百合と悪魔と煙草と銃とレズバトル   作:てりのとりやき

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第44話

 

 

 目が覚めた初めにレテミアが感じたのは、額に触れた人肌の温もりだった。

 暖かいのに、熱い。

 額をそっと撫でる掌の感触が心地よくて、小さな吐息が漏れた。

 

「ん……」

 

 ゆっくりと瞼を上げる。見えたのは、ぼやけた輪郭の少女。

 

「あ……フルー、ル?」

 

 周囲を見回せば、そこはどうやら宿の一室らしかった。

 

「大丈夫。ゆっくり眠っていて」

「ああ、大丈夫、なの? 本当に……?」

 

 レテミアは不安になった。目の前にいるフルールが本当は幻なんじゃないかと思えてしまえた。

 いつも、目が覚めれば、フルールはどこか別の所にいたから。必ず自分から離れてしまうから。

 

「ええ。……何も心配することなんてないから」

 

 体を起こそうとしたレテミアを、フルールは押しとどめる。心配されているらしかった。

 そういえば、頭が鈍く痛む。――イリスの蹴りで強く打たれたからだろうか。 

 フルールもその事を案じているらしく、レテミアを覗き込む青い視線はいつもより柔らかいものだった。

 

「喉、乾く?」

「……ん。少し」

「そ。ちょっと待ってて」

 

 フルールが腰を上げた。あっ、とレテミアは小さな悲鳴を漏らす。

 レテミアは少女の手を掴んだ。振り返ったフルールは目を丸くしている。

 何でかはわからない。 

 ただ、フルールがどこかへ去っていくのが、本当に怖かった。

 

「いや。イヤよ。あなたが遠くへ行っちゃうなんて、悲しいわ」

「……もう」

 

 少し、咎める目つきがレテミアを見つめた。だけどレテミアには甘さを持った表情に見えた。

 やれやれとため息を吐きながら、フルールがベッドの端に腰を下ろす。そして悪戯っぽく笑って見せた。

 

「あんたってそんな甘えん坊だったっけ?」

「わからない……寒い、寒いの……」

 

 言葉は曖昧だ。レテミアにも理解できない恐怖が、決して少女の手を離そうとしない。

 

「目を閉じると、どこかへ行ってしまうんじゃないかって。私を、あなたは、許さないだろうから、いつか必ずどこかにって――」

「――ぐだぐだ言ってんじゃないわよ」

 

 声は途中で遮られた。

 ぎょっとしたのはレテミアだ。

 なにせ、女の目の前には少女の顔がいっぱいに映っていたのだから。

 口を塞がれ、触れる唇の感触が、そのまま舌が口内に入ってきて。

 それは、だから。

 つまり……ディープキス、というやつで。 

 

「ぁ……」

「ん……」

 

 長い、熱の感触。柔軟な舌が口内のあちこちをまさぐっていく。

 鼻から漏れる吐息がどうにも艶かしくて、わけもわからないままレテミアの情欲が燃え上がった。

 手は少女の背を撫で、そのまま下へ――柔らかい感触にそっと触れた。

 ん゛、と眼を閉じて没頭していたフルールが眉間に皺を寄せる。嫌そうに唇を離すと、荒い息混じりに口を開いた。

 青い瞳はじわりと涙を浮かべて潤んでいる。

 

「ちょっと、手つき。尻なでないで」

「ご、ごめんなさい。つい……」

「ったく、淫乱悪魔が」

 

 唾液まみれの口元をフルールは拭った。

 

「な、なんで……」

「別に。なんか、したくなったから」

 

 理由になってない……。

 色々と半殺しにされたレテミアがしょんぼりしていると、フルールはベッドから離れてしまう。

 

「あ……」

「飲み物持ってくるだけよ! じっとしてなさい! いいわね!」

 

 そう言ってフルールは部屋を出た。レテミアは待つことしか出来ない。

 数分は、そうやって待っていただろうか。

 控えめな音を立てて扉は開き、フルールが顔を出した。

 

「ねえ、レテ、レテミア?」

「なあに?」

 

 見つめる先。少女は部屋に入ってくる。

 

「髪……梳いてくれない?」

 

 その手にあるのは、一つのブラシだった。

 

 

 

 

 フルールはベッドの上にぺたんと座って、背を晒す。

 レテミアが長くなった金髪をひと房握ると、少女の耳元が僅かに覗けた。 

 

「……」

 

 抉れた傷跡。何も無い、ただひたすらに空洞な場所。

 かつてあった長耳は、すでにそこには無い。

 だけどレテミアは何も言わなかった。

 フルールが、何も言わないからだ。

 

「いつぶりなのかしら」

 

 レテミアは嬉しそうな声を上げながら、ブラシで丁寧に少女の金髪を梳いていく。

 

「あなたの髪に触るの……」

「さあ。数年くらいじゃない?」

「ふふ。かもねぇ」

 

 『あの日』、フルールとレテミアとの関係が破綻した日から、フルールは何だって自分でやるようになっていた。髪を梳くのだってそうだ。

 だから、レテミアは本当に何年ぶりかの感覚を味わっている事になる。

 

「人に髪を梳いてもらうのって、あー、気持ちいいわねー」

 

 実に心地良さそうな弾んだ声を、レテミアは目を丸くして聞いていた。 

 

「本当にどうしちゃったの? 機嫌良すぎよあなた」

「別にー」

 

 フルールの言葉はどこかはぐらかしているような気がする。その優しさが、レテミアには辛かった。

 

「……気遣ってくれてるのなら、別にいいのよ」

 

 女はゆっくりと、息を吐く。それでも手だけは動かし続けた。

 

「どれだけ拒絶してくれてもいいの。否定されても、蔑まれても、あなたが……あなたの事を愛しているということを、わかってくれているなら」

「……」

 

 フルールは何も答えない。

 ずっと避けてきた問題だ。レテミアと彼女の、二人だけの問題。

 しばらく、ブラシが髪を梳くしゅっしゅという音だけが部屋には響いた。やがてフルールは沈黙に我慢できなくなったのか、手元にある煙草をくわえて火をつける。

 レテミアは冗談めかして言った。

 

「私、煙草は嫌いよ?」

「――それでもあんたは、あたしを愛してくれるでしょ?」

 

 だけど、フルールは、軽々と断言する。

 レテミアは小さな笑みを、ついつい作ってしまった。

 ああ……そうだ。

 もう何年もずっと側にいて、居つづけた。だからどれだけだってわかる――わかってくれるという、信頼が、二人にはあった(・・・)

 

「ね、レテ」

 

 レテミアは振り返らない。それでいいとレテミアは思った。

 泣きそうな笑顔なんて見られたくなかったから。

 

「――あたしは旅をするわ」

 

 声は、柔らかい。いつもの刺々しいものではない。

 それがレテミアには愛しかった。嬉しかった。抱きしめたくて、たまらなくて、うずうずして。

 でも、許されないと理解している。

 

「いつまでも死ねないのなら、あたしはいつまでも旅をする。あんたがあたしに見せた世界を――父が作り、捨てたこの混沌を、すべて見納める」

 

 レテミアにとってフルールは『初めて』そのものだ。彼女が与えてくれた何もかもが暖かく、かけがえのないもの。

 一度壊してしまったからこそわかる価値がある。

 レテミアは、もう、フルールを傷つけたくなかった。

 

「生きる理由なんてね……特に、ないのよ」

 

 フルールの本心だとレテミアはすぐに気付けた。同じなのだな、とも。

 星のために創られたレテミアと、同じく星のために創られたフルール。

 ――太陽の管理者。

 ただそこにあるだけで誰かを救える器は、心を持つにしてはあまりに力が絶大すぎた。生きる理由を答えろといわれても、レテミアもフルールも、『この世界のため』としか答えられないのだから……。

 

「でも…………あたしは、生きたい……」

 

 世界のための理由なら二人は持ち合わせている。だけど、個人の理由はなかった。いや、自分にはあるか――。

 愛する者と共に居たいという気持ちだけでレテミアは生きてきた。そして、それはきっとこれからも変わらないのだろう。

 だけどフルールは…………。

 

「あなたと生きたい、って思うわ」

「――」

 

 フルールに、個人としての理由は無いはずだった。少なくともレテミアはそう思っていた。付き合わせているのだと。無理をさせ続けているのだと。そう、思っていて、だから、いつだって罪の念は消えなかったのに。

 初めて、フルールは、言う。

 『自分の』、『自分らしく』、生きる理由を。 

 

 

 

 

「煙草を吸うの」

 

 そんなあたしを見ててよ。

 

「酒を飲んで、べろべろに酔っ払うわ」

 

 そんなあたしを笑ってね。

 

「博打をするわ。財布を空にしてしまうの」

 

 そんなあたしの側にいて。ずっとよ?

 

「あたしはね、レテ。そうやって生きたいのよ」

 

 

 

 

 レテミアの手からは気がつけばブラシが滑り落ちていた。

 床に転がるブラシへと、一つ、また一つと雫がこぼれていく。ぬるい雫。レテミアは本当に良かったと思う、フルールがこっちを見ていなくて。

  

「あたしが腐るような事をして、それであんたがあたしを見てくれるなら、それはそれで幸せでしょ?」

 

 ねえ、レテミア。

 

「そうやって生きてそうやって終われるなら。あんたの隣で生きられるのなら……」

「……っ、……ッ」

「ね、レテ、レテミア」

 

 フルールは振り返る。後ろにいた女の表情を見据えてしまう。 

 『――』と、少女はしばらく目を瞠っていて。

 まざまざと泣き顔を見つめられているレテミアは、それでも、泣く事しか出来なかった。

 ぼろぼろぼろぼろ、涙だけが女の表情を作っていた。

 

「……」

「泣かないで、レテ」

 

 やがてフルールは女の浅黒の肌をすべる雫を一滴、そっと拭う。

 そうしてやんわりと仄かで穏やかな笑みを浮かべた。 

 

「旅をしましょうよ。二人で」

 

 その言葉が本当に本当に嬉しかったのだ。

 レテミアは、涙を拭う事すらできなかった。

 

「……ええ。ええ、そうね、旅、しましょっか」

「何泣いてんのよ、ばかねあんた、泣く必要なんてどこにもないのに」

「だって、だってぇ……!」

 

 何も言えそうにないのは二人ともだ。

 ぎゅっと、フルールはレテミアの頭を掻き抱く。レテミアはそんな少女を抱きしめる。

 両手は震えていた。

 

 

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