翼を広げて、一等星のその先へ   作:笹の船

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今日も朝が来る

 ふと気がついた時、私は不思議な空間に立っていた。

 どこまでも続く草原と、青く澄み渡った空。

 いつもの私なら大喜びでその果てに向かって走り出してたと思う。

 けれど、私はそうしなかった。出来なかったといったほうが正しい。

 何故って、私の体は指一歩動かせなかったから。

 そこで、私はこれが夢なんだってことに気がついた。

 そして、私の目の前には女の人が草原にポツンと置かれた椅子に座っていた。

 きっと、この夢はこの人とお話するのが目的なんだ。どうしてかそう思った。

 それはそれとして目の前の女の人を人、と言っていいのかは分からない。

 何せ私の目の前の女の人は真っ白なシルエットをしていたんだ。

 真っ白な紙に書き起こされた架空の存在が色をそのままに実体を持って現実に飛び出してきた。そんなふうに説明した方がすんなり納得できそうなくらい真っ白だった。

 だけど、不思議なことに体つきと口元は見て取れた。かろうじて女の人って分かるくらいだけど。

 そしてこれまた不思議なことに目元だけは元々ないのか、ボヤケているのか……とにかく見えなかった。

 

『頑張って』

 

 どこかちょっと嬉しそうな、それでいて羨ましそうな声でその人は言う。

 あなたは誰、と問いかけようにも私の口はボンドでくっついたみたいに動かない。

 

『あなたはどうか、夢を諦めないで』

 

 言われなくても諦めるつもりは無い。夢を現実にする為に、私はトレセン学園に来たんだから。

 だから、もちろんだよと伝えたかったけれどもやっぱり私の口は動かない。

 それならとジェスチャーをしようと思ったけど、相変わらず体はピクリとも動かない。まるで、私の体じゃないみたいだ。

 どうにか体が動かせないかなって頑張っているうちに、目の前の景色が溶けていく。

 待って、と声を上げる前に私の意識も薄れていった。

 

 

 

 ぼんやりとした意識が段々とはっきりしてくる。

 もう見慣れた寮の天井が視界に入ってきた。

 枕元に置いてあったスマホを手に取ってボタンを押すと時計が表示される。

 朝の4時40分。目覚ましが鳴るまでまだちょっとある。

 なんだかとても変な夢を見た気分だ。誰かに何かを言われた夢。

 あれは一体何だったんだろう?

 寝起きでぽやぽやした頭だと考えもまとまらない。

 まあ夢のことだし、あんまり気にしなくてもいいかな。

 そう考えていると隣のベッドからもぞもぞとした音が聞こえてきた。

 

「んー……ツバサ? はやいね……」

 

 ボサボサになった青鹿毛色の髪をガシガシとかきながら、そのウマ娘は開き切らない目で私を見て笑った。

 

「おはよ、フー」

 

 まだ眠そうにしてる同居人の姿に思わず頬が緩む。

 こんなふにゃふにゃした雰囲気の娘が私のクラスの学級委員を努めてるんだから、世の中分からないものだよね。

 とりあえず、目も覚めてしまったのでのそのそと掛け布団を体から引き剥がしてベッドから降りる。まだこの時期の朝は肌寒い。

 思わず腕を抱くようにして寒さを和らげようとしながら、廊下に出て洗面所に向かう。

 選抜レースの日から数日後。

 私は学校の授業が終わってから毎日のように走り込みをしていた。

 テイオーに負けてから、私に何が足りないのかと色々考えてみたけど、やっぱりスタミナが足りなんじゃないかって思った。

 トップスピードを上げるのも大事だとは思うんだけど、自分ひとりの練習じゃ何ともならない。

 走るだけなら一人でもできるけど、速く走ろうとするんだったら私は近くに他の娘がいたほうがやりやすいから。

 そう言えばテイオーはトレーナー決まったんだっけ。私も早くスカウトされるように頑張らないと、どんどん置いてかれちゃうよなあ……。

 そんなことを考えていると最寄りの洗面所についた。まだちょっと朝早いからか、洗面所には誰もいない。

 待たずに顔を洗えるって気持ちいいなー、なんて考えながら水を出そうと蛇口に手を伸ばして、一瞬手を止めた。

 それからやっぱり、と思い直してからお湯が出る方の蛇口を開ける。冷たい水の方が目は覚めるだろうけど、温かいお湯の方がこう……安心するし。

 気持ちのいいお湯で顔を洗うと、ぽやぽやしてた意識がちょっとシャキッとした。

 蛇口を閉めて持ってきてたフェイスタオルで顔についた水分を拭く。噂じゃフカフカソムリエ? とか言う人イチオシらしいタオルだけど、去年からずっと使ってるから今はそこまでフカフカじゃない。

 タオルから顔を上げると、洗面所の鏡の中から私が私のことを見ていた。

 お母さん譲りのスカイブルーの瞳に、鎖骨にかかるかどうかくらいの長さのボサボサになった栗毛色の髪。うーん、この髪じゃとても人前に出れないや。

 でもまあ、どうせ部屋に戻ったら櫛で整えるつもりだしここで直さなくてもいっか。めんどくさくて後回しにしたとも言う。

 

 洗面所を出て、自分の部屋に戻る。

 部屋に入るとルームメイトのフー──フードゥルアルクがボーッとした様子のままベッドに座っていた。

 朝に弱いフーはどうしたって動き出すまで時間がかかる。フーが恥ずかしがるからあんまり人には言わないけど、普段の優等生でしっかりものな彼女の姿を知ってるとなんだかギャップですごく可愛く見えるんだよね。

 ちょうどその時、私の枕元に置きっぱなしにしてあったスマホから朝5時を知らせる爆音の目覚ましアラームが鳴り響いた。

 

「ふぎゃあ!?」

 

 おっと、ぼーっとしていたフーにはすっごい効いたみたい。座った姿勢のまま真上にちょっとだけ跳ね上がってるの面白いな。

 思わずくすくすと笑いながらスマホに手を伸ばしてアラームを止める。

 

「おはよう。目は覚めた?」

「……見なかったことにしてくれる?」

「今日のお昼にデザート譲ってくれるなら」

「えー! 今日はひとくちチーズケーキだから絶対嫌!」

 

 耳を絞って睨みつけてくるフーに冗談だよと笑いながらパジャマを脱ぎ捨てる。

 うー、やっぱまだ寒いな。早く体操服着ちゃわないと。

 

「……ねえツバサ」

「なーに?」

 

 寒い寒いと思わず漏らしながら体操服を着て、その上にジャージを羽織っているとなんだか難しそうな顔をしたフーがこっちを見ていた。

 

「走りに行くのはいいけど、髪の毛ぼさぼさだよ? そのまんま外行くの?」

 

 あっ、すっかり忘れてた。さっきまで部屋に戻ったら梳こうと思ってたのに。

 

「忘れてたんでしょ。……ほら、やってあげるから」

「フー? 私、それくらいは自分でできるんだけど……」

 

 むしろ状況的にフーの方が私にやってもらった方がいいんじゃないかな。

 どうせまだちょっと眠たいんだろうし。

 なんて思いながらフーの隣に座っちゃうのは、まあほらやってくれるならやってもらった方がね?

 

「全く……ツバサは適当すぎるからダメだよ? せっかくきれいな髪なのにもったいないって」

「ちゃんとトリートメントとかは使ってるんだけど」

「それじゃ足りないよ。もっと普段からお手入れしないと」

「えー」

 

 そんなことをする暇があったら走りたい。

 

「レースに出たらライブにも出るんだよ? なるべくキレイな方がいいでしょ?」

「そもそも勝てなきゃ出れないでしょ」

「……一応、バックダンサーとかもあるから」

「あれは……どうせ誰もそこまで見ないよ」

「ファンの人達は見てくれるよ」

 

 どうだろう。お母さん達は私を見てくれるだろうけどテレビ越しだろうし。髪とか分かんないんじゃないかな。

 

「ん。髪、梳かし終わったよ」

「ありがとフー。じゃあ私ちょっと行ってくる」

「ちゃんと学校始まるまでに帰っておいでよ?」

「フーまで副会長みたいなこと言う!」

 

 あはは、と笑うルームメイトに対して頬を膨らませながらバッグを肩にかける。

 窓から差し込んできた朝日の光が目に入って思わず目を細めた。

 

「今日もいい天気だね。走ったら気持ちよさそう」

「……ホントにちゃんと帰ってきてよ?」

「フー、それもしかして……フリ?」

「そんなわけないでしょ!」

「あはは! それじゃあ行ってきまーす!」

 

 ちょっと! と制止する声を振り切って部屋を飛び出す。

 さあ、今日もいっぱい走るぞー!


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