パーティの翌日のことだ。
フルールは、屋敷の隅にある喫煙室で煙草をすぱすぱ吸っていた。というのも、どうやら屋敷内は禁煙らしい。クソな風習だな、とフルールは思うが、さすがにそれを屋敷の主に愚痴るほど馬鹿でもなかった。
賓客扱いとはいえ、ユウリの無事を祝ったパーティも終わってしまえば何もすることはない。あとはせいぜい、リーナルらがフルール達に謝礼の品を渡して、ユウリ達とは別れることになるのだろう。それまでの時間つぶしがどれだけ掛かるのかは、フルールにはわからないのだが。
「チッ。こーいう時に限ってレテのやつ、女の尻ばっか追いかけてるし……」
暇だしレテミアと何かしようかと考えたフルールだったが、あいにくレテミアはレテミアで『お気に入りの侍女と戯れる』という用事があったらしい。冷たくされてしまった。
そういうわけでフルールは、かれこれ数十本は煙草を吸って時間を潰している。他にやることがなかった。
「あー。暇だな……」
もくもくと煙草の煙が喫煙所の壁にぶち当たる。排気口から消えていく薄い白煙をぼーっと眺めていると、喫煙室の扉がガラガラっと開いた。誰か入ってきたようだ。数は二人。女と、剣を持った侍女。
「ん?」
「あら」
フルールも、部屋に入ってきた女も、目を丸くしている。
品の良いドレスは昨日も見た。まったくブレない重心も、剣のようにまっすぐな背筋も。金髪と蒼い目はユウリそっくりの色合い――ユウリの母親、リーナルだった。
屋敷の主ともいうべき貴人が、どうしてこんなヤニ臭い部屋に?
フルールが目をぱちぱちと瞬かせていると、リーナルは実に自然な動きで紙箱を一つ取り出す。煙草を咥えたリーナルに背後の剣持ち侍女がそっと近寄り、手に持っているオイルライターで火を点けた。
まるで女ボスって感じね。
そんなことを思いながら、フルールは親近感を笑みに乗せる。
「あんた煙草吸うんだ」
「ええ。意外でしょうか?」
「まあね。なんか煙草とか嫌ってそうな顔してるし」
「あらあら。どういう顔なのでしょう」
そーいう笑顔よ、とリーナルの美しい微笑みを鼻で笑うフルール。さして気にした様子もなく、リーナルは煙草を吹かす。その姿は実にサマになっていて、本当にユウリの母親なのかとフルールは首をかしげてしまった。
「これでも昔はやんちゃな女の子でしたから。フルール様のように」
……女の子、って。
「あんた何歳なの?」
「何歳に見えますか?」
にっこり笑顔で返された。
人間の見た目から年齢を把握する事がフルールは苦手だ。それはフルールが人外の寿命を持つ生命体だから、人間の価値観に照らし合わせることが難しいことに由来する。
いや、そんなことはどうでもいいか。フルールは先ほどから気になっているものに目を向ける――それはリーナルが今吸っている煙草の事だ。
「それ、どこの奴? 見たことない銘柄ね」
「この煙草ですか?」
興味津々と言った様子でフルールはリーナルに近づく。リーナルがそんな少女の視線に気づいて、煙草を指に挟んで軽く揺らした。フルールはじっと火の灯った煙草だけを見つめている。
「よかったらどうぞ」
リーナルが苦笑と共に紙箱を差し出す。
「うん? なに、くれるの?」
「ええ。自信作ですので」
やったー。とフルールは喜んで紙箱から一本煙草を受け取った。
さっそく自前のオイルライターで煙草に火を点けるフルール。一口吸ってみると、豊かな香りが口内に広がった。
「むっ」
思わずフルールがうめく。リーナルがにこにこと笑った。
「なにこれ、吸ったことないかも」
「それ、私の領地で作った煙草です。今年の葉を使ったものです」
「へええ……」
そういえば一昨日『土地が豊かで何でも育つ』と言っていたが、まさか煙草まで作っているとは……。
「ほかにもいろいろ作ってますよ。ワインにビール、清酒などもそうですね。あとはチーズとか……牧畜も有名ですね」
「すごいのねー、あんた、ってかあんたの家の領地」
「国の食料庫と言われるほどには豊かですので」
だが、とリーナルは指に挟んだ煙草をゆっくり揺らしながら、苦く微笑んだ。
「ですがその分この土地を狙う者は多いのです。それは政略結婚という形であったり、直接的な武力の行使と略奪であったり……。故に、ルベルトダストの者は弱くてはいけない。強くなくてはいけない」
「ふーん」
「……今回の魔物襲撃の件は、従者達には不幸な出来事だったと考えています。ですが同時に良い機会だったとも、私は考えているのです」
「それって、ユウリの結婚どうこうに関係してるの?」
出会い頭に、リーナルはユウリの嫁ぎ先を気に入ってないような事を言っていた。
察しの良いフルールに、おや、と女が柳眉を軽く上げて見せる。
「向こうの家には『ユーリリアは心身共に傷ついておりとてもではないが外に出せない』とだけ伝えてあります。――ふふっ、丁度良い言い訳ができたものです」
「よかったじゃない。あの歳で結婚してないんだから、けっこー大事なんでしょ」
「ええ。自慢の娘ですので。ただ……」
期待をかけすぎているのかもしれない、とリーナルはぽつりと漏らした。その言葉だけはフルールを見ていなかった。
リーナルの背後に立つ侍女は、二振りの剣を手にしたまま、微動だにしない。
「ユーリリアは、私にはなれないのです。騎士には、剣には。ですが別の何かにはなれる……」
例えば、そう。
「覇を統べる王、とか」
……、と小さな沈黙が室内に生まれた。
リーナルは意味ありげな視線をフルールに送る。思わず、少女は怪訝な顔つきをしてしまう。
「……あんた何が言いたいのよ」
「フルール様、あなたと接するユーリリアを見ていると、そう期待してしまうのです」
女が煙草をつまむ手を侍女に。
すると侍女が携帯灰皿を取り出して、リーナルは灰皿も見ずに吸い殻を弾き落とした。そうした上で、リーナルはフルールに向き直る。
「フルール様。あなたは、ユーリリアのことをどうお考えなのですか?」
「どうって。別に。普通?」
「……普通?」
それは言葉の真意を探る声音だ。フルールはもう少し言葉を継ぎ足す。
「人の死にざまもまともに見れないような甘ちゃんだと思ってたけど、最近は少しマシなんじゃないかしら」
「……あら、あの子は、死体を見たのですね」
「ええ。おもらししそうなくらいビビってたけど、喝入れたら元気になってたわよ」
「25年かけてようやくあの子は死に触れたのね」
フルールの言葉に、リーナルは何かを納得するかのように頷いて見せる。満足げに。とても、とても深く。
「――もしも」
そして、簡単に言ってみせた。
「もしも、ユーリリアが、貴女がたの旅にまた付いていきたいと言ったら……どうします?」
「無理ね」
即答。
リーナルは笑みのままでいる。
「ユウリを連れてたのはあくまで一時的な話だから。ずっとってコトになると、それは無理よ」
「何故でしょうか?」
「聞くだけ無駄よ。他人からしたらくだらない理由だわ」
フルールの言葉は頑なだ。誰が何と言おうと揺らがない意思のみで音が鳴っている。
どれだけの時間を過ごせばそれほどに硬い心が生まれるのか。どれだけのものを見たら、それほどに揺らがずにいられるのか。
「――あたしとレテミアは、二人きりで旅をしたかった。生きていたかった。だから今までもずっと二人きりで生きるし、旅をする。そしてこれからもね」
これはね、損得勘定で譲れる話じゃないのよ。
「ただの意地。それを、もう何年も続けてる」
「……意地、ですか」
「そうよ。あたしとフルールは、ずっと昔に、決めたの。二人で世界を見続けるって。もう、誰かが付いてくる余地なんてどこにもないわ」
感情は一つだけ。
『生きたい』。
それだけで歩いている。息をしている。旅をし続ける。だから彼女の瞳にも声にも、それ以外の一切がない。――そう、リーナルは理解した。これほどの硬質さが、きっと、ユウリに確かな変化を与えるのだと。
「わかりました。フルール様」
リーナルはもう一度煙草を侍女に向ける。差し出された携帯灰皿に火の灯る煙草を押し付け、火を消して。
そして女は薄らと目を細め少女を見つめた。
「我が子の幸せを願い、叶えてやることが親の務め。
領地を護り続けることは貴族の務め。
――そのために剣を握り命を屠るは
リーナルの背後、ひっそりと立つ侍女が女に目を向ける。奥様? と、侍女が呟くもリーナルはあえて無視。その蒼い瞳は少女だけを見つめている。
「この身に一つ命を宿した時点で剣は捨てたものと決めていましたが……たまに振るわなければすべてが錆びる。剣も、魂も。なればこそ私はこの手に剣を持ちもう一度
無手を覆う長い手袋。絹でできたそれをゆっくりとリーナルは脱ぎ取って――フルールに、差し出した。
「フルール様。真剣にて、決闘を申し込みます」
古い習わし。いつ頃からあるものかもわからない。
フルールはそれを知っていて、だけど、まさかリーナルがやるとは思っていなかった。
ぽかんとした顔で女を見つめるフルールは、ただ一言。
「はっ?」
「私が勝ちましたら、どうぞ娘をよろしくお願いしますね?」
「はぁっ?」