イリスの住む城は、栄華の一言に尽きるものだ。
侍女がいて、豪華な調度品にあふれていて、庭は色とりどりの花が咲き誇り、掃除をする侍女が居て、侍女がいて、侍女が居て……。
「なんていうか、あなたの城って……」
「うん?」
「女の子、しかいないのねえ」
中庭にあるテーブルを囲むレテミアは、向かい側に座るイリスにじとっとした呆れ顔を見せた。イリスは紅茶を飲むと、快活な笑顔を浮かべる。反省の色はない。
レテミアは中庭を見回す。イリスとレテミアの側にいる侍女――いずれも美女ばかりだ――が三人、花畑の手入れをする侍女が十人。これだけでも一人孤独に過ごしていたレテミアからすればかなりの人数だが、この城にはこの十倍近くの侍女がいるらしい。
イリスが『魔王』やればいいのに。
「で、一番のお気に入りがそれってわけ」
「そうなる」
イリスが側にいる侍女のうちの一人を手招きする。視線は三人の侍女のうち、真ん中の侍女を見つめていた――その侍女は一度首をかしげてから、イリスが頷くと嬉しそうに近寄ってくる。
彼女の耳は誰よりも長く、尖っていた。
源種。
フルール。
凡種の祖であり、神の直系。まさかそれが一介の亜種に仕えているだなんて誰も想像できないだろう。
「さすがは神の遺産、神の娘といったところだな。この美しさはほかの何物よりも勝る」
「ふーん」
「特に……」
メイド服姿のフルールをそっとイリスは抱き寄せる。細い腰に回された手を、こそばゆそうに目を細めて受け入れるフルール。
決して拒絶はしないということ。
無垢な様子に気を良くしたイリスが、そっと少女の長耳をつまんだ。
「んひゃぁ」
喉の奥から漏れ出たような小さな悲鳴。レテミアは胸が焦げ付く感じがして、うげえと舌を出した。イリスが楽しげに笑う。
「くふふ。この遺種よりも長い耳はなかなかのものだろ」
「あなたの気持ち悪い趣味に付き合う気はないわよ」
目の前で変なものを見せられたせいで、せっかくのマフィンも苦く感じられた。目の前で繰り広げられる痴態を無視して花畑を眺め、紅茶を一口――と思ったが、すでにティーカップの中は空だ。
「……」
レテミアは空の器を軽く振るった。
誰かに物事を頼もうとするための言葉すら無い、雑事は他人に任せるという意識。
実に『魔王』らしい態度に、さすがの侍女たちも反応が遅れる。
極僅かな空白を敏感に感じ取り、理解したのは、イリスに抱きしめられていたフルールだった。
「んー!」
「あっ、おい」
軽々とイリスの抱擁から抜け出ると、そのまま温められているティーポットを手に取った。あら? と目を瞬かせるレテミアに笑顔を向けて、フルールはそのまま紅茶を器に注いでいく。
滴ひとつも零さずにティーカップを紅茶で満たせば、フルールはにこにこと笑った。
「あなた、賢いのねえ」
「えへへー」
褒められていると分かるらしい。誇らしげな笑顔だった。
――イリスの城に着いてから三日。
こうして毎日イリスと歓談をしては、だらだらと過ごしている。賓客であり『魔王』であるレテミアは城の中で自由に行動することを許されており、初日や二日目などは城の中を散歩したものだが、さすがに三日目となると飽きが回ってきていた。
明日は、城下町にでも赴いてみようか……。
そう思いながら、レテミアが廊下を歩いていた時だ。
「――じゃあ、頑張ってね」
「ふふ。一生懸命働いたら、イリスさまも褒めてくださるわよ」
くすくすという笑い声。
共に聞こえたのは、嫌みがたっぷりと乗った言葉だ。笑い声は丁度レテミアとは反対方向へと遠のいていく。
レテミアは一瞬、引き返そうかとも考えた。
だが引き返したところで自室への道はこの廊下しかないし、日に何度もイリスと話していてはそれだけで疲れてしまう。孤独に浸りすぎたレテミアにとっては、先ほどの茶会だけで一日分の会話をしてしまっていた。
だから、いじめられている侍女が居ても、無視するつもりで行った。
「あなた……」
「むぇ?」
道の角を曲がれば、そこには小さな庭がある。どうやら侍女たちの服や下着、タオルなどを干すための場所らしく、物干し竿が何本も並んでいた。
たくさんの巨大なバスケットと、積まれに積まれた衣類。――それらに囲まれている長耳の少女。
フルール一人が、馬鹿みたいな量の洗濯物を片付けようとしていた。
バスタオルを広げていた途中のフルールと、レテミアの目線が合う。
「れ、れ、れー……れてみや?」
「惜しい」
一応、知り合いといえば、まあ知り合いだ。イリスの所有物であっても。レテミアが中庭に入れば、フルールはとても嬉しそうに頬を緩める。
「お仕事中なのね」
「おし、ごと?」
「あなたが今していることよ」
「んー?」
笑顔のまま首をかしげるフルール。まだ、言葉の理解は難しいらしい。
それにしたって……とレテミアはフルールの周囲にある大きなバスケットに目をやった。うず高く積まれた衣類は、ざっと数えても数百以上ある。
これだけの数をたった一人に押し付けたのか。それも、こんな小さな娘に。
「まったく。右も左もわからない娘にこんな重労働押し付けて……いやね、群がるって」
ぶちぶちと呟きながら、自然とレテミアの体は動いていた。適当に掴んだ衣服を広げ、皺を伸ばし、物干し竿にかけていく。てきぱきとした動きを、隣でフルールがぽかんと見上げていた。
「うぇ?」
「ぼーっとしてないの。さっさと終わらせて、ほら、私の部屋でゆっくりしましょう?」
「!!!!」
何を言っているかはわからなくても、何をしているかは理解できるらしい。フルールは感極まった様子で長耳をぴくぴくーっと揺らした。
「れてみやー、れてみぁ! ふるーる! れてみゃ!」
「はいはい。嬉しいのね、わかってるわかってる」
「むふふー」
一人でやればどれだけ時間のかかるかわからない仕事でも、二人でやれば案外早く終わるものだ。喋り相手がいるだけでも、気は紛れるのだから。
「れてみゃあ?」
「違う。レテミア」
「えへへー。れてみゃー!」
「合ってないわよ……」
フルールの言葉にならない声を、レテミアが頷くというだけの時間。気づけば洗濯物のほとんどが物干し竿にかけられていた。最後の一つはフルールがかけ終える。
「んー!」
気持ちよさそうな背伸びを見せたフルールに対して、久々に体を動かしたレテミアは眠たげだ。あふあふと欠伸をしたレテミアは、さて部屋に戻って夕食まで眠るか、と今後の予定を決める。昼寝前の丁度いい運動だと思えば、まあ、丁度いい。
「じゃあね、フルール。またあとでね……」
さっさと部屋まで戻ろうかとフルールに背を向けた時だ。
――背中に、小さな衝撃。
なんだなんだと振り返れば、抱き着く少女が居た。
見上げてくる青色の瞳は、なんの感情でか潤んでいる。紅潮した頬が興奮を伝えてくる。
レテミアは、困惑した様子で立ちすくんだ。
「もう、なんなのよぅ……」
嬉しそうに顔を押し付けられても、レテミアにはどうすればいいのかわからない。懐かれている、とはわかるのだが。
「あなたは、どうしたいの?」
言ったところで答えはない。レテミアは小さく頭を掻くと、溜息まじりにそっと手を伸ばした。――丁度いい場所にある、小さな頭に。
「困った源種さんねえ」
「にへへぇ」
気持ちよさそうな声を聴いて、レテミアは、なんとなく決めた。
どうせやることもないのだし、この娘に言葉を教えようか、と。