら煙草を吸っていると、苦笑いと共に抱擁を解いたユウリが、父親と話しだしていた。
「どうしたんだ? 何か嫌なことでもあったか? 連絡してくれれば、盛大に歓迎してやったというのに!」
「あ、あのね。馬車であちらの家に行く途中、魔物に襲われて……それで、死にかけて……」
なんだと!? と父親が顔を真っ青にした。その、喜々から打って変わった恐怖の顔に、フルールはにやりとほくそ笑む。なるほどユウリの話通り過保護な父親だな、と。
「やったわねレテ。あの父親けっこうチップ弾んでくれそうよ」
「そういう話はもっとこそこそしましょうよ」
「……」
一応聞こえる範囲にいるユウリはとても微妙な気持ちになったが、父親もユウリの背後で勝手なことを言う二人組が気になるのだろう、ちらちらと視線を送っている。紹介すべきかとユウリは考えた。
「そ、そうか、それはすまなかった。怖い思いをさせたな、ユーリリア。怪我はないか?」
「大丈夫。あのね、あそこにいる人たちが助けてくれたのよ」
ユウリはそう言って二人を指示した。父親は頷きながらフルールとレテミアを見る。
レテミアとフルールは親娘の視線を受けて、一度頷くと。
「レテミアよー。可愛い女の子いたら紹介して頂戴」
「フルールよ。あんたの娘助けたんだし金よこしなさい、金!」
『……』。と、ユウリの父親の表情がもの凄く微妙なものになった。だがそこはさすが貴族。すぐに表情を真面目なものに切り替える。
「そうか、そうか。……娘の命を救っていただき感謝する。急なことで大したもてなしもできないが、出来る限りの事をしよう」
「その言葉を待ってたわ。その言葉のためにユウリを助けたのよ!」
たくさんの疲労を全て詰め込んだ叫びに、ユウリの父親は困った顔になる。フルールのテンションに付いていけていない。
ユウリが、まずいな、と顔だけで語った。ユウリの父親はそこまで演技が得意ではないし、失礼な相手に対して冷静でいられない。レテミアに手助けを求めようかと思っても、当の悪魔女は庭掃除をするメイド達に興味津々だ。
なんで命の恩人を紹介するだけでこんなに大変なんだろう……とユウリが困り果てていると、
「――いったい何事?」
声は剣のように鋭い。
その場の全員が声の主を見た。場所は丁度屋敷の玄関。フルールとレテミアは疑問の表情で、ユウリはうれし気な顔で。
「あ、お母さん!」
「あらユーリリア。どうしたの、嫁ぎ先が嫌になった? いいのよ、元々私はあんな家に嫁がせたくなかったのだし」
数人のメイドを連れながらやってきたのは、ドレスを着た金髪碧眼の婦人――ユウリの母親だった。婦人と言ってもその体は活力に満ちていて、「ほんとに母親ぁ?」とフルールが疑問の声を上げてしまうほどに若い。
そして、何といっても彼女の雰囲気はまるで『剣』のように澄み切ったものだった。鍛えているのか知らないが立ち姿も決して崩れない。
「違うの。行く途中で魔物に襲われて……。そこをね、あの二人が助けてくれたのよ」
「ふむ。なるほど?」
ちらと女の視線がフルールとレテミアを見る。まるで刺剣の一突きめいた視線に「ぁん?」とフルールが片眉を上げる。えっ喧嘩!? とユウリがあわあわした。
「フルールさん、レテミアさん。こちらは私のお母さんで……」
「リーナル・ディン・ルベルトダストです」
ディン? とフルールが首をかしげる。煙草を指で挟んでレテミアに顔を寄せた。
「ねえねえレテ」
「なあに?」
「ディンって確かさ」
「ええ。騎士の称号ね? この国じゃ珍しいけど」
「ふーん」
確かに、リーナルの傍付きメイドはその手に鞘入りの長剣を持っている。緊急時にはあれが鈍色に輝くというわけだ。
「珍しいわねあんた」
「よく言われます」
女なのに。
とまさにそういう目をするフルール。
その明け透けな視線にユウリがまたあわあわしたが、リーナルは何ら気にせず笑顔を振りまいた。剣じみた存在感からはかけ離れた美しい笑顔だった。
「ありがとうございました。娘の命を救ってくれた恩、私たちは決して忘れません」
「恩とかなんとかどうでもいいからさー」
貴族の社交辞令など興味を欠片も感じないフルールが手を差し出す。
「ほら、金、金よ、金をよこしなさい……金よ……金……」
「ええ。もちろん」
フルールのクズ発言にもその表情は一切揺れない。ユウリだけがあわあわしていた。似てない母娘ねえ……とレテミアが漏らしてしまう。
「ですが今日はお疲れでしょう。いかがでしょう、しばらくお泊りになられては?」
にこにこしながらリーナルは言う。
「私の屋敷には50人入っても余る大きさの湯舟もあれば、専門のマッサージ師も雇っております。疲れを癒した後は旬の食材を使った料理や地酒も用意しましょう」
「……」
フルールは一瞬押し黙る。目を下に向けてしばらく考えていたかと思うと、そっと窺うようにリーナルを見上げた。
「……タダ?」
「当然でございます」
「お金、くれる?」
「もちろん」
「――よっし、じゃあ邪魔するわよ! 酒! 煙草! 風呂!」
決断は早かった。
物欲でいっぱいなフルールの発言に、ユウリの父親は納得いってない様子だ。だがリーナルが「しっかりしてください。命の恩人ですよ」と言えば、「う、うむ」と頷いてメイド達に二人を案内するよう命じた。
この家では誰が一番発言権を持つのかを察したフルールとレテミアであった。
「あんた尻に敷かれてんのねー」
「でもそういう家の方が浮気しないから成功するってよく言うじゃない?」
「う、うむ……我が家は仲睦まじいことで有名だ」
散々なことを言う二人に、ユウリの父親は頷くことしか出来ない。
さて。
何はともあれユウリを家に送り届けることに成功した二人は、そのまましばらくユウリの実家の厄介になることになった。