大きなところだなー。なんか、がやがやしてる。
フルールはそう思った。ぽけーと口を開けて街中央にそびえたつ時計塔を見つめている。
りんごんりんごーん、と鐘の音がそこら中に鳴り響いた。
「おっきいー……」
マフラーと髪の中で長耳をぴくぴくと揺らしていると、隣を歩くレテミアがくすくすと笑う。
「ねっ、ねっ、ここはなんていう国なのかしら?」
「ここは街ですよ、フルールさん」
と、フルールの横を歩く黒髪の少年――クイナが言う。
「ええー? 嘘だあ。こんなに大きな街、みたことないのに」
「嘘じゃないわ。あのねフルール、国っていうのは、こういう街がたくさん集まったもののことなの」
「ほへー……。なんか、よくわからないなあ」
なんにも知らないんだなー。
などと途方もない世界の広さに思いをはせながら、そんなことをフルールは呟いた。
無知な少女の純粋な様を、レテミアは隣からやわらかい目で見つめている。
「宿を見つける前に食料だけ市場で買ってしまいましょう」
この街に着くまでそれなりの日数を要している。クイナの実家である屋敷まではあともう少しの距離だが、そこにたどり着くまでの食料が心もとないのだ。
レテミアが二人を連れて市場へと足を向ける。賑わいを見せる市場へ近づくにつれ、がやがやとした喧騒と共に人の数は増えていった。
フルールが黒い女の手をぎゅっと握る。
冷えた手を、温もりで満たされた小さなてのひらが覆った。
「手! はぐれないようにしなきゃー」
「……もぅ。可愛いんだから」
レテミアは困惑しながらも表情を緩める。フルールの体を抱き寄せるレテミアに、少女もにこにことしながら体を寄せた。
旅向けの保存食や干物などを売っている店に着くと、レテミアは自身の財布から何枚か硬貨を取り出す。
「はい。これで好きなものを買いなさい」
「わっ、いいの!?」
「ええ」
手渡された硬貨の価値をフルールはよく知らない。『これだけあればたくさんお菓子買えるかな?』程度だ。たが、小さな手でずっしりと感じるその重みが、フルールの心を躍らせる。
一番大きく一番重い効果をつまみ、陽に当てた。見上げる硬貨の鈍い輝きにフルールは瞳をきらきらと揺らした。
「あなたも、ほら」
「え、でも、いいんですか……」
「あなただけあげないと、苛めみたいで嫌だからよ」
隣では同じだけの額をクイナも受け取っていた。フルールとは幾分冷めた態度を見せるも、その優しさは確かなものだ。クイナは静かに頷いた。
レテミアが品定めをする間、フルールとクイナはレテミアと離れすぎない距離の露天を見て歩く。
「ねえねえ、クイナはなにを買うのー?」
「どうしよう。フルールさんと一緒でいいですけど……」
「そうなの?」
クイナはあまり物欲がないのか、大人しいのか、わがままを言わない。それは今までフルールが出会ったことのないタイプの人間だった。
「ねえねえ、貴族って、どんなかんじ?」
「どんな感じ……と言われても、どう言えばいいんでしょう……」
クイナは悩む素振りで頭を掻く。だがフルールがじっと見つめていると、少しだけ頬を赤くした。
黒い瞳を露天に目を向けながら少年は言った。
「お、おいしいものとか、食べれますよ」
「へえー。わたし、鳥さんがすき!」
「僕も蒸し鶏とか好きです。さっぱりしてて」
「んへへー。同じだね?」
にっこり笑うフルールに、クイナはぽりぽりと頬を掻く。目線はそらしたままだ。
「フルールさんは、その、優しい……ですね」
「そお? れても優しいよ?」
「あの人は、少し……怖いな」
「そーお? 変なのー」
首をかしげるフルールに、クイナは浅い笑みを見せた。それは理解されないことを諦めた者の表情だ。微妙であいまいな表情に、フルールはきょとんと瞬きをしてしまう。
「それは、フルールさんが愛されているからですよ」
「愛? 愛って、なに?」
「ええと……それは……その……」
やがて二人はとあるアクセサリー売りの露天の前で立ち止まった。先にフルールが足を止め、それに気づいたクイナも止まった形だ。工具で今も指輪を作っている店主の男は、手を動かしながら年若い見物客に「好きに見ていきなー」と気軽な声をかける。
並ぶ色形様々なアクセサリー。指輪もネックレスもピアスもバンクルも並ぶ壮観さにわぁーとフルールが声を上げた。
「綺麗だなあ」
その中でもフルールが特に綺麗だと思ったのは、女性物のネックレスだ。銀色の小さなハートが揺れるだけのネックレスは非常にシンプルだが、そのくるりとしたカーブがどうにも可愛らしく少女には感じられた。
フルールの視線の先をたどったクイナが、おずおずと彼女に尋ねる。
「それ、ほしいの?」
「うん。でも、高いなー……」
ネックレスの値札は、とてもではないがレテミアから渡された駄賃では足りない。
フルールはしょんぼりとした様子でレテミアの元へ戻ろうとしたが、
「お、買うのかい」
「はい。そのネックレスを……」
「やるねえ少年。特別にまけといてやる」
「あはは。ありがとうございます……」
いつの間にか財布を取り出したクイナが、ささっとそのネックレスを購入していた。あれはレテミアから渡された財布ではなく、もともとクイナが持っていたものだ。店主の男が小さな紙袋にネックレスを入れ、クイナに渡す。
それをクイナは気恥ずかし気にしながらもフルールに差し出した。
「ど、どうぞ」
「! いいのっ?」
「うん……」
熱い視線でフルールを見るクイナ。対しフルールは、最上級に可憐な笑顔を振りまいた。
「ありがとーっ。わあ…………きっと似合うだろうなあ」
「似合うと、思うよ、うん。フルールさんに……」
クイナのぼそぼそとした呟きは市場の喧騒に遮られてしまう。フルールはというと紙袋をぎゅっと抱きしめて、どこかに思いを馳せるように目を閉じている。
その様子に、クイナは思わず首をかしげてしまった。
「あれ? 着けないの?」
「? うん。だってこれ、れてに似合うかなって思ってたから」
「……」
クイナが何も言えずに呆然と立ち尽くしていると、慌てた様子でレテミアが駆けてきた。困った子供に向ける眼差しで二人を見つめている。
「二人とも。あまり離れないで……ってフルール、どうしたの? そんなににこにこして」
「なんでもなーいよー」
乾いた砂漠に立つかのような絶望を表情にするクイナと違って、フルールは後ろ手に紙袋を隠しながら、いつまでも嬉しそうに笑っていた。
食料品を買い込んで、宿を取る。この街に長く滞在する予定もないので一泊だけだ。あてがわれた部屋で旅の道具を点検してから、三人は宿の一階の食堂スペースで食事を取ることにした。
先に食べ終えたフルールは、二階の部屋に上がる前に、フルールに一声かけていた。
「部屋で待ってるから、来てね――」
と。
しばらくフルールがベッドの上でごろごろとしていると、がちゃりとドアノブが回る音がした。見ればそこには不安げな表情をしたレテミアがいる。ちゃんと、一人だ。
「で、話ってなに? なにか困りごと? 怪我でもしたの?」
レテミアが眉を八の字にして尋ねてくる。フルールはううんと首を横に振ってから、今まで隠していた紙袋を勢いよく取り出した。
「はいこれ! れてに、プレゼント!」
「まあ」
先ほどまでの心配そうな表情が、さぁっと消える。浮かんでいたのはサプライズへの驚きと、じわじわと現れだした喜びだ。
そっと褐色の頬に右手を当てて、レテミアは二度瞬きをした。短く。
レテミアの口元はゆっくりと綻んでいる。
「どうしたの、これ」
「えへへー。あけてみて?」
「なんなのかしら……」
フルールから紙袋を受け取ったレテミアは、そっと紙袋を開いた。テープを剥がす際に紙袋が破けないよう、そっと、宝物に触れるようにして。
そして紙袋の中に目を向けると、その浅黒の頬が薔薇のように赤く染まった。
「ネックレス、私にくれるの?」
「着けて着けて! きっと似合うと思うの」
「……ねえ、フルール」
早くつけてとせがむフルールに、レテミアは潤んだ声を出した。
そっと膝をついて、少女の背中を見せるレテミア。艶のある黒髪をひと房にして握ると、その細く黒いうなじをフルールに見せつける。
「あなたに着けてほしいの」
ぼんやりとした照明が灯る室内。橙色の光がレテミアのほっそりとしたうなじの黒を艶々と光らせる。
髪の長い者が珍しく見せる綺麗な首筋。フルールはよくわからない感情が沸き上がるのを理解して、ごくりと喉を鳴らしていた。
――どうしてだろうか。
いつも隣にいるはずなのに、その髪をまとめてあげる仕草も、じっとうなじを見せて待ち続ける静けさにも、異様な淫靡さがある。
「……どうしたの? フルール」
「な、なんでもない、なんでもないよ? 着けるね?」
少女はネックレスを着けるため、その両腕をレテミアの胸元に回す。背後から抱きしめるような姿勢に かちゃかちゃという音だけが鳴る中、レテミアは微笑みを浮かべていた。
「でも……本当にどうしたの? お金とか……」
「くいなが買ってくれたのよー。あとでお礼言わなくちゃね」
「――……。……」
急に、レテミアは押し黙る。呼吸すらも止まってしまったかのような静止に、フルールが眉を上げた。
れて? と肩越しに彼女の顔を覗こうとする――そっと、少女の手にレテミアの手が触れて、押しのけた。
「いらない」
言葉は冷徹。ネックレスを着けようとしていたフルールの手はそっと外され、レテミアは急に立ち上がってしまう。
「え? え? れて?」
「だめよ、フルール」
レテミアはベッドの端に腰を下ろすと両膝を抱えて丸くなってしまった。フルールにはそんな彼女の丸くなった背中しか見えない。蝙蝠羽は萎びたように閉じている。
「この世はとっても冷たいの。そんなやさしさ……ありえないわ」
どこか、言い訳じみた言葉。フルールは接続部の外れたネックレスを手に持ったまま何も言えない。
どうしたのだろう。どうして?
一体何が気に入らなかったのか、フルールにはわからない。――そしておそらく、レテミアも、わかっていない。
「わたし、何か悪いことした?」
「……」
「ねえ、れて!」
レテミアの背中は何も語らない。触れることも出来ないとフルールは感じた。
「お願いだよ……なにか言ってよ」
「違うの。あなたは何も悪くないのよ」
「じゃあ、どうして? 謝るから、こっちを見てよ、れて……」
「……」
やはり女は答えない。
初めてだった。
レテミアが、フルールにこんな態度を見せるのは。いつも優しくて、いつもフルールの頭をなでてくれたのに。寒い日はぎゅっと抱きしめてくれたのに。
わからない。レテミアが、何を言いたいのか。
フルールは顔をくしゃっと歪めて、泣きそうになりながらも、レテミアの言葉を待ち続けた。ネックレスを持ち続けた。
「私……やっぱり疲れてるのね」
「れて……」
「少し、眠るわ」
レテミアはどこか自嘲めいた響きでくすりと笑って、そのままベッドに横になった。結局フルールは放置されたままだ。
「れて……わたし、わかんないよ」
もう、寝てしまったのだろうか。――そんなはずはない。横になってすぐなのだから。なのに、フルールの囁き声に答える者は誰一人いなくて。
「あなたが何かを言ってくれないと……わからないよ……」
フルールは、初めて、孤独というものを知った。