百合と悪魔と煙草と銃とレズバトル   作:てりのとりやき

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第52話

 

 目覚めたとき、そこには誰もいなかった。

 毛布だけでは寒かった。体が勝手に震えている。

 怖い。寒い。嫌だ。

 どこへ、行ってしまったの? 

 

「ぁ、う……」

 

 見回しても、探しても、どれだけ彼女の名を呼んでも、決して現れない。寒いのに。体が震えて仕方がないのに。

 だから少女は意を決して部屋を出た。裸足のまま。靴の履き方なんて、難しいことはよくわからなかったから。

 そのまま壁に手をつきながら外へ出れば――唐突に、爆音。

 きゃ、と悲鳴を漏らすよりも先に、空に巨大な炎が舞い上がる。……とても遠くの方で起きているみたいだった。周りの人々も、そんなことを呟いている。

 少女はすぐにでも部屋に戻って、毛布に隠れて、目を閉じ耳をふさいでしまいたかった。そうすればきっと彼女が帰ってきてくれるから。

 だけど、どうしてか。

 

「れ、て?」

 

 なんとなく――嫌な予感がした。

 だから、行くことにした。次々と舞い上がる炎の先へ。爆発点へ――ふらふらと、よろめきつつも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 イリスが睨むだけで喫茶店内は一気に空気が燃焼し、爆発する。

 その衝撃を受け止めようとはせず、リーナルもレテミアも喫茶店の窓をぶち破って外に飛び出た。

 ユウリとヴィエは無事なのか――見れば、どうやら二人は爆発に巻き込まれていないらしい。イリスの意志によるものか。

 かの女は服を黒く焦がしながら、リーナルへと狙いを定めて追随してくる。その動きはやはり早い。

 

「なるほど、邪魔者から消すと……!」

「よくわかってるじゃないか」

 

 ――恐らく、とリーナルは簡単な算段をつけた。

 恐らく、イリスはこの世の誰よりも強いのだろう、と。

 それは彼女の能力もそうだし、身体的な力もそうなのだろう。

 所詮自分は凡種であって、その膂力を魔剣で強制的に底上げしているに過ぎない。イリスと同じ領域に立つレテミアとて身体能力ではイリスには遠く及ばない。

 培った戦闘センスを軽々と凌駕する怪物。

 相対しているのは、そういう生物だ。

 一発……最低でも二発食らったら間違いなく己は死ぬ。

 

「――」

 

 悠々とイリスが己に向けて伸ばす手。触れれば死ぬ。リーナルは細心の注意を払って女の手をかわし、返しの一撃を叩き込む。

 左の王剣が動いた。

 大上段の一閃は剣の流れだけを残し、切り結ばれる。

 

「【溶けろ】」

 

 イリスの右腕が根元から落ちた。

 切断面は真っ黒で、それだけで異様な熱を持った剣によるものだと判断できる。だからイリスは気に(・・)しな(・・)いこ(・・)とに(・・)した(・・)

 

「【凍てよ】」

 

 言葉と共にイリスの両足が止まった。違う。地面に縫い付けられたかのように凍っている。一歩も踏み出せない状況に、ぴくりとイリスの眉が揺れた。

 

「これは――その剣の力か」

「【唸れ】」

 

 リーナルは取り合わない。次に剣が生み出したのは細かすぎる振動だった。ぶぶぶ、とイリスの耳を伝う不快な羽音じみたそれ。――気づけば凍っていた両足が砕け散っている。

 なるほど音の権能か。

 納得する女の体が前へと落ちていく。受け止めるための腕は一本しかない。

 ここが勝機と見たのだろう、リーナルは前方で刺突の構えを組み立てつつあった。その判断と実行の速さはさすがとしか言えない。

 魔剣により強化された膂力が女の足裏に溜まり――やがて弾け散り、土くれを背後へと吹き飛ばす。

 

「最高速度の、一撃です――ッ!」

「――馬鹿だな。左腕が残っているぞ」

 

 イリスは本当に単純なことをした。

 落ち行く体の勢いをどうこうせず、逆に利用して(・・・・・・)、残る左腕に全膂力を込めて大地へと叩きつけたのだ。

 言わば衝撃を受け止め、殺すために差しだした手のようなもの。

 だが一つ違うのは、イリスが人外だということだけ。

 拳が大地に触れ、直後。

 

 

 

 爆音。

 地が、揺れる。

 

 

 

 激震は一斉に広がり、一歩を踏み出しかけていたリーナルの動きをくじいてしまう。――そしてそんな一瞬の隙さえあれば、イリスには十分だった。

 

「ほうら治るぞ」

 

 砕けた両足が生え揃い、失われた右腕が完全に再生する。瞬間的に五体満足へと戻ったイリスへと、それでもリーナルは刺突を行った。

 

「努力が無駄になってしまう」

「ならば何度でも砕くだけ……!」

 

 イリスは防御の姿勢を一切見せず、リーナルの刺突を受け止めた(・・・・・)

 剣の軌道上で手のひらを開いて、切っ先ごと握り締める。

 当然のようにイリスの腕を剣が貫通した。血飛沫で濡れ輝く刃。肉と骨が剣の勢いを止め、リーナルの動きを止めてしまう。

 

「たとえ十一の権能を持つ鍵であろうと私は殺せないよ」

「……ッ!」

 

 イリスの動きは速い。剣を握り止めたまま、瞬間的にリーナルへと蹴りを放つ。超人的な膂力が生み出す前蹴りをまともに食らったリーナルは、その衝撃で剣を手放してしまった。女の手のひらから抜けた剣が、空へと上がる。

 それを確かにイリスは掴み取り――背後へ。

 イリスの視界には、女が一人。

 

「レテミア。お前もだ」

 

 リーナルの一撃に合わせて奇襲をかけていたレテミアを、その気配だけでイリスは察していた。

 くるりと剣が翻る。

 流麗に腕が駆け上がり、そして地へと奔り落ち――常温のバターでも裂くかのようにレテミアの右肩へと剣は沈む。

 痛みは現象よりも遅く訪れ。

 一秒も必要とはせず、レテミアの右腕が、断たれた。

 

「――ぁ、ぐ」

 

 勢いで宙を舞う己の腕。痛みが視界を煮やす。

 隻腕。隻腕だ。

 もう己はフルールを抱きしめることすら満足にできなくなる――それでも、とレテミアは思った。

 

「だと、しても……!」

 

 血に腕が落ちるより早くレテミアは傷口を凍り付かせ、更にそこから氷の義腕を生成。

 瞬間の決意が女を前へと動かす。

 意識して氷の手は拳となり、生身以上の硬度と破壊力をもって、イリスの腹に向かって――重い一撃を、ぶち込んだ。

 ごきゅ、と内臓が撹拌する音。

 ――入った……!

 腹部に直撃した拳は間違いなくイリスの内臓を衝撃で破壊する。その力の奔流を受け止めたイリスの体が一瞬止まり、だが、

 

「――へぇ」

 

 血を吐きながらも、女は笑う。胃腸どころか肺も心臓も一斉に潰したのに。

 ぞっとしたレテミアが距離を取ろうとするより先に、イリスは腹部に拳を受け止めたまま前へと進んだ。

 一歩。

 右腕が後ろへ捻り、腰は勢いづいて回る――。

 レテミアが咄嗟の判断で右肩から生える氷の腕を引き抜き、巨大化。盾のようにしながら後ろへ跳んだ。直後には氷の全てが砕け散り、その衝撃がレテミアを吹き飛ばしていた。

 

「――!」

「あはは……痛い、痛いな、これ」

 

 口から血をだらだらと零す女は、何も気にせずに笑っている。敵から奪い取った武器――剣をさして気にもせずにリーナルへと放り投げ、ついでに腹をさする動きはまるで軽い腹痛にでも逢っているかのようだった。

 事実、イリスにとってはその程度の気軽さなのだろう。不死存在である彼女には。

 

「無謀だ。あきらめろ。お前達じゃ私には勝てん。この世で唯一の不死存在に誰が敵う? 誰が打ち勝つ?」

 

 ――自殺戦法。

 無限の死が可能だからこそ許される、不退転の極み。

 間違いなく無敵の存在に、レテミアとリーナルが歯噛みした。

 

「何か……あるはず、です。何かが」

「健気だなあ」

 

 血を吐きながらも言葉を紡ぐリーナルを、そよ風でも吹くようにしてイリスは笑う。

 気楽な笑みはすぐさま剣呑な目つきに変じて、だけど口調だけは軽いまま続いた。

 

「だけどそうだな。たった一つだけ方法はあるさ――封印だ」

 

 そうだろ。

 問いかける視線の先――そこには、イリスを射殺すほどの目線をした黒い女が。

 

「レテミア。お前だけが、私を眠らせることができる。未来永劫目覚めることのない氷の中に、閉じ込められる。だけど今のお前じゃ無理だ、わかるよな」

 

 レテミアは答えない。ただじっと、機会をうかがうようにして、身を低くしたまま動かない。だけどそれは二者択一を迫られ、体を動かせない者の苦悩のようにも見て取れた。

 

「なあ、レテミア。いつから世界は春が短くなった? いつから冬は一年の大半を占めるようになってしまった?」

 

 いつもなら大仰な身振り手振りで嘆いていただろう、イリスの台詞。今の彼女は淡々と言い募るだけだ。だからこそ、何ら飾っていない事実なのだと誰もが気付く。

 

「それって……」

「……」

 

 “神が捨てた世界”――故に年々冬の寒さは厳しさを増しているのだと、誰もが半信半疑のまま呟いていた。

 だけど、まさか? ユウリがレテミアを見る。氷をどこからともなく生み出し、あまつさえ城一つ凍て砕ける超越者を。

 

「――冬を閉じるはずのお前が、その義務を放棄しているからだろ」

 

 何故、とイリスは問わなかった。理解者であり同じ期待をもって祝されたからこそなのだろうか。

 レテミアはまったく表情を変えないままぽつりと告げる。

 

「……いずれ星は自ら季節を作れるようになるわ。天は巡る。いつまでも子にしがみ付く親なんて、最低だもの」

「それは無理だ。あれは、あまりにも雑すぎる。人は自らの臓器の、その機能のすべてを把握して動かしてはいない――星と私たちはそういう関係にあるのを知ってるはずだろ?」

 

 頑なに、レテミアは無言を貫いた。これ以上は無駄だと言いたいのだろう。小さく嘆息したイリスは、「もう分かるだろ」と冷めた調子になって続けていく。

 

「お前は自ら座を下りた。私のように強制的に追い出されたわけではないんだ――戻ろうと思えばいつでも“星”は歓迎する。そして万能の権能が、お前を祝す」

 

 最後の一言に、リーナルが顔を上げる。

 

「万能の権能……?」

「ああ。なんだ、不思議に思わないのか? 私もレテミアも、かつて環境調整のために作られた命なんだよ。世に最初に昼を作ったのは私であって、四季を作ったのはそこの女だ」

 

 ――現存する神代の者。現人神たち。

 もはや規模云々で語っていい領域ではなかった。ユウリにとっても、リーナルにとっても、相対する存在の格の違いは想像で及ぶ範疇をとうに超えてしまっているというのに、

 

「だというのに、この(・・)程度(・・)の力(・・)しか(・・)振る(・・)えな(・・)いと(・・)? ――まさか。そんなはずあるかよ」

 

 無知さをせせら笑う声音に、リーナルが完全に停止した。

 気力をもって繋がれていた意思が緩み、左の魔剣を握りしめる手を解かせる。と同時に右の王剣は虚空に掻き消え、女は茫然とその様子を見つめていた。

 戦意の喪失――イリスは完全に視線をレテミアへと移す。 

 

「本気を出せよ。対星の力で、仲間もろとも私を殺して見せろ」

 

 ……イリスは何がしたいのだろうか。レテミアには疑問だった。

 女の、レテミアへと向けられている殺意は間違いなく本物だ。イリスはレテミアを殺したがっている。そして殺す力が確かにある。だというのにイリスは、まるでレテミアを殺そう(・・・)としない(・・・・)。彼女の強さは十分に理解しているし、力量の差も把握しているつもりだ。

 いったい何を考えているのか。まさかこの期に及んで遊んでいるつもりなのか。いいや、違う。イリスは本気だ。本気でここに立っている。

 ……でも。

 もしも、イリスが疲れ切っているのなら――。

 

「……リーナル。ユウリとヴィエを連れて、逃げなさい。――遠くへ、とても遠くへ」

 

 レテミアはまっすぐにイリスを睨みながら、ぽつりと言った。

 言外に役立たずだと伝えている。

 酷な言葉は、最初から分かり切ったことだったのかもしれない。それでもリーナルは、恐らくその場の誰よりも『大人』だった。

 レテミアへ伝えることは、諦めるように褪せた笑いを浮かべて、たった一言だけ。

 

「……お達者で」

「そっちこそ、ね」

 

 目的の一致から生まれた絆は、故に硬く、そして淡々としている。

 リーナルは立ち上がり、魔剣を鞘に納める。更に王剣を虚空へ放り――豪奢な長剣は音もなく姿を消した。そうして空いた片手で素早くユウリを脇に抱え、逆側にヴィエを抱えた。

 

「っ! な、なぜ逃げるのです! ヴィエはまだ……ここに……!」

「私たちの出る幕じゃないわ、これ以上は」

「そ、それでも……」

 

 拒絶の暇もなくがっちりと固められたヴィエが、その拘束から抜け出ようと暴れだす。リーナルはその心情を推し量ることはせず、レテミアに一礼。

 

「お母さん……こんなの、だめだよ」

 

 娘の言葉には、何も言い返せなかった。

 そして背を向け駆けだした。

 やがて女の背中は地平線に沈んでいく。それまでイリスとレテミアは、ただじっと相対し続けていた。

 残ったのは、憎悪を互いにぶつけあう女が二人。

 さぁっと冷たい風があたりを流れた頃、レテミアはふいに口を開く――だがその声は、誰もが聞き取れない言語だった。

 

 

 

「■■■■■、■■■■■」

 

【御神渡よりの灼たなる恩賜承る】

 

 

 

 それは言うなれば星の言葉。彼女やイリスが星との対話を求めるとき、常に微睡みの中にある“星”へと語りかける、最後の手段。

 そして、契約そのものでもある。

 

 

  

「■■■■■■■、■■」

 

【我は氷座の戴冠者、弐の柱】

 

 

 

 レテミアが音を発するたび、地が揺れる。地鳴りとも違うどこか生々しい震えは、寝返りを打つかのようでもあって。

 女は少しだけ、口を閉じた。それでも――願うものはあったから。

 

 

 

「■■■■■■■■■」

 

【レテルヘンミルニア】

 

 

 

 時が止まってしまったかのように、風が止み、地鳴りは失せる。

 そうして現れたのは、レテミアを中心とした青色の円陣だった。巨大な――それこそ街一つを覆うほどの規模の。

 

「……座は、再戴冠された」

 

 レテミアがぽつりとつぶやく言葉が何を成すのか。それは現象として現れる。

 まず初めに周囲の温度が一気に低下した。

 零下へと至る気温に、イリスとレテミアの吐く息は白くなり――恐ろしいことに吐いた先から凍り付いてしまう。

 薄ぼんやりとした灰色の雲は明確に黒く染まった。曇天の下、ちらちらと降りだした雪は徐々にその勢いを増していき、やがて大吹雪となった。 

 環境が激変する。

 それを、レテミアが起こしている。星の代替者、権能を譲り受けた戴冠者として。

 

「あなた、生きたくないのね」

「お前の全存在を許せないだけだよ。後の事は……どうでもいい」

 

 二人の言葉にはなんの感情味もない。

 言葉も語り合うことも、既に必要ないのだろう。二人はそこにまで至ってしまった。

 

「最後にしましょう。これで」

 

 レテミアが腕を掲げる。それだけで空には氷で出来た槍が生まれ――大地は暗く陰った。

 その槍は……あまりに巨大すぎる。

 空を見上げても端から端までが捉えきれない。

 突き落せば国どころか大陸一つをかち割る槍が、何ら準備をせずとも作り出される。それが星に祝されたレテミアという女の、力だった。

 

「……」

 

 対しイリスは右の拳を握りしめるだけだった。まさか砕き割ろうというのだろうか。無謀を通り越して狂気に等しい自殺行為を、レテミアは笑わない。終わらせたがっている者に掛ける言葉など無い。

 だから、本当に気軽そうに、腕を振った。

 ――槍が空から落ちてくる。

 イリスはいくらでも対応策が思いついた。太陽を呼び起こす打とか、同じように座の再戴冠を願うだとか、最大規模の炎で迎えるだとか、いくらでも。だがその全てを行う気になれなかった。

 

 

 恐らく、この氷槍の直撃を受けても、死ぬことなど敵わない。

 

 

 粉々にまで砕け散って、肉の一片すら凍ってしまって、そうした上で厳重に封印されてしまうだけだ。

 それでも……これで眠れるのなら、と、思ってしまった。 

 左足を前に滑らせて、腰を回す。連動した体が右腕を畳ませて、肉体の内で溜まっていく力が何重にも連なり続ける。やがて溜めた熱量が爆発し、イリスの右腕皮下を食い破って炎を纏わせた。

 燃える拳。熱として顕現するほどの紅蓮。

 そのまま右腕を奔らせた――氷槍を砕けるとは思わなかった。

 その時だ。

 

「……?」

 

 氷槍が直撃する寸前、突如としてイリスのすぐ目の前で橙色の円陣が地に出現し――そこから、少女が一人飛び出した。

 

「イリスさま――――!」

 

 長く豊かな金髪。必死そうな青の瞳。

 ヴィエだった。

 

「ヴィエ、お前なんでッ」

 

 イリスの体がヴィエに押し飛ばされる。ヴィエはそのまま勢いを利用して女の体をかばうように抱き着いた。

 氷槍が大地に直撃し、穂先から砕け散っていく。その振動だけでヴィエもイリスも強く大きく吹き飛んだ。生み出される氷柱はそれでも尚巨大で、単体で人を串刺しにできるほど鋭利で――。

 地殻が割れる。街並みの全てが衝撃だけで破壊される。周囲一帯を死で覆いつくしてしまう――このままでは、イリスもヴィエも。

 

「来て!」

 

 ヴィエが叫び、少女の足元に円陣が生まれる。

 そこから瞬間的に吐き出される怪物の数々。獅子が、怪鳥が、巨大な虫が、それらすべてがイリスを――しいては主であるヴィエを守るため、何重もの肉壁となった。

 先頭に立つ者から刺し貫かれ、大地をおびただしい量の血肉が汚していく。

 だがそれでも氷柱の全てを受け止めることはできない。神性生物を生み出すよりも早く、冷たい凶器はヴィエへと襲い掛かり――。

 

「――。」

 

 ヴィエの胸部に、風穴が開いた。

 少女の背中すべてに拳ほどの氷柱が突き刺さった。

 血は流れる前に凍ってしまった。

 雪崩じみた氷柱の激流――ヴィエはそれでもイリスから離れようとはしなかった。

 

「ヴィエ。お前」

「ああ……よかった」

 

 事態に気づいたレテミアが氷槍を消してようやくのこと。

 少女は、にっこりと笑った。

 大好きな女の腕の中で。

 

「イリスさま、は、あたたかいから……すきです……」

「…………お前は」

 

 少女の体に突き刺さっていた氷柱の全てが消滅する。イリスは本能的に少女の肉体の復元を始めていた。

 目立った外傷はすぐさま治ったが、しかし、最も重要な臓器の治癒が致命的に遅かった。

 

「お前は、ただの道具だと理解できなかったのか?」

 

 ヴィエの心臓を完全に破壊してしまった氷柱。イリスは確かにどんな傷でも治すことが可能だ。それでも、覆せないものはあると、自身の力だからこそよく知っている。

 

「お前の幸せは私の下にはなくて……私の側に幸せなんて欠片もないんだぞ」

 

 なぜ、庇ったのか。なぜ助けようとしたのか。どうして――戻ってきた?

 イリスは何一つ理解できなくて、どうしてか何も感じなかった。

 腕の中の少女が一切鼓動を刻まなくとも。ただただ、イリスの治癒の力が僅かな猶予を与えている状況だろうと。

 

「それでも、すきだから……」

「す、き?」

「すきだから、ずっとおそばに、いたのです。愛しているから、あなたの、となりにいたかったのです……」

 

 全ての理由はたった一つなのだと、ヴィエは言う。

 少女は本当に満足そうな顔をしていた。 

 

「名前をつけてくれたイリスさま。

 ヴィエに色々なことを教えてくれたイリスさま。

 ヴィエといっしょに暮らしてくれたイリスさま。

 ヴィエの世界はとってもきれいで、美しくて、ああ……イリスさまがいるからなんだなあって思っているのです」

 

 ごめんなさい。なんだか、うまく言えなくて。

 

「これはね、イリスさま」

 

 本当に弱々しい力で、ヴィエはイリスの頬を撫でた。だけど女には何故だかそれが、どんな一撃よりも重い衝撃に感じられた。

 

「依存、とか…………刷り込みだとか……そういうことじゃ、なくて」

 

 掠れていく、声。

 徐々に光が沈んでいく青色の丸い瞳。うとうと、うとうと、下がってしまう瞼……。

 それでも。

 

「これだけが、愛なのです」

 

 ヴィエは、体を起こしてキスをした。

 イリスの唇に。

 本当に軽くて柔らかい、最後のキスを。

 

「これだけは愛だったのです」

 

 眠たげに言葉を溶かす少女は満足そうに微笑んでいる。すでにその顔は血の気を失い真っ青で、イリスはどうしたらいいのかわからない。

 

「ね、いりすさま」

 

 困惑して呆然として、何一つ言えないでいるイリスに向かって、まどろむようにあやふやな言葉で少女はささやく。

 

「ヴィエは……しあわせに、なれましたから……」

 

 そうして。

 少女の腕が糸が切れたかのように垂れ落ち。

 ゆっくり。ゆっくり。

 ゆっくりと……瞳は閉じて、そして………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヴィエちゃ――ん?」

 

 イリスは、その声にようやく顔を上げた。

 そこには母を連れて舞い戻る女がいた。息を切らして、焦燥に駆られた表情は徐々に徐々に現実を理解して呆然としていく。 

 彼女は、イリスの腕の中で動かなくなってしまった少女を、見つめていた。

 うそ――と、声はなく動く唇。

 嘘ではないのだと伝えようとしたイリスの唇はうまく動かなかった。

 震えてしまって、どうしても、どうしても、何をしても。

 

「……あぁ」

 

 贖えない罪は罪ではない。

 であれば罪は、それを自覚した瞬間から罪ではなくなる。

 (ひとえ)に、本人の心がそうさせるからだ。

 ――イリスは(・・・・)決め(・・)るこ(・・)とに(・・)した(・・)

 

「ああ、そうだよ」

「……」

 

 すべての仮定には意味がない。

 “もしも”、“もしかしたら”、“こうしていたら”……そんな言葉は幻だ。幻想だ。

 未来を見通す目など誰も持っていない。だから今を受け取るしか他にない。

 

「熱いばかりの肉体だ。火ばかりの命だよ……」

「……」

 

 イリスはうわ言のように呻いた。絞るような声に、腕の中の少女は頬の震えすら見せない。

 

「この心臓も、この心も、すべてが全て、何かを燃やさないと生きていけない……。私は炎だから、油がないと、薪がないと生きていけないんだ」

「……」

「そういう生き物だろう? そういう生き方なんだ」

「……」

 

 今更だな。

 ……。

 なあ、ヴィエ。

 

「……何か……喋れよ……」

 

 イリスがどれだけ少女の体を揺すっても、ヴィエは瞳を開かなかった。少女の瞼は上がらなかった。ただ、ただ、穏やかな寝顔のようにして、静かになってしまっていた。

 イリスは喋らず、レテミアはそんなイリスを見つめている。

 沈黙は、長い。

 永遠に続くかのようだった。

 ――唐突に、赤い瞳は空を見上げる。曇り空の灰色を。

 

「どうしてだろうな」

 

 少女を抱いたまま、イリスは呟いた。

 

「レテミアは……愛を知って私を殺した」

 

 裏切られたことの苦痛を知っている。

 

「フルールは、世界を知って私を憎んだ」

 

 恐れられることへの諦観を知っている。

 

「ユウリ。君の差し伸べた手を、私は拒んだ」

 

 清廉な女を見た。彼女はぼろぼろと涙を流していた。

 

「ヴィエは……ただ、私だけを選んでいた。見ていた」

 

 イリスはもう一度だけ、腕の中で目を閉じる少女を見下ろした。その安らかな死に顔をはっきりと直視した。

 ああ。

 そうだ。

 そうだろう。

 これは、もう、すでに、死人であって。だけど――どうして? 

 

「ヴィエ、お前、可愛かったんだな」

 

 ……なんて幸せそうな顔なのだろう。

 果たして己は、ヴィエに一度でもこんなにも充足に満ち満ちた表情をさせられただろうか。答えなど考えるまでもない。

 

「ふ、ふふ――ふハハッ」

 

 唇が、歪む。

 喉が、引きつる。

 上手く笑おうとした。だけど上手に笑うことはできなかった。勝手に頬がひくつくからだ。今すぐにでも崩れ落ちたくなるほど、立っていることが、辛いからだ。

 だけど全て、許されることではないから。

 

「……ヴィエは本当に愚かだよ」

 

 イリスはふらふらと歩いた。抱える少女の、羽根のような軽さに――なんら温もりのない冬の冷えに、震えながら。 

 歩いた先はユウリの下。傍に立つリーナルが剣を構える体に力を込める。だけど斬りかかってはこなかった。その剣で首をはねてくれれば、楽だったのに。

 

「私はイリス。なんにも知らない馬鹿な女だ」

 

 ユウリは何も言わない。

 それがきっと正しい。

 

「愛を知らないことは、悪い事じゃあない。今でもそう思う」

 

 イリスはそっと少女の亡骸をユウリに差し出した。ユウリはうつむいたまま、ヴィエを受け取った。言葉は、ない。それでいい。

 振り返る。そこには女が一人いる。背後からも殺気を感じる。

 ――ああ。

 ――まだ、生きている。

 喘ぐように息を吸って、吐いて。決して止まらない心臓の鼓動を聞いて。 

 イリスは、全てを唾棄した。

 

「だけど、愚かなことだ……!!!!」

 

 女は全身全霊の力をもって、空間の熱を膨張させ、爆発を起こし続けた。狙うのは誰でもよかった。ただ、ただ、壊し尽くしたかった。

 家が爆ぜる。

 大地がめくれる。

 凍り付いた世界を激烈に溶かしていく。

 止まらない。体が勝手に動いて、だからこそ止まることは認めない。

 街一つが瞬間的に紅蓮に染まり、溶けた大地はマグマとなって赤い光を生み出した。街どころか周囲の森すら――草原も、丘も、全てを飲み込む破壊の熱。

 

 

 

 星が(・・)燃えて(・・・)いく(・・)

 

 

 

 そんな灼熱地獄の中、イリスは蒸発するほどの死滅的な暖かさに包まれながら、思った。

 生きよう――初めてイリスはそう思えた。

 レテミアを殺し、障害の全てを燃やし、そうして尚生きよう、と。

 そのために深く考える必要などどこにもない。

 ただただ溢れ出る熱を現象として呼び覚まし、この星ごと全てを燃やせばそれでいい。

 やがて地上から生命の全ては無くなるだろう。己以外の何もかもが。

 ――そうした上で、笑おう。

 たった一人、死の星となった世界で。灰の雪が降る中で。

 せめて、魔王らしく。

 

 

 

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