百合と悪魔と煙草と銃とレズバトル   作:てりのとりやき

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第49話

 

 夢見。まどろみの中。

 寝ているのか、起きているのか、少女には区別がつかない。

 ずっとそうだ。何をされても夢のようで、現ではないような気がして、体はまともに動かなくて。

 だからとっても怖くて。

 だけど、今は、怖くなかった。

 少女は懐かしい温もりに触れている。

 暖かいのに冷たさが満ちた温もり。

 ずっと昔から側にあり続けた、心地よいもの。

 ああ。ずっと続けばいいのに。 

 永久を願いながら少女は眠る。

 終わりなんて、欠片も思わずに……。

 

 

 

 

 

「流すよー」

「はーい」

 

 ざっぱーん……と桶にたまったお湯が、ヴィエの頭にかけ流される。少女の柔らかい金髪についていた泡がさらさらと流れていった。

 元々ヴィエの髪はふわふわとしていて、艶やかだ。丁寧に洗うだけで高級な金糸のようにまばゆく輝く。水気を絞ってヘアゴムで纏めてやってから、ユウリとヴィエはお湯の張られた浴槽に仲良く浸かった。

 

「ぶはー」

「すっきりした?」

「はい……」

 

 ユウリにちいさい背中を預けて脱力しきっているヴィエは、首の先までお湯に浸かりながらのほほんと頷く。疲れの発散していく心地よさげな声にはユウリもそうだろうなあと苦笑を浮かべてしまった。

 なにせイリスの城から逃げ出して、丸三日。途中途中にヴィエによる転移を何度か挟んでいるものの、そのほとんどを歩きによる強行軍で推し進めたのだから。疲れもたまることだろう。廃人となってしまったフルールのこともあるし、さすがに今日は宿に泊まっているが。

 

「ヴィエちゃんヴィエちゃん、あとで足を揉んであげる」

「なんだか下に見られているのです……」

 

 言葉にはやや生気がない。やっぱり疲れているみたいだ。

 ごくろう様と頭を撫でてやりながら、ユウリはにこにこと笑う。いつも何故だか年下扱いされているので、こういう時くらいはお姉さんぶってもいいと思うのだ。

 しばらく浴室には静寂が訪れる。

 お湯の熱に疲れが溶けていく心地よさからまどろみつつあったユウリだったが、ヴィエが湯気に包まれた天井をじっと見つめている事に気づくと、気になっていた事をそっと問いかけた。 

 

「イリスさんのこと……心配?」

「はい……」

 

 今、ユウリの前に居るため少女の顔は見えない。だけど聞こえてきたヴィエの言葉は真剣だ。

 彼女は心の底からイリスを愛している。

 それでも旅に誘ったのはユウリだ。

 ユウリはそっとヴィエを抱きしめて、引き寄せた。ユウリ? と不思議そうにヴィエが顔を上げる。小さな頭は湯熱でほんのり赤い。

 

「きっとヴィエちゃんは、ずっとイリスさんと一緒にいたから、他の事を知らないだけなのよ」

「そうなの……ですか?」

「きっとそう。ヴィエちゃんはもっともっと色んな事を知っていいの」

 

 そうなのかなあ、とヴィエは曖昧な言葉を漏らす。まだイリスの側を離れて三日しか経っていないのだ。これからだとユウリは思った。これから沢山のことを経験して、築いて、そうして決めていけばいい。

 抱きしめられたままでいるヴィエがもう一度顔を上げる。大きくて丸い瞳は、じっとユウリの目を見つめた。

 

「ね、ユウリ……」

「なにかしら?」

「ユウリは……ユウリは……ヴィエのこと、好きですか?」

 

 どういう意味の、『好き』なのか。

 ユウリは深く考えなかった。

 

「ええ。大好きよ」

「そっかぁ……なら、よかった……」

 

 ぴっぴっと水滴を飛ばしながら、ヴィエの長耳が上下する。ついユウリがその先端を撫でると、くすぐったそうにヴィエが声を漏らした。

 落ち着ける空間と、ゆったりと流れる時間。ユウリは束の間の休息に、長く、静かに、息を吐いた。

 

 

 

 

 

 一方その頃、宿の室内ではレテミアとフルールが居た。

 リーナルはというと階下の食堂で食事を摂っている。もう全員夕食は済んでいるのだが、リーナルが言うには『燃費の悪い体ですので』、だそうだ。

 椅子の上でぼーっとしながらぶどう酒をちびちびと飲んでいるレテミアは、ベッドの上ですやすやと眠っているフルールだけを見つめている。布団からはみ出た肩は以前よりも貧相で、首の細さを見てもやはり痩せてしまったように感じられた。 

 ――三日経っても、フルールは言葉一つ発せないでいる。

 右腕にいくつもあった注射痕に、異様なほど低下している身体能力。曖昧で霧がかった様な意識。自らの意志をまともに表せず、呻くことしかできない。

 明らかな、麻薬の中毒症状だった。

 文明が産んだ毒の産物だ。

 フルールはもうずっとこのままなのだろうか。ふと、そんな予感がしてしまう。だけどあり得ないとレテミアはそんな悪い想像を切って捨てた。

 

「ぅぅ……ぁ……」

 

 と、フルールがうめき声を上げる。レテミアがグラスを置いて静かにベッドへ近寄れば、少女はぼんやりと瞼を上げた。

 精彩さを欠いた青色。いつも蒼玉のように美しかった瞳は弱々しく濡れている。

 それは、見るものを欲望に駆り立てる、甘い弱さだ。

 

「……」

「フルール、どうしたの?」

 

 ぞわりと湧き上がる情欲をレテミアは無理やり押さえ込んで、フルールの額をそっと撫でる。瞳にかかる前髪をよけて露わになった額。フルールが心地よさそうに目を閉じるので、しばらくレテミアは額に手を当てていた。 

 よくよく見れば、フルールの頬は静かに震えている。  

 

「寒いのかしら」

 

 衰弱しているフルールに風邪を引かせるわけにもいかない。宿の店主に頼んで毛布を一枚貸してもらおうか。そう思い立ってベッドを離れようとしたら、フルールが嫌そうな声を上げた。決して言葉にならない喚き声だが、レテミアは辛さを欠片も滲ませずに笑顔を浮かべる。 

 もう一度ベッドに戻り――今度は布団の中に潜り込む。

 人肌で温まっている布団は心地よい。レテミアがフルールの頭を撫でていると、少女は暖を求めてか女に近寄ってきた。

 

「あらあら。甘えん坊さんねぇ」

 

 レテミアは嬉しそうに言う。浅黒の女は懐かしさを感じていた。

 少女がまだイリスの奴隷であった頃、言葉も話せなかったフルールとの時間を思い出すのだ。

 

「いいのよ。もう、何も怖い事はないのだから。たくさん甘えていいの」

「…………?」

「よしよし。ほら、暖かい……」

「……」

 

 抱き寄せつつ背中を撫でてやると、またすぅすぅと穏やかな寝息が聞こえてくる。胸元にある彼女の頭を覗き込めば、険の取れた柔らかい顔つきでフルールは寝ていた。

 フルールを起こさないように、レテミアは少女の細くなった体を抱きしめる。精一杯に息を吸った。

 いつもは煙草くさい少女の体も今は甘い香りで一杯だ。――まるで香水の匂いを纏う娼婦のように。

 

「……」

 

 その甘ったるさは薬がもたらしたもの。だからイリスに誘拐されてからの45日間がどういうものだったかなんて、想像に難くない。

 いっその事、フルールはもう二度と喋れなくていいんじゃないかとレテミアは思ってしまうのだ。

 フルールの口から、自分以外の女に抱かれた事実なんて聞きたくないから。

 

「ねぇ、フルール。覚えてる……?」

 

 初めて出会った日のことを。初めてあなたを抱いた――犯した日のことも。

 全部全部、もう忘れてしまったのだろうか。

 すべて塗り潰されるほどの事をされてしまったのだろうか。

 たった一度しか味わっていない肉体は、いつの間にか作り変えられてしまっているのだろうか……?

 

「ねぇ……フルールぅ」

 

 レテミアは、怖い。

 果たしてフルールが元通りになれるのかわからないこともそうだし、少女の口からいずれイリスとの情事を聞かされるかもしれないことも。

 ――そして何より。

 

 

 

 フルールは果たして、レテミアを正しく認識できているのか?

 

 

 

 麻薬に犯され廃人になってしまった少女は未だに、イリスの姿を見ているのではないか。

 そう思うと気が狂うほどに恐ろしくなるのだ。今のフルールが見せる柔らかい表情の全てが自分ではなくて、イリスに向けられているのだとしたら……いや、45日の間にイリスに向けられていたのだとしたら……そう考えるだけで嫉妬と殺意が心をめちゃくちゃにする。

 抱きしめた体を強引に押し倒して、股を開いて、犯したくなる。

 きっと今のフルールならば、拒絶しないのだ。

 そう。

 絶対に、今の少女ならば、誰で(・・)あろ(・・)うと(・・)拒まない。

 

「――あなたも、災難でしたね」

 

 顔を上げる。部屋の入り口には背筋を真っ直ぐにした長身の女が――リーナルがいた。

 その微笑みは気品に満ちていて、いつも崩れない。

 丁度良いところに来てくれたな。本当にレテミアはそう思った。このままだとフルールをまた襲っていたかもしれないから。

 

「そうでもないわよ。まだこうして、この人の側にいられるもの」

「そうですか」

 

 またレテミアは体を横にする。フルールを起こすわけにもいかなかった。

 先ほどまで膨れ上がっていた情欲の熱も、他人と話せば少しは落ちつく。

 

「そっちこそ気が気じゃないんじゃないの? 今は落ち着いてるけど、あの少女は……」

「いいのです。ユーリリアが決めた事ですもの」

 

 お酒、もらいますね。了承するよりも先にリーナルは椅子に座ってボトルからぶどう酒を器に注いでいく。一口飲んでぴくっと眉間に皺を寄せつつも、黙って飲み干した。安物なのだから彼女の口には合わなかったのだろう。

 ワイングラスを机に置くと、リーナルは壁に立てかけてある鞘入りの直剣を手繰り寄せた。

 

「あの子が選んだことを、私は否定しません。もしも間違えたとわかったのなら、その時は私が導くだけですから」

 

 しゃらん、と銀の涼しげな音を鳴らしながら、その刃は鞘から引き抜かれる。薄ら青い刃はその輝きだけで尋常の代物でない事を告げている。

 魔剣。

 女が言うには、『血の解放のために誂えた私のもの』。

 リーナルが剣に向ける、魅了されたかのような熱い眼差し。自分もフルールにそんな目を向けていたのだろうかと、ふとレテミアは思った。

 

「……いい親ね、あなた。人妻じゃなかったら抱きたかったわ」

「どういたしまして」

 

 レテミアの冗談も素っ気無く返して、リーナルは剣の手入れを始める。悪戯っぽく肩を竦めたレテミアもまた、すやすやと眠るフルールに集中しだした。

 しばらく静かな時間が流れたが、やがて風呂場辺りから騒がしさが近づいてきた。

 

「お風呂、上がりましたー」

 

 バスタオルを体に巻いたユウリが部屋に入る。隣でヴィエも同じような格好をしていた。

 ほかほかと湯気を上げるユウリに、リーナルは眉をひそめる。

 

「そんな格好じゃ風邪を引くわ」

「え? 大丈夫よ、別に。すぐ着替えるから」

「もう……少し奔放に育ったわね。ほら、こちらへ」

 

 剣を鞘に入れたリーナルが呆れた様子でユウリの替えの服を手に取った。えーいいよ~と不満げなユウリも実の母親には逆らえないらしく、渋々といった様子でリーナルに体を拭かれて着替えをさせられていた。ちなみにヴィエはというとそんなユウリに髪を拭かれて着替えもしてもらっている。

 くすくすとレテミアが笑う最中、寝巻き代わりのワンピースを着たユウリはにやりと笑ってヴィエを見た。 

 

「さ、ヴィエちゃん~……」

「うぐ」

 

 女の手には綿棒が一つ。ヴィエが心底嫌そうな目でユウリの手にある物体を見つめ――そして室内を走り出した。

 

「あっ、こら、逃げないの!」

「やだ! ヴィエ、それ、嫌いです!」

「我がまま言わない! ほら、掃除しないと汚いから!」

「耳掃除はいやですー!!!!」

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ出した二人を、リーナルはため息一つで諦めた。椅子に座りなおすとまた剣の手入れを再開する。

 五人もいる狭い室内で、ヴィエとユウリの追いかけっこは中々終わらない。単純にユウリの足がとろいからだ。

 

「もう。フルールが起きちゃうじゃない……」

 

 ばたばたと音が鳴り、ぎゃーぎゃーと騒がしい。その五月蝿さを面白く思いながらもレテミアは少しだけ愚痴った。フルールが起きていないかそっと少女の寝顔を覗きこむ。

 

「フルール?」

 

 少女は、ひっそりと笑んでいた。レテミアは瞬きを何度かしてから、微笑みを浮かべる。

 きっと良い夢を見ている。

 なら、まあ、それでいい。 

 

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