百合と悪魔と煙草と銃とレズバトル   作:てりのとりやき

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第55話

 

 

 全身を、甘い痺れにも似た痛みが漂う。

 それは決して苦痛ではない。冬の早朝、人肌で暖められた布団の中にいるような、そんな微睡みを感じる。

 何度も繰り返した再生と覚醒。いつだって死は苦痛そのもので、嫌いだったはずなのに。

 

「結局、死ねず仕舞いか」

 

 イリスは体を起こした。先の戦闘で燃え尽きた肉体はこうして当然のように再生している。石畳の上で覚醒したイリスは一度肉体が燃え尽きたこともあり、その身は全裸だ。だけど彼女が寒さを感じることはなかった。――見上げれば、空は青々と輝いている。風は新緑の匂いと共に心地よく過ぎ去っていく。

 春が、ここにある。

 

「長い冬も終わりか……」

 

 一人呟いていると、近づいてくる足音が二つ。音の方を見れば、そこに居たのはヴィエ――を抱えるユウリと、未だに剣を手に持つリーナルだった。

 母の瞳はまだ、殺意を映している。どれだけの敗北も、娘の前でなら関係ないと、そういうことだ。強くそして美しい。

 

「安心するといい。もう、戦う気はないよ」

 

 イリスは褪せた口調で笑った。

 その声音に、その表情に、リーナルは眉をひそめる。

 

「……憑き物が落ちたような顔、ですね」

「そういう炎なんだろうよ、あれは。精神浄化の奇跡……とでもいえばいいのか」

 

 事実あれほど膨れ上がっていた怒りも殺意も、まるで遥か過去のことのように思えてしまう。それは感情が死んだとかそういうわけではなくて、ただ、事実をあるがままに受け入れられているのだ。

 

「それに――もう、あの二人には何をしても止められるとわかってしまった。戦うだけ無駄さ」

 

 イリスがユウリ達の奥を見やる。二人も釣られて視線を動かした。

 ――そこには、気絶しているフルールを介抱する、浅黒の女が。

 

「……」

 

 イリスの事などまるで気にも留めずに、今もなお目を閉じているフルールへと注視する女。その様子に、じっとイリスは目を細めた。口元を微かに横切る淡い笑みは、恋の終わりを知った少女のように瑞々しかった。

 

「レテミア!」

 

 やがて女は声をかける。聞こえない距離ではなかった。

 レテミアは、フルールを抱えたまま、振り返る。己を見る。

 あれほど冷え切った黒い瞳はどうしたことだろう、あまりにも懐かしい優しさをたたていて。

 

「――――すまなかった」

 

 自然と、イリスは頭を下げていた。軽く、だけどとても長く。

 

「……」

 

 レテミアは何も言わない。イリスが頭を上げるまで、決して何も喋ろうとはしない。

 だけどイリスが顔を上げて、恐々と視線を揺らしながらレテミアを見たとき、本当に小さな笑みを浮かべて見せた。

 

「私も……ごめんなさい。あなたに酷い事をたくさんしたわ」

「そう、だな。でも、私も同じだ」

 

 赤い女には、彼女の表情が、とても遠くに感じられた。きっと自分は一生手に入れられないものを勝ち得た存在への、羨望を抱いた。

 

「……お互い様、ね?」

「ああ。ああ……ありがとう、レテミア……」

 

 レテミアは微笑む。

 イリスは苦笑していた。

 

「もしもあの時……あなたに『フルールが欲しい』と言えていたら、何もかもが違っていたのかしらね……」

「どの道私はお前に裏切られていたんだ――そう感じていた。だったら何も、変わりはしない」

 

 けど、

 

「もしかしたら私は……お前が好きだと言っていたのかもしれない」

「そう。でも、私はきっと、断ったと思うわ」

 

 ――元に戻ることなど、決して出来ない。

 それだけの怨恨が、因果が、過去が、二人の間にはある。だからイリスもレテミアも、前へ進むことは出来なくて。

 でも、認め合うことだけは――色々な人のおかげで出来るようになった。

 本当に、ようやく。

 

「私、嫌な女でしょ」

「ああ。大嫌いだったよ、ずっとな」

「そう。私もあなたのことが、嫌いだったの」

 

 二人は笑う。不器用に。だけど今度こそ、確かに。

 

「これで終わりかい。全て」

「ええ。あなたと、私。二人ではどうしようもない事だったけれど……ユウリやリーナル、ヴィエ、そしてフルール。色んな人のおかげね」

 

 やがてレテミアはそっと立ち上がった。眠り続けるフルールを抱きかかえたまま、ユウリとリーナルに静かに礼をして。

 

「じゃあねイリス。さようなら」

 

 女は、一人――いいや、二人きりで背を向けた。

 実に呆気なくて。

 寂しくて。

 別れなんてこんなものなんだと思わせるほど淡々としていて。

 

「――あなたに、あなたなりの幸がありますように」

 

 だけど、ああ。

 これはとても清々しい事だとイリスは思う。

 

 

 

 

 

 

「あの」

 

 テミアが地平線の先へと姿を消すまでその背を見送っていたイリスは、唐突にかけられた声に肩を震わせた。

 見れば隣にユウリが居る。いつの間にか彼女は自身の外套を脱いでいた。

 

「これ。その、裸、ですし……」

「あ、ああ。そう、だな。ありがとう」

 

 レテミアと話している時はまるで気にならなかったが、そう言われれば確かに気恥ずかしい。頬を赤くしたイリスが、ユウリの貸してくれた外套に身を包む。

 そうして会話のきっかけを得たからだろう。ユウリは、恐々とした様子で口を開いた。

 

「これから、どうするんですか?」

 

 ユウリが気にするのも仕方がない問題だった。

 なにせイリスは正真正銘の不死者なのだ。レテミアとの問題が解決したとて、イリスが死んだわけでは無い。生き続けなければならない。ユウリは、イリスの今後について尋ねている。

 再度世界を壊すのか――それとも、

 

「…………少しの間、眠ろうかと思うよ」

「眠る……?」

「ああ。考えることが疲れてしまって。だから」

 

 それは目が覚めた時から決めていたことだった。ユウリの不思議そうな表情に、イリスはつい目をそらしてしまう。純粋な彼女の青い瞳が、どうにも見れなかった。

 それに、ユウリは今もヴィエの亡骸を抱えている。

 

「後悔だらけで、ヴィエにはどう贖えばいいのかもわからない。それを考えるためにも、少し静かになりたいんだ」

 

 数百年たっても、きっと答えは出ないのだろう。失ってしまったものの価値は、失ってからでないとわからない。そんな当たり前のことすら事前に理解できなかった自分が、贖いをどうするかなんてそうそう簡単にわかるはずがないのだから。

 

「貴人。あなたの娘に迷惑をかけたな」

 

 イリスは押し黙るユウリの代わりに、彼女の母親へと目を向ける。

 

「殺したいのなら、好きにするといい。何度でも受け入れよう。それくらいしか……出来ないんだ」

 

 リーナルとて辛酸を何度も舐めさせられている。娘を救おうとした彼女を害し、苦痛を負わせたのは事実だ。清算できるのならそれが一番楽な方法だろう。

 そう思っての言葉に、リーナルは静かに剣を構えた。

 ユウリが振り向く。リーナルは自身の娘と目を合わせない。

 妙な静寂は――十秒ほど後、

 

「……」

 

 女が、剣を鞘に納めることで、消え失せた。

 

「……いいのか」

「あなたに一度も敵わなかった私は、蔑みも哀れみも掛けられません。敗者は私ですから」

 

 だから、

 

「ユーリリア。あなたの好きにしなさい」

 

 リーナルはそれだけ言うと、静かになってしまった。ズボンのポケットから煙草を取り出すと、オイルライターで火をつけて勝手に喫煙を始めてしまう。

 本当に放任するということなのだろうか?

 信じられないものを見る目をイリスがしていると、ユウリがこちらに向き直った。

 

「だったら」

 

 どうやら、ユウリには何か案があるらしい。どんな苦痛も地獄も受け入れよう。こくこくとイリスが頷く。

 

 

 

 

「だったら、一緒に、暮らしませんか?」

「――はぁっ?」

 

 

 

 

 だが、さすがにその一言は、想像していなかった。

 

「あいや、すまない。その、驚いて、その」

 

 ――それは、償いでは、ないだろ。

 イリスが決めていい事でもない。そう彼女は分かっていたけど、それでもそう呟かずにはいられなかった。

 なにせイリスは魔王その人だ。そして世を破滅にまで追い込んだ張本人で、そして何より――――嫌われていると、ずっとそう思っていた。

 

「私が死ぬまででいいから……ううん、飽きたら、いつでも出てってくれていいから。だから、私の家で一緒に暮らしませんか?」

「……正気か。私は当代の魔王。君達人間とは存在からして別種だ」

「でも、言葉は通じますから。心は通い合っていますから」

 

 ユウリは抱えているヴィエの、その静かな死に顔をそっと撫でる。イリスは反射的に目を伏せてしまった。ヴィエの死だけは、どうしても受け入れられない自分がいた。

 

「――ねぇ、クッキーは甘かったですか?」

 

 唐突に、ユウリは言う。

 はっとなって顔を上げれば、ユウリは笑いながら泣いていた。綺麗な綺麗な、夢物語に出てくるお姫様のような笑顔で、ぼろぼろと泣いていた。

 ぬるくてしょっぱい滴がヴィエの頬に落ちていく。少女の頬を滑っていく。イリスにはそれがヴィエの涙のようにも見えた。少女が、嘘をつかないでほしいと言っているように、感じた。

 

「甘くなかった。……塩の味が、したんだ」

 

 だから正直に言う。思い出す。あの、奇妙な焼き菓子の味を。

 

「しょっぱかったんだよ、あれ」

 

 ですよね、と涙を指で拭いながらも笑うユウリ。

 

「私、知ってたんです。ヴィエちゃんが砂糖と塩を間違えてるって。でも……それでいいかなって、思って」

「……」

「あのクッキーはとてもしょっぱくて、でも私にとっては何よりも甘いお菓子だった」

 

 ヴィエを抱えるユウリの手により一層の力がこもる。胸に抱き寄せる少女の冷たさを解すかのように、涙を流すユウリの表情は柔らかい――まるで春の陽光のように。

 

「イリスさんは違いますか?」

「どうだろうな……わからない。でも、思い返せば少しだけ甘かった気がする」

 

 「そうですか、良かった」。彼女は、本当に嬉しそうにそう呟いた。

 

「……そうやってあなたが甘いと感じるように私も甘いと感じたんです。心の中だけでも、ううん、心の中だからこそ、酸いも苦いも甘いも毒も……分かち合うことはできるはずですから」

 

 それにね、とユウリは急に手を伸ばす。――イリスの、片手へと。

 手をしっかりと握られたイリスは突然の事に、戸惑いの表情しか返せない。

 

「――なにを」

「ねえ、イリスさん。この心が感じる“熱”は……偽り、ですか?」

 

 伺うような。試すような。猫めいた挑戦的な目つき。それはイリスが初めてみるユウリの表情で、だからこそ彼女が近づいてきてくれたのだと、十分に理解できた。

 

「偽りなんかじゃ、ないさ」

 

 自分は、認められている。許されている。それはユウリという女性があまりにも清らかで、美しい慈愛を持っているからだ。そう気づけば気づくほど、自分という存在の脆さを知ってしまった。

 

「偽りなんかじゃない……確かに、ここに、あるんだ……」

 

 あぁ……。

 これなんだ。

 

「私が救いたかったものは。助けたかった、か弱き命は……」

 

 ユウリの手を、ぎゅっと握り返す。決して砕かぬよう。一つの痛みも与えないように、気を付けながら。

 彼女の手は暖かい。空に浮かぶ太陽のように――その日差しのように。

 

「イリスさん。私、あなたのこと、嫌いじゃないんです」

 

 ユウリが笑っていた。その清廉な顔立ちをゆったりと緩めて、微笑んでいた。 

 

「とっても傲慢で、いつも偉そうにしていて、皮肉な事ばかり言って、よく馬鹿にして……むっとすることが何度もありました」

 

 出会いは本当に偶然だったのだろう。彼女を乗せた馬車が魔物に襲われ、そこをフルールたちが助けなければ、きっと生まれなかった運命と因果だ。

 全ては巡り、廻っている。イリスとてその縁の中にいる。

 

「でも、おかしいの」

 

 誰も、一人では生きられない。生きられなかった。

 そんな簡単なことにも気づけない、愚か者だったんだ。

 そしてどうしようもなくイリスの両目が熱くなった。

 

「あなたと話すと楽しいって……思えていたんです」

 

 ぴたりと、項垂れるイリスの顔から、ぬるい滴が一粒落ちた。それはどんどん零れていって、止まらなくて。

 気づけばイリスは訳も分からず泣き続けていた。

 

「っ……!」

 

 そっと、ユウリの細い指がイリスの顔に近づく。

 言葉はない。イリスは涙を拭わず彼女の手を受け入れる。

 ユウリの手は、泣いていたからか、震えていた。震えたままイリスの涙を拭って、震えているから余計に女の顔をぐちゃぐちゃにした。

 

「初めてだ。ああ、涙とは、こういうものなんだな」

「辛い、ですか? 私は……辛いです」

「でも嫌いじゃないよ」

 

 許せと、ヴィエに言うことが出来たらどれだけ楽なのだろう。

 生前の少女はどんな反応をしたのだろう。

 許してくれたのだろうか? 

 所詮、全ては幻想でしかない。だから、考えるべきではない。

 

「許しは請わない。だから……誓おう」

 

 何年でも何十年でも、いつも同じ空の下で生き続ける。

 誰かと寄り添い生き続ける。

 そうしていつの日かきっと、ユウリは先に死んでしまうのだろう。

 彼女だけが老いるのだろう。イリスだけが若い女の姿のままでいるのだろう。

 やがてユウリがしわくちゃの老人になって、そうして右も左もわからなくなってしまっても――それでもいいとイリスは思えた。

 彼女との別れはとてもつらいものだけど。

 でも、その悲しみが世界を壊すかといえば別だから。

 

 

 

 

「私はイリス。

 イリアヘキサデウス。

 だけどそれでも……君の前でだけはただ一人の女でいたいんだ」

 

 

 

 

 苦痛は苦痛だ。

 涙は涙だ。

 ――それでも。

 

「君を、永久に守ると。我が全生を賭して…………誓おう!」

 

 それでもこれは、生きているという、実感の証明だ。

 

「ねえ、ユウリ」

「なんですか?」

「私は……君を」

 

 いいや、違うか。

 誰かを壊す感情など誰にも向けるべきものではないのだ。

 だから、紡ぐべきは。

 伝えるべき言葉は。

 

「君は、私の事を――――」

 

 そして、君が笑い。

 そして、君が頷き。

 いつまでも傍にいてくれるのなら。

 ……それはきっと、幸せと呼ぶべきものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それより数年後、とある貴族が『国』を興す。

 そこに如何な理由があったかは当人たちでないとわからない。ただ、その貴族が建国を宣言する少し前、前当主とその妻の葬儀が同時に行われていたらしい。

 謀略か、罠か。

 とにかく。

 国から分離したその領地は、豊かな作物と、それに支えられた人々の力により、勢力を増し、味方を増やし、やがて誰もが認める一大国家と成った。

 初代女王の名をユーリリア・ルベルトダスト。

 彼女の傍には、赤い瞳の美しき守護精霊が常に居たと言われている。

 

 

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