百合と悪魔と煙草と銃とレズバトル   作:てりのとりやき

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第42話

 

 

 そうして、月日は莫大な数が過ぎていった。

 フルールは煙草を吸うようになった。酒を飲むようになった。言葉遣いがどんどん汚くなっていった。

 レテミアは――あれ以降、フルールを抱く事はなかった。

 代わりに時折、娼婦を抱くようになった。 

 

 

 

 愛情に痛みが伴うと知ってから、フルールは自分を大事にしなくなっていった。

 愛情に返報性がないと知ってから、レテミアはどこまでも愛情を注ぎ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝。

 どこかの街のどこにでもある宿の一室。ベッドの上。

 二の腕に触れる柔らかい肉の感触がうざったくて、フルールはそれでも眠気が勝っていたので眼を閉じていると。

 

「んん……」

 

 むずがる呟きと共に、隣で眠る女が足を体に絡めてきた。

 ぴったりと触れ合う肌と肌。更に密着する女の豊満な胸の感触。やや伸しかかられる形になっているのは、フルールの体躯が隣の女――レテミアよりも小さいからだ。

 

「……ぁー」

 

 フルールは嫌々眠気を吹き飛ばされたことに舌打ちを放った。盛大な鋭い音にもレテミアは目を覚まさない。首を横に回すと、そこには幸せそうな寝顔を晒す褐色肌の女が一人。フルールの腕を胸に挟む形で抱きしめている。

 無性にフルールは煙草を吸いたくなった。

 煙草。

 煙草、煙草……。  

 レテミアの抱擁を解き、フルールはそっと体を起こす。がむしゃらにレテミアをどけて叩き起こしてもよかったが、寝起きからレテミアに絡まれる方が嫌だった。

 

「……」

 

 ベッドの側の机に置かれた紙箱とオイルライターを手に取り、ふらふらとおぼつかない足取りでベランダに出る。

 雲が灰色で分厚いせいか、鬱蒼とした朝。

 早朝の、冷えに冷えた空気がフルールの瞼にこびりついていた眠気を吹き飛ばしていった。

 

「さむ……」

 

 吐く息は白い。フルールの長耳も寒さに苦しむようにぷるぷると震えている。かじかみだす指で紙箱から煙草を取り出し、気軽に火を灯した。

 熱は小さく弱々しい。それでも、燻られた煙の味と香りがフルールの口内を満たした。

 

「…………」

 

 そうやってしばらく朝の一本を吸っていると、もぞもぞと布の擦れる音が背後で鳴った。んー、と何か物足りなさを感じさせる呻き声は、やがて寂しそうな声を漏らす。

 

「ん……フルール?」

「ここよ」

 

 振り向けば瞼を擦りながら上体を起こす女が一人。浅黒の肌、美しい肢体、人を誑かす黒い瞳と溶けるような微笑み。

 愛情をまぶした微笑い顔が、フルールを見つめている。

 

「なんだ、おきてたの」

「……」

 

 フルールは何も言わない。外の冷気をまとうかのように、醒めた目でレテミアを見つめ続けるだけだ。

 

「おはよう、フルール」

「おはよ、レテ」

 

 ――あれから数年後のこと。

 レテミアがフルールを抱いて、フルールがレテミアに犯されて。 

 どれだけ致命的な破綻があっても、二人は二人のままでいることを選択した。

 言葉もなく。

 ただ、それしか道が無いのだと、わかっていたから。

 今更……道を分かつことなど、離れることなど、二人にはどうしても出来なかった。

 

 

 

 

 

 宿を出て街を出て、何も無い獣道を歩く二人の旅には、未だ目的がなかった。

 会話とてありきたりなものだ。

 

「また煙草? 今日何本目なの?」

 

 すでに五本目の喫煙をレテミアはおっとりと詰る。ふんとフルールは鼻を鳴らした。

 

「いいでしょ別に。嫌なら離れなさいよ」

「もぅ……心配なのよ。愛しているから」

「ふん。勝手に言ってろ」

 

 レテミアは、愛していると何度も言う。それでもフルールは決して応えようとはしない。

 一言で言えばそれは冷めた関係だった。

 いくつかある問題から目を逸らし続けて、そのうちにどうすればいいのかもわからなくなってしまった。そんな歪な関係性。

 冬の凪がひゅうひゅうと獣道を抜けていく。舞う枯れ葉ついでに空を見上げたフルールの目には、どんよりとした灰色の空が広がっている。

 

「そろそろ火おこす?」

「そうね……どのみち今日中には次の街に着かないし、いいんじゃないかしら」

 

 そういうわけで二人は野宿の準備を始めた。何年も旅をしていれば慣れたもので、てきぱきと準備を終えて、30分後にはごうごうと燃える焚火の前で二人は向かい合って座っていた。 

 

「寒いわねえ」

「そーねー」

 

 手ごろな枝を集めて作った焚火がぱちぱちと火の粉を散らす。そのじんわりとした熱が周囲の空気を溶かそうとして、冬の冷えた風が吹くたびに負けていた。

 冬の太陽は沈むのが実に早い。

 橙の光で照らされる暗闇。

 今日の見張り番はフルールだった。

 二人旅である以上、野宿の時は必ずどちらかが起きている事になる。

 

「なにかあったらすぐ起こしてね。蹴ってでもよ?」

「わかってる。あたしだって何も出来ないわけじゃないから、気にしないで」

 

 フルールが起きている時は、必ずレテミアが紡ぐ言葉。それをうざそうに聞き流したフルールは手の中で小さな拳銃を弄くっている。

 自衛用にとフルールが選んだ拳銃だ。『あの日』以降、レテミアに全てを頼らないためにと選んだもので、リボルバー式の堅牢な作りをフルールは信頼している。

 物はいい。

 そうフルールは思う。

 煙草も酒も拳銃も弾丸も、喋らないから、煩わしく思うときが無い。

 

「……」

 

 フルールは眠らないようにと度数の高い酒を瓶のまま仰いだ。

 手荒な飲み方を、寝袋に入り込んだフルールが不満そうに見つめている。フルールは無視した。

 なんにせよ冷えるのは確かだ。酒でも飲まないとやってられない。

 

「へくちっ」

 

 フルールが可愛らしいくしゃみをする。しっかりと着込んではいるが、仕方ない。

 鼻を擦りながらフルールは舌打ちをする。レテミアの前で弱さを見せたくなかった。

 何故なら、

 

「……もー」

 

 ほら。

 予想通りレテミアはにまにまと笑いながら寝袋から起き上がって、自分の着ている上着を脱ぎだした。

 旅人向けの厚い生地でできたコートが、レテミアの手によってフルールの体に掛けられる。女の慈愛に満ちた眼差しと共に。

 

「はい、どうぞ」

「別にいらないわよ。あんただって寒いでしょ」

「私は平気。寝袋が暖かいもの」

 

 レテミアは嬉しそうに寝袋に戻る。フルールは渋々コートで体を包み、むすっとした顔を作った。せめてもの意志表示を横になった女は微笑ましく見つめている。

 いやな空気だと鼻を赤くしながらフルールは思った。

 そんな時だ。

 

 

 

 地を這う獣の吐息。

 蹴散らかされる枯葉のさざめき。

 

 

 

 瞬間的にレテミアが寝袋から飛び出、フルールが拳銃を音の方へと向ける。

 森の暗がりから駆けて来たのは三匹の魔物――犬型。

 強靭な筋肉の隆起が焚火に灯られ陰影を生む様、その脈動は、一瞬だけだがフルールの心に焼きついた。

 

「……っ」

 

 舌打ちはレテミアのもの。黒い手を魔物へとかざせば、飛び掛ってくる先頭の一匹が氷漬けになって砕かれた。突発的なことにレテミアは全ての魔物を殺しきれていない――残りの魔物はフルールに狙いを定めて襲い掛かる。

 レテミアが焦燥で顔を変え、喉を震わせた。

 

「――フルール!」

 

 切迫した叫び声。フルールは強い鼓動の音を聞きながら、振り向いたレテミアの声を顔をすべて無視した。

 すでに照準は合わさっている。

 何も驚く必要は無い――引き金を引くだけだ。

 

当たれ(・・・)

 

 ひとつ。

 引き金を引く。雷管が叩かれる。火薬が爆発し圧が弾丸を射出する。

 ――直撃。魔物の頭蓋に穴を作る。

 シリンダーが回転する。

 

当たれ(・・・)

 

 ふたつ。

 引き金を引く。雷管が叩かれる。続けざまの発砲が閃光を生む。

 ――更に直撃。魔物の心臓部を的確に打ち抜いた。

 シリンダーはかちりと回る。

 

「……」

 

 呆気に取られた様子でレテミアが口を開けたまま立ち尽くす。フルールは魔物の死体も驚いているレテミアも放っておいて、シリンダーを露出させた。

 空の薬莢ふたつをぽいっと放り、新たな弾丸を込めなおす。そしてカチンと音を鳴らしてシリンダーを戻した。

 流麗な仕草。

 およそ少女には似つかわしくない慣れた動きを見て、ようやくレテミアが声を発した。

 

「けっ怪我は!? ない!? 大丈夫!?」

「別に」

 

 慌てて女は少女に近づく。吐き出される白い息がフルールに掛かるのも気にしていなかった。

 

「ほ、ほんとう? 嘘じゃない? 嘘はついて……ないの?」

「こんなことで嘘なんかつかないわよ……」

 

 レテミアの黒い手がフルールの頬を触る。肩を撫でる。背中を回る。心配なだけなのだろうが、レテミアのその行動は二人の距離を縮めてしまっていた。

 コートを脱いでいる事でわかるレテミアの胸の大きさ。フルールにはないものが、少女の体に押し当てられている。

 さすがに、近すぎだった。

 

「だ、だから、手を離しなさ――」

 

 言葉は途中で切れてしまう。見上げたレテミアの視線が、いつの間にかどこか熱っぽさを感じさせるものになっていたからだ。

 ……。と、どちらもが口を閉じてしまう。

 言葉を探しているだけのようにも、何かを察しているようでもある、無音の間。

 見つめあう二人の表情を、焚火の明かりが照らしている。

 

「私、煙草は嫌い」

「……だったら何よ。あたしの勝手じゃない」

「お酒も、本当は飲んでほしくないの」

「……」

 

 それは蕩けた声音だ。フルールは視線を下げた。

 

「でも、でもね。私……あなたがどれだけ煙草くさくなっても、ね……」

 

 ――あ、愛してる、から。

 そんな不器用な言葉は薪の爆ぜる音が遮ってしまう。

 邪魔をされたレテミアが余計に顔を赤くして、唇をわななかせた。悔しげに。

 フルールは、首まで真っ赤なレテミアをじっと見上げている。

 

「……」

「……」

 

 うっすらと血管が見えてしまうほど白い肌だ。決して穏やかにはいかない旅ばかりの生活でも、そのきめ細やかさは、柔らかさは、失われた事が無い。

 そんな白皙の頬が赤いのは炎の熱が原因なのか。

 きれいな青の瞳がきらきらと輝くのは、潤むのは、ひょっとして――。

 

「……っ」

 

 レテミアの黒い瞳は期待を込めて、長耳へゆっくりと手を伸ばした。

 フルールは、拒まない。 

 

「――」

 

 そっと、レテミアの細い指がフルールの耳に触れた瞬間。

 ――甦る。

 劣情と熱の塊。

 荒い吐息に何度も何度も口内を荒らしまわった女の舌。

 

「……んな」

 

 

 

 

 喘ぎ声は誰のもの?

 

 

 

 

「フルール……?」

 

 あんなに冷えた絨毯も汗でべちゃべちゃになってしまった。

 そして、指が入り込み、股から、血が……。

 

「――――触んな! その手で(・・・・)、あたしに! 触るな!!」

 

 フルールの脳裏を痛みが駆け巡る。吐き気がしそうなほどの怒りが感情も理性もめちゃくちゃに引っ掻き回した。

 体を硬くするレテミアの腕の中でフルールはがむしゃらに暴れ回り、強引に距離を離す。

 

「フルール……わ、私は……」

「あんたが心配しなくたって何でも知ってる! 生き方も! 歩き方も! 銃だって撃てる! 人も魔物も殺せる!!」

 

 「あのね」、と。

 レテミアは困惑しながらも、どこか解っ(・・)てい(・・)たよ(・・)うな(・・)落ち(・・)着き(・・)()口を開いていた。

 ――それが余計に少女を苛立たせた。

 

「なによ! なんなのよ! あんた、なんなの!」

 

 激昂するフルールは、知っている。

 レテミアがフルールを抱いた日以降、レテミアが決してフルールを抱こうとしなかった事を。

 代わりに、レテミアが街の娼婦と遊んでいる事を。

 

「あんたのそれは、ただの性欲でしょ!? そういうことでしょ!?」

「違う……違うわ……」

「なら、どうして?」

 

 わかってる。わかっているのだ。

 レテミアがフルールを抱く事に諦めを持っている理由も。フルールにこそこそと隠れて行っている事にだって。

 

わたし(・・・)を好きなら……どうして女を買い漁るの?」

 

 無茶苦茶なことを言っている。そういう自覚はあった。

 レテミアを拒絶しているのはフルールだ。数年間一度だって体を許さなかったフルールが、どうしてレテミアを縛れるのかなんて、フルール自身理由を言えない。わからない。

 それでも、とフルールは言い訳に言い訳を重ねる事しかできなかった。それ以外の方法が思いつかなかった。

 

「……」

 

 爆発した感情そのものな言葉を真正面から受け止めても尚、レテミアは何も言わない。

 だが、やがて、不器用な笑みを描いた。

 

「ごめんね。私、駄目な女だから」

 

 言葉は自嘲ともう一つの理由で震えている。

 フルールははっとなって顔を上げた――レテミアが、泣いていた。

 

「……っ」

 

 後悔の涙だ。感情だけに流された己を罰する言葉だ。

 それをフルールは許せばいいのかわからなかった。

 痛みを刻み込まれたのはフルールで、膜を破られたのもフルール。

 何もかもがあの日壊されてしまったのだ。

 きっと――と、フルールは思わずにはいられない。

 レテミアを意識しだしていた純粋な心があのままゆっくりと育てば、今とは違う関係になっていたかもしれない。

 

「もうわかんない……昔の自分が何を感じてたのか、わかんないのよ」

「そう、ね。おかしくさせたのは、私、ね」

 

 たぶん、もう、どうにもならないのだろう。

 足の折れた人形は直せても、元通りにはならない。おもちゃのブラシで梳くうちに抜けてしまった髪を植えなおす事は難しい。

 欠けたガラスの瞳は歪みを正せずにいる。 

 フルールは何を後悔すればいいのかもわからなかった。何を省みれば今に繋がるのかもわからなかった。

 ただ、レテミアのひくひくと鳴る震えた喉の音色が、虚しかった。

 

「やっと見つけた」

 

 そして。

 破綻から立ち直れない二人には、どうにかしなければならない問題が残っていて。

 

「――どうして、あなたが」

「よっ。元気にしてたか、レテミア」

 

 赤く錆びたような髪は燃えて艶めき。

 皆既月食の瞳が柔らかく笑む。

 イリスは傷一つ無い体で、そこにいた。

 

 

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