1
午前中は、殆ど予定通り進んだと言ってもいいだろう。
追手もなく、全く持って平常な日常。熾烈なカーチェイスなりを想定していた詩季としては、余りにも拍子抜けだった。
事態が変わったのは、午後からだった。
背後についてくる一台の黒塗りのワンボックスカー。付かず離れずで此方を追跡してくる。意図はわからないが、十中八九追手だ。尾行というにはあまりにも杜撰な方法だ。複数で追いかけるわけでもなく、ただひたすらに後ろについてくる。
一方、本命が乗っている方にも白いワゴン車がついてきていたらしいが、なんとか振り切って千束とたきなと合流出来たらしい。
そして、その連絡から20分ほどが過ぎたときだった。徐々に、黒いワンボックスカーとの距離が離れていく。最初は向こうが速度を落としたのかと詩季は思ったが、アクセルを踏んでもいないのに、車が加速することに詩季は気づく。ブレーキもドアのロックも、完全に効かなくなっていた。
『ハッキングだ。此方も操作不能だよ』
今更、ウォールナットから通信が入る。車は大通りを出て、海沿いに出た。
「わかりきった事実はどうでもいい。対処法は?」
『ネットを物理的に切るしかないな』
「ネットを中継しているものは?」
『知らん。僕の車じゃない──。いや、リコリスの二人が見つけた。お前の背後にドローンが付いてきているはずだ』
そう言われて、詩季はミラーで周辺を見渡す。確かに、背後に飛ぶ一台のドローンを発見した。だが残念ながら、詩季はこの距離を射撃出来る銃は持っていない。そもそも、この距離で移動する車から離れた場所にある数十センチの物体を狙撃する技術も持っていない。
「行先に心当たりは?」
『海沿いだから、そのまま海に沈める...違うな。このルートは、お前の車と衝突させる気かもしれん』
舌打ちする。もしも詩季の扮装が見破られた場合、すぐに援軍として駆けつけるために敢えて近くを走っていたのが裏目に出た。
『こっちはリコリスの二人が撃ち落とす作戦を立てているが、そっちはどうする?』
「どうもこうも、撃ち落とす技術はオレにはない。勝手に降りるから回避は任せた」
そう言うと、遠目に同じ白い乗用車を見つけた。速度的にあと10秒で衝突する。
着ぐるみのポケットを取り出す。そして、助手席側のドアに走る『線』を切断した。がたん、と音を立てて落ちるドア。残り五秒。スーツケースを蹴飛ばし、そのまま飛び降りる。回転する視界。衝撃の大半は着ぐるみが吸収したが、それでもそれなりの衝撃はあった。だが、体はきちんと保護されたらしく、障害になるような痛みはない。しかし、その分の衝撃を吸収した着ぐるみは中に仕込まれた偽物の血液で全身が染まっている。これでは、扮装の意味は果たせないだろう。
向こうも上手く避けたらしく、衝突音も爆発音もしていない。
「無事か?」
『あ、ああ。無事だ』
上擦った声が聞こえた。海の方を見ると、落ちる寸前の位置に本物が乗った車があった。其処から、ミズキ、スーツケースを抱えたたきな、最後に千束が下りる。千束が下りるのと同時に、車が海に転落する。
「こっちは無事だが、着ぐるみはボロボロだが」
『そうか。なら捨てていい。どうせ、見られただろうからな』
そう言われ、頭を外す。息苦しさが消えるのと同時に、新鮮な空気が肺に入る。
幾つか手順をこなすことによって、着ぐるみを脱ぐ。脱ぎ捨てたそれを、持ち出していたスーツケースの中にあった手榴弾で処分する。そして、詩季は千束らと合流した。
「詩季!今まで一体何処にいたのよー!」
詩季を見るなり、千束が言う。いつも通りのテンションの彼女を見て、怪我をしていないことを確認し、
「井ノ上。ウォールナットとお前に怪我は?」
「いえ。どちらも負傷はありません」
「それは僥倖。生憎、これで終わりとはならないようだ」
詩季は高架橋を指す。黒いワンボックスと白いワンボックスが、此方を見下ろすように停まっていた。
2
『指示を出すぞ。よく聞け。奴らは正面を警戒している。お前達は裏口から回れ。くれぐれも、しくじるなよ』
電話から聞こえる指示を、男達は静かに聞いていた。
気に食わない奴、というのがその電話の声の印象であり、顔も素性も知らない、そんな相手からの命令など通常なら聞きたくもないが、仕方がないことだった。掲示板に記載された、通常の依頼とはかけ離れた報酬額と、それには似合うとも思えない安い任務内容。それだけが、男達と電話の声を繋ぐ接点であり、さっさと仕事を終わらせて帰りたい、というのが彼らの共通認識だった。
「気に食わないが、仕方ない。お前ら、後ろに回り込むぞ」
まとめ役の男がそう言い、手に持つ
上空を飛ぶ、一台のドローン。それが奴らの動きを暴き、此方に電話の声を通して伝える。
「しかし、あいつら。一体何なんでしょうね」
同じライフルを構えた仲間が話しかける。黒いワンボックスカー。二台目の追跡を任された、男達とは別のグループ。この辺りでかなり名が売れている自信はあったが、彼らのようなグループは見たこともない。
「さあな。新参者か、それとも俺たちよりグレードの高いグループか。そのどっちかだろう」
駒の質によって、やはり最低額というのは決まる。男達は三軍とも呼ばれる立ち位置であり、その辺のチンピラやヤクザの鉄砲玉よりは上であり、こういったライフルを扱える程度のカテゴリーに属している。
黒いワンボックスの扉が開く。男達の誰もが目を向ける中、『彼ら』がぞろぞろと車を降りてくる。
空いた口が塞がらなかった。
何故、という疑問。
そして、その後に頭を埋め尽くす、吐き気がするほどの嫌悪感。
まとめ役の男は、酷く懐かしい気分になった。
そうだ。確か──初めて人を殺したときに感じた、形容し難いやるせなさを再び感じた。
3
「はい。そのスーパーに避難しています。四人とも目立った傷はありません」
『わかった。四人とも気を付けて行動するように』
廃棄されたスーパーマーケット。その商品棚から様子を窺いながら、ミカへの定時連絡を終える。一応、新しい車の目途はついた。この際、逃走ルートは大きく変更する羽目になった。
空路ではなく、港に停まっている大型の漁船を扮した逃がし屋を雇い、ウォールナットを逃がす、という偽の算段を、ミカが告げた。問題は、この場をどう切り抜けるか、だ。
「千束。お前は三人で裏口から逃走しろ」
「雪城さんは?」
「暫く時間稼ぎだ。生憎と、オレは井ノ上や千束のような護衛は苦手だからな」
いつもならば。
千束が護衛で、詩季は遊撃という立ち位置で行動していた。詩季が銃を使うのが苦手ということを考慮すれば、当然といえば当然だ。
「当然、裏口にも伏兵がいる可能性はある。けど──」
詩季がそう言いかけたときだった。
床に飛び散っていた、ガラスの割れる音が聞こえた。咄嗟に、全員が姿勢を低くする。
直後、銃声が鳴った。
二秒に満たない斉射。幸いにも、此方に向かっての発砲ではなく、ただ炙り出すためのものだったらしい。
「よいしょっ!」
千束は殆ど無傷の、遮蔽物として利用していた棚を蹴り、飛び上がる。瞬間、千束の目に映ったのは────まだ10歳にも満たない、子供の顔だった。
肌の色や顔つきから見るに、中東系の子供。
そんな少年が、サイズに似合わない小銃を持っていた。ほんの一瞬だけ、引き金を引く指が止まる。千束に気づいた少年が、銃口を向ける。だが、最初から構えていた千束の方が早かった。頭に一発。腹部に二発。衝撃で揺らぐ体。だが、倒れる様子はない。コントロールを失った銃口が、でたらめな方向に銃を乱射した。
さらに千束は弾を放とうとするが、
「雪城さん!」
詩季が飛び出し、少年に向かって左腕につけたワイヤーガン*1を放つ。ワイヤーが巻き付く。ワイヤーの両端には強力な磁石が仕込まれており、ワイヤー部分をナイフで切断する他逃げ出す術はない。
そして、千束の制服の襟をつかみ、近場の棚に詩季は避難させる。
「ちょ、ちょいちょい!いきなり何すんのさ!?」
「気づいてるか。連中、麻薬漬けだぞ」
千束が使う低致死性弾は、殺傷能力は低いものの、運動エネルギーそのものはダイレクトに伝わる。詩季も直接体に撃ち込まれたことはないが、相応の痛みが走る。大の大人が当たり所や撃ち込まれた弾数によっては気絶するほどの痛みだ。
しかし、ああいう少年兵に対する相性は最悪だと言っても過言ではない。
仲間同士をカバーし合う戦場においては、相手を殺すよりも負傷させた方が戦力を削ることが出来る。死ねば一人の損失だが、負傷ならば負傷した一人と、その負傷者を運ぶ二人を戦場からリタイアさせることが出来る。
しかし、それはあくまでも兵士一人における命の価値が重いと仮定した場合であり、彼らのような、死地に次々と送られる使い捨てのように扱われる兵士の場合は別だ。
彼らの中には、そんな過酷な環境に耐えきれずに薬物に手を染める者も少なくはない。そして言わずもがな、所謂麻酔と呼ばれるものも本質的には麻薬という側面も持っていることは事実だ。
その場の痛みや、恐怖を紛らわせるために麻薬を使う。アドレナリンなどの脳内麻薬の影響で、銃弾が当たっても気づかずに戦うことが出来る兵士が完成するのだ。
つまり、彼らを止めるには心臓や頭を撃ち抜いて生命活動ごと止めるか、一撃で気絶させるしかない。
痛覚までも鈍っている以上、後者は途轍もなく難しい。少なくとも、千束の持つ銃、デトニクス コンバットマスターでは不可能に近い。
「数は視認出来た限り7人、か」
「どうする?」
「最初に言った通り。こいつらの相手はオレがやる。千束はたきなと一緒にウォールナットの護衛だ。いつも通り、お前がディフェンス。オレがオフェンスだ。急いだ方がいい。そろそろ、迂回してるグループが来る時間だ」
そう言って、詩季は飛び出す。すぐ近くまで迫っていた銃身を掴み、下に下げる。そのまま蹴り飛ばし、銃を奪う。その銃を『線』にナイフを通して解体する。防弾チョッキすらなく、サイドアームも持たない人間を無効化するには十分だ。味方ごと撃つまでは理性があることは先ほど銃撃してこなかったことで理解出来ている。
味方のいる方向に逃げようとする少年を盾にする形で、彼らに接近する。妙なことに、彼らには指示を出す役割がいなかった。
少年兵というものは確かに有用だ。的が小さい上に俊敏であり、同情を誘いやすい。だが、『慣れた』相手には同情もされなければ、ただ当てにくい的に過ぎない。
そして、指揮系統が混乱すれば、彼らは通常の民兵以上に混乱する。臨機応変な対応が出来ず、戦うための明確な意志がないために、脆いのだ。
(ああ)
詩季は思い出す。ガランサスにいた時、彼らのような少年兵と殺し合ったときのことを。
今回の戦場は、やけに生温いな。
4
「千束。雪城さんって何者なんですか?」
二人目を制圧した辺りで、たきなは千束に聞いた。
「何者...詩季は詩季だけど」
「そうではなくて、本当に雪城さんはDAの協力者なんですか?どう見ても、私たちと同規模の訓練は受けているように見えるのですが」
「まぁーねー。詩季、昔はリリベルにもいたし、ガランサスにもいたらしいからねー」
「リリベル?」
「んー、男の子版リコリス、ってところかな。ガランサスについては私もそこまで知らないけれど...え、なに?たきなって男の子に興味あるの?」
「いえ。そういうわけでは」
揶揄うように笑う千束に、たきなは否定の言葉を言う。
ちぇー、とつまらなそうに言う千束。
全く、どうして彼女はこんな任務中に、いつもの調子で冗談が言えるのだろう。たきなはそう思う。
油断しているわけでもない。警戒はしているが、その上であの調子なのだ。
前方を走る千束。通路に出た瞬間、けたたましい銃声が聞こえる。ウォールナットが前に出ないよう腕で進路を塞ぐたきな。
驚くべきか、千束は放たれる銃弾を避けていた。
千束に勧められて見た映画にあった、俳優が銃を避けるシーンのように、動きが極端に早いわけではない。ただ、まるで弾丸が見えているように、最小限な動きで躱してみせる。銃の殺傷範囲はものによるが、有名なAKと呼ばれる銃は7ミリ。確かに、その範囲から外れてしまえば死ぬことはない。
実際に、それが可能かはさておいて。
『何者なんだ?彼女は』
思わず、そんなことを言うウォールナット。そんな言葉に、さあ?としか返せなかった。
気づけば、銃声は止んでいる。千束は倒れ込んだ男の手当をしていた。
「追手が来ますよ」
「治療したら行くよ」
「囲まれますよ!」
「大丈夫大丈夫。後で絶対追いつくから」
「こっちのルートはまだ包囲されていない」
上空にドローンを配置していたウォールナットがそう言う。思うところがなかったわけではないが、仕方がない。そのまま、千束を置いてゆっくりと進む。
歩き始めて一分も経っていないころ、漸く外が見えた。ちらりと見るかぎり、誰もいない。後は迎えが来るのを待つだけだと思った瞬間、ウォールナットが前に出た。
思わぬ行動に呆気にとられるたきな。その間に、ウォールナットは外に出てしまっていた。
「駄目!外にはスナイパーが!」
追いついた千束が叫ぶ。
だが、遅かった。
一発の銃声。
向かいの廃墟から放たれた弾丸は、ウォールナットが持つタブレットを貫通し、胸を正確に穿っていた。
書いてる最中に思ったこと。
歪曲の魔眼を持ったオリキャラが主人公の作品も面白そうだな、と。