スノウドロップ   作:宮棟メルカ

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クラーケⅡ

 1

 

 先に動いたのは、異形の蜘蛛だった。

 真っすぐに詩季を目掛けて突撃する。千束が咄嗟に銃を構えて撃つが、着弾した腹部に赤い煙が発生するだけだ。

 

「詩季!」

 

 銃弾が効かない。詩季が知るよしもないが、千束が使っているのはミカがオーダーメイドで作成した特注の非殺傷弾だ。傍目には撃たれて出血しているように見えるが、正体は着弾と同時に固められた着色料が弾け、あたかも出血しているように見えるものだ。無論、衝撃などはそのままなので痛みも相応にある。対象を制圧するだけならば、十分な威力と効力があるだろう。

 それが、人間相手ならば、だが。

 大振りな振りながら、高速で薙ぎ払うように放たれる右腕の下を、詩季は潜るように通り抜ける。ズドン、という音とともに、コンクリート製の壁がひび割れた。

 見た目に反して速い。異形も避けられたと知るや、振り向き、再び詩季と正対する。その間にも腕や腹部に千束の銃撃が加えられるが、やはり目立ったダメージすらない。よほど厚い皮で守られているのだろう。

 弾丸が効かない以上、千束には打つ手はない。攻撃を幾ら避けることが出来ても、体力的に言えば未知数な化け物相手には不利は必須。

 今、この怪物を殺しうるものはこの眼とナイフだけ。

 早々に結論をつけ、詩季はナイフを構える。

 何処まで捨てることが出来るかを天秤にかける。最低条件を定義する。

 右手と命以外はいらない。理想的なら、完全な死。最低条件は、相討ち。

 

「────ハ──ァ」

 

 一息をつく。

 その一息だけで十分だった。

 

 

 


 

 2

 

 先に仕掛けたのはどちらだったか。

 それを考える余分は、詩季にはない。

 繰り出される一撃。それを、『線』に沿って殺す。二撃目。右上方から左下方に向かって放たれる拳。ボクシングで例えるならばフック。本来は体全体の体重を乗せて放つものらしいが、こいつに限っては、この一撃のみで人体など容易く粉砕出来るだろう。

 後退する、という選択肢はなかった。此処がもっと遮蔽物が多い場所ならば、後退も視野に入れたが、あるのはバリケードに使われるはずだったであろう薄い木製のテーブルが疎らにあるのみだ。この程度、あれは壁にすらならないだろう。

 左腕に握った、もう一本のナイフでそれを逸らす。上手く流したはずだが、それでも腕に走る痛みは尋常ではない。だが、まだ許容範囲だ。

 勢いをそのまま、怪物の右側に回り込む。左腕は届かない。怪物にとって、先ほどの二撃で大きく右側に隙が出来ている。

 警戒すべきは、元々ある腕だが、問題はない。それを使われる前に、このまま殺しきれる。

 そう確信した瞬間だった。蜘蛛と目があった。

 ソレは、殺意ではなかった。

 恐怖ではなかった。

 敵意ですらなかった。

 もっと、どろりとした感情。感情とすら言えるかもわからない、極彩色だった。

 しまった、と思った時には、全てが遅かった。 

 衝撃。ばきり、と音を立ててイった肋骨。浮かぶ体。咄嗟に飛んだから、この程度で済んだ。

 次はない。そう詩季は確信した。

 

「シッ!」

 

 頭上から叩き潰そうとしてきた腕を殺し、落下。地面を蹴り、一息で3メートル後退して息をつく。

 

「......グッ!」

 

 喉に絡みつく鮮血。やはり、内臓も少しやられていたか。

 

「■■!■■!」

 

 ダメージを再計算する。後何合かち合えるか。今のコンディションで、何処まで性能を発揮できるか。

 どうすれば、あの『点』にナイフを届かせることができるか。

 

「■■!」

 

 ああ。愉しい。

 やはり、殺し合いとはこうであるべきだ。

 自分の中で何かが外れる。雪城詩季という側面が、剥がれ落ちていくのを知覚する。

 

「詩季!」

 

 ふと。

 女が、詩季の肩に手をかけていた。誰だったか、と考える前に思い出す。

 

「......千束?」

 

「私以外に誰が此処にいるってのよ!早く逃げよ!あれは──」

 

「ああ、わかっているよ」

 

 千束の言葉を遮り、詩季は言う。

 アレは、異常だ。

 人間(この)社会には、存在しえないものだ、と。

 だからこそ、次で殺し尽くす。

 

「下がっていろ。千束」

 

「でも......!」

 

 千束が心配するのは、わかっている。

 だが、それは無用な心配だ。それに邪魔な心配だ。

 今、雪城詩季(オレ)という人間は、この上なく充実しているのだから。

 だから。

 

「邪魔を、するな」

 

 それが雪城詩季としての発言なのか、■■詩季としての発言なのか、それすら、わからない。

 この殺意が、自分のものなのか。それさえも。

 

 

 

 詩季が駆け出す。それを、蜘蛛は二つの腕で迎撃する。

 どういう原理かは知らないが、この人間は自分を殺す手段を持っている。それを確証した蜘蛛は、二つの腕までならば殺されても構わないと割り切っていた。詩季の進路を固定するための右と真上から振り下ろされる腕と頭を潰すための右ストレート、それが避けられた際の保険として、衝撃で内臓を潰すための左腕の四段構え。

 あの人間も、あれだけの傷を負えば長くは生きられまい。ならば、この攻勢にかけてくるはずだ。そう思考し、人間を迎え撃つ。

 皮肉なことに、それは既に怪物の思考ではなかった。殺し合いという刹那に微かに戻った、人としての思考だった。

 人間の反応速度できるぎりぎりの速度で放たれた腕を、ナイフで切り裂く。先ほどまでと違うのは、二つ同時に、『線』をただなぞるだけの切断ではなく、なぞった上での細断だった、ということだった。

 一瞬でバラバラに切り裂かれる腕。噴き出た血液が、一時的に蜘蛛の視界を塞ぐ。目測を失った右腕が空を切る。続いて放たれた左腕も、詩季を捉えることはなかった。直後、右足が崩れる。バランスを崩すのと同時に左わき腹を切り裂かれる。咄嗟に振った右腕も、ついでといわんばかりに殺された。

 次で最後だ。

 そう何方もが確信する。両腕の可動範囲外から迫る人間に、蜘蛛は辛うじて『新生』が間に合った腕を突き出す。

 殺った、と何方もが思った。

 詩季のナイフは既に蜘蛛の『点』を穿つ軌道を描き、蜘蛛の腕は詩季の顔を潰そうと直進する。

 

 その直前に、一発の発砲音。

 蜘蛛の視界を覆う、赤い煙。人体の顎に当たる部分を撃ち抜かれた。

 右半身を失い、不安定なバランスを崩し、目測を誤る。

 蜘蛛の放った腕は詩季の肩を抉るのに留まり、詩季のナイフはそのまま『点』へと走る。

 音はなかった。

 突き刺さったナイフ。動かない体。

 ああ、これが死か、と蜘蛛はそう思う。

 塵として体が消失していく。意識も漂白化されていく。今までかかっていた、モザイクのような意識の混雑が消えていく。

 もし、『彼』に人体の声帯があったのならば、自分を殺した者に、こう言っただろう。

 ”柔らかな死をありがとう”と。

 

 

 


 

 3

 

 冷たい汗が、頬を伝う。

 緊張の糸が漸く切れ、思わずへたりこみそうになる体を、どうにか支える。

 正直に言えば、当たるか当たらないかの賭けだった。

 幾ら銃による射撃を見てから躱せる千束にとっても、接近戦をしかける詩季に当てずに、あの怪物に当てるのは難しい。当たったのは自分でも奇跡のようなものだった。

 だが、もしあの時当てられなければ、詩季は死んでいた。

 それだけは、確実に言えた。

 銃をバッグに仕舞って、止血剤を取り出して倒れている詩季に駆け寄った。左腕は未だしも、右肩の止血は出来る。

 

「詩季っ!」

 

 手早く傷を応急手当をして、千束は必死に詩季に呼びかける。死んでいるわけではない。致死量の血の血が流れているわけではない。

 しかし、死んだように詩季は眠っている。呼吸も浅い。まるで、酷い悪夢に魘されているような、そんな様子だった。

 

「千束!無事なら返事をしろ!」

 

 入口から、多数のリコリスが入ってくる。その中の一人──フキが、千束に駆け寄る。

 

「通信がいきなり切れて、先生が心配してたぞ.......そいつは、お前と一緒にいた......」

 

「フキ!少し運ぶの手伝って!」

 

「はぁ!?なんで私が...って話しくらい聞けっての!全く......」

 

 必死な様子の千束に押し切られる形で、なんだかんだとフキも詩季を抱え上げる。

 その後の顛末として。

 ミズキと、途中で合流したミカが乗る車に乗せ、リコリスの手のかかった病院に詩季は入院。千束も念のために検査入院、ということとなった。

 一方、現場には大量の血痕と大型の黒い檻、テロの犯行計画と爆薬と小数の銃火器があっただけであり、当の立て籠もっていたテロリストは見つかることにはならなかった。




 次で恐らく過去編はラストになります。
 描写が稚拙な部分が多いですが、ご容赦ください。
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