百合と悪魔と煙草と銃とレズバトル   作:てりのとりやき

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第40話

 

 

 クイナという少年と出会ってから、数週間が経過していた。

 旅の道のりはレテミアのおかげで安全そのもので、だから呆れるくらいうまくいったとレテミア自身思っている。

 少年の実家――領主の屋敷では、クイナが到着するや否や実に手厚い歓待を受ける事となった。クイナの両親からは涙ながらの謝辞を述べられ、領主だというクイナの祖父からは丁寧な言葉を受けた。

 祝いの席は明日用意するので、とりあえず今日はゆっくりして欲しいとのことで、今フルールとレテミアは一等級に豪華な客室に居る。屋敷にとって最も重要な賓客にのみ使われる部屋だそうだ。

 

「ふー」

 

 と、柔らかいベッドに腰を下ろすフルールが、ゆっくりと息を吐いた。その様子にレテミアは不安そうな顔をして、

 

「疲れた?」

 

 そう尋ねる。

 フルールは、少し無理をしてにっこりと笑って見せた。

 

「あ……ううん、平気だよ? 少し足がじんじんするだけ」

「みせて」

 

 言う頃にはレテミアがフルールの足元に膝を着いている。絨毯の上に、だ。

 いくらふかふかで綺麗な絨毯だからって――そう思わずには居られないフルールの視界には、上から見下ろすことで覗けるレテミアの豊かな谷間があった。

 フルールにはない褐色の肌と、豊かで艶のある肢体。

 大きな胸。

 きっと柔らかいんだろうな。

 自然と少女はそう考えて、

 

「……っ」

 

 無意識のうちに浮かんだ考えに気付き、かっと顔を赤くした。視線を横に向けながら、慌てて口を開く。 

 

「い、いいよ。別に……」

「……そう」

 

 レテミアは何の感情も滲まない声音で頷き、そっとフルールから離れた。

 ベッドの近くにある椅子に座ったレテミアは、頬杖を突いて壁に掛けられた大きな絵画をじっと眺めだす。フルールは彼女とは逆の方向に目を向けていた。

 

「……」

「……」

 

 二人の仲は、ネックレスの一件以来、どこかおかしくなってしまっていた。

 レテミアがどこかよそよそしくなって、フルールはもっとよそよそしくなった。

 変だな、と少女は思う。

 レテミアの態度が、じゃない。自分の態度が、だ。

 レテミアの綺麗な背中を見てからというもの、どうにも彼女の体を見ると顔が赤くなって変な事をしてしまう。意識している――そんな自覚はあっても、そこから先が少女にはよくわからなかった。

 なんだろう。

 なんなのかな。 

 こんな気持ちになったことはなくて、だからフルールはクイナにも一度相談していた。少年はどこか諦めた表情をして、言った。

 

『それはね――』

「――フルール、フルール?」

「えっ、えぇっ、と……な、なに?」

 

 ひゃっ、と長耳が逆立つかのように揺れ動く。考え事に夢中になってしまって周りに気付いていなかった。

 慌てて傍に立つ女を見上げた。レテミアが、怪訝そうな顔をしている。

 

「……私だけ呼ばれているみたいなの。領主の人に」

「そ、そっか。じゃあわたしはこの部屋でゆっくりしてればいい?」

「ええ。そうしてちょうだい」

 

 扉の傍ではひっそりと佇む侍女が一人。レテミアだけが呼ばれるということは、きっと幼いフルールにはわからないことなのだ。

 頷くフルールを見て、レテミアは少女に顔を近づけた。

 ぅ、と思わずフルールが上体を後ろに下げてしまうのも気にせず、レテミアは囁く。

 

「……絶対に、私以外の人が来ても、部屋を開けないでね」

「え? う、うん……いいけど……なんで?」

 

 二人だけに聞こえる程度の小声に、フルールは首を傾げてしまう。

 

「あなたが、大事だから」

 

 じっと、ただ自分だけを見つめる黒い宝石めいた瞳。照明がきらきらとその表情を輝かせて、その視線を熱っぽく彩ってしまう。

 フルールは胸の辺りがどきどきするのを押さえられなかった。

 やっぱり変だ。

 なにか、変になってしまっている。

 

「わ、わかった、うん、約束……だもの。守るね」

「ありがと」

 

 途切れ途切れの言葉に、フルールは小さな笑顔を咲かせて。

 軽々と顔を離してしまう。

 

「ぁ……」

 

 どこか残念そうな、そんなフルールの漏らした呟きは、侍女に案内されて客室を去るレテミアにはきっと聞こえなかったのだろう。

 扉は静かに閉じ。

 ――そして、また開かれた。

 

 

 

 

 

 

「此度は感謝しても足りぬほどの事をして頂いた」

 

 レテミアが侍女に案内されるままその部屋に入ると、そこには一人の老人が椅子に座ってにこにこと笑んでいた。

 通されるまま向かいの椅子に座るレテミア。侍女がグラスとワインボトルを用意して、静かに赤い酒を注いでいく。

 

「あいにく急なことでまだ祝いの準備が出来ておらんのでな、今日はこれで許してもらえんだろうか」

「別に、気にしてないから。どうでもいいわ」

 

 レテミアの素っ気無い態度にも、老人は笑みを絶やさない。その腹で何を考えているのかわかったものではないとレテミアは思った。

 広大な領地を管理する領主――長が目の前にいる。

 年齢は老いへの蔑みではなく、死に行く歳になっても尚地位にしがみ付く汚さと狡猾さに目を向けるべきだ。

 レテミアが旅の中で出会った人間とはそんな者たちばかりで、そんな者たちばかりを殺してきたのだから。

 

「さっさと謝礼を払ってちょうだい。パーティも必要ない」

「まあまあ。とりあえず一杯、お飲みくだされ。年代物の自慢の酒なのでな、味わって欲しいのだよ」

 

 そうやって疑惑の念ばかりを膨らませるレテミアの心情を手に取るような朗らかさで、老人はぶどう酒を勧める。飲まなければ部屋からは出させてもらえないと言わんばかりの凄みが乗った笑顔だった。

 

「……」

 

 渋々、レテミアはグラスを手に取り口に運ぶ。赤い水は血よりも濃く、女の喉を流れていった。

 

「どうかの、味は」

「……あなたたちの作る味がするわ。ええ、とっても素敵」

 

 レテミアは少しだけ安堵した様子で背もたれに体を預けた。老人も我がことのように喜んで、侍女に自分の分の酒も用意させる。老人は年に似合わず豪快に飲み干していった。

 しばらく、旅の話を肴に歓談を続けていた頃だ。いつの間にか侍女は室内に居なかった。

 老人は唐突にその笑みを消して、レテミアに言ったのだ。

 

「実はの、貴人よ。そなたに頼みがある」

「何よ」

遺種(・・)

 

 ぽつりと、老人は言う。

 ……、と。

 その一言にレテミアの荒んだ目つきはより一層深刻さを増した。

 

「我々凡種がどれだけ望んでも手に入らない、神の血筋……その濃い者」

 

 全身から乾いた殺気を放つレテミアに対し、老人はまた笑顔を浮かべる。

 

「知っておりますかな。遺種の奴隷がどれだけ高値で取引されているか」

「……さあ。下らない与太話を聞かせたかったの?」

 

 ゆっくりと肩を竦め、挑発的な笑みを浮かべるレテミアに、老人は慌てた様子で首を横に振った。

 皮だけになり垂れ下がる頬がゆらゆらと揺れる。

 

「ああ、安心くだされ。勘違いなさるな、貴人よ。あの少女が遺種だということも孫から聞いただけのこと。言いふらすつもりはない」

「……じゃあ何が言いたいの」

 

 優しげな雰囲気を振りまく老人の態度に、疲れの混じるため息を吐くレテミア。困惑以上に敵愾心の濃い表情を見て、老人は手すりをとんとんと二度だけ叩いた。

 ――つまりじゃなあ、とやや長い前置きをして、 

 

「あの少女を――孫の嫁にしないか?」

 

 レテミアはすぐに何かを言う事はしなかった。

 長い沈黙、というほどでもない黙考。レテミアは呆れた様子で言葉を投げる。

 

「貴族って、そういう事はほかの貴族連中とよろしくやってると思っていたのだけど」

「基本的にはそうだろう。だが、今回は特例だ。我々は貴族であるがゆえにその血の貴きを常に求めている」

「……」

 

 レテミアの表情や視線から、敵愾心は何故か(・・・)消えていた。

 かわりに浮かぶのは不信感だ。 

 

「むろん、あの少女の安全は保障しよう。ここには上等な服も、満腹になろうとも尽きぬ豪勢な食事も、身を毎日清潔に保ち続けられるだけの湯も、人生を豊かにするための教育も――何もかもが揃っておる。不安だというのなら、そなたもあの少女の後見人という立場にして、この屋敷に居続けてもらってもよい」

 

 老人は強ばりをほぐすかのように、ゆったりと、用意されたかのような流暢な言葉を並べていく。

 

「どうかの。悪くない話だとは、思うのだが」

 

 それは確かに、悪く無い話だとレテミアも思う。二人で続ける旅にかかる労力を考えれば、こうやって財力や地位のある者に匿ってもらう方がどう考えたって楽だ。

 旅に付いてくるクイナを見て感じたが、あの少年も不誠実というわけではなくむしろ生真面目な性格をしている。そしてそんなクイナを、フルールは好いている。友愛か異性愛かは、まあともかく。

 

「……」

 

 老人が黙り続け、レテミアは考える。

 フルールの未来の事をだ。

 純白の花嫁衣裳に身を包んだフルールが、誰かと幸せに添い遂げる――穏やかに終わりを迎える。

 そこには笑顔があるのだろう。

 そこには幸せがきっとある。

 

「…………」

 

 ああ、いいな、とレテミアは思った。

 そういう未来があるのならば、それでいい、と。

 だけど、

 まあ、

 

「嘘ね」

 

 言葉は棘となって空間中に突き刺さった。暖炉の熱に溶けかけていた雰囲気を丸ごと作り変えてしまった。

 ぴくりと、老人の頬が揺れる。 

 レテミアは椅子に座る老いた凡種を嘲笑うかのように見下ろす。

 

「今日だされた酒……変な味がしたのよ」

「……」

「そうね、あれは凡種(あなたたち)の文明の味。醜い文化が織りなす腐った味」

 

 “神”は慈愛に満ちた優しい人物だったという。

 この星に落ちてきて、星に受け入れられる優しさなのだから、きっと相当なものなのだろう。

 事実“神”は暗闇しかなかったこの星に――イリス以外の炎と熱を知らなかった亜種の世界に、太陽を与えた。豊穣の光を……自ら育まれる緑をもたらした。

 “神”の娘である源種とてその精神は善性そのもので、源種より生まれた遺種とて“神”の恩恵を忘れる事は無かった。

 それでも時間は流れてしまう。

 誰もが始まりの時を神話だと、伝説だと一笑してしまう。

 ……どうしてなのだろう。

 

「よくも、毒を盛ってくれたわね?」

 

 どうして創造主の血の温もりを忘れた者達は、こんなにも酷なのだろう。

 レテミアは、不思議でならない。

 その醜さが“神”に失望を、星を捨てるという選択を与えたのに。

 

「……ふん。どうにも効き目が薄いと思ったら、そういう事か」

 

 老人の言葉遣いは豹変していた。太陽のように朗らかだった態度は、刺々しく居心地を悪くさせるいがらっぽさで満ちていた。

 レテミアは思わず吹き出してしまう。こんなものか、と。

 

「のこのこ付いて来た時点で貴様は終わっている」

「あら、いいのかしら。凡種なんてすぐにでも殺せるのに」

 

 老人は、レテミアが亜種だとは知っていても、どういう亜種なのかは知らない。レテミアの余裕はそこから生まれるものだ。

 

「よいのか? あの小娘がどうなっても」

「――」

 

 今度はレテミアの表情が豹変していた。余裕のある笑みは失せ、感情のない顔で老人を見つめるだけになる。

 それを見た老人がくつくつと嫌味を滲ませて笑った。勝ちを確信する笑みだ。レテミアの考えも知らずに。 

 

「今はまだ、何もしとらんよ。だが……わしの命令一つであの小娘を廃人にする事など造作もない。……なあに、多少おかしくなったとて遺種の、それもまだ幼い少女と来ている。誰もが涎を垂らして欲しがるだろうよ」

 

 そうしてほしくなければ、と老人はレテミアに顔を寄せた。

 色々な事を老人はレテミアに言った。その要求はレテミアの体であったり、彼女の心や奉仕であったりした。

 ねっとりと、粘つくような言葉たち。

 俯いたまま黙っていたレテミアはつい我慢できなくて口をゆがめてしまう。

 

「うふ」

 

 仕方なくと言った様子で漏れた笑い声に老人が眉をひそめる。

 

「あはは…………」

 

 追い詰められて気でも触れたのかと、老人は考えた。

 だが、違う。

 顔を上げたレテミアの表情には狂気なんてひと欠片もなかったのだ。

 あるのは、ただ、ただ――。

 

「なにがおかしいのだ」

「……したと思ってるの」

 

 その笑顔にあるのは、自嘲だけだ。 

 

「あの子のために一体、何人、殺したと思ってるのかしら?」

 

 破滅を哂う顔だ。自らの過ちを愚かだと決め付ける者の顔だ。

 老人は、察する。――殺されると。

 

「ええ……ええそうね。数なんて関係ない、何人だって殺すわ」

「――」

 

 懐に隠していた拳銃を引き抜き撃とうとする領主。だが、それは失敗に終わった。

 何故なら、引き金を引くための指が、動かないからだ――それだけではない。

 

「な……これ、は」

 

 肘から先の全てが凍り、固まり、死んでいた。

 痛みなんてなかった。ただ、神経すら麻痺するほどの冷たさだけが、老人には与えられた。

 

「私は、あなたのような薄汚い人間のために氷河を閉じたわけじゃない――星が望んだ命とは、あなたのようにくすんでいないわ」

 

 砕けていく凍った手。指先からぽろぽろと絨毯の上に落ちていく『人間の一部』。それは凡種の老人では想像できない世界だった。だから呆けたように口を開けるしかなかった。

 そのうちにレテミアが立ち上がる。老人の肩がびくりと震える。

 

「一つだけ、教えてあげる」

「金ならッ、金ならいくらでもある! ここには! なんだって……なんだって……!」

「私の名前よ」

 

 悪魔の女は羽を広げて、笑って見せた。

 その、極上の笑み。

 鼠を締め上げる蛇の口に似ている。

 

 

 

 

「我は氷河の閉廷者。

 星に望まれた始原の生命、レテルヘンミルニア」

 

 

 

 

 レテミアは軽く右手をふるう。

 それだけで男の右腕が吹き飛んだ。爆発したのではない、瞬間的に絶対零度まで凍結させられて、その上で砕かれてしまったのだ。

 

「――!!」

 

 絶叫。絶叫、絶叫。恐慌に陥った男は何もかもを忘れてレテミアから逃げようとした。執務室から転がるように飛び出そうとする男を、レテミアはじっと見つめる。 

 

「帰る場所などどこにもないわ」

 

 男の貧弱な右足が根元から砕け散る。突如として凍り、そして砕かれてしまった自身の右足に、男は我も忘れて絶叫した。

 足が、足が、と呻く愚かな領主。虚ろな声は、ゆっくりと近づく女の足音によって小さな悲鳴と共に静まった。

 

「あなたが還れる場所も、孵るべき未来も、どこにもないの」

「――ひ」

 

 ゆっくりと。

 ひっそりと。

 

「醜い命」

 

 霜が。

 氷が。

 冷たさだけが、やって来る。

 男は――這いつくばりながら、救いを求めて女を見上げた。

 

「その全身に刻んで凍て失せ消えろ。星はあなたを望んでいない」

 

 女はすべての感情を殺した黒の瞳で、最後に男の頭蓋を見つめた。

 長い睫毛は音もなく震え、男は命乞いらしき悲鳴を上げ――る前にその顔は凍っていた。

 

「……」

 

 ――ふー……っ。

 レテミアは、静かになった執務室に立ち尽くす。その口からは長い、とても長い溜息が吐き出されていた。

 

「ええ、そうね。口封じ(・・・)しなくちゃ(・・・・・)

 

 ぞっとするほど凍えた呟きだった。

 死体を放ってレテミアは執務室を後にする。

 そして、廊下を歩き、すれ違うすべての人間を殺して回りだした。 

 

「だから、嫌だったのに。結局こうなるから……」

 

 誰も彼もが何も言わずに死んでいく。

 喋るための喉が凍ってしまうからだ。叫ぶための肺が固まり膨らまないからだ。

 無音の殺戮。

 静かな虐殺。

 

「フルール。フルール。ねえ、どこ、どこなの」

 

 ――ああ、魔王なのだな、とレテミアはひどく現実感を失いながらもそう気づいた。

 これが力だ。

 イリスが人を爆ぜ殺すように、レテミアは人を凍て殺す。その力は本来星を救うためのものだから、人に向ければこうも容易く命は死ぬ。

 巨大な力をどう扱えばいいのかわからないから、イリスは誰かを壊したがる。レテミアは加減できない。 

 孤独は、こんなにも暗い力があるから、深まるのだ。

 だから……誰も彼も太陽だけを、求めている。

 

「フルール……いやよ、一人にしないで、どこ……どこなの……」

 

 うわ言のように囁きながら、レテミアは歩き回った。殺し回った。

 そして(・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どう、して、なの。れて」

「あなたのためよ」

「どうして……こんなことに、なっちゃったの……?」

「あなたの、ためなの」

 

 やがて屋敷からすべての物音が消えた後のこと。

 レテミアの目の前にはフルールが居た。青い瞳を涙でいっぱいにして、絶望を表情にした少女が居た。

 そして(・・・)

 少女の傍らには、恐怖で顔を歪めた少年が、静かに凍死していた。

 

 

 

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