千束が初めてアヤメを見たのは、彼女が演習場で転がされている姿だった。
自分より幼いくらいの少女が正規のリコリスに囲まれていたのを見て、虐められていると思った千束は急いで演習場に乱入し、全てのリコリスを瞬く間に撃ち倒した。
「すけっとさんじょー!ねえ、きみ!だいじょうぶ?」
「えっ…?」
顔を上げたアヤメと目が合ったので、千束は彼女に笑いかけた。
『千束、訓練中だ。そこから出ろ』
「へ?」
そのとき放送越しに怖い声が聞こえたので、恐る恐る上を見上げると窓越しに千束を睨みつける楠木を見つけた。
「あはは、もしかして、じゃましちゃったり……」
「そう、じゃま、出てって」
後ろからの声に振り向けば、アヤメはその顔を怒りに歪ませていた。
「出ていってよ!」
その剣幕に言葉を詰まらせていると、突然後ろから大きな腕に体を持ち上げられた。
「千束、こんな所にいたか。検診は終わったのか?」
「え?…あ!あぁえっとぉ、おわったよ!」
ミカはあからさまな嘘をつく千束にため息をつくと、千束を肩に担ぎあげた。
「そうか、じゃあ、俺も山岸先生に挨拶に行かないとな」
「ダメー!ヤダー!注射したくなーい!!」
「すまない楠木、邪魔したな」
『ええ、本当に。ちゃんと千束の手綱を握っていてください。さて、訓練を再開する。準備しろ』
千束はミカの腕から逃れようともがく中でアヤメの方を見た。千束が部屋を出るまで、彼女はずっと千束を睨みつけていた。
「……あんなやつ、いなかったら……!」
「むっふっふー!何買っちゃおっかなー?服?鞄?それともお・さ・け?あーん、どれも買っちゃお〜!」
「ミズキさん、ちょっと引いちゃうくらいに上機嫌ですね」
桜も散り日に日に暖かくなってきたある日、リコリスの2人が仕事に出ていった後の喫茶リコリコでは、ノートパソコンの前で小躍りしているミズキがいた。それをドン引きの目で見ていたアヤメはお土産用に包んでもらったおはぎと団子を受け取るとミカに尋ねた。
「なにか実入りのいい仕事でも入ったんですか?」
「さしずめ、そんなとこだろう。俺もまだ詳しい話は聞いちゃいない」
「ふーん……」
アヤメはミカの顔を妖しげに見つめるとカウンター席から立ち上がり、ミズキに忠告した。
「まあ、なんでもいいですけど。浮かれてケガだけはしないでくださいね」
「はーいはい。もうバッチリOK花丸最高よぉ!」
「うーん、とても不安。ほんとに気をつけてくださいね」
そう言い残して、アヤメはリコリコを出ていった。それを見送ったミカはため息をつく。
「ありゃ気づかれてるぞ」
アヤメのわざとらしい振る舞い。いつも通りと言えばいつも通りなのだが、分かりやすく警告まで残したとなると話は別だ。今回の仕事はDAが敵側に回るかもしれないという示唆だろう。
ミズキはそれを聞いても、余裕の笑みを崩さない。
「大丈夫よ、お金もたんまり前払いでもらっちゃったし、ここは1つ派手にやってやろうじゃないの!」
「ああ……とても不安だ」
ミカは頭を抱える。とりあえず、ミズキの立てる作戦はちゃんとチェックして口出ししてやらないといけないだろうな、と確信した。
*
アヤメは持ち帰ったお土産を手に本部の寮に訪れていた。目的の部屋の前に辿り着き、扉をノックする。
「フキ先輩。いますか?」
程なくして開く扉。しかし、出てきたのはフキではなく、2ndクラスであることを示す紺色の制服を身につけた、ボーイッシュで小生意気そうなリコリスだった。
「フキ先輩ならトレーニング中でいないっスよ。ってか誰スかアンタ」
彼女はたきなの後任のフキのパートナー、乙女サクラ。たきな程ではないが正確な射撃技術と、作戦に忠実な姿勢が評価されている。
アヤメは目の前の人物の仔細を思い出すと、こちらを警戒する彼女に手を差し出して挨拶した。
「初めまして、情報部所属の一初アヤメです。フキ先輩から何か伺ってませんか」
「ああ、こりゃどうもご丁寧に。アンタのことは先輩から嫌と言う程、愚痴聞かされてるっスよ。知ってるかもしれないけど、アタシは先日、本転してフキ先輩のパートナーになった、乙女サクラっス」
サクラは差し出された手を握ると、そのまま手を弄りまわして観察しだした。
「ほうほう、フキ先輩から聞いた通りほんとに冷っこいっスね。どういうカラクリなんだ?まさか正体はDAの作り出した血の通わないアンドロイドだったりするんスかねぇ?」
そう言われた途端にアヤメは表情を消し去り、相手の腕を素早く掴み返す。反応される前に背後に周りこみ抵抗できないように身体を抑え込むと、腕をサクラ自身の首元が締まるように引っ張った。そして、耳元で無感情に囁く。
「気づいてしまわれましたか」
「ぐっ……な、なに……を……!?」
「あなたは知りすぎました。残念ですが、あなたには消えてもらわなければなりません」
「や、やめ……!」
と、そこで第三者のチョップがアヤメの頭にあたった。
「いっ……!」
「あんまり虐めてやんなよ。おい、サクラ、無事か」
「ふ、フキ先輩〜!」
助けに入ったのは、トレーニングから帰ってきたフキだった。ピンチに訪れたフキの助けに、感極まって抱きつこうとしたサクラの頭にもチョップがはいる。
「お前も、誰彼構わず噛み付くのやめろっつってんだろが」
「いってぇー!……でも、今回はしょうがなくないスか。先輩からの話聞いてると、コイツめっちゃ胡散臭いんスもん」
「まあ、胡散臭いのは否定出来ねぇな」
「いや、そこは否定してくださいよ」
「じゃ、もう1回生まれ直すんだな。そしたらその胡散臭さも抜けるだろ」
サクラはそのやり取りを見て、フキの背後に半ば隠れながら確認の質問をした。
「結局、アンタはアンドロイドなんかじゃないってことでいいんスよね」
「さあ、どう思います?」
「はー!?先輩、コイツムカつく!」
「あんま相手にすんなよ、こういうやつだ。んで、結局なんの用事だったんだよ、アヤメ」
騒ぐサクラを抑えながらフキが聞くと、アヤメは無言で手に持った紙袋を指し示した。紙袋に喫茶リコリコのロゴが入っているのに気づいたフキは慌てて周囲を確認すると、2人を自室に引き込んだ。
「おい、馬鹿野郎うかつに出すんじゃねー!見られたらどうする!」
「んな見られて不味いもんでも入ってるんスか?ってお団子じゃないっスかぁ!あ、おはぎもある!」
サクラは挙動不審なフキの様子を訝しんで袋を覗き込むと、中に入っていた和菓子を見て歓声をあげた。
「これ、貰っていいんスか!?」
「フキ先輩の新しいパートナーとのペア結成祝いですから、ちゃんと2人分入ってますよ。フキ先輩は独り占めしちゃダメですよ」
「するか!」
「やったー!ありがとうっス、アタシ甘いの大好きなんスよ!アンタいいやつだなぁ!」
ああ、チョロい系の人だ。アヤメはフキの新たな部下に色々な心配事が増える。フキも同じ事を思っているのか少し頭が痛そうだ。
とにかく、渡すものは渡した。そう切り替えたアヤメは次の用事へ向かうことにした。
「それでは、2人ともこれから頑張ってくださいね」
「はいはい。これ、あんがとな」
「どういたしまして。フキ先輩も、たまには愛しのミカさんに顔見せに来てあげてくださいね」
「ばっ!?アヤメ!」
「え、誰スかミカさん」
瞬く間に顔を赤く染めたフキへの追及に入ったサクラを尻目に、アヤメはこの場を後にした。次に目指す場所は司令の執務室だ。
「ウォールナットが死んだと聞いたが」
執務室へ入室したアヤメに対して向けられた、楠木の第一声はそれだった。この様子ではかなり業を煮やしているらしい。そう考えながらアヤメは言葉を返した。
「生きていますよ」
「だろうな」
「ほら、楠木司令。糖分ですよ」
「ああ、すまない」
本人も苛々している自覚があった楠木は素直にお土産を受け取る。ウォールナットがハッキングを仕掛けた件で、この1ヶ月間はDA内部では上へ下への大騒ぎだったのだ。その決着が尚も付いていないのはかなりストレスだろう。
「ですが、奴らハッカーはネットを経由しないアクションには警戒が手薄なようで。その分、時間がかかるのがネックではありますが、昨晩やっと足取りが掴めましたよ」
「なに?本当か」
「はい、しかし事態が複雑化していまして、リコリスの派遣は見送った方がいいでしょう。上層部からも僕単独での殺害命令が出されました」
リコリスが敵対してはならず、上層部がアヤメを動かす相手。楠木は嫌な予感がした。
「まさかとは思うが、千束がウォールナット側についたのか……」
「ええ。残念ながら」
楠木はため息をついた。ウォールナットはDAにとって疫病神なのかもしれない。そして、ここまで来て他の支部への情報開示に踏み切れない上層部の保身具合にも残念な気持ちになる。
「さらに厄介なのがロボ太の存在です。理由は不明ですがウォールナットと敵対しているようで、様々な手口で各所を荒らし回っています」
「ここ最近の被害はそいつの仕業、というわけか。あれほど派手にやっているのに居所は特定出来ないのか」
「情報部も頑張っていますが、こちらは依然として特定出来ていませんね。この状況を見るに、追い詰められているのはウォールナット側と見て間違いなさそうですが……」
「そこで出てくるのが千束か。本当、上手くできた世の中だな」
司令は皮肉たっぷりに笑った。
そんな様子を見てアヤメは英語の諺を暗唱した。
「The gods send nuts to those who have no teeth.と言われますから。今の状況にピッタリですね」
「なるほど」
直訳すると、神は歯を持たない者にクルミを与える。諺の意味としては神は気まぐれ。または、豚に真珠とも取れるだろう。そして、そこから見えるアヤメの真意は。
「つまり、お前は自分の利益を優先したいわけか」
「そんなことは一言も言った覚えがありませんよ」
「フン、白々しい。まあ、こちらとしてはどちらに転がっても構わない。が、上手く行けば我々に旨味が無いわけではない。それとなく援助はしてやろう」
「話が早くて助かります」
交渉が上手くいって笑顔のアヤメとは逆に、楠木は顔を歪ませる。いちいちややこしいのだ、このリコリスは。
「お前の話は回りくどくて敵わん。これで話は終わりか?」
「ええ、以上です」
「ウォールナットは任せたぞ」
「はい、承りました。それでは、失礼します」
アヤメはお辞儀をして楠木に背を向けて歩き出す。
しかし、部屋を出る直前で足を止めた彼女は、扉に手をかけたまま首をまわして楠木の方を見た。その表情から笑顔は消え去っていた。
「ああ、一つだけ言い忘れていました。僕は見つけましたよ、救世主」
「!」
楠木の反応を確認もせずにアヤメは扉を開けて出ていった。
残された楠木はため息をつくと、袋からおはぎを取り出して頬張る。今はとにかく甘いものを口にしたい気分だった。
*
その日の晩、喫茶リコリコでは、ノートパソコンの前でミカとミズキがああでもないこうでもないと頭を悩ませていた。
「こんなに複雑にしなくてもいいんじゃない?」
「だが、千束もたきなもどう動くか全く想像がつかん。あらゆる事態を想定する必要があるし、アヤメの事もある」
「あー……それはそうねぇ」
ミズキは千束とたきなのここ1ヶ月の仕事を振り返る。
千束は言わずもがな、思いつきと閃きだけで作戦なんてハナから存在しない。たきなはたきなで、合理主義という名の猪突猛進になるきらいがある。予定通りに終わった任務などほとんどなかった。それに加えて不確定要素の強いややこしい奴がいるとなると、想定がいくらあっても足りないだろう。
「せめてもう少し、状況が絞れればなぁ……」
ミカがそうボヤくと、ウォールナットからメールが届いた。
『それなら、ボクに提案がある。ボクを狙う奴自身に狙いを絞らせるんだ』
「え、なにこれ聞かれてんの?」
『ああ、お前の金の使い道の妄想もな』
「んげぇ。腐っても世界最高峰か」
『ボクは腐ってないぞ』
漫才をしだしたミズキを無視してミカはウォールナットに尋ねる。
「どうやって、狙いを絞らせる?」
『簡単な話だ。奴にわざと情報を漏らす。奴は今ボクを出し抜いて最高に機嫌が良いだろうからな。手に入れた情報も自分の実力のお陰だと疑いもしないだろう』
「あれ、知り合いですか?」
『そこまでじゃない、ただ奴が凄く単純で分かりやすいだけだ』
そう告げたウォールナットのメールを見て、ミズキ、ミカ、アヤメの3人は顔を見合わせた。思うところは同じらしい。
ミカはウォールナットに向けて提案する。
「そこまで分かってれば十分だ。ウォールナット、お前も作戦を考えるのに協力してくれ」
『しょうがない、自分が助かるためだ。ただし、ボクはその道のプロでは無いからあまり期待するなよ』
「そこはお互い様だ。こっちは電脳戦は門外漢だからそちらは任せる」
4人は改めて作戦を練り出したのだが、変に話が盛り上がった結果、作戦の最後は大爆発で締める事に決まった。
これで一段落ついた、とコーヒーを飲み出したリコリコ側の3人にウォールナットから疑問のメールが届く。
『で、途中から増えてたソイツは誰なんだ?』
「ああ、DAのスパイのアヤメだ」
「どうも、スパイじゃないですよ、多分」
『なんでお前らそんなの平然と話に混ぜてるんだ!?』
ウォールナットからのツッコミはもっともだった。しかし、ミカは心配いらないとウォールナットを落ち着かせる。ミズキも肩を竦めてその理由を説明した。
「色々ややこしい立場なのよ、アヤメは。でも、今ここにいるってことは、この件に限っては味方扱いで大丈夫。上手いことやってくれるはずだから」
『何も具体性のある理由がないし、信ぴょう性も全然感じられない。なんの説明にもなってないんだが……』
「大丈夫ですよ、信じてくださいって」
『ああ……とても不安だ……』
ウォールナットの嘆きは、今朝のアヤメたちと全く同じものになった。盗み聞きしていたから耳になんとなく残ってしまったのかもしれない。
ミカは緩くなった空気を締めるために手を叩いた。
「ともあれ、作戦開始だ。まずは明日までに準備をしないとな。各自、抜かるんじゃないぞ」
「「『了解』」」
4人はそれぞれ、明日の準備のために行動を開始した。
*
都内某所、薄暗い部屋で様々なモニタに包まれた青年がいた。頭にはブリキのロボットのような被り物をしていて表情は伺えないが、うるさくはしゃぐ姿が彼の上機嫌さを表していた。
「アッハハハハハァ!!よぅし、遂に追い詰めてやったぞウォールナット!……まあ、まさか1ヶ月もかかるなんて思わなかったけど」
彼の名はロボ太。世界最高峰のハッカーと言われるウォールナットを亡き者にして、自分が世界一の座に君臨しようと息巻く野心の強い男だ。
ウォールナットの雇い主が、ウォールナットを消すために雇われたハッカーだったが、それから1ヶ月も始末することが出来ずにいた。
だが、今回こそは違う。逃走手段はこちらに筒抜けになっているし、雇った傭兵も連絡できた男たちの中で1番使えそうなグループを選んだ。
「これで、明日には名実ともに僕が世界最高のハッカーだああああ!アッハハハハハァ!……ぐへぇ!」
はしゃぎ過ぎて椅子ごと倒れたロボ太はそれでも気にせず上機嫌に笑い転がり続けていた。
「アハハハ、アッハハハハハハハァ!!」