父親
「……綾小路。」
今日は12月4日、来週には二学期も終わろうという時期、あえて目立つ教室の廊下を避け、人気が少なくなったところで茶柱先生がオレに声をかけてきた。
「何か用ですか。」
「ああ。私について来い。話がある。」
「それは難しい相談ですね。今から友達と約束があるんですよ。」
適当な嘘をついて逃れようとする。実際には友達など居ないが面倒な事はごめんだ。
「私も教師として不用意なことはしたくないが、そうはいかない事情もある。」
いつも感情を見せようとしない茶柱先生が、珍しく弱気な表情を見せていた。
「天野の時のように…ですか、良い予感はしませんね。」
「残念だが断る権利はない。非常に大事な話だ。天野の件も…まぁそうだな。」
ついていきたくはないが、教師の指示じゃ従わない訳にもいかない。
オレは茶柱先生の後を追うことにした。天野もこんな気持だったのだろうか…。
「第二応接室? わざわざこんなところで話なんて、進路相談には早いと思いますが……。」
「入ればすぐに分かる。」
それにしてもなぜ第二なのか……まぁ気にするほどの事でも無いか。
茶柱先生はそう言って応接室の扉をノックした。
「前島校長。綾小路清隆くんをお連れしました。」
校長? オレのような生徒には入学から卒業まで無関係そうなもんだが……それにしても坂柳か…
「入ってください。」
年齢の貫録を感じさせる声が聞こえ、茶柱先生が応接室の扉を開いた。
60前後の男性がソファーに腰かけ座っていた。入学式や終業式で何度か見たことがある、間違いなくこの学校の校長だ。だがその表情に余裕はなく、額に汗を浮かべていた。そしてその向かいにももう一人、オレは確信する。
何故オレがここへと呼ばれたのかを。
「では、後はお二人でお話をしていただく、ということで……構いませんか。」
「無論です。」
「私は席を外しておきますので、どうぞごゆっくりと。失礼いたします。」
校長の向かいに座るのは40代ぐらいの男性。明らかに二回り近く年齢が低いにもかかわらず、校長は徹頭徹尾物腰低く接し、逃げるようにして応接室を後にした。それほどの権力の持ち主だという事だろう。
「では私もこれで失礼いたします……。」
茶柱先生も、男に一礼し校長と共に部屋を後にしていく。
扉を閉じると、目の前の男の衣擦れの音だけが小さく耳に響く。
こちらが一言も発さず動かないでいると、男は静かに言葉を吐いた。
「まずは座ったらどうだ。わざわざ俺から出向いてやったんだぞ。」
1年、いや……1年半ぶりに聞く男の声。
その口調もトーンも、以前と何ら変わらない。
「座るほど長話する予定はないんだけどな。この後友人と約束がある。」
「友人だと? 笑わせるな。お前にそんな存在ができるはずがないだろう。」
冗談には冗談で返してくる。流石にこの程度は誤魔化しにすら入らないか。
「ここでオレとあんたが会話するかしないなんて、この先に何も影響しない。」
「なら俺の望む答えが返ってくると思っていいのか? それならば話し合う必要はない。こちらも忙しい合間を縫ってきている。」
こちらに目を向けることもなく、男はそう結論を導こうとしてきた。
「あんたの望む答えなんて知らないな。」
「すでに退学届けは用意させてある。校長とも先程話がついた。後はお前がイエスと言えばそれで終わりだ。」
こちらが誤魔化そうとしていると、男はすぐに本題を切り出した。
「退学する理由はどこにもない。」
「お前にはそうかもしれん。だが、俺にとってはそうではない。」
ここで男は、初めてオレの方へと視線を向けた。
その鋭い眼光は衰えるどころか、年々鋭さを増しているようだった。
「子供の希望を、仮にも親の一方的な都合で捻じ曲げるのか?」
「親だと? お前が一度でもオレに対し親だという認識を持ったことはあるのか。」
「確かにないな。」
そもそもの問題として、この男もオレを息子と思ったことがあるかどうかも怪しいだろう。
血が繋がっているかいないかなんてどうでも良いことだ。
「大前提として、お前は勝手な行動を起こした。俺は待機だと命じたはずだ。」
男はいきなりそう切り出し、続けた。
「その命令を破りこの学校に入学した。即座に退学を命じるのは当然だ。」
「あんたの命令が絶対だったのはホワイトルームの中での話だろ。そこを出た今、命令を聞く必要もない。」
「……少し見ない間に、随分と饒舌になったものだ。やはりくだらない学校の影響か。」
頬杖をついたまま、男は汚物を見るような目でオレを見た。
「それよりも、さっきの質問に答えてもらおうか。」
「命令を聞く必要がない、という無駄な質問のことか? お前は俺の所有物だ。俺が全ての権利を持っている。生かすも殺すもこちらが決めることだ。」
この男は本気でそう言っているのだから性質が悪い。
「オレは退学するつもりはない。」
このまま言い合いをしても平行線なのは明らかだ。
当然向こうもそれが分かっているから、別の手を打ってくる。
「この学校の存在をお前に教え、入学するよう入れ知恵をした松雄がどうしているか気にならないか?」
「別に。」
聞き覚えのある名前だ、すぐに顔も思い出す。
「ヤツは、お前の管理を任せた執事だったが、最後の最後で雇用主の私に逆らった。」
一気に内容を話さずあえて区切りをつけて話す。
そうすることで相手に深く内容を刻み付けると共に、重要性の高い会話が始まるという意識を植え付ける。
「私の管理下から逃げ出す方法として、この学校の存在をお前に教え、そして実の父親の意向を一切無視して入学の手続きを勝手に進めた。実に愚かなことだ。」
学校側に出されたお茶の入った湯飲みを手に取り、一口含む。
「言語道断、許されざる行為だ。当然報いを受けなければならない。」
目の前の男は淡々とそう言っていく。
「既に想像はついているだろうが、ヤツは俺の手で懲戒解雇されている。」
「雇用主に逆らったなら当然だろうな。」
オレの執事をしていた松雄という男は、60歳近くの人物だった。
非常に面倒見がよく、愛想が良い。どんな子供にも好かれるような男だった。
だが、若くして結婚した松尾だが、子宝に恵まれずに40歳を過ぎて初めての子供を授かった。だがその代償で妻を失い、男で一つで子供を育て、年齢はオレと同い年だ。
「お前も知っているだろう。松雄自慢の息子の存在を。」
こちらが勝手に先まで思いを巡らせていると、見抜いたようにそこを突いてきた。
「お前がこの学校に入学が決まったように、松雄の息子も難関の試験をクリアして有名私立高校に入学した。」
一言間を置き、こう続ける。
「が、今は退学している。」
その言葉の意味は簡単だ。
罰として息子の入学を取り消したのだろう。
この男にはそれだけの力がある。
「それで? あんたほどの男がそれだけで済ませたのか?」
「松雄の息子は芯の強い子供だった。念願だった進学校を退学になっても、腐ることなく別の高校へ入学することで再起を図ったようだ。
だから同様に私も手を尽くすことにした。息子のいく先々の進学先を潰し、進学を諦めさせた。松雄自身も同様に、ヤツの悪評を垂れ流し再雇用を徹底して封じた。結果的に息子は行き場を失い無職となった。」
オレが勝手なことをしたせいで、松雄とその息子が路頭に迷った、という話だ。
作り話ではなく事実なのだろうが……そんなことを言うだけなら拍子抜けだ。
「ここまでならお前も驚きはしないだろう。雇用主に逆らったのだからある程度の償いは必要だ。元々責任感のある松尾は、自分の軽率な行動が息子の将来までもを奪ってしまったことに苦悩したのだろう。
息子を救うために、これ以上息子に手を出さないでくれと私に懇願した末に、先月焼身自殺している。」
それがこの男が言いたかったことのようだ。
オレの勝手な行動が、他人の命を奪う悲劇に繋がった、と。
「今息子は……行方不明だ。この俺の力を持ってしても見つからない場所にいるか…名前を捨てて逃げたか…心中したか…まぁいずれにせよお前に人生を壊されたというわけだ。」
「あんたの所為で一家は悲惨な目に遭ったわけだ。息子はさぞ恨んでることだろうな。」
「死んで許される問題でもない。」
それで? とオレが次の言葉を待っていると、男は僅かにだが口角を上げた。
「お前を世話し、助けてくれた男が死んだというのに、まるで興味がないようだな。お前のその姿を見れば松雄も後悔するだろう。」
何を言っているんだこの男は。
松雄とその息子が路頭に迷ったのも、死を選んだのもこの男に原因がある。
だが、男の狙いはオレの罪悪感を駆り立てること……ではなく、単純に示したかったのだろう。
自分を怒らせると容赦をしない。そのことをオレに伝えたいだけに過ぎなかったのだ。
「あんたの話が本当だという証拠はないが……もし死んでいるのなら猶更学校を去るわけにはいかないな。あんたに罰を与えられると分かっていてオレをここに入学させた松雄の意思を継ぐ。」
巫山戯た内容には巫山戯て返す。
「つまらない冗談だ。」
そう男が言いたくなる気持ちも分からなくはない。
この男の指示……正確にはホワイトルームの指示には常に従ってきた。
そうすることがオレの世界の全てだったからだ。
だが、男の唯一の失敗は1年間の空白ができてしまったことだろう。
「空白の1年の間に何があった。お前の何がこの学校に入る決意をさせた。」
「あんたは確かに最高の教育を施してきたのかもしれない。それが世間に顔向けできないようなやり方であったとしても、オレはホワイトルームそのものを否定はしない。
だから他人に対して過去の話をするつもりはないし、陥れる真似もしない。ただ、あんたは理想を追い求め過ぎた。その結果が今のオレの姿ってことだ。」
オレは高校一年生。年齢にして16歳。だが知識という面においてオレの学習量は、人の一生をかけて習得していく量を遥かに超えてしまっている。だからこそ気付いたこと、気づけたことがある。人の探求心は無限に湧き出てくるものなのだ。
「あんたは様々なことをオレたちに教えた。純粋な学問学術は言うに及ばず、武術や護身術、処世術と枚挙にいとまがない。だからこそ、オレはあんたがくだらないと切り捨てた『俗世間』ってヤツを学びたくなった。」
「その末、導き出した答えが家を飛び出したことに繋がると?」
「ホワイトルームの中に居続けることでこの学校と同じことが学べたか? 自由とは何か、縛られないことの意味とは何か。あの場所でそれが学べるはずもない。」
この部分だけはこの男にも否定できないものだ。
確かに、ホワイトルームは世界の中でも、最も効率よく人間を育成する施設の1つかもしれないが、この世の全てを学べるわけじゃない。不必要とされているものを極限まで切り捨てた施設だ。
「松雄はオレに言った。日本で唯一、この学校ならあんたの手から逃れられると。」
もしこの学校を選ばずに指示通り待機、あるいは別の選択を選んでいれば、オレは再びホワイトルームに戻されただろう。
「理解しがたいことだが、状況を受け入れざるを得ないようだな。やはり計画が完了する前に施設を一時中断したことには失敗だった。僅か1年で16年越しの計画が頓挫しそうになるとはな。そして忌々しいことに、この学校に逃げ込み俺の手から逃れるとは…。」
男としても、ホワイトルームの一時中断が断腸の思いだったことは知っている。
だからこそこうして、強くオレを引き戻そうとしているのだ。しかし、半年以上も経って接触してきたのには何か裏がありそうだし、大物がこの学校のバックにでもいるのか。
「お前がここに来た理由は理解した。しかしそれで解決したと思っているのなら甘い話だ。松雄の息子のように、力ずくでこの学校をやめさせることもできるんだぞ。」
「政府の息がかかったこの学校に、今のあんたが介入できるとは思えないな。」
「何故そう言い切れる。根拠のない発言だな。」
「まず第一に、あんたが常に連れ歩く複数のボディガードの姿がない。あちこちから恨みを買っているからこそ、あんたはその存在を手放せないはず。だがこの部屋にも廊下にも見える範囲に奴らはいなかった。」
再び男は湯飲みを手に取り、既にぬるくなったであろう残りのお茶を飲み干した。
「たかだか高校を訪ねるのにボディガードも何もない。」
「トイレにまで護衛を連れ歩く男がそんな怠惰なことをするはずがない。連れて来ようにも連れて来られなかったと見るべきだ。この学校の権力者が許可しなかった、とな。」
それに従わなければ、男はここに入ることを認められなかったのだろう。
「根拠には欠けるな。」
「次に、もし力ずくで辞めさせられるなら四の五の言わずに実行しているはずだ。なのにそれをせず、わざわざ対話でオレを退学させようとしている。」
「松雄の息子には、直接会うこともなく鉄槌を下しているはずだ。」
「そしてもう一つ、少なからず敵地と予想できるこの学校で、あんたが強引に動いたと世間に知られれば、あんたの野望……カムバックも永久に消えるんじゃないか?」
「……それも松雄の入れ知恵か。死んでもなお私にまとわりつくか。」
「松雄の口ぶりじゃ、それだけでもないようだったけどな。」
まぁ、オレも松雄からこれ以上詳しく聞かされたわけじゃないが、推察することは可能だ。
「施設中断の影響もそうだが、もう一つお前の問題を見つけた。どんなに完璧に躾けたつもりでも反抗期と呼ぶにふさわしいものが人間に起こるものなのだとな。」
太古から刻まれてきたDNAには抗えない。
「お前ほどの個体が何故道に外れたことをする。不要なものを学ぶことに意味などないと最初から分かっているはずだ。」
「飽くなき探求心、そして自分の道は自分で決める。そう思ったからに過ぎない。」
「くだらん。私が用意した道以上のものなどこの世には存在しない。お前はいずれ私を超えて日本を動かしていく存在となるべきだ。何故それが分からない?」
「それはあんたの中での話だろ。」
「話にならないようだな。」
「同意見だ。」
この男との会話はどこまで行っても平行線なのだ。
「既にホワイトルームは再稼働している。遅れを取り戻せるだけの準備もしている。」
「ならあんたの意思を受け継ぐ者たちは大勢いるってことだろ。何でオレにこだわる。」
「お前ほどの逸材はまだ表れていないからだ。……最後の言葉だ清隆。熟考したうえで答えると良い。自分からの意志でこの学校から去るのと、親の手で強制的に去る。どちらが希望だ?」
どうやら、この男は本当にオレを手元に引き戻したくて仕方がないらしい。
どんな手を使ってくるつもりか知らないが聞き入れる気にはなれないな。
「……戻るつもりはないか。」
沈黙を貫くと、男は早々に結論に達した。
「あんたに救いがあるかは知らないが、オレは学ぶことを放棄したつもりはない。方針は違えど、この学校だって人材の育成をしていることに変わりはない。そこに期待するんだな。」
「バカバカしい。この学校がどんな場所なのかお前は全く理解していない。ここは烏合の衆の小屋に過ぎない。お前のクラスにもいるはずだ、救いようのない底辺共が。」
「底辺? そうでもないさ。人間が平等であるか否かを問う一つの答えが見つかるかもしれない場所だ。中々面白い方針だと思う。」
「無能が天才と同じ土俵に立つことができるようになる、とでも?」
「心の底からそうあってほしいと願っている。」
「どこまでも俺の方針に逆らいたいようだな。」
「もう話は終わりで良いだろ。この話はいつまでも平行線をたどると気づいているはずだ。」
そろそろ切り上げたいと意志を示したタイミングで、応接室にノックが響き渡った。
「失礼します。」
そう声が聞こえ、ゆっくりと扉が開いて40代と見られる男が姿を現した。
予期せぬ来客を前に、男の表情が僅かに険しくなった。
「お久しぶりです。綾小路先生。」
そう言うと現れた男は深々と頭を下げた。その様子はさながら部下と上司だ。
「……坂柳。随分と懐かしい顔だな。7、8年ぶりか。」
「父から理事長の座を引き継いで、もうそれくらいになりますか。早いものです。」
坂柳……か。
Aクラスの坂柳有栖の父親か?
「君が綾小路先生の……確か清隆君、だったね。初めまして。」
こちらに声をかけたところで、立っていたオレに少し首をかしげた理事長。
「どうも。こちらの話は終わったんでオレは戻ります。」
「あぁ少し待ってもらえるかな。綾小路先生と君を交えて少し話がしたくてね」
第三者に、ましてこの学校の理事長にそう言われてしまっては断ることもできない。
「さ、座って。」
そう言ってソファーへと座らされる。オレの隣には理事長が腰を下ろした。
「校長から話は伺いました。彼を退学させたいとの意向でしたね。」
もし理事長が権力に屈する存在であれば、オレは窮地に追い込まれるかもしれない。
「そうだ。親がそれを希望している以上、学校側は直ちに遂行する必要がある。」
男の言葉を受けて、坂柳理事長も校長と同じようにオレの退学を許可するのだろうか。
そんな心配を他所に、男の目を捉え言い切った。
「それは違います。確かに生徒のご両親には大きな発言力があります。両親が退学を切望された場合、お子さんの意見が尊重されないこともあるでしょう。
しかし、それは様々な理由を考慮しての話です。例として言えば、極端に酷い虐めを受けている、などの事実があれば話も違うでしょう。そう言った事実はありますか、清隆君。」
「一切ありません。」
「茶番だ。こちらが問題にしているのは別のものだ。親の許可なく入学した高校を辞めさせると言っているだけだ。」
「高校は義務教育ではありません。お子さんがどの学校に進学するかは自由です。無論、進学に伴う養育費などを親が払う必要があるのであれば、それも通りませんが……少なくともこの学校では政府が全額を負担しているので金額による不安材料はありません。あくまでも生徒の自主性が最優先されます。」
理事長の言葉はオレにとってとてもありがたい言葉だった。
「変わったなお前も。以前俺に賛同していた時のお前はどこに行った。」
「今でも綾小路先生を僕は尊敬していますよ。ただ、僕は、僕の父が作ったこの学校の考えに賛同したからこそ、後を継いだつもりです。それは綾小路先生が一番わかっているのでは? 父の時から方針は何も変わっていません。」
「俺はお前のやり方を否定するつもりはない。父親の意志を継ぐのも良い。だが、そうであるならば何故清隆をこの学校に入学させた。」
男には疑問があるらしく、坂柳理事長を追求し始めた。
「何故、ですか。面接と試験の結果、合格に値すると判断したからですよ。」
「はぐらかすな。この学校は一般のそれと違うことは聞き及んでいる。本来清隆は合格対象にはなり得なかったはずだ。面接や試験が飾りなのは知っている。」
そこの言葉に、今までさわやかな笑みを浮かべていた坂柳理事長の表情が変わった。
「……一線を退いたとはいえ流石綾小路先生。よくご存じですね。」
「秘密裏にこの学校への推薦がなされる決まりのはず。そしてその時点で確実に合格することが決まっている。裏を返せば、推薦がなされていない生徒はいかなる存在であろうとも全て不合格にならなければおかしい。違うか?」
本来、生徒であるオレが絶対に聞き及ぶことのない話をしていることだけは確かなようだ。
「清隆の存在は選定の中にあるはずもない。つまり不合格にならなければおかしい。」
「ええ、そうです。元々彼の存在は入学予定のリストにはありませんでした。本来リストにない生徒からの願書があった場合は全て不合格にしています。そのためのカモフラージュとして、面接と試験を行っています。
しかし彼だけは僕の独断で判断し入学を許可しました。彼を連れ帰りに来たのかもしれませんが、今はこちらで預かる大切な生徒です。私にはこの学区の生徒を守る義務がある。いくら先生の頼みとは言え聞けないことはあります。あくまで彼自身が辞めると口にしない限りは…ですが。」
ふざけたことを、と男は吐き捨て坂柳理事長からオレに視線を向けた。
しかし坂柳理事長は言葉を続ける。
「ご両親の意見も無視することはしません。退学を望まれるのであれば、清隆君と学校サイドを交え繰り返し三者面談を行い、納得がいくまで話し合いましょう。」
事実上の退学完全否定。
これ以上、この場で男にどうにかする術はなくなった。
「これ以上お前のフィールドで無理を押し通すことはできない。しかし、そう言うことならこちらも考えを変えるだけだ。」
「何をなさるおつもりです? あまり手荒な真似をされますと……」
「分かっている。何らかの圧力をかけるつもりは毛頭ない。そんな事をすれば不利になるのはこちらだ。俺は綿白神の様なバカでは無い。」
その点に特化したこの男がそれをしないのは、それができないことの表明でもあった。それにしても綿白神というのはAクラスの綿白神の父親の事か?
「学校のルールを元に清隆が退学する分には問題が生まれるはずもない。」
「ええ、それは約束します。先生の息子さんだからと特別扱いは致しません。」
「なら話は終わったようだ。これで失礼する。」
男はソファーから立ち上がる。
「次はいつお会いできますか。」
「少なくとも、二度とここで会うことはないだろう。」
「見送らせます。」
「不要だ。」
見送りを拒否する男に、オレは声をかける。
「親を騙るなら、何度か学校に足を運ぼうとは思わないのか?」
「こんな場所は一度きりで十分だ。」
そう言い残し、男は応接室から立ち去って行った。
「ふー。相変わらず先生がいると場がピリピリするね。君も苦労するんじゃないかな?」
「いえ、別に。」
相変わらずだなという感想しか出てこない。
2人きりになったところで、少し落ち着いた坂柳理事長が温かい目を向けてきた。
「僕はね、君のことを昔から知っているんだよ。直接話したことはなかったけど、いつもガラス越しに観察させてもらってた。先生が君のことを良く褒めていたよ。」
「そうですか。それでカラクリが解けました。」
「……どういう意味だい?」
「いえ。それよりも理事長。もしかしてAクラスに在籍しているのは……」
「有栖のことかな? 僕の娘だよ。」
「やっぱりそうですか。」
「それと先程の綿白神というのは……」
「あぁ、Aクラスの綿白神さんの娘さんだよ。」
綿白神と坂柳という苗字からしてそうだと考えていたがやはりそうだったみたいだ。
「答えられる範囲で良いんですが、先ほど父親が言っていたことで気になったことがあります。」
「君が入学に至ったことかな?」
「そうです。」
「うん。綾小路先生の言う通りさ。この学校は全国の中学生に対して、こちらが事前調査をして『当校に所属するに値する』と判断した生徒にだけ入学を認める。毎年各中学校の管理者と連携して取り組んでいるんだ。そうした結果、集まってくるのが今の生徒達なんだよ。
面接や入学試験なんてものは、形式上だけのお飾りに過ぎない。だけど、当然全国からは入学希望の生徒が入学願書を出してくるけど、全て振るい落とすための見せかけの試験なんだよ。」
そこで100点を取ろうと、面接をどれだけ完璧にこなそうと落とされるわけか。
これで納得がいく。須藤や池達のような学力で劣る生徒や、軽井沢や平田のように過去に問題を抱えている生徒達が入学できたのも。
一般常識や学力は、この学校にとって二の次の評価ってことか。
「君の場合も僕が入学させると決めた時点で、何をしようと合格は確定していた。全ての筆記試験で50点を取ったことも合否には何ら影響はなかったんだ。」
非常に特異な学校だ。
今まで、そんな学校は日本に一つだって存在しなかっただろう。
「君や綾小路先生は疑問に思っているだろうね。国主導で動くこの学校が、何故総合力の高さで判断していないのかを。だけど、それはこの先きっと分かってくる。僕らが目指す育成方針がどんなもので、どんな効果を生み出していくか。」
坂柳理事長からは自信が溢れていた。
「……つい喋りすぎてしまったね。でもこれ以上は教えられない。君はこの学校に通学した生徒で、僕はそれを監督する身だからね。」
それでも話して聞かせたのは、オレがあの男に狙われている特殊な立場だからだろう。
「僕は学校の責任者としてルールの中で生徒を守る。言っている意味は分かるね?」
「もちろんです。これから先、あの男のやりそうなことは大体わかりますから。」
この学校からオレを追い出すには、取れる選択肢は非常に限られている。
「ではこれで失礼します。」
「うん。頑張って。」
そうエールを送られ、オレは応接室を後にした。
応接室を出ると、そこから少し離れたところで話し合いが終わるのを待っていた茶柱先生の姿が見えた。遠くには第1応接室とかかれた部屋から出る男の姿が見える。顔は遠くて見えないが服装からして1年生の男子だろう。
オレは茶柱先生に会釈して前を通り過ぎようとすると、歩調を合わせて歩き出した。
「父親との対面はどうだった。」
「もうすべて理解しましたよ茶柱先生。あなたがオレに言っていたことはほとんどが嘘だった」
「何を言っている。」
「動揺、隠しているつもりか知れませんけど態度に表れていますよ。」
視線のブレや言葉の選び方が、僅かにだがいつもと違う。
外見は上手く隠しているかもしれないがそれでも動揺が隠しきれていない。
「あの男は茶柱先生に接触などしていないし、退学にするよう迫ってもいない。」
「いいや、お前の父親は私に協力を求めてきた。事実、私がお前に教えたように退学を迫ってきたはずだ。」
確かに父親はオレに退学を迫ってきた。だが、茶柱先生に接触していないことはあの男の態度やこの学校を毛嫌いしていることから推察できる。
「もう化かし合いはやめましょう…。坂柳理事長は全て話してくれましたよ。オレが入学してくることが分かった段階で、あなたに話を持って行ったことを。」
「……話したのか、理事長が。」
その瞬間、俺は薄く笑う。
茶柱先生は、オレを見てすぐに不覚を取ったことを理解した。
「お前、カマをかけたな……?」
「ええ。理事長は茶柱先生に関しては何も言いませんでしたが、繋がっていることは明白になりましたからね。」
全教科50点だったことを知っていた坂柳理事長を見て確信した。
「今からオレの推理を聞かせますよ。まずオレが入学希望をこの学校に出したことで、昔からオレのことを知る坂柳理事長が独自に動いた。そして入学を決定すると同時に、Dクラスへの配属を決めたんでしょう。
他のどこでもなくDクラスに入れることを決めたのは、茶柱先生が表向きクラスの抗争に強い関心を示さない教師だったから。これまで見てきたクラスの担任は、クラスを一つでも意欲を強く持っていましたからね。」
下手にオレが目立つクラスに配属されれば、それだけ注目を浴びる機会が増える。
「ところが、坂柳理事長には一つだけ誤算があった。それは最もクラスに対して愛情がなく無気力に見えるクラスの担任が、実は人一倍Aクラスに上がりたいという欲望を胸に秘めていたことです。」
「……」
茶柱先生は何も答えることができず、黙って聞き入っている。
オレは、遠慮せず言葉をつづけた。
「あんたはAクラスに上がることに対して異様にこだわっている。だが、これまでは生徒に恵まれずその機会を得ることができなかった。だからその感情を表に出すこともなく淡々と日々を送ってきた。違うか?」
茶柱先生は先ほどまでと違い目を合わそうともしなくなっていた。
「お前の憶測だ綾小路。」
否定する茶柱先生の言葉は覇気がなく、弱弱しい。
「偶然オレというイレギュラーが現れた今年は、例年と状況が違った。性格に難のある生徒は多いが粒が揃っていた。天野に堀北に高円寺、平田に櫛田に御門までいる。上手くいけばAクラスだって手が届く。期待したくもなる。となればあんたは封印していた野心を再び燃え上げらせてもおかしくはない……
そしてあんたは上からの命令と称して今後天野がクラスを引っ張っていくのに有利になると見越して天野への虐めを黙認した。だがそれが裏目に出て天野は他クラスへ逃走。虐めを黙認していた事がバレて減給を食らった。
天野がアンタをクビにしていないって事は恩情をかけられたか何処かしらベストなタイミングで天野が訴える為だろう。幸か不幸か首の皮1枚繋がったあんたはこのクラスをAクラスにあげるために、次は俺に脅しをかけた。」
それに、Aクラス担任星之宮先生の『下剋上を狙っているんじゃないの』という発言から見ても茶柱先生の本心はそうなのだろう。
「そして今、どんなにオレが無礼な言葉や態度を取ろうとも、あんたはこの場で呑み込み処理してしまうしかない。理事長にオレを見守るように言われていること、そしてAクラスに上がるための武器にしたい気持ちを思えば、ここでの暴言には目をつぶるしかない。
生半可に強気な態度を取れば天野のようになる可能性だってあるからな。そうなればあんたの野心はおしまいだ。」
事実、こうして聞き入ることしか茶柱先生にはできない。
「Aクラスに上がりたいと願いながらも、万年Dクラスを担当するあんたにはこのチャンスは手放せない。父親に接触したという嘘をついてまで、天野やオレを利用することを決めたんだからな。
それがオレや天野への接触理由であり、平田はそのために利用されたコマに過ぎなかった。だが、物事はそう単純にはいかない」
元々オレには向上心がなく、Aクラスを目指すつもりは最初からなかった。そして天野は目指すつもりはあったのかもしれないが恐ろしい敵として目の前にたちはだかることになってしまった。
ほとんど行動を起こさないオレという存在を持て余し、天野という強敵を作ったまま、無人島での最初の特別試験が幕を開けてしまったということだ。
「もし、特別試験が始まって以降も他クラスに差を付けられてしまう事態が続けば、Aクラスへ上がることが困難になる。焦ったあんたは、理事長に秘密にしておくよう言われた話を持ち出した。苦肉の策ってヤツだ。」
茶柱先生はオレに接触しなくても天野を上手い事使えばAクラスへと頑張れば上がれたのだろうに、下手に天野やオレに接触したせいで天野は敵になり、オレの協力が無くなることになるんだから残念だったな。
「あんたはオレを抑え込んでいるつもりだろうが、もう逆に抑え込まれてるんだよ。」
「……なるほど。理事長が特別視するはずだ。お前の器は高校一年生のそれじゃない。発想が既に年齢の域を遥かに超えている、というわけか。……認めよう。確かにお前の父親との面識は私にはない」。
ここまで懸命に守り続けてきた姿勢を崩した。
「言っておきますけど、オレを退学にできるとか考えているのかもしれませんが、あんたはオレを退学にできない。」
「……何だと?」
「今のDクラス…まぁあと半年か。Dクラスは近年稀に見る好成績を叩き出している。オレの協力を始めとして気まぐれな高円寺や御門の協力、加えて平田や堀北がいればAクラスに上がれる可能性はある。だが、オレが舞台から降りても、茶柱先生は希望がある限り戦い続ける。だからこそ、最後の切り札としてオレを残しておきたい。」
自らの手でそれを捨てる愚行はしない。
「ということで、解放してもらいますよ。」
「全てを知った今、お前はAクラスを目指すことを放棄すると?」
「少なくとも、これからはオレの出番は終わりだと思ってますけどね。」
完全否定しないではおいた。
希望があれば人はついてくる。限りなく0に近いと分かっていながらも、可能性を信じたくなってしまうものだ。
「とりあえず、今は大人しく見守ってくださいよ。これ以上個人的な感情に基づく理由でオレに接触されると学生の本文に差し支えますしね。」
念を押してそう伝える。
茶柱先生は足を止め、オレの方を見ているが、オレは足を止めずにそのまま廊下を歩いていく。
父親の再会に感動なんてなかったが、収穫の大きな一日だった。
そしてオレは、天野に『自分のバックグラウンドがバレないような脅された会話の録音データ』を送信して、寮へと帰るのだった。
原作成分高めです。
優勢世代は
-
本編にガッツリ出して欲しい
-
天野兄の偉業を語る程度の登場でいい