百合と悪魔と煙草と銃とレズバトル   作:てりのとりやき

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第32話

 

 

 ユウリは、死を、覚悟していた。

 彼女はなんの力も持たない、ただの凡種、人間だ。彼女の母親のように絶大な力も持たなければ、政治的な手腕があるわけでもない。一芸に秀でているわけでもない。本当にただの人間だ。

 それこそ、彼女が両手を広げ、守ろうとしている背後の者たちと比べれば――あまりにか弱い。

 

「ゆ、ユウリ、どいてください」

 

 ヴィエが戸惑いの声を上げてユウリを見上げる。ユウリは、動かなかった。

 イリスは冷たい顔をしてじっとユウリを見つめていた。

 

「ユウリ。君は無関係のはずだ。違うか」

「……」

「君はただそこの娘に救われただけの事。ならばなんの義理もない。謝礼も済んだだろう? 私もヴィエも、君の事を嫌っていないんだ」

 

 女の冷涼な言葉すべてに体が臆してしまいそうになる。膝が笑い続けてまったく身動きが取れない。

 恐怖は、眼前に。女の形をして。

 

「……ユウリ。君とは、友と呼べる間柄になれるんじゃないかと、そんな期待をしていたのさ。きっと、君ならと……」

 

 それは諦観の声音だった。ユウリは理解してしまう。ああ、イリスは、もうすぐ自分を殺すつもりだ――。

 だから、いや、だからこそか。

 

「フルールさんは、私を助けてくれたから」

「……ほう?」

「フルールさんは、私を助けてくれたけど、私はなにもできていないから……」

 

 イリスは愉快そうにユウリを見つめる。見下す。その赤い眼にユウリは小さくうつむいた。

 下からは、不安そうにユウリを見上げるヴィエの青い目。

 

「下らん矜持で命を捨てるか。雅だな、ユウリ」

「い、イリスさま? あの、あのっ、ユウリはきっと混乱しているだけなのです。だからイリスさま……」

「――だが立ちはだかるというのなら話は別だ、死ね(・・)

 

 おどおどしながら言うヴィエを振り切って、イリスは歩を進めた。

 女は信じられないほど硬く握りしめられた拳を振り上げる。一撃ですべてを破壊しつくす拳が風を圧し潰しながら迫り来る――ユウリは、目を瞑ることだけはしなかった。

 だから(・・・)、 

 

「――」

「――」

 

 その光景には、言葉を失った。

 そしてイリスもユウリ同様言葉をなくして、目の前の現実をじっと見つめている。

 ゆっくりと、少女の額ギリギリの位置にあった拳を引きながら、イリスは口を開いた。

 

「…………なんのつもりだ、ヴィエ」

「だっ――だめですっ、イリスさま!」

 

 イリスとユウリの間に飛び出してきたのは、ヴィエだった。ヴィエは眼前の冷めた態度を見せるイリスに臆しながらも、震える声を吐き出した。

 

「ユウリは…………ゆ、ユウリは……」

 

 ヴィエが、背後のイリスを振り向く。次に目の前のイリスを見上げる。友と主人のどちらをも選べないヴィエが絞り出した言葉は、あまりにも歪んでいた。 

 

「……これ(・・)は、ヴィエの、ものだから。だから、イリスさまでも、だめです」

「……」

 

 イリスは、しばらく何も言わなかった。いやというほどに重い静寂が二人の間に落ちる。

 ふいにイリスは遠い目をして、ぼそりと呟いた。

 

「初めてだな。お前が、私に反抗するのは。それも自覚がないのか」

「――え?」

「勝手にすればいい」

 

 だが、

 

飼う(・・)と決(・・)めた(・・)なら(・・)責任(・・)を持て(・・・)

「――っ!」

 

 天啓を与えられたかのごとく、ヴィエの体が強く震える。ヴィエはぶるりと身震いをして、そうしてからようやく嬉しそうに笑んだ。

 

「はい! ありがとうございます、イリスさま!」

 

 ぺこりと頭を下げたヴィエは、そのまま笑顔をユウリに向ける。未来に何の憂いも疑問も抱かない、幼稚で無垢な笑顔。可愛らしくて綺麗な表情。だけど、致命的に歪んでいる顔だと、ユウリは思った。

 

「ユウリ。えへへ。ずっと一緒にいましょうね。ヴィエがお世話してあげますからね」

「ヴィエ、ちゃん……こんなの、違うわ……」

「大丈夫です! ヴィエが、ユウリの世話をしっかりしますから! だからなにも心配しなくていいのです」

 

 ヴィエの蕩けるような笑みを見ながら、ユウリは小さく呻いた。

 強烈すぎる頭痛がユウリの体を襲っていた。――明らかにヴィエから何かしらの影響を受けている。

 意識がぐらつく。

 安定を欠いていながらもギリギリの位置にあった魂が、そのまま奈落へと落ちていく。

 このまま気絶してしまっては――。そう思っても、瞼は重い。

 やがてユウリの体は前へと崩れ落ち、女の体をヴィエが愛おしそうに抱きしめて。

 そして、それを、一人の女が茫然と見つめていた。

 

「――何を、勝手なことを」

 

 呟きにヴィエが振り向く。そして、小さな悲鳴を漏らした。

 そこに居たのは、女の形をした赤い鬼だった。

 ただひたすらに青い瞳をユウリへと向け続ける、全身を返り血で染めた女――リーナル。

 どれだけの怪物を殺してきたのか、その全身が語っていた。

 

「それは私の娘」

 

 ゆっくりとリーナルは歩き出す。どこかおぼつかない足取りとともに、彼女の持つ二剣は切っ先から新鮮な血を垂らす。女の足跡はすべてが赤く、禍々しい。

 

「私が得た大事な世界。傷ではなく血でもない、私の見つけた暖かいもの……様々な障害が、人外の私にその子を産ませたがらなかったわ……それでも私の娘として生まれてくれた……腹を切り開いてそれでも生まれてくれた命なのだから……」

 

 ぶつぶつと上の空で呟く姿は幽鬼のよう。やがてリーナルは、ふっと微笑(わら)った。

 

「ああ……ユーリリア。あなたは誰からも愛されすぎるのね――」

 

 それは、慈愛の笑み。母親がわが子へと向ける愛情の顔。

 だが、瞬間。

 ――女は表情を掻き消し剣を構えていた。

 

 

 

 

 

「返せ。

 殺す」

 

 

 

 

 

 女の足は前へと進む。その一歩が大地を揺るがし、前方への跳躍とともに爆発的な推進力を与えた。

 何物よりも速く、その両手が握る二振りの剣は切り結ばれる。ただ一直線に、ユウリを抱きしめるヴィエの首だけを狙って。 

 

「――」

 

 ヴィエの首に刃が触れる寸前、透明な“何か”が剣を阻んだ。腰を抜かしたヴィエがその場にしりもちを着くより先に、イリスが冷徹な目をリーナルへと向ける。

 

「驚いたな。人間がここまでやるとは」

「――!」

 

 リーナルが言葉以下の咆哮を放ち、続けざまの一撃をイリスへ放つ。神速の両剣を、だが、イリスは易々と交わしてみせた。

 空ぶった剣を見て目を瞠るリーナルへ向けて、イリスは静かに拳を握り――。

 

「半端者が」

 

 言葉とともに、鳩尾めがけてストレートを放つ。鈍い重低音が辺りに鳴り響き、リーナルが吹き飛んだ。

 大地を転がりながらも剣を地面に突き刺し、リーナルはどうにか持ちこたえる。膝立ちになってイリスを睨む女は、それでも立ち上がることができない。荒い息遣いや不規則に痙攣する肉体、口からだらだらと垂れっぱなしになっている血の混じった唾液などが、リーナルが再起不能であると告げていた。

 

「ユー、リリア……ユーリリア……」

 

 呻く母親を、イリスは鼻で笑って見限る。イリスは再度、フルールの方を向き直った。

 

「なあフルール。私と共に来ないか。かわりにレテミアを治してやるよ」

 

 言葉は甘く、毒のように流れていく。

 レテミアが救える? と一瞬甘い誘惑に流されかけたフルールは、その対価に気づくとハッとなって女をねめつけた。

 

「何が狙いよ。いったい何が!」

「レテミアを救ってやる。今この場で、その傷を癒してやる」

「あんたが怪我負わせたんでしょうが……!!!!」

「そうだな。けど、お前に治せるか? ただ熱いばかりの太陽(おまえ)に」

「ッ……」

「お前はいつだってそうだ。燃えるだけで他を知らない。私と同じさ。両極端なんだよ」

 

 的確な言葉。事実その通りだ。

 イリスは何も言い返せなくなったフルールを笑い、努めて優しい声音を発した。

 

「一応これでも、レテミアは旧友だ。罪悪感はある。だから、治すと言っているんだ」

「……私があんたに付いていく代わりにって訳?」

「ああ」

 

 フルールの頭は急速に冷静になっていった。

 突きつけられた交換条件と、重傷のレテミア。誰が傷つけたとかだれの責任だとか、そういう問題はもうフルールは考えないことにした。

 必要なことは、レテミアが生きているかどうか。

 大事なことは、レテミアが生きているかどうか。

 ――それだけだ。

 

「フルール、だめ、だめよ……? こんなの、おかしいわ」

「……」

「フルール……?」

「――わかった」

 

 フルールは、頷く。

 それをイリスは嬉しそうに頷き、レテミアは絶望の表情で受け止めた。

 

「いいわ。あたしの体で気が済むなら、好きにすればいい。勝手になさい」

「殊勝な犬だ。悪くない」

 

 フルールがそっとレテミアを土の上に置く。そうして、イリスへと近寄って行ってしまう。

 レテミアは起き上がろうとした。立ち上がって、フルールの手を握って、抱き寄せようとした。

 腹部から広がる激痛はレテミアの意識を根こそぎ奪い取り、かろうじて出来た事は――ただ声を出すだけ。

 

「だ、め」

 

 激痛はたった一つの言葉を発するだけで、レテミアに死のイメージを叩きつける。

 痛い。だけど、それ以上に、怖かった。

 

「だめよ、フルー、ル。あなた、絶対っ、ひどっ、い目に……」

「……」

 

 何を言えばいい。

 何を言えばいい。

 考えろ、考えろ、考えろ。どうすればフルールが元に戻る……?

 

「も、もお……しない、から。もうっ……だれも、抱かない、から」

 

 ぴくりと、フルールの体が震える。それでも少女は振り向かない。

 フルールの小さな手が、ぎゅっと拳を作っているのがレテミアには見えた。

 

「あなたのかわりなんて、いッ、要らないから……!」

 

 レテミアは死にかけの体に鞭を打ち、必死になって手を伸ばした。

 フルールには届かないと知っていても、尚。

 

「ずっと、ずっと! あなただけだからッ!!!! あなただけを見てるから……! だから、だから、ねぇ、フルール……。どこにも……いかないで……? 私が死ぬまで、私と、一緒にいてよ」

 

 血を吐きながらの絶叫は、いつの間にか泣き声になっていた。ぐずぐずになった顔で、レテミアは少女を求めて再度手を伸ばす。

 

「私の最後を……ちゃんと、あなただけが見ていて?」

 

 レテミアは小さく泣いた。弱い弱いすすり泣きを、フルールはしばらくじっとなって聞いていた。かと思えば、急に肩を揺らしてくすりと笑う。

 

「――その言葉、ずっと昔に聞いたわ」

 

 笑い声とともに振り返ったフルールの顔。

 ――笑顔だった。

 可憐で、美しい、笑顔だった。

 めったに見せる事のない、邪気のない表情だった。

 

「レテ。あんた、ほんと、馬鹿よね。あたしより馬鹿、ほんっとに大馬鹿」

「フルー、る?」

「あたしは平気よ。怖くなんてないわ」

 

 フルールは、威勢の良さを見せつけるつもりなのか、いつものように煙草の入った紙箱を取り出して、一本煙草をくわえてみせた。煙草の先端は揺れている。

 少女はオイルライターに火を点けようとして、何度も失敗した。手が震え続けるせいで、うまく火が点いていなかった。

 火の灯らない煙草をくわえたまま、困ったようにフルールは笑う。誤魔化し気味の笑みは、だからこそ美しかった。

 

「ほんとよ? 本当に、怖くなんてないのよ?」

「うそよ」

 

 今度はレテミアが笑ってしまった。おざなりな嘘は、それこそ幼子が隠し事をしたがる時のものそっくりで、あまりにも可愛らしかったから……。

 

「だって、泣いてるじゃない、あなた」

「――」

 

 フルールの頬を涙が滑っていた。茫然とした顔の少女が冷めた煙草をぽろりと落とす。小さな物音にハッとなって、こぼれた涙を慌てて拭う姿を、レテミアはおかしそうに見つめていた。

 少女は少しだけ恨めしそうな顔になって、レテミアを睨む。

 赤くなった頬のまま呟いた。

 

「――世界はきっと毒で満ちていて、あたしは耳を千切られたままそんな世界に放り出されてしまった。そんな世界に絶望して、父は消えてしまった」

 

 自分勝手にね。

 

あの人(・・・)あたし達(・・・・)の前から姿を消したのよ」

 

 ……無知な娘たちは、それでも生きるしかなかった。

 

「そこのチビガキみたいに……依存先を見つけた五番目の娘(『時の娘』)

 

 抱かれる快楽をいち早く知ったから番い続け孕み続けた四番目の娘(『海の娘』)

 他者を信じ続けたから惨たらしく使われた三番目の娘(『痛みの娘』)

 聡明だからこそすべてを拒絶して死んでいった二番目の娘(『知恵の娘』)

 無知に付け込まれて耳を千切られた一番目の娘(『太陽の娘』)

 

「みんなね、どうしようもない生き方しかできなかった。あたしもそう」

 

 救われない。

 誰も彼も救われたことなど一度もない。

 きっと救済なんてものは死の瞬間にしか訪れないのだと、フルールは知っている。

 

「でも、どうしようもないもの。煙草でも吸ってさ、酒飲んで、ギャンブルで金なくして、そうやって生きるしかないじゃない?」

 

 怖くても。辛くても。

 少なくとも己自身は、傍に居られる者がいたのだから。

 

「誰も生まれたままでは生きられないわ。純粋なままではいられないの」

 

 酒の味を覚え、

 誰かを抱く快楽を知り、

 煙草の毒に、破滅の劇物に浸る……。

 

「金が、心を狂わせていくのよ。愛がね、誰かに血を流させるの。ええ、そう、そうだった。愛情に痛みが伴う世界なのよね、ここは」

 

 フルールは小さくわらった。

 

「けど、あんたがいるもの。仕方ないわ」

 

 風が砂埃と共に荒れて少女の髪を揺らす。跳ねる金髪を、何もない耳元で少女は抑える。幻の痛みを苦しむかのようにフルールの目元が震えていた。

 

「あんたを見てるといつもハラハラするのよ。不安定で、いつ壊れてもおかしくないから。だから……あんたすぐ飽きるし抱いた娘もすぐ捨てるから、あんたの事、ちゃんと面倒みれるのはあたしだけでしょ? ずっと側に付いていられるのはあたしだけじゃない。なら、仕方ないでしょ?」

 

 どれだけ汚れたっていい。

 どれだけ傷ついてもいい。

 

「…………レテ、ねえ、レテミア」

 

 初めて痛みを教えてくれた人。

 初めて愛してくれた人。

 

「あなたの名前を言うことだけは、わたし(・・・)、苦手だったよね――」

 

 ――貴女に押し倒されたことを未だに憎んでいるけれど、それはそれで悪くない思い出だと思うから。

 

「……今度は、あたしがあんたを救うわ」

 

 フルールがイリスを見る。懇願の表情に、イリスは満足そうな様子で頷いた。

 そっと赤い瞳はレテミアの傷跡を見つめた。

 蛇が這うような視線。たったそれだけで、なんの奇跡かレテミアの破損した肉体が修復されていく。数十秒もすればレテミアの体には傷一つ浮かんではいなかった。

 その事実に、フルールはほっと胸をなでおろす。そしてにっこりと笑って見せた。

 

「大事なもの。それって、あたしにとっては全部あんただけ」

「フル――――ル――――ッ!!!!」

 

 レテミアは一気に起き上がって、背中の羽を使って少女を抱き寄せようとした。

 だけど、それよりも早く、ヴィエによって円陣が発生。イリスとフルール、ヴィエ、そしてユウリはあっさりと姿を消してしまう。

 

「フルール……フルール、フルール!」

 

 後に残るのは、大事なものを失った悪魔の女と母親だけ。

 それは嵐のような時間だった。

 

 

 

 

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