ユーリリア・フェスト・ルベルトダストは今年で24歳になる。
貴族の出であるユーリリアは、過保護な父に蝶よ花よと育てられてきた、いわゆるお嬢様という奴だ。
だが24ともなればそろそろ結婚する頃合いで、それなりにユーリリアの父にも葛藤はあったのだろうが、めでたく親しい貴族の長男へと嫁ぐことになった。
その嫁ぎ先の領地までは馬車で三日ほど。ユーリリアは過剰ともいえるほどの護衛と、祝いの品をたくさん載せた馬車と共に小さな旅に出た。街の外では魔物に襲われることもあるだろうが、これだけ護衛がいるのであれば大丈夫だろうと、ユーリリアの父も思っていたに違いない。
――たった今、ユーリリアは魔物の集団に襲われて命の危機に瀕している。
馬車の外からは護衛の男たちの悲鳴が次々に聞こえてくる。吹き上がる血しぶきの生々しい音の連鎖も。耳が潰れるほどの銃声も。そして、魔物の咆哮も、すべて。
同じ馬車の中にいた、昔馴染みの執事も馬車の外へ出たきり戻ってこない。馬は真っ先に食われてしまった。
「……っ」
だから、ユーリリアは、狭い馬車の中で頭を抱えるしかない。この先どうなるかもわからずに、ただ、ただ。
やがて悲鳴の全てが潰え、魔物達のうめき声だけが聞こえてきた。
そんな時だ。
甲高い銃声が再度鳴り響き、「!?」と魔物達が驚くような声を上げる。
同時に、ちょんちょん、とユーリリアの小ぶりな肩が突かれた。思わず、ユーリリアは顔を跳ね上げる。
「ね、ねっ」
――扉を開ける音もせず、そこには一人の女が浮いていた。
黒い髪は艶めきながら豊かに膨らみ、浅黒い肌は煽情的に光る。黒真珠、そんな言葉を思わずユーリリアは想像した。
そして、何より。
女は背中から、小さな蝙蝠の羽を生やしていて、それがぱたぱたと揺れている。
背中にある黒い羽。人間には不可能な浮遊行動。ユーリリアとて知っていた。
「う、浮いてる……! まさか……」
「そうよぅ。私、悪魔」
「ひぇぇ……」
一瞬、希望にすがったユーリリアは弱々しく涙目になった。歳不相応な表情の幼さは過保護な教育のせいかだろう。
「わ、私、食われてしまうのでしょうか……!」
「まあひどい! 私、生き肝食べるような悪魔じゃないのよー?」
けらけらと笑う悪魔の女。その余裕の態度が余計に恐ろしい。ユーリリアがびくびくとウサギのように震えていると、馬車の外からは更に銃声が一つ。
「――レテ! さっさと馬車の中身出しなさいよ! 守りながら戦うこっちの身にもなりなさい、撃つわよ!」
声はユーリリアが涙をこぼすほどに荒々しかった。
耳をぴくぴくと動かした悪魔の女が、笑顔のままユーリリアを手招きする。
「ほらほらこっちこっち。あの人、怒ると平気で撃ってくるのよー」
対しこっちの悪魔はやけに呑気だ。ユーリリアは思わず困惑してしまう。
どうやら外から聞こえる銃声の主は、魔物と戦ってくれているらしい。だが何故、そんな事をしてくれるのか――見も知らない赤の他人のために。
恐怖と混乱。腰が砕けたように動かないユーリリアを見て、小さく肩を竦めた悪魔女が手を伸ばす。手を掴まれたユーリリアは、そのまま悪魔女に連れられて馬車の外へ飛び出た。
すると、だ。
『――――……』と強く残響する銃声が一つ、ユーリリア近くの草原を掠めていった。そして、草むらの奥から、「ぎゃんっ!」という魔獣の悲鳴が聞こえてくる。
ユーリリアがそっと振り向くと、そこには胡乱げな目で煙草を吹かす金髪碧眼の少女が一人。
「ごめん気を付けて」
首の向きを戻すと、悪魔女が微笑んでいる。
「ね?」
「ひゃっ、ひゃいっ!」
もう何がなんだかわからない。
こくこくとうなづいたユーリリアはとにかく悪魔の女に付いていく。訳も分からず死ぬのはごめんだ。
だが、ふと思う。ちらと振り返れば魔物の数は残り二匹。煙草を口にくわえる少女は一人だけ。武器は拳銃のみ。
明らかに劣勢は少女の方だ。
「あっ、あの!」
走りながら、ユーリリアは声を上げる。浮遊する悪魔女が首を巡らす。
「なぁーに?」
「あの人っ、一人で、あのッ、魔物が……!」
「大丈夫よ。あの人、強いから」
言葉に込められた感情を、ユゥリは推し量ることができない。
だが、どこか、遠き高みにあるものへの尊敬が感じられる声音だった。
六匹いるうちの四匹を殺すまでは、楽だった。
最初こそ魔獣たちも、ただの少女一人が来ただけだと舐めていたのだろう。おかげでさっさと四匹は処理できた。だが、さすがにその辺りから危機感を覚えたのか、警戒をにじませる魔獣はなかなか殺せない。魔獣はそのどう猛さもさることながら、その賢さも恐ろしいものとして語られている。
フルールの中で着実に苛立ちが溜まっていた。
「ちっ。雑魚のくせに速いわね……」
煙草を加えながら愚痴を吐くフルール。銃口を向け、引き金を引く――魔獣はさっと横に跳ね、銃弾を避けようとした。尋常ではない身体能力には呆れすら感じる。
だがフルールとて無駄に旅を続けていない。
銃弾は、放たれなかった。
「!?」と魔獣が跳ねつつ吠える。驚きも当然だろう、フルールがあらかじめシリンダーを回していたのだから。空の弾倉と気づかずに動いた時点でフルールの餌だ。
瞬間的に引き金を再度引き絞る。今度こそ外さない。
――これで五匹。残りは一匹。
「これで最後……ととっ!」
残りの魔獣に目を向けた瞬間、そこには今にもフルールへ飛びかかろうとしている魔獣がいた。開く顎に躍動する筋肉。慌ててフルールが体を回せば、バネのように跳躍する魔獣がフルールの真横を通り過ぎていく。
丁度その時だ。
「――あ」
がむしゃらに暴れる魔獣の前足が、フルールの煙草を掠め、火種を根こそぎ奪っていった。
『――』と、フルールの顔から表情が抜け落ちる。何よりも好きな煙草が吸えないという事実と、いったい朝から何をしてるんだあたしは、という虚脱感。
ああもうなんか面倒くせぇ。
ブチ、という音はフルールが煙草を噛み切った音だった。
「あ゛ー、うざい!!!!」
フルールは、最後の一発を魔獣に向けて放つ。まさに怪物じみた動体視力を誇る魔獣は、その予測軌道をあっさりとかわす。
だが発射の瞬間だ。
「――――
瞬間銃弾は声の通りに、その直線軌道を
ぐにゃりとねじれた弾丸軌道。予測し、回避行動に映っていた魔獣が驚愕から目を剥く。だが遅い。
音よりも早く鉛弾は最後の魔獣の額を貫通。そのままみじろぎ一つなく、魔獣は地に伏した。
使用した弾丸はきっちり六発。薄らと硝煙を吐く銃口に、オイルライターで再度火を付けた煙草から、紫煙を吐きつけるフルール。拳銃をホルスターに戻すころには背後からレテミアと女が近づいてきていた。
「お見事。助けようかと思ってたのに」
「誰が頼むか、誰が」
レテミアの笑顔を睨みつけてから、フルールは悪魔女の背に隠れるようにして縮こまっている二十代前半の女に目を向ける。
清楚な佇まいの、キレイな女だった。深い青の瞳も、くすみのない金髪も、金銀財宝のよう。
びくぅっ! と女が体を震わせた。
……別に取って食うつもりはないのに。
「あんた名前は」
「ええと……ユーリリア、です。ユーリリア・フェスト・ルベルトダスト」
「……? ゆーり、りり、ふぇす、べるべるべる……?」
「ユーリリア・フェスト・ルベルトダストよ、フルール。ふふーん、長くて言いずらいかしら?」
「うっさいわね! 永いのよ!」
さて、魔獣も殺し終えたことだし、とフルールは女を見つめる。
ここからは金をせびる時間だ。