それは偶然の事だった。
レテミアとフルールが二人だけで旅を初めておよそ半年。次の街へ移る途中の、何もない街道でのこと。
「あっ、れて、あれ!」
周囲を警戒しながら歩いていたレテミアの腕を、突如としてフルールが引っ張った。少女の視線は街道の先を見ている。レテミアも青い瞳が見る先を、自然と辿った。
およそ五十メートルほど先。
そこにあったのは、横転している一つの馬車と――複数の魔物。犬型か。
そして馬車を守る形で戦っている何人かの男たち。ざっと見ても五人はすでに死んでいる。
半壊、というよりは既に崩壊気味の隊列。残る男たちの表情は絶望で染まっている。
「……」
レテミアはフルールの言いたいことが何となくわかってしまった。だが、フルールの正体がばれるようなリスクは避けるべきだ。
「ね、ね、れてっ」
切羽詰まる少女の声。見上げてくるフルールの表情は、本気だ。
懇願されている――求められている。
ああ、もう、とレテミアは心の中だけで愚痴た。
静かに溜息を吐いて、小さく頷く。それだけでフルールの表情がぱぁっと光り輝いた。
「ありがとう、れて!」
「わかった、わかったから、そんなに引っ張らないで」
フルールは仕方なく歩く速さを上げた。フルールに急かされることのない程度に、護衛の男たちが全員死ぬ時間を考えて。
――レテミアの予想通り、馬車に近づく頃には男たちの全員が死んでいた。
大体の犬型の魔物たちは死体に群がり餌を頬張っている。数匹は馬車の中身にも興味があるらしく、馬車の周りをうろうろしていた。
「死臭ね」
すえた臭いが鼻をつく。魔物たちのむさぼる血の赤と内臓のつやつやとしたピンク色。フルールの顔が青ざめ、小さな悲鳴を漏らした。
その音に気づいた何匹かが、顔を上げてレテミア達を見る。
が、遅すぎた。
レテミアが視線一つ寄越すだけで、すべての魔物が凍りつく。呆けるフルールを放って、悪魔の女は右手で空を握りつぶし――同時に全ての魔物が粉々に砕け散った。ついでに、死体のすべても。
フルールをこれ以上怖がらせるわけにもいかない。
「お、終わっちゃった、の?」
「ええ。もう大丈夫。心配しないで」
おっかなびっくりといった様子でフルールがレテミアに体を寄せる。その小さな肩を抱き寄せて、レテミアは馬車に近づいた。魔物たちが気にするということは、恐らく何かがあるのだろう。食料とか、金目のものとか――生き残りとか。
「馬車の中、みるの?」
「ええ。何かあるかもしれないし……」
一応、警戒はしていたつもりだ。街中であろうとなかろうと、レテミアは常に追手の影に注意していた。追手だけではなく、魔物や賊などにだって。
だから十分に注意を払って馬車には近づいたし、あらかじめフルールを下がらせていた――安全だと思った。
馬車の扉に手をかけた瞬間だ。
「うわぁぁぁぁあああああああ!!!!」
幼い叫び声は馬車の中から。目を瞠ったフルールが動くよりも早く、扉をこじ開けた何者かが飛び出してくる。
小さい。子供か。決死の覚悟をともした表情、質の良い服装。
「――」
ここで一つ補足しなければならないのは、決してレテミアの身体能力は高くないということだ。
全力で走っても、恐らくフルールといい勝負をする程度。能力としては星の頂点に立つほどのものを持っているからこそ、余計に体を動かす必要のないレテミアは、非常に鈍い。
だから、反応が、遅れた。
「――フルール!」
レテミアの脇をぶつかりながら、尚も突進を続けるその人間。慌ててレテミアが振り返った先で、フルールが目を丸くしていた。
あっ――と声を上げたのは、恐らくフルールとレテミアどちらもだ。
ぶつかる体。
よろけ、そのまま倒れる少女。
そのまま転がる二人。解けてしまうマフラー。
フルールにまたがる
「やめなさい」
無我夢中で、レテミアはその細い腕を掴んでいた。幸いだったのはフルールと距離を離していなかったことだろう。だからレテミアは能力を使わずに止めることが出来た。
「え? え……え?」
振り下ろそうとしていた拳を掴まれたからか、フルールにまたがっていた子供――少年は戸惑った声を上げて、自らがまたがる存在に目を向けた。
そして、驚愕の声を上げる。
「……!!」
当然だろう。なにせ、自らが拳を向けた相手は魔物でもなんでもなく、同じ背丈くらいの少女だったのだから。
そして、何より。
「えっと……大丈夫? けがとか、ない?」
「えっ、と……あの……僕は……」
――少女の耳が、長く尖ったものだったのだから。
「……」
レテミアは無言でフルールのマフラーを巻きなおしていた。少年を視界に収め、その動向に注意を払い続けながら。
完全にフルールの長耳が豊かな金髪とマフラーで隠れたのを確認し終えてから、レテミアは少年に向き直った。
「あ、あの……ありがとう、ございます」
委縮した様子で凡種の少年は頭を下げる。危うくフルールを殴りかけたのだからその様子も仕方ない。なによりレテミアの凍えた視線が恐ろしいのもあるだろうが。
「大丈夫? いたくない?」
「えっ、えと、はい……大丈夫、です」
「そっかー。よかった!」
フルールはにこにこと笑いながら、少年に近寄る。だが少年はフルールの顔に……さらに言えば隠れている耳に視線を向けていた。
レテミアは舌打ちしたい衝動をどうにか堪える。
見られた。
フルールの長耳を。
――殺すか。
「れてはねえ、強いんだよ!」
「そう……みたい、ですね」
レテミアが黙々と少年を殺す算段を整える中、フルールはやけに嬉しそうだった。思えばフルールには必要最低限だけ他者と接することを許している。その反動かもしれない。
「僕は、クイナ・フェスト・アーラスと申します」
「わたしはフルールだよー」
「……レテミア」
レテミアがぼそりと名を告げるときだけ、少年はわかりやすく狼狽えた。まさか亜種でもないのにレテミアの名を知っているとも思えないが、その廃絶的な態度が恐ろしいのだろう。
「あの、お願いが……あるんです」
クイナはおどおどしながらもそう言って頭を下げた。レテミアの表情は変わらず暗い。レテミアが何も答えないでいると、かわりにフルールが尋ねる。
「おねがい?」
「も、もしよろしければ、僕を家まで送ってもらえないでしょうか……?」
「あなた、貴族かなにか?」
と、レテミア。
少年の服装は、見るからにレテミアとフルールとは質が違う上等なものだ。その体は清潔そのもので、年の割には聡明な目つきをしている。だからレテミアはそう考えた。
「はい……父上がこの辺りの領主をしています。それで、今日は親せきの家から帰る途中だったのですが……途中でこんな事になってしまって」
貴族。この辺りの領主。――確かそれなりの家名だったはずだ。旅の途中で小耳にはさんだことがある。
「当然、その、お礼はします。だからどうか……」
謝礼もある。貴族の息子の命を救ったのだから、かなりの額がもらえると考えていい。それに望めばしばらくはクイナの屋敷でゆっくり出来るかもしれない、フルールの旅の疲れを癒してやれるかもしれない――そこまで甘い考えに傾いて、だけどフルールは首を横に振った。
「無理よ。自分で帰りなさい」
嫌な予感がするからだ。確かに目先に吊るされた報酬は欲を刺激する。旅費とて無尽蔵ではないのだし、丁度いいことだとも思う。
だが、それ以上に、長耳を見られたという事実が大きい。
「そ、そんな……。どのような事でもします。僕を、家まで送ってくれれば、なんだって」
「――遺種の価値はあなたを救う以上のものよ」
即答に、クイナが絶句した。
フルールはきょとんとして、「えるふ?」と呟く。
フルールは源種であって遺種ではないが、どうせ言ったところで信じてはもらえない。それに、遺種は、この時代において既に極僅かしか存在していないのだ。それこそ遺種の女性が非常に高値で取引される程度には。
「お願いします、お願いします……。誰にも、言わないから……どうか……」
「……信用できないわ」
レテミアはフルールの手を握って、先を行こうとした。このまま立ち止まっていたってどうしようもない。
だけど握った手はとても硬く、引っ張ろうとするレテミアの動きを止めてしまった。
「……フルール?」
「れて、一緒にいこうよ。ねえ、だめ?」
「……」
ああほら、こんな事を言い出す。
レテミアは額に手を当てて、少し黙った。その間もフルールとクイナの食い入るような視線が彼女にぶつかる。
フルールは何も分かっていない。自身の価値も、その重要さも。どれだけ大事に思っているかも。
だんだんとレテミアは考えることが辛くなってきていた。
この半年の旅の間中、ずっと鉛のように脳が重くなっていくのを感じ続けていた。
常にフルールを守るために警戒しながら旅をするのは、本当に、疲れる。
「……いいわ。あなたが、そう言うなら」
殺そうと思えばフルールの見ていないところでいつでも殺せる。なら、フルールの望むとおりにすればいい。
それに。
「ほんとう? やった! ありがと、れてー!」
「ありがとうございます……! ありがとうございます!」
彼女の喜ぶ顔を見れるのなら、どれだけのリスクだって背負うことが出来る。
「抱き着かないで……もう、見られてるんだから……」
嬉しさのあまり抱き着いてくるフルールをそっと解きながら、レテミアは少年を見つめた。
黒い髪に黒い瞳。
混じり気のない双眸はとても純粋そうで、いい家庭に育ったのだろうな、と伺わせる――きっと悪人だったならばフルールもここまでねだらないはずだ。
「あなたの事を信じるつもりはないけれど、生きたいのならば勝手にしなさい」
「……! は、はい!」
「ま、たまには必要よね……」
フルールが別の人間と接することも。
そう納得して。
だけど、レテミアの本心は、まったく真逆の事ばかりを考えていた。